身請けと、唯衣の秘密 1
『蒼狼の間』は、
蒼月楼の本宅から少し離れた場所に
建てられている。
真壁大店が建てた『離れ』だからだ。
だからこそ、
ここで交わされる会話が 外へ漏れることはない。
やがて。
襖が静かに開いた。
「お呼びと伺いましたが」
女将・菊乃が一礼する。
音も立てず襖を閉める所作は、
誰もが見惚れるほど美しかった。
「忙しい時間にすまない」
レオが静かに口を開く。
「1週間以内に唯衣を身請けしたい」
座敷全員が一斉に顔を上げた。
座敷中の視線が、 一斉にレオへ集まる。
「……はい?」
景が珍しく声を漏らす。
翡翠の煙管が、ぴたりと止まる。
姐さん芸者たちは、 思わず顔を見合わせた。
そして
「……え?」
一番固まっていたのは、 唯衣だった。
目を丸くし。
口までぽかんと開いている。
「わ、わたし……?」
「み、身請け……?」
頬が、 みるみる真っ赤に染まっていく。
「若旦那様……」
声にならない。
心臓だけが、 どくん、どくんと鳴り続けていた。
「菊乃、できるかどうか聞いている」
レオはハッキリと尋ねた。
「若旦那様……」
菊乃は困ったように目を伏せた。
「どうした?」
「言い値で払う」
「……お金の問題ではござりんせん」
その一言に、 座敷の空気が変わる。
誰も口を開かない。
菊乃は静かに唯衣へ目を向けた。
当の唯衣は、
突然の身請け話に頬を赤く染め、
驚きと嬉しさを隠し切れていない。
その無邪気な表情を見て、
菊乃は小さく息を吐いた。
「若旦那様」
「唯衣は芸者として蒼月楼へ上がっております」
「ですが……」
ほんの少し言葉を選ぶ。
「この子は、
年季や借財を背負っている娘ではござりんせん」
「わっちが事情あって、
預かっている娘でありんす」
唯衣自身は
自分がなぜ吉原で芸者をしているのか
疑問に思ったことがなかったわけではない。
けれど。
きっと他の娘たちと同じように、
家の事情なのだろう。
そう思い込み、
深く尋ねたことを今までしてこなかった。
「お前たち」
菊乃が静かに口を開く。
「せっかく整えてくれた席だが、
少し外しておくれ」
姐さん芸者たちは顔を見合わせることなく、
静かに一礼した。
禿たちもまた、 花魁の後ろへ控えようとする。
その時。
「……翡翠」
菊乃が呼び止めた。
「お前はどうする」
翡翠は煙管を口元へ運ぶ。
「聞くということは、
その秘密も一緒に背負うということさ」
「それでもいいなら、 ここへ残りなんし」
部屋が静まり返る。
翡翠はふっと笑うと、
煙管の煙を細く吐き出した。
「わっちにとって唯衣は、 妹同然でありんす」
「妹の幸せのためなら、
背負う荷が一つや二つ増えたところで、
どうということはありんせん」
にっこりと微笑む。
「喜んで、お供いたしんしょう」
そして禿へ振り返り、
「お前たちは外で待っておくれ」
禿たちは、
「はい、花魁」
と一礼して部屋を後にした。




