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真壁レオは今日も重い〜吉原外伝〜  作者: ほしよみ


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広がるウワサと、漆黒の影 3

時を少し遡る。

浅草寺の鐘の音が鳴り響き、

夜の吉原が始まろうとしていた時、

一人の若旦那が蒼月楼の敷居を跨いだ。


「これはこれは、黒崎の若旦那様」


女将の菊乃は深くお辞儀をし、

挨拶をする。


「久しいな、菊乃」


黒崎家の次期当主、黒崎実成(さねなり)だ。

整った美しい顔とは裏腹に、

その身なりは異様に派手で、

女遊びの激しさが全身から滲み出ている。

吊り目の目元と余裕の微笑み。

金と権力を笠に着て、

目の前の人間をすべて

虫ケラのように見下すその傲慢な態度。

正直、

厄介で二度と関わりたくないと、

蒼月楼の帳簿ブラックリスト

最上段に名が載っている天下一の無粋者だった。


「本日はどうされました?」


菊乃は元吉原ナンバーワン花魁としての

笑みを浮かべながらも、


予約も取らずに、一体何しに来やがった


と、冷ややかな視線で遠回しに牽制した。

実成は手にした煙管をパチンと鳴らし、

不気味に低く吐き捨てる。


「何しに、だと? 」

「遊郭に来るのに

女と酒以外に理由などあるか」


バカにしたような言い草。

だが、菊乃もプロだ。

落ち着いて


「若旦那様」

「せっかくですが、本日、

ご来店のお約束が取れていないかと存じます」


丁寧に断る。


「俺が今日はここで酒を呑むと決めたんだ」

「部屋と女と酒を用意しろ!」

「用意出来ないとは言わせない」


「申しわけありませんが、

きちんと掟に沿って遊んで頂く」

「……というのが吉原の決まり」

「守れないなら敷居を跨いで頂くことは

難しいでござりんす」

「きちんと掟に沿って遊んでおくんなんし」


菊乃がピシャリと言い切った。


「金か?」

「金が欲しいんだな」

「菊乃、お前はがめついな」


実成はバカにしたように嘲笑った。

そして、


「しかたあるまい」

「今日はお前の言い値で払ってやる」


そういいながら、

慣れたように座敷に上がった。


「お待ちください! 黒崎の若旦那様!」


菊乃の制止する声も聞かず、

実成は慣れた足取りで、

蒼月楼で最も格の高い極上の大座敷へと

強引に上がり込んだ。


バタン、

と乱暴に襖が開け放たれる。


「おい、菊乃」

「さっさと酒と、それに翡翠をここに呼べ」

「言い値で払ってやるから」


実成は上座の脇息にどっかりと腰掛け、

吊り上がった目で部屋の若い者を睨みつけた。

大見世としての格を汚すわけにはいかない。

菊乃が厳しい顔で座敷へ滑り込み、

毅然と対応する間にも、

見世の者たちが

大急ぎで運んできた極上の酒と、

美しく盛り付けられた初夏の料理が

実成の前へと並べられた。


「黒崎の若旦那様」

「いくらお大金を積まれようとも、

翡翠は今夜、他のお客様の先約が入ってんす」

「吉原の掟を破るわけにはいきんせん」


「チッ、真壁だな」

「どいつもこいつも真壁、真壁と……」

「あの白銀の若造が

金をチラつかせてからというもの、

この見世は俺を蔑ろにしやがって!」


実成は目の前の美しいガラスの盃を

不躾に指先で弄び、

わざとななめにして、

極上の酒を高級な畳の上へと

たらたらと溢れさせた。


「……おい、この酒はなんだ。

薄くて泥水のようだぞ。

料理も冷え切っている。

大見世のくせに、

俺にこんな不浄なものを出すのか!」


実成は手元の盃を畳へと乱暴に投げ捨てた。

パリン、

ガラスで出来た盃は

と高い音が響き、

極上の酒が贅沢な畳へとシミを作っていく。

それは、誰もが耳を疑うような、

完全な八つ当たりと

意味不明のでっち上げの難癖だった。

蒼月楼がそんな粗悪な酒や料理を出すわけがない。


「こんなもの、犬の餌にもならん!」


実成は吊り上がった目を激しくギラつかせると、

目の前に並んだ豪華な御膳を、

漆黒の雪駄せったを履いた足で

ガシャーーーン!!!

と、力任せに蹴り飛ばした。

見事な蒔絵の施された器が宙を舞い、

美しい料理が畳の上へと

無惨にぶちまけられる。

なみなみと注がれていた

高級なお酒の徳利も、

床の上で派手にひっくり返り、

バシャバシャと音を立てて金箔の屏風を汚していった。

あまりの暴挙に、

控えていた若い者たちが

「ひっ……!」

と短く悲鳴を上げて凍りつく。


「黒崎の権力を使えば、

奉行所を動かして

この見世に『あらぬ疑い』をかけることなど

造作もないんだぞ。

嫌なら今すぐ、

俺の機嫌を取る方法を考えろ!」


と、実成はめちゃくちゃに

散らかった座敷の真ん中で、

手にした煙管をパチンと鳴らし、

傲慢に不敵な笑みを浮かべた。


……くっ、この下衆が……!


菊乃は着物の袖の下で、

爪が肉に食い込むほどに拳を強く握りしめた。

由緒ある黒崎家という後ろ盾がある以上、

ここで男を力ずくで叩き出せば、

見世全体、

ひいては他のお客様にまで

迷惑がかかるかも知れない。

蒼月楼の格を守るため、

そして今夜の他のお客様への迷惑を

最低限に抑えるために、

女将の菊乃は腸が煮えくり返るような

憤りを抑え、

涙をのんで冷酷な妥協案を口にした。


「……分かりんした」

「そこまで仰るなら、黒崎の若旦那様」

「今夜はこれにてお引き取りおくんなんし」

「その代わり……

『明日、昼の開店から一日中』、

最高級の翡翠を付きっきりにさせます」

「ただし、もし、次、この様なやり方で

店の敷居をまたぐことがあれば……」

「容赦はしないでありすよ」

「今回だけ黒崎家の顔を立ててご用意致します」

「フン……」

「明日一日、翡翠が俺の玩具になる。

笑えるな!

いいだろう、今夜はそれで免じてやる。

真壁の鼻をあかしてやるのさ」

「あいつの大事な女、俺の女にしてやる」


実成は下品な勝ち誇った笑みを浮かべると、

ようやく立ち上がり、

嵐のように蒼月楼を去っていった。

高級なお酒の匂いと、

めちゃくちゃにひっくり返された座敷。

残された菊乃は、

実成が帰った深夜、

凄まじい嫌悪感に体を震わせながら、

裏口の若い者に命じた。


「すぐに真壁家へ一報を入れる。

それから明日、

唯衣は絶対に座敷へ上げるんじゃないよ。

あの男に、

あの清らかな音を

絶対に近づけてはならない……!」


菊乃は夜通しで、

真壁家へのあの

「嫌み百二十パーセントの詫び状」

を書き上げるのだった。

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