EX05 夜刀神と幼子 壱
我は闇に身を浸し、滅びを司る者。
滅びによる終わりを司るが、同時に蘇りをもたらす者。
絶対的な終末が訪れるその時まで、時の滑車を回し続ける者。
我は光から別れ、闇として生まれた。
三百年前、荒廃した未開の地であったこの地に人が住むようになり、篝火の光が、窯の火が、海岸線に灯ったのが始まりだ。
儚い光が原始の森に影をつくった。
儚い人が死の荒野を恐れた。それが我である。
影は黒の霧となって、谷の底に溜まった。
人が海岸線に開拓の槌を振り下ろす度に、森の影は濃くなった。
三百年の時を経て、我は強大な力を得た。
沢の水を飲み干すほどの体は、谷と森と砂漠と荒野でもっとも巨大な体である。黒い鱗に覆われ滑った光沢を放つ。
地を這う我に四肢はなく、ただ鋭い顎の牙と、二本の角があるだけ。
三百年の年月が、闇を蛇体となし、我はこの世界の王となった。
対となる灯を灯す人という脆い生き物がギルベナと呼ぶ世界の王である。
森に住む者共は我を神として崇めた。
海岸線に住む儚い人も我を森の王として認めた。
光と闇が決して混じりあうことがないように、
光と闇が決して離れられないように、
森の我らと、海岸線の彼らはつかず離れず三百年来たように、この先の三百年が続くと思っていた。後数百年の時を経れば、我はまた新しい存在となるのだろう。それまでは谷にとぐろを巻いて、微睡みの中に沈むだけだ。
この地には毎日毎日新しい命が生まれ、毎日毎日古い命が終わる。それこそが我であり、我の力である。
だが、次の三百年は始まらなかった。
愚かな儚い人共が森に光を照らそうと侵してきたからだ。
このような者は今までいなかったわけではない。森の芳醇な宝と我の命を狙ってきた匪徒はいた。
その者共はすべてこの森の土となっていた。
だが三百年目にやってきた、この者共は儚い人の入物から溢れだした様な力を備えていた。
だが、人の中には時にこの者共のような存在があることは知っている。
海岸線に住み着いた人の中にもいたからだ。
だがあの陽の光の髪と、空の瞳を持つ一族は、我とともにあり、我の森を侵すことなく、海岸線に光を灯し生きていた。
だが、この者共は違う。
我を神と崇める森の民を殺し、我も殺すために臥所であるこの谷に忍び込んできた。
口々に我を悪と罵り、剣を向けてきた。
矮小なる人よ。
「愚かなり」
我は嗤い、人に分かる言葉でその欲深さを蔑んだ。
悪だの正義だの、人は自分の欲望を満たすとき、その狭隘な心根を誤魔化すために使う。
悪だの正義だの、そんな不可解な言葉を使う生き物は人だけだ。
盗人共は五人。
僅か五人であるが、その者共に我を神と崇める森の民は幾数も殺された。
我は頭をもたげ、小さき人を見下ろす。
この盗賊は冒険者と人の間では言われているらしい。人の差異など、ましてや盗賊の違いなど分からぬが、その手に持たれた剣の輝きに油断ならぬと警戒心を強める。
特に翠玉の髪をした雄。その盗賊が持つ剣は油断ならぬ魔法の輝きを放っていた。
闇に潜む我は世界を見るために光をほとんど必要としない。生命の根源たる魔力を熱として感じることができる。
その我には翡翠の髪をした盗賊が持つ剣の禍々しい熱を感じ、内心で恐れを抱いていた。滅びをもたらす筈の我がだ。あの熱い剣は我の鉄より硬い鱗を容易く切り裂くだろう。
しかし、人の小さな体では我に剣を届かすためには側まで近づかなければならない。
「滅びよ!」
我は近づかせまいと黒い息を吐きつけた。この黒い息は鉄も腐らせる毒の息である。
「『清麗風』!」
白い衣服に身をまとった雌が力のある言葉を発したかと思うと我の毒息がかき消される。どのような魔法かは分からぬが、脆弱な人の身が咄嗟に対処できるほど我の力は懦弱ではない。事前に我の毒息に対して準備していたのだろう。
毒息を無力化した盗賊どもが距離を詰めるために翡翠の髪と、猪のような体の二匹の雄が駆けて来た。他の三匹は逆方向へと下がる。
我はすぐに毒息での攻撃を諦めて、二本の角に力をこめる。
この二本の角には、大地を操る土の力と、谷に洪水をもたらす水の力を秘めていた。
我は盗賊どもの足を止めるために、土の力を持つ角に力をこめる。
赤い角が光を放ち始める。そして二匹の盗賊が眼前に辿り着く前に大地を割った。
「『不可視の踊場』!」
後方に下がった盗賊のうち、今度は黒い衣服を身にまとった雌が力のある言葉を発する。
すると大地を踏みしめなければ立つことの叶わぬ人が宙を蹴るように飛び、こちらに向かって飛びかかってきた。
割れた大地の上に、魔力の足場が生まれたのだ。
我はとっさに蜷局を巻くように蛇体を動かし、翔ぶ様にその場を逃れた。だが小さいがゆえに敏捷な二匹の盗賊は我を逃がすまいと追いかけてくる。
ここまでは脆弱な人の魔法にこちらの手が封じられたが、我とて魔法は使える。器用貧乏な人のように全属性を操れるわけではないが、そのかわりに人のように呪文を必要とはしないし、強力な魔法を使うことができる。
「『土石流』」
土と水の二つの属性を掛けあわせた広範囲魔法である。石の混ざった水の塊を地面から対象方向へ向かって斜めに拭き上げ叩きつける。威力はそれなりだが脆弱な人の身には堪えるだろう。おまけに世界を見るためには光に頼り切りの奴らは視界も失うことにもなる。
激しい吹上が済んだ後も、地上から三メートルほどの視界がすべて土色の霧に覆われた。
我は笑いゆうゆうと距離を空けた。軽装だった三匹の盗賊は生きているようだが動いていない。だが鉄の鎧に身を包んでいた盗賊二匹がまだ土の霧の中をこちらに向かって来ているのは感じ取っていたからだ。
我は頭上に携える角に力を込めた。
先ほどの土の力を持つ角ではなく、今度は水の力を持つ角にである。
この谷を水で洗い流してやろう。
水の中では生きられぬ不自由な者では生き長らえることはできぬだろう。巨木や大きな岩の混じった流れに攫われれば人の姿を保てず肉の塵をまき散らすだろうが、それすらも麓へと洗い流すのだから一石二鳥だ。
角が魔法の光を帯びる。
だが、 我は強力な魔力の熱源を感知して、とっさに身をよじった。
「『断首台』!」
ありえぬ方向から力ある言葉が響き、次の瞬間激痛に襲われた。
首を落とされるのは防いだが、代わりに断ち切られた土と水の力を持つ角がボトリと切り落とされ、地面に落ちる。
我は理解のできない痛みに叫び声をあげ、魔法の力が来た方向を見上げる。
我の頭上に人が飛んでいた。
森の王である我が唯一支配できない空に人が、黒いローブに身を包んだ盗賊が立っていた。
谷の闇から力を得ているがゆえに、我に翼はない。強大な力を蓄えた我だが魔法の力を使っても飛ぶということだけはかなわなかった。脆弱な人間は、脆弱であるがゆえに属性に囚われることはない。本来我と同様地に縛られる人が中に浮かんでいた。我はそれを憎しみのこもった目で睨む。
同じ格好をしているがさきほど魔法の足場を作った黒い雌ではなく、今度は黒い雄。
六人目の盗賊だ!
隠れて機会を伺っていた、その盗賊が放った巨大な風の刃が我の角を切り落としたのだ。
我は痛みと恐怖に襲われのたうちまわり、闇雲に尾を振り回し、毒息を吐いた。
我は地を這う者であるがゆえに、空を眺めることしかできない。
故に為す術がなかった。
我は盗賊どもが我を殺すために十分な準備をしてきていたことを理解した。
盗賊は我を知っていたが、我は人の違いなど興味もなかった。
それこそが脆弱な人が我を殺すための唯一の力であり、我と対となる存在である理由だった。
土色の霧を割って、我を滅ぼす禍々しい魔法の熱を帯びた剣が近づいてくる。
翡翠の髪をした盗賊は、不可視の足場を踏み台にして飛び上がると、我の血だらけの頭に振り下ろしてきた。
我は半ば運命を悟りながら、それでも最後の抵抗にと強靭な牙で迎え撃とうと顎を大きく開き叫び声を上げた。




