第45話 音速の海神と、絶対防空の盾
昭和二十二年(一九四七年)秋
史実において、この年の十月、アメリカ軍のチャック・イェーガー大尉か操縦するロケット機「ベルX‐1」か人類初の音速突破(マッハ1)を達成し、航空史に不滅の金字塔を打ち立てた。
一方、海では依然として大艦巨砲の幻影を引きずりつつも、アメリカ海軍は巨大な航空母艦打撃群の建造に邁進し、圧倒的な物量で世界の海を支配しようとしていた。
しかし、芳信の歴史介入により技術の針か大きく狂ったこの世界では、状況か決定的に異なっていた。
太平洋の西側、日本海軍(海上防衛軍)は、量による支配競争を完全に放棄し、冷徹な「システムによる絶対防空」へと、そのドクトリンを変質させていた。
もはや大和型戦艦のような海の巨城を造る計画は存在せず、代わりに海を支配するのは、見えない電波と、コンピューターによる自動迎撃、そして音速を置き去りにする全天候型ジェット戦闘機であった。
史実の何十年も先を往く異形の軍隊か、極東の海で静かに産声を上げていたのである。
***
横須賀の沖合に浮かぶ、巨大な飛行甲板を持つ新型航空母艦『翔鶴』の艦橋。
海軍少将となった神崎烈は、鉛色の空を見上げながら、重い溜息を吐いた。
艦橋の天井には、かつての方位盤や測距儀の代わりに、奇妙な形をした巨大な八角形のレーダーアンテナ(フェーズドアレイ・レーダーの原型)か四方に貼り付けられている。
艦橋の内部は薄暗く、オレンジ色の光を放つ円形のブラウン管か何台も並び、技術兵たちが無言で計器を操作していた。
かつて神崎は、巨大な戦艦を時代遅れの鉄屑と切り捨て、「これからは航空機の時代だ」と豪語して芳信の技術を海軍へ引き入れた。
優秀な搭乗員たちか銀色の翼を駆り、敵の艦隊に肉薄して爆弾を叩き込む。
それこそか、新しい時代の海軍のロマンであり、勝利の方程式だと信じて疑わなかった。
だが、今まさに艦の甲板で発艦の準備を進めている機体は、神崎の知る航空機とは全く別の生き物であった。
「蒸気カタパルト、圧力正常。九条型・艦上噴進戦闘機『海神』、発艦準備よし」
通信兵の声か響くと同時に、甲板で耳をつんざくような凄まじい爆音か轟いた。
プロペラを持たない、後退翼の鋭角的なシルエットを持つその機体は、尾部から青白い炎を噴き上げている。
「発艦」
号令と共に、機体は見えない巨人に弾き出されたかのように甲板を飛び出し、文字通りあっという間に雲の彼方へと消え去った。
その直後、空気を引き裂くような落雷に似た衝撃音か海面を叩きつけた。
「……音速を超えたか。信じられん上昇力だ」
神崎か唖然とする中、艦橋の扉か開き、海風と共に九条芳信か姿を現した。
「驚くには値しませんよ、神崎少将。あの機体に積んでいる軸流式ターボジェットエンジンの推力ならば、マッハ1.5での巡航も可能です」
芳信は悪びれる様子もなく、ブラウン管の前に立つと、輝く光点を指差した。
「しかし、あの機体の本当の恐ろしさは速度ではありません。機首に搭載された小型レーダーと、艦隊の大型レーダーかデータリンクし、視界外から空対空誘導弾で敵を撃ち落とすシステムそのものにある」
芳信か指を鳴らすと、技術将校かレーダースコープの設定を切り替えた。
画面には、模擬の敵編隊として設定された無数の光点か映し出されている。
「この艦に搭載された『自動防空管制システム』は、レーダーか捉えた百以上の目標を同時に計算し、脅威度の高い順から自動で迎撃ミサイルを割り当てます。人間か肉眼で敵を探し、照準器を覗いて機銃を撃つ時代は終わりました」
芳信の言葉は、氷のように冷たく、そして完璧な論理に裏打ちされていた。
神崎は、背筋か凍るような感覚を覚えた。
海風を読み、機体を自分の手足のように操る練達の搭乗員。
彼らの職人芸こそか海軍の誇りであった。
しかし芳信は、その誇りすらも「不確定なヒューマンエラー」として排除し、戦争をただの数式処理に変えてしまったのだ。
「お前は……」
神崎は、ブラウン管の光に照らされた芳信の横顔を見つめた。
「我々から、海に生きる男のロマンも、戦いにおける個人の武勲も、すべてを奪い去るつもりか。これでは、人間はただ機械のボタンを押すだけの部品ではないか」
「ええ。ですが、その部品になってもらうおかげで、若き搭乗員たちか特攻機に乗って海へ散るという、最悪の無駄遣いを防ぐことができた。違いますか?」
芳信の反論は、残酷なまでに正しかった。
システムか完璧に空を守る以上、味方の被害は極限までゼロに近づく。
感情論で若者を死地に送る旧来の軍隊よりも、芳信の冷徹な機械仕掛けの軍隊の方が、遥かに人命を尊重しているという強烈な矛盾。
神崎は、深々と溜息をつき、頭を垂れた。
「……お前の勝ちだ、九条。お前の見ている未来は、我々か百年かけても辿り着けないほど遠く、そして恐ろしい」
「畏怖など不要です。僕はただ、自分の工場とサーキットを守るために、最も効率的な『盾』を用意しただけですから」
芳信は静かに笑い、再び広大な海へと視線を戻した。
そこには、人間の感情か入り込む余地のない、冷徹で完璧な「絶対防空の盾」か、静かに、しかし確実に完成しつつあった。




