白銀の影と、すれ違いの白檀 1
「ふふふ」
「若旦那、そんなに怖い顔で見つめるから、
この子の綺麗な音が
縮こまってしまいんしたよ。
わっちというものがありながら、
つれないお人でござりんすねえ」
わざと艶っぽく、
翡翠がレオの腕に寄り添った。
「唯衣、いつも通りに」
翡翠が柔らかく微笑み、唯衣に目配せする。
座敷の張り詰めた空気を整え始める。
そして、
レオの耳元へ口元を寄せ、
男を蕩かすような声でそっと囁いた。
「若旦那」
「あまり熱い視線は、
熱すぎて近付くことさえできないでありんす。
あの子が可哀想でありんすよ」
二人が何を話しているのか、
部屋の隅にいる唯衣には聞こえない。
けれど、
間近で繰り広げられる仲睦まじい二人の姿は、
恋を自覚したばかりの唯衣の心を、
木端微塵に砕くには十分すぎた。
……やっぱり、
若旦那様のお気に入りは翡翠花魁なんだ。
あの言葉も、青空の瞳の視線も
ただの、新米芸者への気まぐれ。
夕べ、
嘘でも夢でもいいと覚悟を決めたはずなのに、
いざ現実を目の当たりにすると、
涙が溢れそうになるほど苦しい。
演奏も上手くできなかった。
あのお方に、
何も良いところを見せられなかった。
せっかく
家が建つほどの無茶をして来てくれたのに、
合わせる顔がない。
苦しい……
胸が苦しい……
唯衣はお銚子を抱えたまま、
ただただ畳を見つめて俯いていた。
「花魁、お時間でありんす」
禿が静かに進み出て、
翡翠の背後にそっと囁く。
「おやおや、もう時間?」
翡翠は鼈甲の髪飾りをしゃらりと鳴らし、
名残惜しそうに身を起こした。
「楽しき一時は、
本当に光陰のようでござりんすね」
翡翠は立ち上がり、
着物の裾を捌きながら、
レオへ向かって
大人の余裕を含んだ笑みを浮かべる。
「若旦那」
「わっちはこれにて失礼いたしんす。
ですが……」
翡翠の視線が、
部屋の隅で
小さくなっている唯衣へと向けられた。
「残された時間は、
どうぞその澄んだ音色とお過ごしなんし。
……若旦那の熱いお心が、
今度はちゃんと伝わると良いでありんすねえ」
粋な言葉を言い残し、
翡翠は優雅に部屋を去っていった。
襖が静かに閉まる。
濃厚な白檀の香りが、
少しずつ薄れていく。
残されたのは、完璧な静寂。
レオは、
隣に控える景へチラリと視線を送った。
景はすべてを察し、
何も言わずに他の姐さん芸者たちを促して、
そっと座敷の少し離れた位置へと下がっていく。
二人の邪魔をしないように、
完璧な空気の読み方だった。
座敷の隅で、
置物のようにお銚子を握りしめている唯衣。
レオは静かに立ち上がると、
贅沢な畳を踏みしめ、
彼女のすぐ目の前まで歩み寄った。
上から落ちてくる、
白銀の髪の影。
「唯衣」
低い声が、俯く頭上に降ってきた。




