夜道の籠の中は、ニヤニヤが止まらない(レオ)
蒼月楼を出て、夜の吉原を後にする。
揺れる籠の中は、
外の喧騒が嘘のように静かだった。
レオは、薄暗い籠のシートに深く腰掛け、
組んだ膝の上に頬杖をついていた。
窓の隙間から、
通り過ぎる見世の灯りが時折、
レオの顔を白く照らす。
その唇の端が、
小さく、
けれど確かに吊り上がっていた。
「……ふっ」
思い出すのは、
すぐ隣で、
緊張しながらお銚子を傾けていた
あの黒地の着物の女。
「お待ちしております、若旦那様!」
真っ赤な顔で一所懸命に応えた、あの声。
そのままでいろ、か……
自分で言っておきながら、
少し気恥ずかしさが込み上げてくる。
だが、
胸の奥を満たしているのは、
これまでに感じたことのない形のない、
温かな灯火だった。
あの歪んだ人形の世界の中で、
彼女だけは本物の光だった。
レオが自分の世界に浸り、
ふっと鼻で笑った、
その時だった。
「若……」
「……外まで笑い声が漏れておりますよ」
籠のすぐ脇を歩く景から、
容赦のない声が飛んできた。
さすがは耳のいい男だ。
レオのわずかな吐息の緩みを見逃さなかった。レオは一瞬で表情を引き締め、
いつもの冷徹な仮面を被り直す。
「……気のせいだ」
「気のせいなものですか」
景は籠の窓に並んで歩きながら、
やれやれ、
と呆れたようにため息をついた。
「お座敷ではあんなに偉そうに
『そのままでいろ』などと凄んでみせて」
「うるさい。聞こえていたのか」
「聞こえるに決まっているでしょう」
「あの狭い座敷です。
芸者方も全員気づいておられましたよ。
まぁ、皆さんプロですから、
『大店の若旦那が可愛い新米を見初めた、
微笑ましい一時の夢(遊び)』
として、大人の対応をしてくださいましたが」
景の言う通り、
吉原は夢を買う場所だ。
一度や二度、俺が芸者をからかったところで、ただの「粋な夜の戯れ」として流される。
「戯れではない」
レオは低く、独りごとのように呟いた。
「分かっておりますよ」
景の声が、
少しだけ真面目なトーンに変わる。
「若が、これほど他人に執着されるのは
初めてですからね。
……ですが、お気をつけください。
ここは吉原です。
深入りすれば、男を狂わせる泥沼になる。
噂にでもなれば、
大旦那様の耳にも入ります」
「分かっている」
「ならば結構です。……ただ、」
景はそこで、
いたずらっぽく声を弾ませた。
「あの唯衣さんという娘。
若に名前を呼ばれた時の、
あの鳩が豆鉄砲を食ったような顔……。
あれは確かに、
この街には似合わない、
上等な清水でございましたね」
「……」
レオは答えなかった。
だが、再び暗がりに戻った籠の中で、
レオはそっと目を閉じる。
耳の奥に、まだ残響している。
ベン、と響いた、あの澄んだ音色。
そして、あの真っ直ぐな茶色の瞳。
また、すぐに聞きに行く
吉原がどれほど深い泥沼だろうと、
関係ない。
あの音を手放す気など、毛頭ない。
レオは小さく、もう一度だけ、
誰にも見えない微笑みを浮かべた。




