EX04 異世界0日 灰魔術師入門その5
イッてください!
俺の内心の昂りに呼応するように、ヤーシャさんが祈るように顔を伏せ、魔力を発する。
「う、お!」
膨大な魔力がヤーシャさんの足元から立ち昇り、光を放つ。
白い光の風がヤーシャさんを中心に回転するように渦巻きながら広がっていく。
他人の、俺という存在の中にあって、残滓のような存在でしかいられない筈なのに、ここまでの魔力を発するなんてさすが神と名のつく魔族だ。
いや、俺がまだ自分の体内魔力を把握できていないのと、彼女の存在が害意ではないと心の底で思っていることも大きいんだろうけど、それにしても、だ。
パ!
と弾けるように光の風が弾けた。
再び闇に戻る。
いや、先ほどと違い、周りに誰もいない、完全なる闇だ。
師匠も、ウカさんも、ヤーシャさんもいない。
自分が立っているのかも怪しい感覚に襲われる。
「脆弱な人が、人を超える階位にまで昇るには……」
声が響いた。セドリック師匠の声。
「……継続と脆弱こそ……」
だが、声が遠い。
「……若君」
ポウ、
と火が灯るように、ヤーシャさんの姿が闇に浮かぶ。
まるで、というか、明らかに彼女の身体は発光していた。
「とりあえず、若君には体内魔力の精度を極限まで高めてもらいます」
先程までの甘い匂いがするような声色から一変、熱くも冷たくもないような抑揚で話し始めた。
「精度?」
「具体的には」
ヤーシャさんの言葉とともに、俺の足の下に一枚の板が出現する。
闇がその場だけ剥ぎ取られていく。
板は俺の背後にずっと続いていく。
視覚障害者誘導用ブロックの様に、幅三十センチほどのしかし黄色くはない白い板が続いていく。
俺はそこに立っていた。
まるでこの瞬間から重力の方向が決定したかのように。こっちが下で、向こうが天井だと認識できた。
「わわっ!」
その途端に、白い板が飛び込み台のように不安定に『しなった』。
ヤジロベーの様に、落ちないよう必死にバランスを取る。
高さも距離もないような世界であるにも関わらず、落ちることへの根源的な恐怖が襲ってきた。
その動揺に反応するように板の『しなり』は大きくなった。今にも折れそうになって、それが折れる以前に、俺はそこに『立って』いることができなくなって、白い板に這いつくばって、しがみついた。
「その白い板は若君の精神状態に依存しています」
「ほ、ホホウ?」
俺は必死にしがみつきながら、解ったふりをして見せる。
「内気法において、自身の体内魔力操作の精度はもちろん大切ですけれど、それも精神の安定、制御ができてこそ」
「なぁーるほどね!?」
俺の精神状態とこの白い板が連動しているのは、よく分かった。何せ、ヤーシャさんに指向性を与えられ、落ちると思った途端によりシナリが大きくなって、振り落とされそうになっている。
その精神状態が、魔力の体内操作(内気法)とどう関連しているのかはよく分からない。というよりそのような余裕がない。
焦れば焦るほど、白い板のシナリは大きくなり、しがみついていた両足は放り出され、辛うじて両手で捕まっているだけの状態。暴風に揉まれる凧のような状態だ。
もう駄目だ。と思った瞬間。ヤーシャさんが印を切ると、いきなり重力が消え失せた。俺は白い板の上に無様に顔から落ちる。ほんの二、三十センチなので顔は大したことなかったが、腰をいわしそうになったよ。
「要領は分かったかしら?」
ニッコリとヤーシャさんは仰るが、要領どころか、要件を得ない。
「えっと、これを内気法の修行にどう活かすと?」
顔から突っ伏したまま尋ねると、
「この白板の上に立って、精神を安定させる。まずはそれができるようになりましょう」
「はあ、なるほど」
俺は立ち上がりながら埃を払う。精神世界なので埃はつかないはずだが、仮想世界なのでつくかもしれない。
この灰魔術『箱庭』で作られた精神世界は、現実世界の俺への影響を与える。それは催眠術における思い込みの力ではなく、魔力の伝導による影響の力だ(この世界では思い込みも魔術の一つだそうだけれど)。
つまり狂人の精神は強靭な魔力を生む源ということになるのではあるまいか。
ならば狂信者の扱う神聖魔術(白魔術)師などは、強力な魔術を扱えるのかもしれない。
そんな予測を話したところ、大人たち三人は渋い顔を一様に浮かべた。
なにやら嫌な思い出を想起させましたかな?
ま、よろしい。
「つまりは、まずは強靭な精神力を養おうってことです?」
「そういうこと。若君は超絶な魔力耐性値をお持ちだけれど、それは外部要因による影響に強いっていうだけであって、内在魔力の強さに寄与しないの。もちろん器の強度である魔力耐性値が高ければ高いほど強力な術を使えれるけれど、そもそも内なる魔力が強く練れなければ意味はないし、ね?」
ヤーシャさんに見惚れていると、今度はウカさんがズイッと一歩前に出てきた。
「器の内側に大いなる魔を内包することができても、それを支配し、使役できるかは術者本人の精神力に依存する」
確かにね。
今現在、俺の内側で、師匠、ヤーシャさん、ウカさんの三人がこうやって勝手気ままに術を構築できている。それは俺が受け入れているというのもあるが、内側に侵入された三人に抵抗するすべがないというのも大きい。
なにか、対策を講じたほうがいいかもなぁ。
俺が思案に耽っていると、ヤーシャさんがパンと手を打った。
「それじゃあ、要領はわかったかしら。まずは白い板の上で立っていられるようになりましょうか」
笑顔のヤーシャさんに、俺は指で輪っかを作って答える。
「では」
と再び印を切ったヤーシャさん。俺の足元にも再び白い板が現れる。
そして重力も『規定』される。
楽勝。というほど俺は器用な人間ではないが、板の上に立っているだけならなんてことはない。
先程のようにいきなり重力が発生して、いきなりの事態に対応するなんて言うのは俺の最も不得意なことではある。しかし予習した二度目ともなると、
「おっとっと」
なんて言葉は口から漏れても、ヤジロベエの如くバランスを取ることはできる。
大体がこの白い板は俺の精神の動揺に連動して、不安定になるというのも分かっている。
焦らず深呼吸。
ものの数分で板はたわむのを止めて、落ち着きを取り戻す。
まぁ、細い板の上にただ立っているというのは意外と難しく、時々バランスを崩しそうになるが、その度に深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
なんというか、最初予想していた修行のイメージよりは随分イージーモードである。
現実世界に影響する仮想世界で、死ぬような修行されても困るのだが。
そういえば、
俺は慣れて幾分かの雑念を思い浮かべる余裕もできた。
これ、『もしこの白い板から落ちたらどうなるのだろう』。
これすなわち重力が発生しているということであり、
すなわち落ちるからには底があるわけで。なかったらそれはそれで恐怖だが。
下を覗いて見たが、そこに広がるのはやっぱり暗闇だけ。
「これ落ちたらどうなるんです?」
ふーむ。何もないようだ。おっと、あんまり下を見続けていると、バランスを失いそうだ。
「気を抜くな」
とウカさんからもアドバイスが飛んでくる。
オッケーでぇす。
と心の内で返事を返す。
ただこの時てっきり簡単な修行に対する、俺の気の抜けようを指摘されたのだと思ったのだけれど、それは違っていた。
「ああ、仕上げを忘れておりましたわ」
相変わらず笑顔のヤーシャさん。だが、その笑顔は今までと違っていた。なんと言うか、柔らかさの欠片もないと言うのか、獣じみたというのか、加虐に満ちているというのか。
再び、新たな印を切る。先程とは微妙に形が違っている。
再び足元が光る。いや、もっと『下の方』だ。
井戸? いや、もっと巨大な穴? 石積み穴が広がっている。
俺を中心に内径十米ほどの穴。深さは……、暗くて分からん。
白板が大きくたわむ。
「んが!」
焦ったが、すぐさま深呼吸して心を落ち着ける。
しがみつく程ではなく、腰を落としてバランスを取る。グラグラと沈み込んでいくが、何度も深呼吸を繰り返すことで白板は水平を保ち始めた。
あっぶね!
穴が視認しただけで、ここまで動揺するもんかね。自分の小心さを改めて思い知る。
だが、何とか体勢を立て直せそう。
「なんてものを……」
そんなオレにウカさんの呻くような声が聞こえた。
はい?
俺は何かの気配を感じて、下を見た。
「……?」
何か、いる?
底が見えないほど深い穴だと思っていたが、何かがおかしい。
底の暗闇が蠢いている気配がする。
暗闇ではなく、黒い濁流が起こっている?
でも、黒い水にしては、何かがおかしい。
けれどいくら目を細めてもそれが何なのかはわからない。
「大丈夫よ、若君」
ヤーシャさんの声に目を向けると、もはや完全に邪悪な笑みを浮かべる狐の魔族の姿が。
ウカさんは顔をそむけているし、セドリック師匠も扇で顔を隠して見ないようにしていた。
「え?」
「落ちたところで、殺されはしないから」
「は?」
「魔物ではなくて、単なる普通の御器齧の大群だから、遠慮なく何度でも飛び込んで頂戴ね」
語尾にハートマークでも付いていそうな調子でヤーシャがおっしゃった。けれど俺はすでにそんなことに意識を向ける余裕はなかった。
「ゴキ……、え?」
足元で蠢く物が何なのか、脳みその奥の方で悟る。ゾワッとしたものが電流となって体を駆け巡った途端、足元の白板は、しなるどころか、綺麗さっぱりなくなった。
落ちた。とだけ言っておこう。
悲鳴を上げることすらできなかった。
こうして俺の六年間に及ぶ修行が始まった。
俺はいつしか、僕になり、
仮想世界は二層世界になって、二度と外敵を侵入させないように防御策を施した。
六年後、僕は精密な魔力操作を身につけることになった。
けれどこれは、お陰様でと言ってよかったのかは今となっても疑問である。




