32 将軍閣下の我儘
「ハルカ」
事後処理に追われる宰相や、役人たちの隙間をぬって、人気のないところへと向かうハルカを呼び止めた。
ひんやりとした廊下に私の声だけが響く。
憑き物が落ちたかのようにさっぱりした顔をして、ハルカはこちらを振り返った。
「幻滅した?」
問いかける内容とは裏腹に軽やかな声色は、秘密を打ち明けることで気持ちが楽になった、ということなのだろうか。
「どこに幻滅するところがある」
「だって......私、救国の聖女なんかじゃない」
勝利に酔う彼らにはとても聞かせられない、気弱な声。それを聞くことができるのが自分だけなのだと思うと、不謹慎なほど喜びに震えた。
「壊れかけたこの国を救ったのだ、誰が何と言おうと救国だ」
「違うの、そうじゃなくて。だって、知ってるんでしょ?」
1000人の命を引き換えに戻ってきたこと、それが私を生かすためだったこと。
「あのままでは、あの場にいた1000人は皆死んでいた。私だけではない。感謝することがあっても、責めることなど何もない。正しかったとは言わないが、間違っていたとも思わない」
「違う、それだけじゃなくて」
もどかしそうに首をふり、何度か言葉を飲み込んだ。彼女にとって、それほど勇気のいる言葉なのだろう。だが、
「私は、一回目に失敗した。たくさん人を死なせたし、たくさん時間がかかった。最初から大きな力をちゃんと持ってたのに、自分のことしか考えてなかったから、帰ることしか考えてなかったから。最後まで王の傀儡で、騙されて使われた。戻ってきてからだって、復讐を優先した。最後だって自分の願望を優先した。聖女なんて程遠い、本当の私がすごく自分勝手だって、知ってるでしょ」
「知らないな」
間髪入れずに否定する。
「私の知っているハルカは、ひたむきで、まじめで努力家だ。人を殺める責任から逃げずに向き合う人間だ。覚悟を持った人間だ」
何か言おうとするハルカの言葉を言わせないように続ける。これ以上自分の言葉で自分を傷つけるのは辞めてほしい。
「聖女が自分のことを考えて何が悪い。たった16歳の少女が、親元に帰りたくて何がおかしい。背負わせたことを申し訳ないと思いこそすれ、責めるやつがいるなら私がその口を二度と開かぬようにしてやろう」
「......ラファエル、そんなに物騒なこと言う人だった?」
「そうだな。一度目の時に後悔した。私たちの元から離れるハルカを引き止めなかったことも、塔に収容されるまでただ見送るだけだったことも。だから今度は、最後までそばを離れないと決めた。ハルカが神の子になろうとするなら、私はハルカの人間の部分を守ろうとした」
こちらの世界では珍しい、黒曜石のように黒い目を丸くして、こちらを見上げた。
「あの日、私はハルカを助けるためにあの場にいた。聖女のハルカじゃ無い。私たちと戦ってくれた、16歳の少女を助けに行ったんだ」
潤んでいく瞳から雫が溢れる。躊躇いながらもそっと拭った。
「私まだ元の世界に帰ることを諦めきれない」
「ああ」
「今度の世界で悪いことをしていなくても、許せない人がたくさんいる」
「あたりまえだ」
「......あなたの顔が好みだから助けたんだと知っても、そういえる?」
「......惚れた女性に好みの顔だと言われて喜ばない男がいるか?」
思いがけないハルカからの言葉に嬉しくなって思わず口元を押さえた。ここでニヤけては全てが台無しだ。
ハルカもハルカで、「惚れた!?」と一気に顔を赤くした。驚きに涙は引いたようだ。
「それに、これは自惚れではないと思うんだが、私がどんな顔だとしても、ハルカは助けたと思うがな」
「どうして?」
「自分を助けにきたと知って、放っておける貴女では無いだろう」
しばらく考えた後、「買い被りすぎよ」と答えたハルカの声は弱かった。
「だけど、人としての私を大切にしてくれるなら一つ弱音を吐いていい?」
躊躇いながら見上げる瞳をまっすぐ見つめ返して頷いた。
「復讐が終わって、帰ることができる可能性があって、あなたが生き延びて。国を運営するなんてとてもできる気がしないし、やる気もでないのよ」
「そもそも復讐はこの程度でいいのか?王国史に稀に見る愚王として名を刻ませるために王国運営を頑張るのかと思っていたのだが」
キョトンと目を丸くした後、「それいいわね」と弾けたように笑う顔を見て、ああ、この顔が見たくてここまでついてきたのだ、と腑に落ちた。
「帰るにしても、とびきり優秀な後釜を据えなきゃよね。どちらにしても後継者を選ぶ必要があるわ!うん!やる気が出てきたかも!」
後継者、の言葉に残るなら子を作るつもりは無いのか、その場合相手は誰なのか、など一気にかけめぐり、気がついたら純粋な我儘が口をついて出てきた。
「嫌だ」
「え?」
「私以外の男と家庭を築くハルカを見られる気がしない。好きだ、ハルカ。私を王配にしてくれ」
「待って待って!まだ元の世界に戻ることを諦めたわけじゃないんだけど!」
真っ赤になりながら必死に手を振るハルカが愛おしい。前の世界の姿を知っている私の前だからこそ、年相応に振る舞えるのだろうと思うとより愛おしさが増す。
「私だって、1000人の命より、あなたが大切。あなたが生きていられる居場所を作るために戻ってきたんだもの」
真っ直ぐに私を見つめて、夜空を閉じ込めたような瞳が夕日を受けてキラキラと輝く。
「あなたが望んでくれるのなら、この国にいる限り私の隣はあなたのもの。今はそれでいい?」
とんでもない殺し文句だ。
「嬉しすぎて、死にそうだ」
「ダメよ、また戻らなきゃいけなくなる」
華奢な体を抱きしめて、持ち上げた。
私は今きっと、部下たちが驚くほどだらしのない顔になっているだろう。
もう少しだけ続きます




