表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オーバー・レブ・ヒストリー 〜車を愛し過ぎた少年の国家魔改造録〜  作者: tky
第6章:天空の覇権と、継承される狂熱

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/89

第80話:ル・マンの夜と、異端の動力

昭和三十年(1955年)夏。


フランス中西部、ル・マン市。


牧歌的な田園風景が広がるこの街は、年に一度だけ、世界中から集まるガソリンとオイル、そして狂おしいほどの熱狂に包まれる。


世界三大レースの一つに数えられ、自動車の耐久性と燃費を極限まで競う伝統の祭典、『ル・マン二十四時間レース』の舞台である。


決勝前日、サルト・サーキットのパドックで行われていた公開車検場には、かつてないほどの殺気と緊張感が漂っていた。


欧州のレースオフィシャルたちは、血眼になって一台の漆黒のマシンを検査していた。


九条レーシング・ディビジョン(KRD)が持ち込んだ新型プロトタイプ、『叢雲・改(ル・マン仕様)』である。


「……おかしい。シャシーの重量が軽すぎる! どこかに規定で禁止されたチタン合金が隠されているはずだ!」


分厚い眼鏡をかけたフランス人の検査長が、神経質に声を荒げながらマシンの骨格を叩いた。


数年前のF1グランプリで九条に完敗した欧州勢は、国際自動車連盟を動かし「シャシーへのチタン素材の使用禁止」という露骨な九条排除のルールを制定していた。


彼らは、この『叢雲・改』が絶対にそのルールを破っていると確信し、重箱の隅をつつくように違反を探し回っていたのだ。


しかし、腕組みをしてその様子を眺めていた九条芳信は、呆れたような冷笑を浮かべた。


「無駄な努力だ。そのシャシーは、航空機用のアルミハニカム構造と、宇宙の無重力空間で焼結させた究極のマグネシウム合金で組んである。……ルールブックのどこにも、マグネシウムを使ってはいけないとは書いていないだろう?」


芳信の指摘に、検査長は顔を真っ赤にして口ごもった。


彼らが禁止したのはあくまで「チタン」であり、宇宙という概念すら想定していないルールブックに、無重力マグネシウムを縛る条文など存在しない。


芳信が宇宙で鋳造した『ゼロGチタン』は、エンジンブロックやクランクシャフト、そして車体中心部に隠された真空パックの円筒ハイブリッドシステムの内部にのみ使用されている。


ル・マンのレギュレーションはシャシーの素材を制限していても、「エンジン内部の素材」を制限する条項は存在しなかった。


まさに、技術者特有の悪辣なまでのルール解釈である。


「……車検、クリアだ。レギュレーション違反は認められない」


屈辱に震えながら検査長がハンコを押すと、周囲を取り囲んでいた報道陣のフラッシュが一斉に焚かれた。


その喧騒の中、芳信の前に一人の大柄な男が進み出た。


イタリアの情熱を背負う巨人、エンツォ・フェラーリである。


「九条。我々はあえて、君を縛るルールを作らなかった。この耐久の聖地において、極限まで削り落とされた君のガラスのエンジンが、二十四時間もつはずがないと確信しているからだ」


エンツォの言葉には、欧州の伝統と歴史に裏打ちされた絶対的な自信が宿っていた。


しかし芳信は、エンツォを真っ直ぐに見据え、傲岸不遜な笑みを返した。


「エンツォ、君たちはまだ、エンジンを回してガソリンを燃やすことしか考えていない。……二十四時間後、内燃機関の歴史が完全に変わる瞬間を、特等席で見せてやろう」


翌日、午後四時。


観客席を埋め尽くした三十万人を超える群衆が見守る中、伝統の「ル・マン式スタート」によって二十四時間の死闘が幕を開けた。


コースの片側に並べられたマシンに向かって、反対側からドライバーたちが全速力で駆け寄り、コクピットに飛び込んでエンジンを始動させる。


KRDは今回、二台体制でエントリーしていた。


1号車には絶対的エースの神谷蒼と赤星健のペア。


2号車には直線の鬼である氷室涼と、黄金の軌跡を持つ橘マキのペアである。


当時のル・マンにおいて、一台を二人のドライバーで二十四時間回すというのは狂気の沙汰であったが、九条の要求する苛烈なGに耐えられる人間は、彼ら四人しか存在しなかったのだ。


「もらったぜ!」


1号車の神谷が、人間離れした反射神経で誰よりも早くコクピットに滑り込み、V8エンジンを咆哮させてトップで第一コーナーへと飛び込んでいく。


それを追うように、フェラーリ、ジャガー、アストンマーティンといった欧州の巨頭たちが、大排気量V12エンジンの重低音を響かせて殺到した。


だが、ユーノディエールと呼ばれる全長約六キロメートルの超ロングストレートの終わり、強烈なブレーキングポイントであるミュルサンヌ・コーナーで、欧州のドライバーたちは信じられない音を耳にした。


神谷の『叢雲・改』がブレーキを踏んだ瞬間、凄まじいエンジン音とは全く異なる、不気味な音がサーキットに響き渡ったのだ。


「キュイィィィン……!」


それは、空気を切り裂くような、高く鋭い金属的な高周波音だった。


「なんだあの音は!? まさか、タービンの異常か!?」


フェラーリを駆るアルベルト・ロッシが、前を走る神谷のマシンを睨みつける。


しかし、神谷のマシンは減速してコーナーをクリアした直後、再びその不気味な高周波音を響かせながら、あり得ないほどの暴力的な加速で立ち上がっていった。


ピットのモニターでその光景を見ていた真田源が、眼鏡を押し上げながら無機質に呟いた。


「……驚いているようですね。あれが『効率という暴力』の産声だということも知らずに」


あの音の正体。


それは、車体の中心にマウントされた『フライホイール式・運動エネルギー回生システム(KERS)』の叫びだった。


内部は完全に真空パックされているため、ゼロGチタンのコマ自体から風切り音は発生しない。


だが、そのコマを磁気浮上させ、数万回転という異常な速度で制御する「モーターと磁気軸受」の強烈な磁気振動(コイル鳴き)が、チタン製のハウジングを通じて共鳴し、車体全体を震わせている音なのだ。


欧州勢がブレーキパッドを摩擦熱で赤熱させながら、せっかく稼いだ運動エネルギーを大気中へ「捨てている」のに対し。


九条のマシンは、その減速エネルギーを真空中のコマの「物理的な回転エネルギー」として貯蓄していた。


そしてコーナーの立ち上がりで、その超高回転の勢いを強烈なモーターアシストによる駆動へと変換し、ガソリンを使わずにロケットのような加速を実現しているのである。


レース開始から数時間が経過した頃。


欧州のワークスチームのピットに、戦慄が走り始めた。


「馬鹿な……! なぜ九条のマシンはピットに入らない!?」


欧州の大排気量マシンたちが猛烈な勢いでガソリンを消費し、次々と給油のためにピットロードへ向かう中。


KRDの二台は、まるで燃料メーターが壊れているかのように、コース上を一定のハイペースで周回し続けていたのだ。


減速エネルギーを加速に再利用するKERSの存在は、スタート時に積載するガソリンの重量を数百キロ単位で削減することを可能にした。


車が軽いからタイヤが減らない。燃料が減らないからピットインの回数が圧倒的に少ない。


「速い車は燃費が悪い」という、モータースポーツが誕生して以来の絶対的な常識が、今この瞬間、完全に崩壊したのである。


ピットでの給油とタイヤ交換でタイムを削り取られていく欧州勢を尻目に、神谷と氷室はコース上を淡々と走り続け、その差を絶望的なまでに広げていった。


やがて日が落ち、サルト・サーキットは漆黒の闇に包まれた。


コースの大部分に街灯などはなく、ヘッドライトの光だけを頼りに時速三百キロで森の中を駆け抜ける、恐怖の夜間セクションである。


ここで、2号車のステアリングを氷室から託された、橘マキの真骨頂が発揮された。


「……さあ、夜のお散歩の時間よ」


マキは暗闇の中でヘルメットのバイザー越しに目を細め、究極の集中状態に入った。


彼女が帝都のタクシー稼業で培った、タイヤとブレーキを極限まで労りながら最短距離を抜ける「黄金の軌跡」。


その無駄のないライン取りは、KERSのエネルギー回収・放出システムと完璧な相性を見せていた。


深夜の森の中、全長六キロのユーノディエール。


先行するイギリスのアストンマーティンが、コーナー手前でブレーキローターを赤熱させながら火花を散らして減速する。


その直後。


暗闇の背後から、マキの『叢雲・改』が幽霊のように忍び寄った。


マキはコーナーへの進入でエンジン出力を極限まで絞り、ブレーキも最小限に留め、その代わりにあらゆる運動エネルギーをKERSのモーターへと吸収させた。


そして立ち上がり。


静寂の森の中に、エンジン音ではなく「キュイィィィン……!」という磁気の共鳴音だけを響かせながら、マキのマシンはモーターの強烈なトルクだけで無音の加速を果たす。


「ヒッ……! な、なんだ今の車は!」


イギリスのドライバーは、ヘッドライトの光すら見えない暗闇から、不気味な高周波音と共に突如として抜き去られた恐怖に、思わずステアリングから手を離しかけた。


深夜のル・マンで、エンジン音を抑え、モーターの駆動音だけで幽霊のように他車を蹂躙していくマキの走りは、欧州のドライバーたちの心を確実に削り取っていった。


メインスタンドのVIPルーム。


窓ガラスに映る夜のサーキットを見下ろしながら、芳信と秀一は極上のワインで静かに乾杯していた。


「……これで、欧州の自動車産業は完全に終わったな」


秀一が、眼下で絶望的なタイム差をつけられていくフェラーリを見下ろしながら呟いた。


九条のハイブリッドシステムが証明した「燃費と速度の両立」は、これまでの内燃機関の歴史を過去の遺物へと追いやる、決定的な技術的死刑宣告であった。


「ああ。明日の午後四時、最高に退屈な夜明けが来るぞ」


芳信はグラスを傾け、暗闇のユーノディエールを駆け抜けるマキのテールランプを見つめながら、勝利の確信と共に不敵に笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ