第三十一話:餅まき当日
――当日。
朝。
まだ陽が完全に昇りきる前から、店の前には人がいた。
一人、二人ではない。
すでに“列”になっている。
そしてそれは、時間とともに膨れ上がっていく。
「……増えてるな」
猫人が外を見て、呟く。
リオナが即答する。
「三千は超えます」
淡々とした声。
だが、その数字は異常だった。
外。
ざわめきは濃く、重い。
ただの期待ではない。
“目的”を持った群衆だ。
「今日は絶対取るぞ……!」
「家族の分も確保しないとな」
「子どもが待ってるんだ、頼むぞ……!」
「押すなよ、順番だ順番!」
「いや無理だろこれ……!」
すでに熱は臨界に近い。
店の中。
準備は終わっている。
ロールパン。
クリームパン。
チョココロネ。
紅白餅。
合計2万個。
整然と積まれたそれは、もはや“商品”ではない。
“弾薬”だ。
猫人が苦笑する。
「パンをこんな風に見る日が来るとはな」
俺は短く言う。
「投げるぞ」
外。
ざわめきはすでに限界に近い。
「まだか?」
「いつ始まる?」
「本当に無料なんだな?」
期待が渦になっている。
その時。
「姫様だ!!」
外が爆発する。
中心に――
姫が現れた。
「おお……!」
一斉に空気が変わる。
視線が集まる。
姫は高い位置に立つ。
今日のために用意された台。
その上で、腕を組み、群衆を見下ろす。
「よく集まったな」
声が通る。
三千人に、届く。
「本日は――」
一拍。
わずかな間。
その間に、全員の意識が集中する。
「投げるぞ」
一瞬の静止。
そして――
「おおおおおおおおおおお!!」
歓声が爆発する。
最初の一投。
姫がロールパンを掴む。
迷いがない。
そして――
「受け取れ!!」
全力で、投げた。
空を切る音。
放物線。
それを見た瞬間、群衆が動く。
「来た!!」
「こっちだ!!」
「取れ!!」
人が動く。
手が伸びる。
押し合う。
奪い合う。
同時に、歓声。
「取った!!」
「もう一個!!」
「袋持ってこい袋!!」
「兄貴!そっち行ったぞ!!」
クリームパン。
そして餅。
次々に空へ。
姫は止まらない。
一つ一つ、力強く投げる。
「まだあるぞ!!」
その声が、さらに人を煽る。
店側も動く。
猫人が投げる。
リオナも投げる。
俺も投げる。
三方向から、パンや餅が飛ぶ。
空が、埋まる。
パンと餅で。
姫が笑う。
完全に楽しんでいる。
「もっとだ!!」
さらに強く投げる。
「うおおおお!!」
「姫様こっちだ!!」
「お願いだー!!」
「母ちゃんに持って帰るんだ!!」
歓声はもう言葉になっていない。
ただの熱。
ただの欲。
ただの歓喜。
誰かが叫ぶ。
「こんな祭り見たことねぇ!!」
手は止めない。
投げる。
渡す。
続ける。
残数が減っていく。
一万。
五千。
千。
そして――
最後の一つ。
餅。
姫がそれを掴む。
静かになる。
不思議と、空気が整う。
全員がそれを見る。
姫は一瞬だけ構える。
そして――
「締めだ!!」
全力で投げた。
餅は高く舞い上がり、
人の海の中へ落ちていく。
「取れぇぇぇぇ!!」
――終わり。
一拍の沈黙。
そして。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
今までで一番大きな歓声が、王都に響いた。
「取れた……!」
「これで家族全員分だ……!」
「やったぞ!!」
人は笑っている。
息を切らしながら。
手にパンを持ちながら。
餅を抱えながら。
誰かが呟く。
「……すげぇな」
別の誰かが言う。
「ただ配ってるだけなのに」
違う。
俺は思う。
これはもう、“ただの配布”じゃない。
リオナが横に立つ。
「成功ですね」
短い言葉。
俺は頷く。
「ああ」
遠くで、まだ声が続く。
「またやってくれ!!」
「次はいつだ!!」
遠くで、まだ歓声が続いている。
人は帰らない。
余韻に浸っている。
姫が降りてくる。
満足そうな顔で。
「面白かったぞ」
それだけ言う。
俺は短く返す。
「ありがとうございます」
姫は笑う。
「またやろう」
即決だった。
(やっぱりな)
空を見上げる。
何も変わっていない。
だが――
王都の“何か”は、確実に変わった。
ただ配っただけ。
ただ投げただけ。
それなのに――
人は、それを忘れない。




