26 将軍閣下の気遣い
別人のように、いっそ神にすら近い無慈悲さを感じたハルカから久々に以前のような人間味を感じたのは、皮肉にも決戦前日だった。
道中も顔色が悪かったが、夜になっても改善されることはなく、他の兵達が気が付いていないことが幸いであった。
事前に当たりをつけていた場所に基地を定め、動き回る兵達をぼんやり眺めるハルカは、こちらに来たばかりのまだ人を殺めることに慣れていない頃のハルカのようで、戦場においては危うさが目立つ。
このままでは兵達の士気に関わると思う一方で、それで良いでは無いかと思う前回の自分がいる。
ハルカに人を殺めることに慣れてほしく無い。躊躇なく傷つけるようになってほしく無い。
その力を求めたのは辺境将軍としての自分なのに、少女の手に刻まれた魔法陣を心底厭わしく思う。
もう、後悔したくないのだ。突然見知らぬ世界に呼び出された少女に、責任を押し付けた自分に戻りたくは無い。
彼女が復讐のために神になるというなら、人の部分を守りたい。忘れたくない。ならば、人に近い今の彼女で良いじゃ無いか、と思う。それでも。
「ハルカ、彼らを鼓舞して回ろう」
私の声に我に返ったように数度瞬いて、こちらを見上げる黒曜石のような瞳は、夜がよく似合う。
「決戦前夜に、明日の活躍を願って、皆そこここで酒を呑んでいる。ハルカが顔を出せば士気も上がるだろう」
最後の酒になるものもいるかもしれない。圧倒的に有利な戦いとはいえ、戦争に絶対は無い。いつ、どこで、誰が死んでもおかしく無いのだ。
「そうね、彼らも守ってきた自国民に刃を向けるのは心苦しいでしょう」
感情の乗らない声音で、彼らをみつめる瞳の中に焚き火の炎が揺れる。
何もいえずにいる私を見ることなく、ハルカは兵たちの輪へ歩き出した。慌てて追いかける私に、さらに兵たちが恐縮した。
「皆、お酒は足りている?」
「ええ、宰相様が城からたんまりとってきたそうです」
「まぁ。優等生な顔をしてやるわね」
先程の無感情が幻だったんじゃ無いかと思うほど、明るい声が響く。散らばっていた兵たちもハルカの笑い声を聞いて徐々に集まってきた。
「皆の故郷は王都から遠いの?」
「いいえ、スラム出身の者が大半ですよ。攫われるように辺境軍に送られたものもいます」
「それは、辛かったわね」
「閣下が我々を人間に戻してくださったのです」
不意の部下からの眼差しに、驚くと共にどう反応したものか困る。
「部下となった者を大切にすることは、この地位にある者にとって当然のことだ」
照れ隠しのようになってしまい、気恥ずかしさから横を向く。ははは、と笑う部下たちの中でハルカも優しく微笑んだ。年下の少女から向けられた優しい視線がこそばゆく、目線を下げて酒を煽る。
「だから、閣下が信じる貴女に、我々もついて参ります」
小隊長のダミアンは、前回ハルカを認める前に前線で死んでしまった一人だ。ダミアン以外もまたここに辿り着く前に死んでしまった者が何人も、あの盾のおかげでここにいる。
今更ながらに実感して涙腺が緩みそうになる。
「神などいないと、何度も思いました。救いなどないと何度も絶望しました。仲間が死ぬたびに、何故自分が死ななかったのだと思う一方で死にたくないと涙を流しました。それでも我々は貴女の中に神の御姿を見るのです」
先ほどまで騒がしいほどに笑っていた彼らの思いが、熱いぐらいにこちらへ向く。
「どうか、最後まで我らをお導きください」
ニコリと軽やかに笑う彼らは、戦場の無慈悲さを知っている。ハルカもゆっくりと数度瞬きをした後、微笑み返した。
「ラファエルありがとう」
天幕に戻る途中、兵達に手を振りながら微笑むハルカに、「いいや」と返した。
人らしくある、今のハルカを守ればいいじゃないかと思う気持ちはある。それでも、落ち込んでいれば元気を出して欲しいし、成し遂げたいことがあるなら人道に背かない範囲で手を貸したい。
それは私のわがままで、自己満足で、お礼を言われるようなことでは無かった。
「彼らの笑顔は、ハルカが守ったものだ。壊したものを、数えなくて良い。心持ちを迷う必要はない。貴女を聖女だとしたのは我々なのだから」
こちらが勝手に聖女だと崇めたのが始まりだ。帰ってきた彼女が何を目的としていても、そこを違えてはいけない。
「責任を負わなくていい。ハルカは守れたものだけを数えて、大切にしてくれ」
「私は」
ハルカが頭上を見上げる。そのままこちらに向いた瞳はまるで星を閉じ込めたようだ。
「いつもあなたに助けられているわね」
ほのかに赤みのさした頬で、顔色の戻ったハルカがはにかんで笑った。
年相応のその笑みに「恐れ多いことだ」と微笑み返した。
「元いた世界では、誰かを傷つけたことがなかった。政治なんて無関係だった。されて嫌なことをしてはいけなかったのよ」
「良い、世界だな」
「ええ。請われて、傷つけて、殺めて、その先に見える景色が怖いと言えば、聖女失格かしら」
裁くことを恐れるならば、確かに神に相応しくは無いのかもしれない。
「失格で良い。皆、ハルカだからここにいるのだ。悩む貴女だから救いを求める。ハルカであるだけで良い。自らの在り方を悩む必要などない」
どれだけ言葉を尽くしても、足りない気がする。この想いは、感謝は、届いているだろうか。
ほんのわずかでも届いて、彼女の重荷を軽くしてくれればと願う。
いつの間にか元に戻ってきてきたミシェルが、「また呼び捨てにして」とぶつぶつ文句を言いながら、ハルカを天幕までエスコートした。
ひらりと手をふるハルカの表情が心なしか明るくなったのは、私の見た願望だったかもしれない。




