第56話:悪魔の火の暴露と、地を覆う豊穣の轍
またまた前回が短かったので本日2話目を投稿します。
昭和二十五年(一九五〇年)冬。
スイス・ジュネーブに設けられた特別国際会議場は、これまでにない異様なまでの緊張感と、凍りつくような沈黙に包まれていた。
演壇の中央に立つのは、日本国特命全権大使としてこの場に派遣された、九条家次期当主・九条秀一である。
彼は各国の代表団を見渡し、手元の分厚いファイルをゆっくりと開いた。
「本日、我が国がこの緊急会議を招集したのは、人類の未来を左右する、ある『悪魔の火』の存在について、世界と事実を共有するためです」
秀一の透き通るような声が、広大な会議場に響き渡った。
「合衆国大統領、フランク・D・ローズウェル閣下。ニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所にて進められている『マンハッタン計画』について、我々はすべてを把握しています」
アメリカ代表団の席から、椅子が倒れるほどの激しい動揺が起きた。
「ウランおよびプルトニウムの核分裂連鎖反応を用いた、未曾有の大量破壊兵器。我々はその実験データと、想定される威力の詳細を入手しました。TNT火薬換算にして、約二万トン。この兵器がひとたび都市部で使用されれば、爆心地付近は摂氏数百万度の火球に包まれます」
会議場に、息を呑む音が連鎖した。
「爆風は音速を超えて建造物をなぎ倒し、発生する強烈な熱線は半径数キロメートル以内のあらゆる生命を瞬時に炭化させます。しかし、真の恐怖はそこではない。爆発に伴って発生する『放射線』と、空から降り注ぐ『死の灰』です」
秀一は、背後の巨大なスクリーンに、日本の科学陣が弾き出した凄惨な被害シミュレーションの数値を投射した。
「細胞のDNAを直接破壊するこの放射線を浴びた者は、被曝量四シーベルトを超えれば約半数が、七シーベルトを超えればほぼ確実に、数日から数週間以内に全身の組織が崩壊し、筆舌に尽くしがたい苦痛の中で死に至ります。さらに、土壌や水は長期にわたって汚染され、数十年、あるいは数百年先までその地に生命が住むことを許しません」
秀一は言葉を区切り、会場全体を見据えるように鋭い視線を放った。
「もし、この兵器を用いた戦争が発生し、互いにこの火を撃ち合う事態となれば、地球上の生態系は完全に崩壊し、人類は間違いなく滅亡します。我々は、合衆国がこの兵器を実戦投入する意図を持っていると断定し、本議会にて『核兵器の保有および使用の全面禁止』に関する決議を求めます」
会場は、瞬く間に阿鼻叫喚の議論の渦に飲み込まれた。
アメリカ代表は顔を真っ赤にして「捏造だ」と叫びながらも、その証拠の精密さに反論の言葉を見つけられずにいる。
イギリスやフランスといった欧州諸国は、アメリカが自分たちにも秘密裏にそのような破滅の兵器を開発していたことに恐怖し、非難の声を上げた。
一方で、ソビエト連邦の代表団は沈黙を保ちながら、その核技術を自らも手に入れるべく、虎視眈々と目を光らせていた。
各国の思惑がドロドロと入り乱れる中、秀一は冷徹な眼差しでその様子を観察していた。
「我が国は、宇宙からの監視網と絶対防空システムにより、この悪魔の火を積んだ爆撃機であろうとミサイルであろうと、本土に到達する前にすべて撃墜する確固たる自信があります。ですが、防空網を持たないあなた方の国に、それが落とされたらどうなるか……よくお考えいただきたい」
秀一のその言葉は、アメリカに対する強烈な牽制であると同時に、世界全体に対する日本の「技術的優位」を見せつける、極めて高度な外交的脅迫であった。
***
秀一がジュネーブで情報戦の火蓋を切って落としていた頃、日本の防衛中枢もまた、アメリカの報復的軍事行動に対する備えを万全のものとしていた。
帝都の地下、統合防衛司令部。
海軍少将・神崎烈と陸軍中将・進藤拓也は、日本列島周辺の海域を示す巨大なホログラム・モニターを監視していた。
「アメリカの潜水艦部隊が、報復のために我が国の近海へ接近を試みているようだが、まるで赤子をあしらうようだ」
神崎が、モニターに表示された無数の赤い光点を見つめて鼻で笑った。
「ああ。我々が日本海溝や太平洋沿岸の海底に張り巡らせた『光ファイバーソナー網』は、クジラの鳴き声と敵のスクリュー音を完璧に識別する。事前に衛星で航跡を予測し、海中の音紋データと照合すれば、彼らの隠れ場所などどこにもない」
進藤が誇らしげに腕を組む。
海底のセンサーが捕捉した情報は、即座に司令部へと送られ、無人哨戒ヘリコプターの部隊が自動で発進する。
上空から投下される磁気探知機(MAD)とアクティブ・ソノブイによって、アメリカの潜水艦は浮上することも逃げることも許されず、ただ日本の対潜魚雷のロックオン音に怯えながら、すごすごと引き返すしかなかった。
「大空も深海も、完全に我々の支配下にある。大統領とやらがどれほど腹を立てようと、日本に指一本触れることはできない」
神崎の言葉通り、日本の防衛線は、もはや人類の軍事常識を超えた「鉄壁の要塞」と化していた。
***
国家間の緊張が極限に達し、世界が核の恐怖に震える中。
その元凶とも言える九条芳信は、品川の九条自動車工業・本社テストコースにおいて、全く別の「未来」の発表に興じていた。
「世界がどれほどきな臭くなろうと、我々のやるべきことは変わらない。人々の生活を根本から豊かにする、新しい足を提供し続けることだ」
芳信の背後には、これまでのスポーツカーや高級セダンとは一線を画す、全く新しいカテゴリの車両たちがずらりと並んでいた。
悪路をものともせずに走り抜ける、強靭なサスペンションを備えた『四輪駆動オフローダー』。
家族全員がゆったりと乗車でき、休日の行楽を劇的に変える『多人数乗用車』。
そして、莫大な積載量を誇り、物流の血液となる巨大な『フルサイズバン』である。
「芳信、新型車の受注は発表と同時に生産ラインの限界を突破している。特にフルサイズバンへの運輸業界からの食いつきは尋常じゃない」
黒木伝蔵が、次々と舞い込む注文書の束を叩きながら笑い声を上げた。
史実において、戦後の日本は狭い道路事情により、軽自動車や小型車を中心にモータリゼーションが進む運命にあった。
しかし、九条芳信が講和直後から政府に強烈に働きかけ、大陸並みの広大な道路規格……主要幹線道路の片側三車線化と、大規模な区画整理を断行させたことで、日本の風景は全く異なるものとなっていた。
アメリカンサイズの巨大なバンや四輪駆動車が、整備された真新しいアスファルトの上を滑るように走り抜け、大量の物資と人々をかつてない速度で運び続けている。
巨大なトラックやフルサイズバンによる物流の効率化は、日本の経済成長をさらに爆発的なものへと押し上げていた。
「アメリカが地下室にこもって、世界を滅ぼす爆弾のスイッチを撫で回している間に、我々はこの広く美しい道路で、世界中に富と豊かさを配り歩こうじゃないか」
芳信は、テストコースを豪快に駆け抜けていく新型のミニバンを見つめながら、満足げに微笑んだ。
「兵器は使えば無に帰すが、自動車は走った分だけ利益と幸福を生み出す。どちらが『真の支配者』に相応しいかは、歴史が証明してくれるさ」
死の灰を降らせんとする覇権国のアメリカと、地を覆う豊穣の轍で世界を塗り替えんとする極東の怪物。
価値観の全く異なる二つの大国の衝突は、国際社会を巻き込みながら、いよいよ後戻りのきかない最終局面へと向かっていた。




