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オーバー・レブ・ヒストリー 〜車を愛し過ぎた少年の国家魔改造録〜  作者: tky@複数作品を同時連載中
第5章:狂熱のハイウェイと、緑の地獄

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第61話:黄金の表彰台と、九条の牙

昭和二十六年(1951年)夏。


日本列島を熱狂させていた『第一回 全日本アマチュア・ツーリングカー選手権』は、ついにその頂点となる決勝の朝を迎えた。


この日の帝都の気温は早朝から三十度を超えていたが、富士裾野の熱気はそれを遥かに凌駕していた。


こうした熱狂の裏側で、世界情勢は緩やかに、しかし決定的な地殻変動を続けていた。


アメリカ合衆国ではドル防衛のための極端な輸出制限により、基幹産業であるデトロイトの自動車メーカーが深刻な部品不足に陥り、複数の工場が閉鎖に追い込まれたと報じられている。


一方で、日本では九条芳信が解放した軍事転用技術が民生分野で爆発的な進化を遂げ、かつて「東洋の奇跡」と呼ばれた復興は、いまや九条による「世界再定義」へと姿を変えていた。


「……さあ、始めようか」


VIPテラスの最前列で、芳信は静かに呟いた。


眼下のスターティンググリッドには、予選を勝ち抜いた十六台の怪物が、それぞれの殺気を孕んで並んでいる。


フロントローに並ぶのは、予選一位の赤星健と、二位の氷室涼。


三位の橘マキはセカンドローから、虎視眈々と上位二台の隙を窺っている。


一億円という途方もない賞金と、九条の「牙」としての地位を懸けた戦いが、いま幕を開けようとしていた。


シグナルが赤から青へ。


鼓膜を突き破るような爆音が富士の空を割り、十六台の鉄塊が白煙を上げて一斉に飛び出した。


第一コーナー、先行したのは氷室の重量級ターボセダンだった。


「直線の速度こそが正義だ!」


氷室は一速から二速へ、暴力的なまでの加速で赤星を突き放しにかかる。


しかし、赤星は表情一つ変えず、氷室の巨大な車体が作り出すスリップストリームに潜り込んだ。


軽量化の極致にある赤星のクーペは、ブレーキポイントを極限まで遅らせ、第一コーナーの内側へ鋭く切り込む。


「重い車は止まれない……そこが俺の勝機だ!」


火花を散らすサイド・バイ・サイド。


二台の距離は数センチメートル。


接触すれば即リタイアという極限の状況で、二人はステアリングを微塵も揺らさない。


その後方では、三位スタートの橘マキが、大型車の乱気流をものともせず、前走車二台を追い詰めるような鋭いライン取りを見せていた。


彼女はタクシー営業で培った、狭い路地をミリ単位で抜ける感覚をサーキットに持ち込み、上位陣が牽制し合う一瞬の隙を逃さなかった。


中盤戦、レースは持久戦の様相を呈した。


市販車ベースのエンジンには過酷すぎる連続走行。


十周目、五位を走っていた車両が白煙を上げてリタイアし、続いて八位の車両がタイヤバーストでコースアウトした。


だが、上位三台のペースは落ちるどころか、周回を重ねるごとに上がっていく。


「……いい。実にいい。俺の設計をこれほどまでに理解し、酷使する連中がいるとはな」


芳信はモニターを見つめ、陶酔したように笑った。


彼は彼らの走りの中に、かつての自分が設計した戦闘機が空を駆ける時と同じ「美」を見出していた。


最終ラップ。


富士の長いホームストレート。


氷室のセダンがトップを守り、赤星がその後ろにぴったりと張り付く。


残り三つ、連続する後半のテクニカルコーナー。


氷室のタイヤは限界を迎え、ブレーキのたびにゴムの焼ける凄まじい匂いが立ち上る。


そこへ、赤星が賭けに出た。


イン側が縁石で跳ねるような危険なライン。


赤星のクーペは二輪を宙に浮かせながら、氷室の懐へ飛び込んだ。


「行けッ!」


接触。


金属の擦れる音が響き、赤星のマシンの左側面が凹む。


だが、赤星はアクセルを抜かなかった。


氷室もまた、死に物狂いでブロックを試みるが、熱ダレしたブレーキが僅かに遅れ、ラインを死守しきれない。


一瞬の隙を突いた赤星が、氷室をこじ開けるようにしてトップに躍り出た。


そして、運命のチェッカーフラッグ。


赤星のクーペが、歪んだ左側面を誇らしげに見せつけながら先頭でラインを越えた。


コンマ二秒差で氷室。


さらに三秒後、タイヤを鳴らしながら橘マキが滑り込む。


ゴール直後、メインストレート横の芝生エリアには、興奮を抑えきれない観客が柵を乗り越えて押し寄せようとしていた。


マシンを止めた赤星は、コクピットから這い出すなり、熱を帯びたボンネットに突っ伏して咆哮した。


氷室はヘルメットを脱ぎ捨て、自身のマシンのリアタイヤを蹴りつけたが、その顔には敗北への屈辱と共に、奇妙な高揚感が張り付いている。


そして橘マキがドアを開けると、会場の空気は一変した。


耐火スーツを腰で脱ぎ、乱れた黒髪をかき上げた彼女の姿に、熱狂的な歓声が上がる。


表彰台の周辺には、かつてない数の報道陣が殺到していた。


フラッシュの嵐が、真夏の太陽をかき消さんばかりに降り注ぐ。


「一億円の使い道ですか? そんなの決まっています。この車をさらに進化させて、九条さんの想像の先へ行くための資金ですよ!」


マイクを向けられた赤星が、充血した瞳で叫ぶ。


二位の氷室は、不敵な笑みを浮かべて記者の列を睨みつけた。


「今回はセダンの重さが仇になった。次は、その重さを利用してあのクーペを路面の藻屑にしてやるさ。……九条さんの造るエンジンは、まだこんなもんじゃない」


しかし、最も多くのフラッシュを浴び、記者たちに囲まれていたのは三位の橘マキだった。


「橘さん! 女性として初めてこの死闘を勝ち抜いたお気持ちは!」


「タクシー会社の看板娘が、名だたる走り屋を抑えての三位です! 秘訣は何ですか!」


殺到する質問に対し、彼女は優雅に汗を拭い、挑発的な微笑を浮かべて答えた。


「秘訣? そうですね。帝都の渋滞の中で、せっかちなお客様を時間通りに送り届けるスリルに比べれば、このサーキットは広くて走りやすいくらいです。……次は、男性陣に私のテールランプをじっくり眺めていただく時間を、もう少し増やしてあげたいですね」


彼女のウィットに富んだ回答に、記者たちは狂ったようにペンを走らせ、カメラマンは競うようにレンズを向けた。


その日の夜。


品川にある九条家の別邸、静謐な庭園を望むダイニングルームに、戦いを終えた三人の姿があった。


彼らは、昼間の殺伐としたレースウェアから、用意された正装に着替え、戸惑いながらも芳信の前に座っていた。


「赤星、約束通り優勝賞金の一億円は明日振り込ませる。そして氷室、橘。二位と三位の二人にも、それぞれ三千万円と一千万円の報奨金、そして何より『九条の特別開発枠』を授与する。これこそが、お前たちが実力で勝ち取った正当な対価だ」


芳信は最高級のワインを自ら注ぎ、三人の若きドライバーを見据えた。


「九条自動車は、新たに専属のワークスチーム『九条レーシング・ディビジョン(KRD)』を設立する。目的はただ一つ。世界中のサーキットから、既存のルールと記録をすべて抹殺することだ」


三人の顔に緊張が走る。


「赤星、お前の異常なまでの軽量化への執着は、次世代のシャシー開発に必要だ。氷室、お前の過給機に対する理解と暴力的な制動制御は、エンジンの極限を測る基準になる。そして橘、お前の正確無比なライン取りは、タイヤの偏摩耗を極限まで抑え、車両の耐久性を飛躍的に高める『黄金の軌跡』だ。これは足周りの性能テストにおいて、何物にも代えがたい価値がある」


芳信は三人に、一通の契約書を差し出した。


「お前たちを、KRD創設メンバーとして、そして我が社の専属テストドライバーとして正式に契約したい。活動資金、開発機材、そして最高の舞台はすべて私が用意する。お前たちはただ、私の造る機械を誰よりも速く走らせることだけを考えればいい」


「俺たちに……世界を獲れってことですか?」


赤星が震える声で尋ねた。


芳信は静かに笑みを浮かべ、窓の外、月明かりに照らされた『紫電』のプロトタイプを指差した。


「獲るのではない。世界を我が九条のルールの下に平伏させるのだ。お前たちはそのための『牙』だ。……どうだ、私と一緒に、神々の領域を荒らしに行かないか?」


三人は顔を見合わせ、言葉は不要だった。


彼らの瞳には、昼間のレース以上の熱い「狂気」が宿っていた。


芳信は彼らと杯を交わしながら、確かな手応えを感じていた。


かつての撃墜王・神谷蒼を筆頭に、今日ここで手に入れた三つの牙。


そして綾子が完成させる群馬の「緑の地獄」。


役者は揃った。


九条芳信の野望は、もはや国家の繁栄という小さな枠組みを越え、人類が到達しうる速度の限界そのものを支配する領域へと踏ま証そうとしていた。

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