30 救国の悪女
元の世界に戻れる?
喉から手が出るほど欲しい選択肢が目の前にぶら下げられた。
私が始めた革命を途中で放り投げて?何もかも見捨てて?憎い王だけを殺して元の世界に戻る?
なんて、魅力的な誘いだろう。
「簡単な天秤じゃないか。思い入れもない国と、自分の人生だ。ああ、1000人の命を奪うことを躊躇っているのかな?」
銀の長髪が首を傾げるに合わせてサラリと滑った。
「過去に戻れば彼らも元通りだ。君は彼らを知らないだろう?記憶も残らないさ」
甘い甘い誘惑。
「わけのわからないことを。聖女様は女王になる。いずれ神の国に帰る時が来るとしても、それは今ではない」
ミシェルの信頼がわずかに天秤を傾けるも、賢者の言う通り他に選びようも無く簡単な二択だ。
帰れるなら、絶対に帰ると決めていた。前回、尽くして尽くして尽くして、あの結果だったのだから、もういいじゃないか。
だって、帰りたい。お母さん、お父さんに会いたい。お兄ちゃんのうるさいイビキですら恋しい。友達と好きなアイドルの話をしていたい。
こんな世界、もう夢だって思いたい。
「私......」
それでも、1000人の命を犠牲に戻ってきたこの国で、私はまだやるべきことを終えていない。たくさんの大人が、ハリボテの皮を被る私に自分の命運を託した。夢を見た。期待した。
私はそれを利用した。
それは、天秤に乗せるのも烏滸がましいぐらいの、私の業だ。
わかっていても、この誘惑を跳ね除けられない。黙る時間が長いほど、皆の信頼を失うというのに。
「なぁ」
賢者と私の作り出した空気を壊したのは、どうやらミシェルと同じぐらい、空気を読まないらしい騎士団長だった。
「それは、今考えねばならないことか?」
私の事情も、賢者の好奇心も、どうでもいいとばかりに面倒くさそうに首を傾げる。
「王を殺す気が無いのなら、その魔法とやらはいつでもできるだろう。とりあえずこの革命を終わらせてはどうだ」
身も蓋もないことを言われて、ストンと肩の力が抜けた。
「それも、そうね」
ふは、と思わず笑いが漏れる。
「そもそも、そんな魔力もう残ってないわよ。オート防御も切っているというのに」
「だからこそ意味があるのだろう」
「は?」
言葉の意味を聞く前に、賢者の指が高い音を鳴らす。そして私の目の前には
「......っモーグ伯爵!?」
予め連れてこられる想定だったのだろうか。急な事態にも関わらず彼は真っ直ぐに私へと剣を向けた。
「おのれ、悪しき魔女め!!!!断罪してやる!!!」
まずい、攻撃も防御も間に合わない。
赤毛の醜く肥えた男は、瞳をぎらつかせ、その身に似合わない細身の剣を鋭く放った。
似合わないからこそ、軽く扱えるであろうその剣は想定よりも早く私の身へと到達する、はずだった。
「......え?」
伯爵と、私の間にその身を割り込ませて、我が身で剣を受けたのは
「ラファエル?」
私が1000人の命を犠牲に、その身を助けたはずのラファエルだった。
「うーん、想定とは違うのだが......。彼の命は聖女様にとって重いようだから、思惑通りにはなったのかな?」
賢者が再度指を鳴らすと、ラファエルを刺し、呆然としたモーグ伯爵はあっという間に消えてしまった。
邪魔者は退散と言わんばかりに。
なのに、ラファエルの胸には剣が刺さったままだ。治さなければ、ああ、だめ。上手く魔力が練られない。
「盾を一つでも消せばいい。兵は死ぬかもしれないが、そこの彼は助かるだろう」
また、天秤。
見ず知らずの多くの兵の命と、ラファエルの命を天秤にかけろと言う。
そんなの決まっている、と思うのに。決断できない。
1000人は、過去に戻れば彼らも戻ると知っていた。だけど、今私が盾を消すことで死んでしまった兵はもう戻らない。
私は、私は、この期に及んで私のせいで人が死ぬのが怖い。
私の手はとっくに血に塗れているというのに。
「やめ、ろ。ハルカ。惑わされるな」
低い声が私を呼ぶ。弱々しくもまだ生きている。
「ラファエル!」
「泣くな。言っただろう。ハルカが泣くとどうして良いかわからなくなる」
「ああ、やっぱり」
覚えていたのね。
『どうした。何か言われたか?俺がキツく言っておく、だから頼む泣かないでくれ』
役立たずの近衛、これまでの人生に無縁の戦場、物見遊山のお飾り聖女と扱う彼ら。全てを黙らせるために手に刻んだ陣は想像以上の効力を発揮した。
初めて自分が行った攻撃は、遠く離れていても土埃と血の匂いがして、断末魔が耳にこびりついて離れない。
恐ろしくて隠れて泣いていると、鎧姿のラファエルが困ったようにハンカチを差し出した。素顔の見えない怖い人。そんなイメージの彼がハンカチを持ち歩いていることが妙におかしくて、思わず涙が引っ込んだ。
『ハルカが泣くとどうしていいかわからなくなる』
表情は見えなくても、安堵したことが伝わった。この世界に来てから初めて心配をされた気がする。
『ごめんなさい、ハンカチありがとうございます』
いつの間にか手の震えは収まっていた。
ガチャガチャと鎧の音を立てながら私の横に座った彼は、ぽつりぽつりととりとめのない話をした。
彼のお兄さんが奥さんに怒られた話しだとか、姪っ子や甥っ子が鎧姿だと怯えて隠れてしまう話。辺境軍に来た経緯や、昔のシモンの話など。時折り沈黙も挟みながら、だけどその沈黙は嫌じゃなかった。
気がついたら少し笑ったりなんかして。
ガチャガチャと身振り手振りを交えると余計に面白くなってきて。
『暗くなってきたな。天幕まで送ろう』
立ち上がり差し出された手を取る。柔らかな声に押されるように、自然と足に力が入った。うん、まだ立てる。
『私、元の世界に帰れるんでしょうか』
『......魔法のことはわからないが、手伝えることがあれば言ってくれ』
できるよ、なんて軽々しく言わない。帰らないでくれ、とも言われない。ああ、この人は誠実な人なんだ、と理解するには充分な返答だった。
「駄目よ、死んじゃ駄目。私が元の世界に戻るために手伝ってくれるって言ったじゃない」
泣かないなんて無理だ。次から次に涙が溢れる。だってあなたのハンカチが無い。
縋るように抱きついて、肩に顔を埋める。
「隣で話してよ。私、そのために戻ってきたんだよ。あなたがいなきゃ意味がないんだよ」
「駄目だ、ハルカ。盾を解いてはいけない」
ラファエルは驚きに目を見開いて、首を横に振った。
「君の勝利に曇りがあってはいけない」
どこまでも、私のこと。
ラファエルのために盾を解いてしまっては、私が革命を成し遂げた後、聖女の威光が陰るかもしれない。一人のために大勢を切り捨てるのは聖女としても政治家としても、間違っているのだろう。
それでも、
「新しい世界に、あなたがいないなんてあり得ないのよ」
涙がボタボタとラファエルの服を濡らす。かっこ悪くていい。完璧じゃなくていい。
「あなたがいてくれるなら、聖女じゃなくていい。悪女と呼ばれたっていい」
手を掲げた。今度こそ自分で選ぶ。この世界で、多くの命よりも貴方の命を。
長らくお休み頂いておりました。
最終回まで書き上げたので、毎日投稿します。
勢いで書き上げたので、誤字脱字は気がつき次第訂正していきます。




