七日ぶりの夜五つ1
あれから七日。
唯衣は今日も朝から
三味線の稽古に追われていた。
初座敷が終わったからといって
気を抜くわけにはいかない。
むしろこれからだ。
蒼月楼では
毎夜のように宴席が開かれる。
芸者はいつ呼ばれてもいいよう、
日々芸を磨き続けなければならない。
「そこ、音が浮いてるよ」
姐さん芸者の声が飛ぶ。
「はい!」
唯衣は慌てて弾き直した。
「初座敷が終わったからって
安心するんじゃないよ」
「はい」
「いい返事だねぇ」
部屋に笑いが起きる。
唯衣は少しだけ頬を赤くした。
三味線の稽古が終われば、
次は舞の稽古だ。
視線の流し方。
指先の角度。
扇の開き方。
一歩踏み出す足運びまで。
すべては美しく見せるため。
遊女たちの華を引き立てるため。
何度も何度も繰り返し教え込まれる。
その後は自室へ戻り、
手習いや読書をする。
和歌や古典。
世間で評判の芝居や浮世絵。
流行りの話題。
芸者は芸だけを磨けばよいわけではない。
遊女の邪魔にならぬよう場を繋ぎ、
時には客の話し相手にも
ならなければならない。
そのためには知識も必要だった。
唯衣はこの一週間、
何度か座敷へ上がった。
まだ姐さん芸者の後ろについて
回ることがほとんどだ。
三味線を奏で
舞を舞い
酒を注ぐ。
求められれば会話をする。
“失敗しないこと”
今の唯衣の目標は、それだけだった。
それでも
初座敷の夜よりは
少しだけ肩の力が抜けている。
姐さんたちから叱られる回数も減った。
三味線の音も以前より安定してきた気がする。
少しだけ。
ほんの少しだけだが。
自分も芸者として
歩き始められた気がしていた。
その日の昼時だった。
「唯衣、菊乃さんがお呼びだよ」
三味線の稽古をしていた唯衣に、
姐さん芸者が声をかけた。
「ありがとうございます」
唯衣は慌てて三味線を置く。
「すぐ行ってまいります」
稽古部屋を出て、
女将の部屋へ向かった。
廊下から見える空は薄い青色。
不思議と心が落ち着く色だった。
初夏の風が吹き抜け、
火照った頬を心地よく撫でていった。
(何だろう……)
呼び出されるような心当たりはない。
今朝の稽古だって
特に叱られてはいないはずだ。
少しだけ胸をざわつかせながら、
唯衣は女将の部屋の前で足を止めた。
「ご免なさいまし。唯衣でございます」
両膝をつき、
襖の向こうへ声をかける。
「お呼びでしょうか」
「お入り」
落ち着いた声が返ってきた。
唯衣は背筋を伸ばし、
静かに襖を開けた。
「練習中に悪いね」
菊乃は煙管をくゆらせながら、
帳面へ目を落としていた。
「今夜は翡翠花魁の座敷だよ」
唯衣は背筋を伸ばす。
「真壁の若旦那がお見えになる」
その言葉に、
唯衣は一瞬だけあの夜の座敷を思い出した。
白銀の髪。
薄い水色の瞳。
だが、それもほんの一瞬だった。
「どうだい。務まりそうかい?」
菊乃が顔を上げる。
「はい」
唯衣は迷わず頷いた。
「大丈夫です」
菊乃は煙管を灰吹きにコン、
と静かに打ち付けた。
「いい返事だねぇ」
口元に小さな笑みが浮かんだ。
「翡翠は前にも後にも座敷が入ってる」
「いられるのは一刻ほどだろうさ」
そう言いながら予約帳を閉じる。
「その後は芸者たちで座を持たせるんだ」
菊乃の視線が唯衣へ向いた。
「しっかりおやり」
「はい」
唯衣は深く頭を下げた。




