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オーバー・レブ・ヒストリー 〜車を愛し過ぎた少年の国家魔改造録〜  作者: tky@複数作品を同時連載中
第5章:狂熱のハイウェイと、緑の地獄

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第65話:鋼の胎動と、神の領域

昭和二十六年(1951年)晩秋。


世界中の自動車メーカーの設計局は、かつてない悲鳴に包まれていた。


九条芳信が公開した次世代フォーミュラのドッキング規格と、暫定的な性能要件。それは、既存の「自動車」の概念を根底から覆す、物理法則への挑戦状だった。


デトロイト、モデナ、シュトゥットガルト。かつて栄華を極めた都市のテストコースでは、九条の背中を追うべく開発された試作マシンが、連日のようにスクラップと化していた。


「……まただ。三周も持たずにドライバーが意識を失った!」


デトロイト近郊のテストコース。アメリカの威信を懸けて開発された『アイアンサイド・スペシャル』のコクピットから、全米屈指のレーサーが引きずり出された。


彼の首は不自然に傾き、眼球は激しい毛細血管の破裂で赤く染まっている。


「九条のマシンは、旋回中に5Gを超えるというのか!? 狂っている。そんなのは戦闘機の機動だ。車が耐えられても、人間が耐えられるはずがない!」


エンジニアたちの絶望には理由があった。


第二次世界大戦、日本海軍が実戦投入した局地戦闘機『紫電改』や『震電』。それらは九条からもたらされた超高剛性シャシーと自動空戦フラップにより、欧米の常識を遥かに超える旋回性能を誇っていた。当時の日本のパイロットたちは、生き残るために日常的に6G、7Gという過酷な重力加速度に身を置いていたのだ。


対して、圧倒的な物量と高高度からの爆撃を主眼としていた連合国側の戦闘機は、そこまでの過激な旋回性能を必要としなかった。


この「重力への耐性」という数理化しにくい経験値の差が、いま、サーキットという地上戦において決定的な暗雲となって立ちふさがっていた。


イギリスでは、名門メーカーのテストドライバーたちが「九条の車に乗るなら、先に空軍の遠心加速機へ行け」と吐き捨て、ストライキを敢行。


イタリアでは、エンツォ・フェラーリが「我々に必要なのはエンジニアではない、宇宙飛行士だ」と、神谷蒼が受けたという耐G訓練の情報を求めて狂奔していた。


世界が「重力の壁」にぶつかり、混迷を極める中。


群馬の峻険な山岳地帯には、世界で最も美しく、そして最も残酷なアスファルトの帯が完成しようとしていた。


開発コード『緑の地獄』。


その正式名称は、『九条国際サーキット(Kujo International Circuit)』。


標高差300メートル以上、170を超えるコーナーが連続する全長20キロメートル超の巨大サーキット。


完成間近のそのコースに、一台の漆黒のマシンが佇んでいた。


KRDが極秘に開発を進めていた、次期フラッグシップ・プロトタイプ『叢雲むらくも』。


そのコクピットに収まっているのは、エースの神谷ではない。


「……芳信、本当に自分で行くつもり?」


無線越しに、綾子の心配そうな、しかしどこか期待に満ちた声が響く。


「テストドライバーに任せるには、このコースはあまりに『私的プライベート』すぎる。……このアスファルトを敷くために、どれだけの山を削ったと思っているんだ」


芳信はヘルメットのバイザーを下げ、特注の耐Gスーツの感触を確かめた。


33歳。経営者として、政治家として世界を動かす立場にありながら、彼の魂は依然として、オイルとガソリンの匂いの中にあった。


エンジンが始動する。


一万八千回転。もはや音というよりは、高密度のエネルギーの塊が空気を震わせている。


芳信がクラッチを蹴り飛ばした瞬間、黒い影が世界を置き去りにした。


「――っ!」


第一コーナー、時速250キロでの進入。


凄まじい横Gが芳信の肉体をシートにめり込ませ、内臓を右側へと押し流す。


だが、芳信は笑っていた。


視界が歪み、脳が悲鳴を上げる中で、彼はマシンの挙動を完璧に把握していた。


サスペンションが路面の微細な起伏を拾い、ダウンフォースが車体を地面に縫い付ける。


(これだ……。この限界の淵を歩く感覚。これこそが、俺が平和と引き換えに求めた報酬だ!)


第十二コーナー「雷電らいでん」。


ブラインドの高速S字を、芳信はアクセル全開で駆け抜ける。


マシンの挙動が乱れ、リヤが僅かに流れるが、彼はカウンターステアを当てることすら愉悦としていた。


自ら図面を引き、自ら作り上げた世界を、自らの肉体で支配する。


それは王が領土を検分する儀式であり、神が被造物と対話する刹那だった。


最終セクションを抜け、ホームストレートへ。


計測モニターには、神谷蒼が記録したプロトタイプの基準タイムを、コンマ数秒差で追う驚異的な数字が刻まれていた。


ピットに戻り、ハッチを開けた芳信は、全身から湯気を立ち昇らせながら立ち上がった。


ヘルメットを脱いだ彼の顔は、過酷なGによって憔悴していたが、その瞳には少年のような無垢な狂気が宿っている。


「素晴らしいぞ、綾子。このコースは、人間から一切の虚飾を剥ぎ取り、ただの『部品』へと変えてくれる」


芳信は、まだ微震を続ける己の手を見つめた。


「世界中に招待状を送れ。この『九条国際サーキット』で、人類が到達しうる最高速度の審判を下すと」


その言葉は、宇宙ステーション計画という「静かな支配」と対をなす、九条芳信による「剥き出しの宣戦布告」であった。


日本という極東の地で、世界を平伏させるための聖地がいま、真の産声を上げた。

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