七日ぶりの夜五つ5
「さぁ、若旦那」
「お次は何を呑まれます?」
「こちらに良いお酒が入っておりますよ」
流れるような所作で
レオの新しい盃が用意される。
さすがは目の肥えた客を相手にしてきたプロだ。
レオの盃が空になる瞬間など、
一瞬たりとも作らない。
そんなプロのやりとりの隣り。
唯衣は小さく足を進め、
レオの隣りで控える景の席へとついた。
新人芸者は、
お付きの旦那様の相手をするのが
お座敷の決まりだった。
「お、お酒、お注ぎいたします……」
唯衣の手が、緊張でわずかに震えている。
そんな唯衣の様子を見て、
景はふっと優しく目元を和らげた。
「ありがとうございます」
「ですが、そう緊張なさらずに。
私はただの、若のしがないお供ですから」
景は受け取った盃を傾けながら、
唯衣にしか聞こえない低い声で、
気さくに話し掛けた。
「先ほどの三味線、本当に素晴らしかった」
「うちの若の、あの聞き惚れた顔を
ご覧になりましたか?
滅多にないことなんですよ」
「え……? 若旦那様が……?」
唯衣は驚いて、パッと顔を上げた。
「ええ」
「普段は石仏のように冷たい人なのですがね」
景が小さく笑うと、
唯衣の硬かった表情がほんの少しだけ綻んだ。
二人の間に、
穏やかな空気が流れ始める。
「お名前お伺いしても?」
景が盃を口にして聞く。
「唯衣と申します」
「良いお名前だ」
景が優しく微笑みかける。
離れた席のレオには
二人の様子が気になって仕方がなかった。
姐さんが注いでくれる酒を口に含みながらも、レオの目線は、
そして耳は、
自然と隣りの二人へと向いてしまう。
何を話している……
楽しそうに首を傾げる唯衣。
その横顔。
少しだけ安心したような笑顔。
それを受け止める、
景の整った横顔。
ただの客と芸者、
ただの仕事の会話だ。
頭では分かっている。
だが、
胸の奥がじりじりと焼けるように熱い。
いつもなら美味いはずの酒が、
今は酷く苦く感じられた。
しばらくの時間が流れた。
座敷の空気もすっかり温まり、
夜の更ける音が静かに響き始めた頃。
景は、チラリとレオの横顔を見た。
レオは一見、
いつも通り冷徹に澄ましている。
だが、
その視線が一瞬だけ
自分たちの方を鋭く刺したのを、
景は見逃さなかった。
やれやれ……。
相変わらず、
分かりにくいお人だ。
全てを察した景は、
小さく苦笑すると、
手元のご馳走を一つ摘み、
唯衣に向かって穏やかに声を掛けた。
「おっと、
すっかり話し込んでしまいましたね。
……唯衣さん、
せっかくの綺麗な音の持ち主が、
私のような無粋な男の相手ばかりでは、
若に後で何を言われるか分かりません」
景は、
唯衣の背を優しく促すようにして言った。
「さぁ、若の盃へ」
「あちらで、その綺麗な音の話を、
直接若に聞かせてあげてください」
「あ……はい」
唯衣は少し頬を赤らめながら、
お銚子を大切に抱え、
ゆっくりとレオの席へとにじり寄っていった。
姐さん芸者は、
空気を読んで一歩引く。
レオのすぐ隣に、
あの黒地の着物が静かに座った。
白檀の香りはもうない。
代わりに、
初夏の夜風の匂いが、
レオの鼻腔をくすぐった。




