19 大義と熱意
「あら、あらあら。犬が紛れ込んでいるのかしら」
事の次第を察した公爵夫人がコロコロと楽しげに笑う。
「それは貴殿らもだろう」
額に汗を浮かべながらも負けじと返す彼に、想像よりもスパイは多いようだと肩をすくめた。
「『偉大なる神の盾』は美しいでしょう。ぜひ皆様にも見てもらいたいわ」
手にしたフォークを、ぱ、と消してみせる。物理的にいつでも前線に送れるのだと示すように。
「殺さず、死なせず、負けない。理念も美しいですわ。我が領では盗賊被害や魔獣被害もあるのだけれど、それらだけを弾けるのかしら」
シンと静まり返った貴族たちの中で、そう口にした侯爵夫人は後ろ暗いところが無いからか、あるいは高位貴族としての矜持か。
「『偉大なる神の盾』は全ての出入りを遮断、あるいは対象を選んで遮断することも可能ですけれど、皆様の領地一つ一つに張り巡らせるのはあまり現実的ではありませんわね」
不可能では無いですけれど、と続ければ貴族たちがゴクリと首を鳴らす。
「ああ、ご安心ください。『偉大なる神の盾』が無くとも、『我が辺境軍』がお守りいたしますわ、そう、例えば魔獣たちから、とか」
ねぇ、ラファエル。と振り返れば、辺境伯家の一人として招待されていたラファエルが、立ち上がって私の後ろに立った。
「聖女様のご命令とあらば」
感情の乗らない忠誠の言葉でも、王家への忠誠の証である甲冑を外し、その硬質な美貌を惜しげもなく披露した将軍閣下の言葉は覿面で、貴族たちの表情が驚愕に歪む。
「最近......我が領地では魔物被害が減りました。民は聖女様のおかげだと仰っておりました」
「我が領地でも同様です。聖女様の祈りのあるいは、召喚によるご加護かと考えておりましたが」
「聖女様ご本人が転移魔法で領地へ?」
「いや、あの言い方は辺境軍が動いたということか」
「辺境軍が聖女様のお名前で動いたと?何のために」
「何のためってそれは」
口々に、ざわざわと推測を重ねる彼らの好きにさせる。恐る恐るこちらを見る目は、真意を探っているのか。
「辺境軍は聖女様のご意志と共に」
端的に結論を示すように低く響いたラファエルの艶めいた声は、その場に長い沈黙を落とした。
「陛下の意図を無視して来てくださった皆様への、私からの贈り物ですわ」
神々しく微笑んで告げれば、その瞳には期待が見え隠れする。
「それほどのものを頂いても、我々に返せるものはありませんがね」
神経質そうに、手を組んでこちらを見る彼は容易く餌に乗ってはくれなさそうだ。
「ご謙遜を。この辛く苦しい局面でも、国を裏切る事なく領地を保ち続けているあなた達を、私はとても評価しておりますわ」
ピクリ、と何人かが眉を動かす。領地経営の優秀さと腹芸の得意さはまた別の才能ね、と内心苦笑しながら続けた。
「私が、私の国のために働くことに見返りなんて求めないわ。だって、臣民が倒れれば国なんて無いのと同じでしょう」
「聖女様、何故あなたがこの国にそれほどまで固執するのかわかりませんわ。聖女信仰の強い国はいくらでもあり、この国におらずとも他国でいくらでも保護されるでしょう」
さすがに、公爵夫人は眉一つ動かさず、ごく優雅に微笑みかける。
「この国でなくては意味がないの。我が主は、我らが父たる神は玉座を王家に預けているだけ。その責を果たせないのなら返してもらうわ。私は臣民のためにここにいるのですから」
「それは、.....王位を脅かすという宣言に聞こえますが」
「良い耳ね。好きにとってくれてかまわないわ」
当然のようにそう返せば、貴族達が息を呑む。当然だ。クーデター、あるいは国を盗る気であると宣言したに等しい。
どの国と取引しているのかは正確にわからないが、書面で明確に交わしているものは少なく、もし契約している貴族がいたとしても王権が倒れる前の今ならばまだ少ない賠償額で撤回が可能だろう。
「私につくなら今よ。強制はしない。私は道を示すだけ」
立ち上がり、ラファエルを携えて扉へと向かう。伝えたいことは伝えた。
「お待ちください、聖女様。あなたは、どのような国を望むのですか。王位を簒奪するその大義はなんですか」
彼らも、売りたくて領地を売るわけでは無い。守りたいものがあるのだ。それは家名であったり、領民であったり、その土地の歴史だったりするのだろう。
「そうね、私は大切なものが踏み躙られる事の無い国を作る。それが私の存在意義よ。領民のために領主として、貴族としての、正しい領政を行ったこと、心から感謝するわ。その知識を、志を為政者の先輩として示してくれると嬉しいのだけれど」
微笑んで、今度こそ部屋から出た。入れ違いに宰相が入ってダメ押しする予定だ。
さぞかし驚くであろう彼らの表情を見られないことは少し残念だけれど。
「よかったのか?ハルカ。王位を奪ると、宣言したに等しい。彼らのうち誰かが漏らせばすぐにでも投獄されるぞ」
「誰が私を投獄できるというの。兵が1万あっても足りないわ」
「それもそうだが」
「利と理で動かすと言ったわね。彼らは匂わせるだけでどちらが得か言葉にしなくても察するわ。」
莫大な、誰も敵わない魔力を誇る聖女が、隣国からの侵略を一人で止め、辺境軍を従え、宰相をも味方につける聖女が自分たちに重きを置くという。
間違いなく王位を取れる力のあるものが、自分たちに取り入ろうとしている。
それは紛れもなく承認欲求をくすぐり、気持ちの良い瞬間だろう。
だけど、それだけでは駄目だ。
「人は大義が無いと動かない。熱意が無いと続かない。理性だけで動けるほど強い人はあまりいないわ。」
想いは、理由は、口にしなければ伝わらない。損得勘定は彼らが勝手にするだろう。私は私の有用性と、聖女としての想いを彼らに伝えるだけだ。
ありがたいことに、聖女信仰は大なり小なりこの国の国民たちに根付いているのだから。
「......ハルカの大義は、熱意はどこから来ているのだろうな」
ラファエルの何か言いた気な口調に思わず立ち止まって振り返る。
「それは......」
彫刻のように整った顔に見下ろされて、その硬質なエメラルドグリーンの瞳に思わず本音が溢れそうになった。
あなたが生きている世界を作るためだと。
「もちろん、神の子たる臣民のためよ。忠誠心と信仰心は大義と熱意の最たる理由でしょう」
そんなことは当然言えなくて、当たり前のように返せば、ラファエルもそれ以上何か言うことはなく、黙って二人で歩き出した。




