EX05 夜刀神と幼子 弐
「腐り始めているな」
翡翠の髪の盗賊が、巨大な蛇体を見下ろしながら言った。
まだ若い雄だった。
巨大な蛇の亡骸から流れるドス黒い血が腐食の効果を持つかのように、ドロドロと見る間に肉が腐り、骨を覗かせている。
我は滅びと再生を司る王。禍々しい魔法の剣によって頭を割られた後も牙と尾を振るって盗賊どもを滅ぼそうとしたが、力及ばず敗れ去った。六匹のうち、猪のような盗賊と、野伏の民のような雌の盗賊。その二匹の命を奪うことしかできなかった。もう一匹黒い衣装を着た雌の盗賊の命も奪っていたが、どうやらそれは最期の抵抗の際ではなく、『土石流』の魔法で死んでいたらしい。
生き残った盗賊どもは憎しみの篭った目で腐っていく我の体を見つめている。
我の生命力は、我が体と力の大部分を棄て、盗賊どもの目を逃れてこの草陰に隠れるまでの時間を稼いでくれた。
我は茂みに身を潜めながら、盗賊どもが我の体だったものを切り刻んで腐肉を漁っているのを歯軋りしながらも見ているしかできない。
盗賊どもはどうやら我の鱗や骨、そして体内に溜まった魔力の核を探そうとしているらしかった。
正義だなんだとほざいたところで所詮は盗賊ということだ。
しかし核を失った体からはほとんど得るものはないだろう。
情けないことだが、その程度でしかこの無念を晴らすことはできなかった。
闇を消し去れば光もまた力を失う。正常な自然の運行を人という愚かな生き物は理解しない。
我は滅びを司るが、それは人間たちがギルベナと呼ぶ世界が、そして人という生き物が槌を振り下ろす金火の光が影を作るからこそ存在する。
それを人間という生き物は理解しない。
光と影は両天秤に均等にあってこそ滑車は滑らかに回る。どちらかに偏ればそれは毒を膿む。最悪の場合にはギルベナは光と闇の交じり合った灰の混沌に戻るのだ。
そうなっても、人間はまた正義だ悪だと手前勝手に責任を他者に押し付けるだろう。
そしてそのことに意味はなく、無駄な回り道の後に光があるかぎり、また闇は生まれ、離れることなくこの地に淀む。
次に生まれる闇が我のような姿をしているのかは知らない。
例えそうであっても、我とは違う、我の知らない存在だろう。
そして、その闇もまた悪という烙印を押されて打ち消される。
そしてまた灰の時間が訪れる。
「なんと愚かな生き物か」
核なる力を失った巨大な蛇体が腐れていく。
そして、核なる我、小さな蛇となって逃れた体にも、残された時間は少なかった。
我は仲間を三匹失いながら、何も得るものがなかった盗賊たちには興味を失い、草の間をのったりと這って、その場を後にした。
もはやこの谷を、森を、砂漠を、荒野を支配していた我の力は失われた。
あとは存在が消えるまでの時間を残すのみ。
意味を持ち、このギルベナの闇に身を委ねて三百年。
最期の最後に、力を失う代わりに我は自由を得た。
どこへ行こうか。
我はすぐに森を出て、海岸線へと向かった。
三百年間、毎日のように地平線の先に眺めていた灯りを目指す。
もう力を失い、境界も失われた。
小さな蛇となった体で、ならば最期にあの篝火の元へ行きたいと思った。
幾晩か、かかった。
それでも最期に海岸線へと辿り着くことができた。
この小さな体では、辿り着く前に消え失せることになってもおかしくはなかった。だが、この街という中にも闇はあったのだろう。我を生かしてくれるほどの力はないが、どうにか最期に海岸線に出来たこの街という中を眺めるだけの時間は作ってくれた。
もうすぐ我は消える。
このあとギルベナがどうなるのかは我は知らない。
海岸線の街の灯りを眺めてみたが、すぐに悲しみと絶望が襲ってきた。
三百年間積み重ねたものが、何の必然も感じられずに失われた。
あと七百年後の未来に訪れた、次なる存在への路が絶たれた事実に我は泣き叫びたかった。
死にたくない、滅びたくない。
我は滅びを司る者。
だが、この後に訪れる滅びに再生はない。
自然界の、ギルベナという世界の滑車からはぐれた我はどこへ行くのだろう。
怖い。怖い。怖い。
力がどんどん体から失われていくのが分かる。それに変わって恐怖が泉のように心の奥底から溢れ出てきた。
我は必死で地面を這いつくまわったが、海岸線の街の灯りは我を癒してはくれなかった。
癒してくれたのは時間だった。
我は動く力も無くなった。
存在が消える時間がとうとう来たのだ。
その時にようやく恐怖という波は、穏やかな水面に変わっていた。
ああ、眠い。
考える力もない。ただ目の前に映るものを、街の灯を見つめる。
何かが側に立った。だが我には反応するだけの力はなかった。
しばらくして人の子であることに気がつく。
その子供は我の小さな体についた小さな尾を摘み持ち上げると、ジッと顔を覗きこんできた。
人に滅ぼされ、人に看取られて消えるとは。
我の意識はそこで暗転し、永遠の眠りについた。




