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真壁レオは今日も重い〜吉原外伝〜  作者: ほしよみ


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七日ぶりの夜五つ7

見つめ合っているのに、

言葉が出てこない。

近づきたいのに、

お互いに一歩を踏み出せない。

二人の間に、

目に見えない薄い絹幕が一枚、

張られているかのような、

もどかしく、

息苦しい時間が流れていく。

そんな二人の空気の変化を、

背後の景は見逃さなかった。

お互いに視線を逸らしながらも、

意識し合ってガチガチになっている。


純情が過ぎるでしょうに……

あまりのジレジレっぷりに、

景は心の中で盛大にため息をついた。

これ以上放置すれば、

お座敷の時間が、

沈黙のまま終わってしまう。

景はわざとらしく、

「コホン」と小さく咳払いをすると、

手元の盃をトントンと叩いた。

「若」

「いくら彼女の音が

素晴らしいからといって、

そう怖い顔で見つめられては、

怯えてしまいますよ」

「お酒、進んでおられないようですし」

景の言葉に、

唯衣が弾かれたように顔を上げた。

「あ、申し訳ありません!」

「すぐ、すぐに新しいお酒を――」

「構わん」

レオが景を薄い瞳で睨みつけながら、

唯衣の慌てる声を遮った。

その声は、

いつも通り冷徹だったが、

ほんの少しだけ、

照れ隠しのような硬さが混じっている。

「酒なら、自分で注ぐ」

「……お前は、そこにいろ」

「あ……」

自分で注ぐと言いながら、

レオは唯衣にお銚子を

手放させようとはしなかった。

ただ、その場にいてほしい。

そんなレオの不器用すぎる引き留め方に、

唯衣は驚き、

それから、

胸の奥がじんわりと、

甘い熱で満たされていくのを感じていた。

ただ、レオの傍にいるという事実が、

彼女の背中を、

優しく支えているような気がした。

レオは唯衣からお銚子を奪うことなく、

彼女が傾ける手元に、

自分の盃をそっと添えた。

トトト、

と、再び静かに響く音。

それは、二人だけの秘密の約束を交わしているかのように、

心地よく座敷に溶けていく。


この時間が、ずっと続けばいいのに……

唯衣は初めて、

吉原の夜が明けないでほしいと願った。

ほんの七日前までは、

“失敗しないこと”だけが目標だった。

けれど今は、

この白銀の髪の若旦那に、

もっと自分の音を聞いてほしい。

もっと、

この薄い青色の瞳に見つめられていたい。

そんな強い想いが、

胸の奥から溢れて止まらなかった。


スッ……。

静かに襖が開く。

そこに立っていたのは、

お迎えに来た若い者だった。

「若旦那様、そろそろお時間でございます」

「お足元が暗くなります前に……」

その声が、

夢のような時間を現実へと引き戻す。

「……そうか」

レオは短く答え、

手の中の盃をゆっくりと置き、

立ち上がった。

姐さん芸者たちが一斉に三つ指をつき、

「ありがとうございました」

と頭を下げた。

唯衣も慌てて一歩下がり、

床に両手をついて深く頭を垂れた。

視界に映るのは、

黒地の着物の裾と、畳の目だけ。

もう、あの綺麗な白銀の髪も、

澄んだ瞳も見ることができない。

胸の奥に、

ぽっかりと冷たい穴が開いたような

寂しさが押し寄せる。

足音が、ゆっくりと襖の方へ向かっていく。

行ってしまう。

若旦那様が、行ってしまう。

唯衣が寂しさに身をすくませた、

その時だった。

カサリ、

唯衣のすぐ目の前の畳が鳴った。

「唯衣」

低い、けれど確かな声が、

上から降ってきた。

え……?

唯衣がハッと顔を上げると、

そこには、

歩みを止め、

振り返って自分を見下ろしている

レオの姿があった。

背後では、

景が「おや」という顔で

小さく眉を上げている。

レオは、部屋にいる誰もが聞き取れる、

けれど唯衣だけに向けられた声で、

静かに告げた。

「また、お前の音を聞きに来る」

「……それまで、そのままでいろ」

客に媚びず、

ただ綺麗なままであろうとする、

一滴の清水のようなお前のままで。

唯衣は息を呑み、

それから、

弾かれたようにもう一度深く頭を下げた。

「はい……! 」

「お待ちしております、若旦那様!」

顔は見えなかった。

唯衣は息を呑み、

それから、

弾かれたようにもう一度深く頭を下げた。

けれど、

立ち去っていくレオの足音が、

先ほどよりもほんの少しだけ、

弾んでいるように聞こえたのは、

気のせいではなかったはずだ。

襖が静かに閉まり、

若旦那たちが去っていく。

「……やったね、唯衣」

隣にいた姐さん芸者が、

そっと肩を叩いて微笑んでくれた。

「大店の若旦那に、

名前を呼んで指名されるなんて。

たいしたもんだよ」

「あ……」

唯衣はそこで初めて気がついた。

自分は一度も、

若旦那様に名前を名乗っていない。

昼間に女将の菊乃から

「今夜は真壁の若旦那の座敷だよ」

と言われただけだ。

どうして、私の名前を……?

あの初座敷の夜。

レオが去り際に翡翠花魁へ問いかけた、

『あの芸者の名は何という』という言葉。

翡翠が、

一瞬だけ深みのある笑みを浮かべた、

あの瞬間。

あの時、花魁が教えてくださったんだ……

すべてが繋がり、

唯衣の胸の奥に、

言葉にならない熱い塊が込み上げてきた。

名前を覚えていてくれた。

そして、また会いに来ると言ってくれた。

窓から吹き込む初夏の夜風が、

唯衣の火照った頬を、

どこまでも優しく包み込んでいった。

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