そして10年後
--あれから10年。
「シモン、陛下をお見かけしていないですか?」
「陛下なら、先ほど治水工事の進捗を見てくるとポータルで出発されましたよ」
「あなたがついて行かないとは、珍しいですね」
「陛下から、保守派貴族への根回しを仰せつかりまして。今から大量の手紙を王配殿下のお名前で用意しなくてはならないのです」
げっそりとした顔を見て思わず苦笑した。我らが主人は大変な働き者であるが、主人が働けば働くほど我々の仕事も増えていく。
もちろん、10年前を思えば嬉しい悲鳴だ。
「手伝うことがあれば言ってください」
「ありがとうございます。しかし宰相閣下こそご多忙でいらっしゃる。ご自愛くださいませ」
殿下と陛下がご結婚なさってから彼とは長い付き合いになるが、いつまでも礼儀正しい。少しは砕けてくれても良いのだが、と思いながら手を振って見送った。
陛下がわざわざ転移魔法ではなくポータルを使った事には理由があるのだろう、王の間に設置されたポータルへと足を向けた。
この10年の間に、王国は激変した。まず陛下が着手したのは王や王妃がためにためた宝物を、国宝以外全て売り払うことだった。全てを売ると1年分ぐらいの国家予算になった。そうして得た財産で行ったのは、各地へのポータルの設置、それから氾濫区域での治水工事だった。スラムの人員を国家事業にまわし、衣食住を保障する。国庫は最低限保たれたとはいえ相変わらず火の車だ。給金は多く与えられないが、衣食住が保障されるとあって多くの者が志願した。
教会と協力して孤児の保護、不正貴族の弾圧、農地改革に、法整備。次々と打ち出される政策に女王陛下の名が称えられる。とはいえ、陛下は政治の初心者、帝王学も習っていない少女の国家運営は平坦な道ばかりではなかった。
外交で失敗し、あわや戦争の手前まで行きかけたこともあれば、政敵により王配殿下が失脚しかけたこともある。ようやく国として落ち着いてはきたが、後継の王女殿下の暗殺未遂には未だ頭を悩まされていた。
「宰相」
噂をすれば、赤銅色の髪を高く結い上げた凛々しい少女が王宮の渡り廊下を一人で歩いていた。
「王女殿下に拝謁申し上げます」
「よいよい。ここには誰もおらん」
「......誰もいないのはどう言うことでしょうか」
「......む」
「殿下、必ず騎士と同行するようにと何度言えば......」
小言を言い終わる前に、ガキンと大きく金属の擦れる音がして思わず音の方を見た。
射られた矢が、殿下によって張られたバリアに遮られている。そのまま矢を掴み、力を込めれば矢は真っ直ぐに持ち主の元へと帰った。騒ぎを聞きつけて集まった騎士たちに王女は指示を下す。
「後は騎士に頼んだ。宰相の小言を聞かずに済んだのだ、尋問はお手柔らかにな」
「殿下、小言は済んでおりません」
「しかしなぁ、見ただろう?陛下ほどでは無くとも自分の身は自分で守れる」
「それでもです。陛下は常に聖騎士を側におかれてますよ」
「......そうだな。では騎士団長の息子辺りを護衛騎士に任命するか」
「それは!!」
暗殺の首謀者はおそらく騎士団長だと思われる。一応騎士団長は王家の遠縁であったので、何故か陛下の王位を継げると思っていたようだ。陛下が後継を定めた時点でクーデターを画策していた様子も見られるし、目下1番の問題である。周到な彼は証拠も残さないため、王位簒奪の立役者の一人である彼を簡単に始末もできない。......始末できないのは私情も入っているが。
「ちょうど良い頃合いだ。近くにいれば危険もあるだろうが、証拠も見つけやすくなる。見所があれば王配にするのも良い」
自分を殺そうとする者に対してこの寛大さ。清濁併せ呑む覚悟という点では、陛下よりも王の器らしい。
「かしこまりました。しかし流石に二人きりにはできません。もう一人を王配殿下のご生家から任命いたしましょう」
「わかった。また仕事が増えるな」
ははは、と他人事のように笑いながら去っていく殿下を見ながら、誰に似たのかと図書館の住人の顔を思い浮かべた。
気を取り直してポータルへ向かう。元の用事に加えて、王女殿下の護衛の件も加わったのだ。急ぐに越したことはない。
「ヨハン、久々だな」
思いがけない人物に声をかけられて、驚きに反応が遅れた。
「なんだ、泣く子も黙る宰相様には、俺なんかが話しかけたら不味かったか?」
皮肉がたっぷり乗った声色に、相変わらずだと苦笑で返した。
「お元気そうで何よりです。騎士団長殿」
「元気だと困るか?」
「私は、あなたが元気で嬉しいですよ」
虚をつかれた顔をして、今度は騎士団長が相変わらずだと呆れたように首を振った。
「そういえば、先日夫人にお会いしたぞ」
「母に?」
「妻に、誰か紹介してもらえないかと言っていた」
「......母上」
楽しそうに口角を上げる。昔から、私が困ると嬉しそうに笑うのだ。
「奥方には申し訳ないとお伝えください」
「私の妻も楽しそうに相手を吟味していたから、大丈夫だ」
大丈夫ではない。
「そろそろ叶わぬ恋に身を焦がすのは辞めて、家庭を作ってはどうだ」
叶わぬ恋、の指し示す先を思い浮かべて首を振る。長年の友の瞳には、揶揄いに装った心配の色が濃く表れていた。
「そういう感情はありませんよ」
本当だ。恋や愛は、対等な相手に抱くものだろう。神に抱いて良い感情ではない。
「そうか」
それ以上は口にする事なく、話は終わるかと思ったが、
「だが、子どもはいいぞ、活力になる」
これは、相当母上から頼まれたな。昔からこの男は母上の頼みに弱いのだ。しかし、『活力になる』
とは。
「ご子息が『活力』ですか」
王位に向けて、暗殺が活発になってきているのはその辺りなのか?これ以上やるなら息子を盾にするぞ、という思惑を込めて訊ねた。
「ああ、我が一族の宝だよ」
さすがに幼馴染。意図は伝わったようで、しっかりと一族郎党を敵に回す覚悟で手を出すように釘を刺された。
しかし、ここまで子煩悩とは想定外だった。王女殿下の意図を伝えておかないと、護衛騎士、という肩書きだけで息子を王女殿下の下に置くのかと暴れそうだ。
実際家臣なのだから当然なはずだが。
一応、どうとでも取れるよう保険をかけておくか。
「優秀な若者に育ちましたからね。彼はそういえば婚約者はいませんでしたね」
「ああ、知っているだろう。陛下に姫が誕生するのを待つ間に成人してしまったよ」
なぜ今それを聞くのか。わざわざ質問したその意味を考えておいてほしい。近いうちに思い至るはずだ。
「そうですか、良いご縁があるといいですね」
「ああ、娘ならお前の夫人に推すところだが」
話が戻ってきてしまったのを、苦笑いでやり過ごした。
今日は随分人と会う日だ。ようやくポータルに到着し、描かれた陣に足を踏み入れた。このポータルは魔塔の研究の成果によって、個人の微弱な魔力でも勝手に吸い取って力に変えてくれる。
国庫に余裕が出来てきたのもこの研究の成果が大きい。光に温もりを感じながら瞬きする間にテントの中へと繋がった。
見張りの衛兵に身分証を見せてテントを出る。
一際人の集まる場所へと迎えば、人目を引く一団があった。
「陛下」
振り返ると黒曜石のように艶やかな黒髪が風に靡いた。
「なんだ、あなたも来ていたの」
「......陛下に急ぎの上奏で参りました。王宮にお戻りください」
10年経っても少女のように無垢な瞳で時々遠くを見る彼女は、この時だけは不思議と様子が違って見えた。
「宰相もこう言っている。風に当たりすぎるのも良くない。早く戻るぞ」
年相応に貫禄の出てきた王配殿下はそれでも変わらず、神々に愛された美貌を振り撒きながら心配そうに眉間に皺を刻んだ。
「陛下、視察は十分でしょう。あんまり我儘を言うものではありませんよ」
10年経っても変わらない見た目の聖騎士殿は、反対に初めからは信じられないぐらい砕けた様子で陛下に相対するようになった。
だというのに、忠誠心が上がったように感じるのは不思議なものだ。
「わかったわよ。戻りましょう宰相。私もポータルを使うわ」
「珍しいですね」
「そうねぇ、私もそう思うわ」
曖昧に微笑みながら先を行く陛下に、慌てて付き添う王配殿下を追って、ポータルへと向かった。
「ご懐妊!?」
「ええ、4ヶ月ですって」
全然気が付かなかったわぁ、と他人事のように呟いた陛下に、そういうものなのか?と思わず不躾な目を向けた。
「無礼ですよ、閣下」
聖騎士殿に指摘されて慌ててお腹に向けていた目を戻した。
「申し訳ございません。では陛下、今後仕事の方は落ち着くまで王配殿下に任せるのですか?」
チラ、と王配殿下に目をやれば端正な顔に苦笑を乗せて返された。
「それなんだけど、王位を譲ろうと思って」
「は?」
食い気味に心の声が漏れ出たが、これについては聖騎士殿から指摘が入ることは無かった。彼も同じ気持ちなのだろう。
「言ってたでしょう。自分の子どもを王位につける気は無いって。公言していても後継を私の子にと期待する貴族は出てくるでしょう。だから少なくとも子が2歳になるまでには臣に下るわ」
猶予が約3年と聞いて目眩がする。今後の仕事を思い出すと頭が痛いのは勿論だが、この方以外を王と仰ぐことをまだ飲み込めていない自分に気がついた。
「しかし......」
適切な言葉が見つからない。王になると聞かされた時から決まっていたことだ。それでも早すぎる。陛下の覇道はこれからだったというのに。
「ヨハン、正しい道に戻るだけよ。そうでしょう?」
戸惑う私に思いの外柔らかい声がかけられた。
その声は10年前、陛下と王位簒奪を企てる際に陛下からかけられた言葉を思い出させた。
きちんと王統を戻すこと。陛下が私に約束してくださったことだ。一度まっさらにして、ある程度整った状態で王統を戻すこと。
その意味ではこの上ないタイミングであると思う。治水工事が完了してしまってからでは、陛下の名声を超えることが難しくなる。
陛下のバックアップを受けながら地盤を固めるにはこの一大事業の成功は、アピール材料として使いやすい。
「陛下、私を家令として迎えて頂くことはできませんか」
「いやだ、それこそ貴方の母上に恨まれてしまうわ」
冗談だと思ったのだろう。ケラケラと笑う陛下を見て寂しさが胸に広がる。
聖騎士殿も、王配殿下も彼女と共に行くのに、右腕と自負してきた私だけが王宮に留まるのか。
「そうね、王女の御代が落ち着いて、それでもまだ一人ならいらっしゃい。何歳でも待つし、来なくてもいいわ」
柔らかく目を細めて笑う陛下に、思わず顔を上げた。
「陛下のご温情に感謝いたします」
は、と当初の用事を思い出し、治水工事に関する話を数点した後、先ほどの王女殿下と、騎士団長の息子の護衛の話を打診した。
「うん、良いと思うわ。あの子なら負けることは無いでしょうし、案外上手くいく2人かもね」
面白そうに口の端があがっている。最早他人事と思っているのだろうか。
「王配は、あの子の意思に任せる。獅子身中の虫になるか、無二の味方となるかはあの子次第ね」
まぁ、虫になったらあの子はバーナーで燃やしそうだけど。とわからぬ単語を混ぜながらぼやいた。
次で最後です!




