25 魂までは
寝支度の整った天幕には、いつもであれば辞する宰相が落ち着かない様子でうろついていた。ミシェルの姿は無いが、外で見張りを行なっているのだろう。
「聖女様、いかがでしたか」
「そうね。目的は達してきたけれど。中々、貴族らしい方ね」
「そう......ですね。昔はそうでもなかったのですが」
言葉を選びながら答えるも、彼が本当に知りたいのはこれではなかろう。
「ねぇ、あなたにとって彼はどうなっても良い存在かしら?」
「聖女様の救国の妨げとなりますならば」
ぐっと拳を握りしめる様子を見るに、完全に割り切れているわけでもなければ、騎士団長のように敵意を持っているわけでも無いようだ。
それでも迷いのない瞳をまっすぐ向けられた。
「どうかしらね。私にとってはあなたの方が大切だけれど。彼もまた神の子ですから」
あの時は揺さぶられたことにカッとなったが、彼は前回私に何をしたでもない。復讐の対象とはならない。助けてくれなかったことを恨むのならば、私は王宮の全ての人を滅ぼさなくてはならないだろう。
「被害は最小限にと考えているわ。そこから掬い上げるのはあなたの役目でしょう」
敵視されていようとも、煩わしく思われていたとしても。あちらが簡単に宰相を切ろうとしていたとしても。
関係を諦めたく無いのなら、手を伸ばす役目は私ではなく宰相だ。私にできることは精々殺さないことだけ。
「聖女様の御心に感謝申し上げます」
その晩は久々に元の世界の夢を見た。
母にせっつかれるように起こされて、眠い目を擦りながら下に降りれば、朝食を口にする父がいる。
兄は部活の朝練でとっくに家を出ていて、時間を見た私も慌てて準備にとりかかる。
「いってきます」と穏やかに笑う父も、「お母さんは起こしたからね」と年甲斐なく頬を膨らませる母も、妙に鮮明に思い出された。
あんまりだ。
「大丈夫か?顔色が悪いぞ」
馬上の移動中、隣に馬を走らせる私の顔色を見て、ラファエルが声をかけてきた。
もちろん私は馬に乗れないので、ミシェルに手綱を握ってもらい、背中を預けて相乗りしている。
「いいえ、馬に乗り慣れていなくて」
最低で最高の夢を見た。もう二度と戻れない過去の夢。苦しいぐらいに帰りたい、元の世界の夢。
目が覚めたとき涙を流していた。起きてからもしばらくは現実を受け止められなかった。
決戦は明日だと言うのに。
「少し休憩するか」
気候に恵まれたことも相まって、想定よりも進行速度が速い。多少の休憩は問題無いだろうと、ラファエルの提案をありがたく受け入れた。
ミシェルの気遣わし気な視線に、大丈夫だと頷き返す。元より体調が優れない訳では無い。どちらかと言えばメンタル面の気落ちだ。不甲斐ないことだが上手くコントロールが出来ない。
王都にほど近い街に到着し、馬も休ませる。
ノックス公爵領は、内乱の最中にあるとは微塵も思わせない豊かさで、領官に言い含められた住人たちは快く兵を受け入れてくれる。
以前通った街とのあまりの違いに、私の行おうとしていることは間違いではないはずだと、言い聞かせた。
それでも目を閉じれば思い浮かぶ父母の笑顔が、私の決意を鈍らせる。
復讐から、あるいは政治的思惑で、誰かを殺めること、貶めることを良しとする考えを。
元の世界では絶対に選ぶことの無かった選択肢を選び続けていることを、後悔したくなる。
こうすることが当然だと、魂までこの世界に染まってしまったと思いたくなかった。
「ハルカ、温かい茶を貰ってきた」
ミシェルがいないからだろうか、気安くそう呼び隣に腰を下ろす。ラファエルから差し出されお茶は、たしかに温かくて、私の心とは裏腹に体を温めた。
ラファエルの視線に促されるように顔を上げれば、そこかしこで休憩する兵たちの顔は明るい。あの、前線での不毛な戦いの時とは打って変わって、やる気に満ち溢れている。
「何か気がかりがあるのか?」
「そう見えたなら、聖女失格ね」
隠せていない自覚は確かにあるが、面と向かって尋ねずにはいられないほど表に出ていたのならば反省しなければならない。
「はは、ハルカが聖女でなくとも私はかまわないがな」
思いがけない言葉に目を丸くする。
「貴女が聖女でなくとも、神でなくとも。ただ一人の女の子だとしても。貴女がハルカだから私は今ここにいるのだ」
ただ一人の女の子、戻ってきてから私をそんな風に扱うのはラファエルしか居なくて。この人のために、この人が生き続けられる国を作るために戻ってきたのに、何故か私が救われてばかりいる。
「ハルカがどこかに囚われたなら助けに行くし、居場所が無ければ私が作ろう」
その言葉に、やはりラファエルも戻る前の記憶があるのだろうかと思わず顔を見る。
すっきりと通った鼻筋も、形の良い横顔も、元の世界の推しに似ているというだけで助けた私なのに。
あの時彼は、私を助けるためにあそこにいたというのだろうか。
なんて。
「こんなに心強い言葉はないわね」
自惚れるのも大概にしたい。だけど、少しだけ、少しだけこの勘違いに酔っていたいから。
彼に記憶があるかはまだ確かめることはできない。
千人の命を使って過去に戻ったことも、その理由も、とてもじゃないけれど話すことはできないから。
それでも、この優しくて正しい人の人柄を好ましく思っていることもまた、事実だから。
「貴女が、したくないことはしなくて良い。無駄に手を汚す必要も無い。そのために我々がいるのだから」
内面の葛藤を見透かすような、クリアな瞳に吸い込まれそうになる。
「......わからないの」
自分が、人を傷つけたく無いと、1回目の時のように思えているか。戻ってきて最初に人を傷つけた時はひどく爽快だった。次に大臣を陥れた時は、達成感すらあった。
なのに、ラファエルに出会った瞬間から普通の人間のような心の動きをし始めた。
当たり前のように無駄な殺生を避けて、憎らしい相手であっても相手の出方を待つような。
自分のしたいことが、心がわからない。成し遂げたいことは決まっているのに、そこに至るまでの道のりが正しいのかわからない。正しくなくても良いと、思っていたはずなのに。
そう言いかけて、口を噤む。彼に記憶があるか無いかわからないが今の私は神の御使だ。そうでなければならない。そうでなければこの兵たちも私についてきてくれた貴族たちも、何故ここにいるのか大義名分が失われる。
「......なんでも、ないわ」
私の内心の葛藤に気付いているのかどうなのか、少しの逡巡の後、そうか、と困ったように笑った。




