第三十二話:翌日の余韻
――翌日。
朝の空気は、妙に静かだった。
何も変わっていないはずの通り。
同じ石畳。
同じ店の前。
それなのに――
“人の気配”だけが、はっきりと違っている。
列はある。
だが、押し合いはない。
ざわめきはある。
だが、それは昨日のような熱ではなく、
どこか柔らかく、ほどけている。
「昨日すごかったな……」
「ああ、夢みたいだった」
「ちゃんと持って帰れたか?」
「子どもが喜んでさ……」
言葉は軽い。
けれど、その一つ一つに“重さ”がある。
熱狂ではない。
もう――記憶だ。
店の中。
火が入る。
パンが焼ける。
鍋が静かに揺れる。
いつも通りの音。
いつも通りの匂い。
何も変わらない。
はずなのに――
空気だけが、確かに違う。
猫人が窓の外を眺める。
「静かだな」
リオナは帳簿から目を離さずに答える。
「満足している状態ですね」
「そんなの分かるのか?」
「分かります」
一拍。
「売上と、滞在時間で」
確かに客はいる。
だが誰も急いでいない。
並びながら、自然に笑っている。
「昨日、三つも取れたんだ」
「うちは五人家族だから助かったよ」
“足りた”という声。
それが、この場を穏やかにしている。
俺は火を見ながら言う。
「ちゃんと残ったな」
リオナが小さく頷く。
「はい。“体験”として」
猫人が肩をすくめる。
「ただ配っただけなのにな」
――違う。
俺は思う。
“覚えさせた”んだ。
昼。
店はいつも通り回る。
パンを買う客。
カレーを頼む客。
ハンバーグを食べる客。
流れは同じ。
だが、その中に、必ず混じる。
「昨日のパン、うまかった」
「餅、また食べたいな」
昨日が、基準になっている。
味も。
期待も。
会話も。
すべてが、昨日を中心に回り始めている。
夕方。
店の前に、一人の子どもが立つ。
手には、昨日の袋。
少し汚れている。
だが、両手でしっかり抱えている。
「ありがとう」
小さな声。
それだけ。
俺は少しだけ考える。
言葉を選ぶほどのことじゃない。
「ああ」
それで十分だった。
子どもは笑う。
その笑顔に、昨日の全てが残っている。
夜。
店を閉める。
静かだ。
昨日のような熱はない。
だが――
消えてもいない。
猫人が大きく伸びをする。
「嵐の後って感じだ」
リオナがゆっくり首を振る。
「そうですね」
一拍置いて、
「ですが――終わりではありませんよ」
俺は空を見上げる。
静かな空だ。




