白銀の影と、すれ違いの白檀 3
部屋の隅では、
景が静かに目を閉じ、
「見事なものだ……」
と心の中で深く感心していた。
最後の音が、
ベン……と美しく余韻を残して、
夜風の中に消えていく。
唯衣は三味線を抱えたまま、
胸を小さく上下させて、レオを見た。
「……いかが、でしょうか」
レオはすぐには答えなかった。
ただ、ゆっくりと盃を干すと、
いつもの冷徹な仮面の奥で、
今度は隠しきれないほど優しく、
愛おしそうに目を細めた。
「ああ。……やっぱり、お前の音が一番いい」
その言葉に、
唯衣の胸は今度こそ、
嬉しさではち切れそうになるのだった。
最後の美しい余韻が、
夜風の中に消えていく。
唯衣は今度は上手く弾けたことに、
ホッと小さく胸をなで下ろした。
けれど、
ふと強い視線を感じて目線を上げると、
すぐ隣にあった。
あの薄い青色の空のような瞳が、
いつもとは違う、
どこか熱を帯びた眼差しで
じっと自分を見つめている。
「若旦那様……」
唯衣は熱い視線に射抜かれ、
パッと顔を赤らめて見つめ返した。
「あの……あまり見られると、
恥ずかしいのですが……」
「…………」
レオは答えなかった。
ただ、
唯衣の言葉さえ耳に入っていないかのように、 その愛おしい姿を目に焼き付けている。
唯衣はますます恥ずかしくなり、
照れ隠しのように慌ててお銚子を持ち上げ、 酒を注ごうと
「どうぞ」の仕草をした。
レオは、唯衣を見つめたまま、
その視線を一度も外すことなく、
そっと盃を持ち上げる。
トトト、
と琥珀色の酒が注がれる間も、
熱い視線は唯衣の顔に注がれたままだ。
「若旦那様」
「……ですから、あまりご覧にならないで」
唯衣はますます真っ赤になる。
頬どころか、
結い上げた黒髪の隙間から覗く白い耳まで、
林檎のように真っ赤に染まっていく。
すると、
レオは満たされた盃をじっと見つめ、
それから低く、
けれど確かな声で告げた。
「唯衣。明日も、明後日も」
「え……?」
「翡翠の空いてる時間を、全部買う」
その贅沢すぎる、
けれど狂おしいほどの告白に、
唯衣の息が止まった。
「お前に会うために……」
唯衣はハッと顔を上げた。
レオの瞳は、
ブレることも、
揺らぐこともなく、
真っ直ぐに唯衣を見つめていた。
今度はもう、
恥ずかしさで目を伏せることはしなかった。
唯衣は、レオをちゃんと見つめ返す。
「お前に会うために、俺はここに来る」
客に媚びるための音を嫌い、
歪んだ夢の世界に冷めていた若旦那が、
自分の財力のすべてを賭けて、
一人の新米芸者に会いに来ると誓っている。
それがどれほど途方もない無茶で、
どれほど深い泥沼の始まりだとしても、
今の二人には関係なかった。
「……嬉しいです」
唯衣は真っ直ぐに、
熱を帯びたその空色の瞳に答えた。
お座敷の嘘でも、
一夜限りの夢でもない。
二人の本物の初恋が、
吉原の夜を熱く、
甘く、
溶かしていくようだった。
その時、
廊下から再び静かな足音が近づき、
襖の向こうから若い者の声が響いた。
「若旦那様」
「大変名残惜しゅうございますが、
そろそろお時間でございます……」
一刻のタイムリミット。
「……ああ」
レオは名残惜しそうに、
けれど
今度はどこか満足げな足取りで立ち上がった。
唯衣は三味線を抱え、
再び畳に深く頭を垂れる。
「また明日な、唯衣」
「はい……お待ちしております」
「若旦那様」
襖が静かに閉まり、
若旦那たちの一行は去っていった。
誰もいなくなった高級な座敷で、
唯衣はそっと自分の胸元を握りしめる。
耳の奥に残るのは、
あの人がくれた熱い約束。
明日も、明後日も、
ここへ来るという、狂おしいほどの愛の宣言。
ここは吉原。
誰もが、一夜の夢を買いに来る場所。
けれど、
あのお方が紡ぎ出してくれたものは、
そんな儚い幻なんかじゃない。
一夜の夢から、千夜の契りへ――
この深い泥沼の果てに、
どんな未来が待っていようとも。
唯衣はもう恐れなかった。
ただ、
明日またあの空色の瞳に出会える瞬間を想い、
愛おしさに胸を震わせながら、
そっと静かになった夜空を見上げるのだった。




