第66話:神の雷撃と、無血の占領
昭和二十六年(1951年)冬。
「……キャンバー角がまだ甘い。これでは高速コーナーでフロントが逃げる」
群馬の山岳地帯を切り裂いて造られた『九条国際サーキット』のピットで、芳信は工具を片手にプロトタイプマシンの足回りを睨みつけていた。
そこへ、兄である九条秀一からの、緊急のホットラインが入る。
西ドイツを中心とした「反・九条同盟」の暗躍。彼らが宇宙ステーション計画を汚染しようとしているという報告。そして、ドイツ政府による要人引き渡しの拒絶。
「……主権、か。ずいぶんと時代遅れな言葉を振りかざすものだな」
芳信はスパナを放り投げ、オイルで汚れたウエスで手を拭った。
『同感だ。……物理的な制圧は、統合防衛司令部に任せよう。芳信、そちらの端末から、ドイツ全土の九条ネットワークの「優先制御権」を軍へ委譲してくれ』
芳信はピットの奥のコンソールへ向かい、数分でセットアップを完了させた。
「完了だ。……さあ、世界に『未来の戦争』を見せてやれ」
その数時間後。日本政府はドイツ連邦政府に対し、国際平和規約違反に基づき、宣戦布告と同義の「特別排除勧告」を全世界へ向けて発信した。
世界が「第二次大戦の再来か」と身構えた次の瞬間。ドイツ全土で、歴史上類を見ない「無血の占領」が開始された。
ドイツ政府が頼りにしていた九条規格の通信網は、停止するどころか、突如として日本軍の「拡声器」へと変貌した。ベルリン中のデジタルサイネージ、ラジオ、テレビ、さらには政府高官の秘匿回線に至るまで、九条の暗号化チップを介して「武装解除」を命じる秀一の声が響き渡った。
さらに、ドイツ軍が配備していた九条製の次世代輸送車両や航空機は、操縦者の意志を拒絶し、自動運転によって指定の日本軍駐屯地へと「自走」を開始した。
「な、なんだ!? 舵が効かん! 勝手に基地へ戻っていくぞ!」
コクピットで絶叫するパイロットたちの前で、機体は優雅に、かつ正確に武装を解除し、着陸を完了させた。
空からは、種子島から打ち上げられていた無人軌道爆撃機『天羽々斬』が、要人たちの潜伏先周辺に「非致死性の高周波ノイズ」を照射。神経系を一時的に麻痺させられた首謀者たちは、抵抗する間もなく、空から舞い降りた完全無人ヘリによって、眠ったまま回収されていった。
宣戦布告からわずか二十四時間後。
世界中が固唾を飲んで見守る中、品川の九条本社から、全世界に向けて異例のプレスリリースが流された。
『対ドイツ連邦特別排除作戦、完了。首謀者十二名全員を確保。なお、本号作戦における日本軍・ドイツ軍および市民の死傷者は、共に零名である』
死者、負傷者、共にゼロ。
一発の弾丸も放たず、一つのインフラも破壊せず、ただ「システム上の優先順位」を書き換えただけで、一国家の軍事と政治を完全に無力化したという事実に、世界は震え上がった。
九条の製品は信頼できる。しかし、ひとたび牙を剥けば、それは逃げ場のない「檻」へと変わるのだ。
数日後。
九条の圧倒的な力に平伏したドイツ新政府が要人の引き渡しを全面的に認め、事態が沈静化する中。芳信は再び群馬のサーキットに立っていた。
隣には、広報の資料を抱えた綾子が控えている。
「芳信、世界中があなたたちのことを『神の雷撃』と呼んでいるわ。誰もが九条の影に怯えている。……でも、これではあまりに一方的すぎて、面白みに欠けるわね」
「政治や戦争など、盤上の埃だと言っただろう。……だからこそ、彼らに恐怖を上回る『熱狂』を与えてやる必要がある」
芳信は、見渡す限りの山肌を縫うように走る全長二十キロメートルの怪物コース――『九条国際サーキット』を見下ろした。
「綾子、欧州の自動車メーカー……特に、F1世界選手権に参戦しているすべてのチームとドライバーに招待状を送れ。今回の『占領』に怯える必要はない、と書き添えてな」
「F1のチームに? ……アマチュアだけでなく、本職のプロレーサーたちをここに呼ぶの?」
芳信の口角が、凶悪な弧を描いて吊り上がった。
「そうだ。姑息な裏工作ではなく、私が引いたこのアスファルトの上で、純粋な技術と速度だけで私を打ち負かしてみせろと伝えろ。……この『緑の地獄』は、F1の連中に対しても完全に開放する。車両規定は我々が定める『無制限』だ」
それは、恐怖で凍りついた世界に対する、最も傲岸不遜な救済の提案だった。
「欧州のプライドを懸けて、持てるすべての技術を注ぎ込んだワークスマシンを持ち込んでこい。……さあ、世界中から最速の生贄を集めようか」
九条家による圧倒的な武力の誇示は、皮肉にも世界の自動車産業に、かつてない執念と闘争心を呼び起こす起爆剤となった。
打倒・九条。
その共通の目的のため、欧州のメーカーたちは血眼になってフォーミュラカーの開発に没頭し始める。
芳信の放った強烈な劇薬により、モータースポーツの熱狂は国境を越え、地球規模の狂気へと変貌を遂げようとしていた。




