表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オーバー・レブ・ヒストリー 〜車を愛し過ぎた少年の国家魔改造録〜  作者: tky
第6章:天空の覇権と、継承される狂熱

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/89

第75話:見えざる放射能と、クリーンな暴君

昭和二十八年(1953年)夏。


イギリスの首都ロンドンは、真昼であるにもかかわらず、どんよりとした黄褐色の霧に包み込まれていた。


テムズ川沿いに立ち並ぶ旧来の重化学工場の煙突から吐き出される煤煙と、街中を走る旧式車の排気ガス。


それらが冷たい空気の層に蓋をされ、街全体を致死的なスモッグのドームへと変貌させているのだ。


「ゴホッ……! くそっ、また工場が止まりやがった!」


煤で顔を真っ黒にした労働者が、固く閉ざされた工場の鉄扉を蹴り上げながら悪態をついた。


彼らの怒りの矛先は、自国の無策な政府だけでなく、遥か東洋の島国――日本、そして九条家へと向けられていた。


数ヶ月前、九条秀一がジュネーブの国際会議で提唱し、各国の合意をもぎ取った『国際環境基準』が正式に発効したのである。


九条の『排ガス浄化触媒』や『燃料の脱硫技術』の特許を使用していない欧米の旧式工場や自動車メーカーは、この厳格な基準をクリアできず、次々と操業停止の憂き目に遭っていた。


「環境保護だと? 笑わせるな! あれは特許と規格を使った、日本による露骨な経済支配だ!」


デトロイトでも、ルールの網に絡め取られて工場を追われたアメリカの労働者たちが、怒りのデモ行進を行っている。


彼らの言う通り、九条の技術なしでは世界の産業は息をすることすら許されない、窒息寸前の状態に陥っていた。


スイス・ジュネーブ、国際環境監視機関の本部。


大ホールで開催された記者会見には、各国の代表団やメディアが殺気立った表情で詰めかけていた。


「九条男爵! 貴国の特許料はあまりにも高額だ! これは事実上の技術独占であり、経済制裁に他ならない!」


「我が国の重工業は壊滅寸前だ! 労働者の雇用をどう保証するつもりか!」


壇上に立つ九条秀一に対し、欧米の記者たちが一斉にフラッシュを焚きながら矢継ぎ早に非難の声を浴びせる。


だが、秀一は無数のフラッシュを浴びながらも、氷のように冷たく、微塵も揺るがない視線で会場を見下ろしていた。


「……経済性、雇用、ですか。ずいぶんと立派な言い訳ですね」


秀一が静かに口を開くと、その場を支配する冷徹なオーラに圧され、記者の怒号が徐々に萎んでいった。


秀一は背後のスクリーンに、あるデータを映し出した。


それは、ロンドンやデトロイトにおける乳幼児の呼吸器疾患による死亡率、およびスモッグがもたらした肺癌の発生率を示す、無慈悲なまでに急激な右肩上がりのグラフだった。


「これは、あなた方が『経済』を優先し、技術への投資を怠った結果として生み出された、自国民の死の統計です」


各国の代表団の顔から、さっと血の気が引いた。


「経済性や雇用を言い訳にして、自国民の肺を汚染し、未来の子供たちの空を奪う自由など、この地球上のどの国家にも存在しません」


秀一の声は、一切の感情を排した、絶対的な道徳的裁定者のそれだった。


「我々は、この悲劇を食い止めるための解決策(特許)を、正当な対価で提供しているに過ぎない。それを拒み、自国の空に毒を撒き散らし続けるというのであれば、国際市場から退場していただく。……それだけのことです」


圧倒的な道徳的優位と、科学的データという揺るぎない事実。


「環境保護」という誰も反対できない大義名分を盾にした、秀一の「クリーンな暴君」としての論破の前に、各国は沈黙せざるを得なかった。


九条家の「特許と規格による独裁」は、こうして世界を救う正義として、より強固なものとして完成したのである。


同時刻、帝都・品川。


九条技術研究所の最深部にある芳信の執務室では、心地よい静寂が流れていた。


「……というわけで、欧米の旧式工場は粗方ストップしたよ。これで彼らの産業は、完全に我々のインフラに依存せざるを得なくなる」


スピーカー越しに報告してくる秀一の声を、芳信は製図板に向かいながら淡々と聞いていた。


芳信の右手に握られた鉛筆が、新たなエンジンの燃焼室の形状をカリカリと描き出していく。


「ご苦労だったな、兄さん。……まあ、排ガスの浄化など、内燃機関の燃焼効率を極限まで高めようとすれば、勝手についてくる副産物に過ぎないがね」


芳信が脱硫技術や触媒を開発したのは、純粋に「不純物のない完全燃焼」を追求した結果である。


だが同時に、気管支が弱かった姉の華子が、いつまでも気兼ねなく庭の草花を愛でられるような、美しい空を守るためでもあった。


地球環境の保全という国際社会がひれ伏す「大義」は、秀一がそれに後付けした、ただの政治的な武器に過ぎない。


「芳信、お前の宇宙開発への投資額は、国家予算の枠すら超えようとしている。……そこまで急ぐ理由はなんだ? 地上の覇権は、すでに我々の手にあるんだぞ」


秀一の問いかけに、芳信はピタリと鉛筆を止めた。


「兄さん。地上の重力と、この分厚い大気という不純物の中では……これ以上均一な触媒や、軽量で耐熱性の高い合金を精製することは、物理的に不可能な領域に近づいているんだ」


芳信は振り返り、窓の外に広がる青い空を見上げた。


「俺が宇宙の無重力と超低温環境を欲しているのは、この厳しい環境規制すら過去のものにする、完璧な『究極の部品』を造るためだ。……すべては、地上で最高の車を走らせるために」


スピーカーの向こう側で、秀一が呆れたような、しかしどこか誇らしげなため息をついた。


『相変わらずの車バカだな。……だが、お前が宇宙で究極の部品を造るというなら、私は地上の『規格』をさらに強固にしておこう。お前の車が、世界中のどこでも存分に走れるように』


「頼むよ、兄さん。……ああ、そうだ。環境規制のおかげで、街の空気はずいぶんと澄んできたんじゃないか?」


『ああ。華子も喜んでいたよ。最近は和彦君と一緒に、庭での植物の世話がますます楽しいそうだ』


「なら、俺の創った副産物も、少しは役に立ったというわけだ」


芳信は満足そうに微笑むと、通信を切り、再び次世代のエンジン設計図へと向き直った。


数日後、品川・KRD(九条レーシング・ディビジョン)の開発現場。


広大なガレージには、黒木伝蔵、真田源、神谷蒼をはじめとするKRDの主要メンバーが集められていた。


彼らの前に立つ芳信は、公の場で見せる丁寧な仮面を捨て、いつもの不遜で熱を帯びた「素の口調」で次なる方針を告げた。


「お前たちも知っての通り、世界は今、俺たちが敷いた厳しい環境規制というルールの中で呼吸をしている。……だが、それはモータースポーツにおいても例外ではない」


芳信は、布が被せられた一台の新しいマシンのプロトタイプに手をかけた。


「排気ガスを浄化し、燃費を向上させる。その厳しい重りを背負った上で、なお物理限界を打ち破る速度を叩き出してこそ、俺たちの技術は真の輝きを放つ」


布が取り払われると、そこに現れたのは、オンロード用の低く這うようなフォーミュラカーではなく、無骨なサスペンションと巨大なブロックタイヤを履いた、全く新しい四輪駆動のオフロードマシンだった。


「舗装されたサーキットという『計算された箱庭』での戦いは、もはや俺たちにとって退屈なテストに過ぎない。……次に征服すべきは、地球上のありとあらゆる過酷な自然環境だ」


芳信の瞳に、新たな狂気が宿る。


「砂漠、泥濘、雪道。大自然という『計算不可能な敵』をねじ伏せる、過酷なオフロード・ラリーの世界選手権に参戦する。……さあ、お前たちの野生の本能を呼び覚ませ」


宇宙という「究極の工場」を目指して星空を睨むその裏側で、地上では、人間の制御を超えた大自然との新たな戦いが幕を開けようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ