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オーバー・レブ・ヒストリー 〜車を愛し過ぎた少年の国家魔改造録〜  作者: tky
第4章:軍縮と国防強化の先にあるもの

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第51話 宇宙への階と、祝福のフォーミュラ

昭和二十四年(一九四九年)秋。


富士インターナショナル・グランプリでの圧倒的な勝利から一年、九条芳信が敷いた「鋼の防潮堤」と「経済の舗装路」は、もはや自動車産業という枠組みすら越え、国家の骨格そのものを未来へと作り変えようとしていた。


帝都の地下深く、厳重なセキュリティで守られた統合防衛司令部では、陸軍中将・進藤拓也と海軍少将・神崎烈が、巨大な電子壁面スクリーンを見上げていた。


スクリーンには、日本列島を中心に、太平洋から大陸にかけての広大な領域が、無数の緑色の光点とグリッドで表示されている。


「……何度見ても、背筋が凍る光景だ」


進藤が、軍服の襟を正しながら低く呟いた。


「ああ。我々がかつて血の滲むような思いで索敵し、勘と経験に頼っていた哨戒任務が、今や宇宙そらからの監視によって完璧に丸裸にされているのだからな」


神崎が同意するように頷く。


彼らが見上げているのは、九条自動車工業の航空宇宙部門が打ち上げた、三機の試験型『人工衛星』から送られてくる高精度測位データ……のちのGPS(全地球測位システム)の原型となる情報網であった。


地球の軌道上を周回する機械の目が、センチメートル単位の精度で地上のあらゆる動的目標を捕捉し、そのデータは石英ガラスの極細繊維……『光ファイバー』を用いた大容量の有線通信網によって、瞬時にこの司令部へと送られてくる。


同時に、この通信網は「九条ネットワーク」と呼ばれる高度な情報共有システム(インターネットの原型)を形成し、全国の防衛基地と政府機関をタイムラグなしで接続していた。


「この人工衛星網をさらに拡張するために、秀一様が南米で大掛かりな仕掛けを打っていると聞いたが」


進藤の言葉に、神崎が首を傾げた。


「ああ。西條財閥と連携し、南米エクアドル政府が抱える莫大な対外債務を丸ごと肩代わりしたそうだ。見返りとして、アンデス山脈の『チンボラソ山』一帯の特区指定を勝ち取った」


「なぜ南米なのだ? ロケットの打ち上げなら、種子島で十分だろうに」


「秀一様は、麓の村々に最新の医療センターと浄水プラントを無償で建設しているらしい。『南米との親善と、経済のハブ構築のための投資』と世界には公表しているが……」


神崎はスクリーンを見上げながら、その意図を図りかねていた。


「ローズウェルは『九条が資源の採掘権欲しさに泥沼に足を踏み入れた』と笑っているそうだが、あの兄弟がそんな単純な損得で動くとは思えない。……何か、我々の想像もつかない『巨大なインフラ』を建設するための布石だと考えるべきだろうな」


進藤と神崎の推測は正しかった。

のちに世界を震撼させる、宇宙へ続く物理的な道――「電磁マスドライバー」の極秘建設工事が、現地の先住民への高度な懐柔工作(医療と浄水の提供)と共に、この時からすでに静かに始動していたのである。


軍司令部の人間すら全容を把握できないまま、「本土沿岸部に配備された無人迎撃ミサイル網は、すでにこのシステムと完全連動している」と、神崎は現状の防衛網の解説に戻った。


「領海に近づく所属不明艦も、領空を侵犯しようとする国籍不明機も、すべてこの電子の頭脳が自動で判断し、人間がボタンを押すよりも早く撃墜指令を下す。軍事は完全に無人化され、効率化された。そして九条は、そこで浮いた莫大な国家予算と開発リソースを、そのまま民間インフラの拡充と……自らの『おもちゃ』の開発に注ぎ込んでいる」


神崎が呆れたように言った『おもちゃ』とは、現在品川の秘密開発ピットで進められている、新たなる競技用車両のことだった。


***


同じ頃、品川の九条自動車工業・特別開発室。


芳信は、油に汚れた作業着姿のまま、図面の前に立ち尽していた。


彼の目の前には、これまでの市販車ベースのスポーツカー『紫電』とは全く異なる、異形の車両のクレイモデルが置かれていた。


車を覆う流線型のカウルは一切なく、葉巻のように細長いボディから、太いタイヤが四本、完全に剥き出しになって飛び出している。


「総帥、本当にこれでいくんですかい? 風の抵抗を減らすためのフェンダーすら取っ払っちまうなんて、常識外れもいいところだ」


黒木伝蔵が、剥き出しのタイヤを訝しげに叩きながら尋ねた。


「常識など不要だ、伝蔵。これは市販車ではない。人間一人がギリギリ座れるだけのコクピットに、巨大なエンジンを直結させ、四つの車輪で強引に路面を蹴り飛ばす。純粋に『速さ』だけを追求した、最高峰の闘争機械フォーミュラだ」


芳信は、葉巻型のボディを愛おしそうに撫でた。


各国のメーカーとの約束通り、芳信は将来的なモータースポーツの頂点となる「フォーミュラ規定(F1)」の創設に向けて、純血のレーシングマシンの開発をスタートさせていたのである。


「航空宇宙部門で開発したチタン合金を多用し、車重は限界まで削り落とす。サスペンションは完全に独立させ、タイヤのグリップ力をミリ単位で路面に押し付ける。この『九条F‐1』が完成した時、モータースポーツの歴史は完全に塗り替えられる」


芳信の瞳には、人工衛星や光通信といった国家を揺るがすオーバーテクノロジーを生み出している時よりも、遥かに純粋で狂気じみた「車バカ」としての熱が宿っていた。


「芳信。あまり油まみれになっていると、今日の主役に怒られてしまうよ」


開発室の扉が開き、西條財閥総帥・西條隆明と共に、完璧な仕立てのタキシードを持った兄・秀一が入ってきた。


「おっと、もうこんな時間か」


芳信が腕時計を見ると、すでに午後の式典開始まで数時間に迫っていた。


***


その日、帝都の中心に位置する最高級ホテルの大宴会場は、日本国内のみならず、世界中から集まったVIPたちの熱気でむせ返るようだった。


九条芳信と、西條財閥の令嬢・綾子の結婚式である。


元総理の若槻礼次郎をはじめとする政界の重鎮、進藤や神崎といった軍の最高幹部、そして西條や三菱を筆頭とする財界のトップたちが、グラスを片手に歓談している。


さらに特筆すべきは、海外からの招待客だった。


フォードやGMの重役たち、そしてイタリアからは、あのエンツォ・フェラーリまでもが、苦々しい顔つきの中に隠しきれない好奇心を滲ませながら、極東の怪物の祝宴に出席していた。


「……全く、世界中を散々振り回しておきながら、盛大な式を挙げるものだ」


エンツォが赤ワインを傾けながら呟くと、隣にいたフォードの役員がため息をついた。


「我々は今や、彼の造る特殊ベアリングや電子部品なしでは車を造れない体質にされつつある。彼の結婚を祝わざるを得ない我々の立場も理解してほしいものです」


会場の照明が落とされ、壮麗なオーケストラの演奏と共に、スポットライトが入り口を照らし出した。


純白のウェディングドレスに身を包んだ西條綾子と、完璧なタキシードを着こなした九条芳信が、ゆっくりと絨毯の上を歩き出す。


その堂々たる足取りは、ただの若き夫婦のものではなく、世界経済と技術の頂点に君臨する「帝王と女帝」の風格を漂わせていた。


「坊ちゃま……立派になられて……」


親族席で、乳母のお菊がハンカチで涙を拭っている。


その隣では、先に家庭を持った姉の華子が、夫の和彦と共に穏やかな微笑みを浮かべて拍手を送っていた。


父・正和と母・静子も、数百万の命を背負い、泥濘の中で血を吐くような努力を続けてきた次男が、ついに掴み取った華やかな幸福の瞬間に、静かに目を潤ませている。


高砂に到着した芳信は、マイクの前に立ち、会場を埋め尽くす世界の要人たちを見渡した。


「本日は、我々二人の門出にこれほど多くの方々にお集まりいただき、心より感謝申し上げます」


芳信の澄んだ声が、静まり返った会場に響き渡る。


「私はこれまで、泥にまみれ、油に塗れ、ただひたすらに『最高の一台』を造ることだけを考えて走り続けてきました。その過程で、国を巻き込み、皆様には多大なご迷惑と……そして多大な『利益』をもたらしたことと思います」


会場から、苦笑と、同意のどよめきが漏れた。


「これからの世界は、光通信網によって一つに繋がり、空には無数の星(衛星)が打ち上がり、争いではなく技術で競い合う新しい時代になります。そして私は、この聡明で美しい伴侶を得たことで、ようやく一つのゴールに辿り着いた……などと言うつもりはありません」


芳信は隣に立つ綾子と顔を見合わせ、不敵に笑い合った。


「むしろ、これはスタートラインです。我々九条自動車は、いかなる妥協も許さない純粋な速さの結晶、『フォーミュラカー』の開発に成功しました。後日お披露目をさせて頂きますので、どうぞよろしくお願いします」


結婚式のスピーチという皮を被った、世界への新たなる告知。


それは、九条芳信という男が、いかなる幸福の絶頂に在ろうとも、決して足を止めることのない「技術の怪物」であることを証明していた。


エンツォ・フェラーリが、グラスを高く掲げ、獰猛な笑みを浮かべて芳信にウインクを送る。


世界の自動車産業が、そして人類の技術の歴史が、この男を中心にさらなる高回転オーバーレブへと突入していく。


満場の拍手と祝福の嵐の中、芳信と綾子は、これから始まる果てしない最高速の未来へ向けて、力強く歩みを進めたのである。

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