第91話 学園祭終了と余韻
# 第91話 学園祭終了と余韻
## 2日目の朝
目が覚めた。
天井。見慣れた天井だ。でも、何かが違う。部屋の空気感が、微かに、しかし確実に変質している。
(あ、そうか。昨日あれがあったんだ)
起き上がると同時に、昨日の記憶が一気に押し寄せてきた。ピンクのフリルのドレス。煌びやかなステージの照明。観客からの歓声。そして――「第一位、セラ・ウィスパーウィンド!」のアナウンス。
夢じゃなかった。こんなに鮮明なら夢であるはずがない。
「……本当に、あれは夢じゃなかったんだな」
誰もいない部屋に向かって独り言ちる。自分の声が静かな朝の空気に吸い込まれていった。
口元が微かに緩んでいた。自分でもわかるくらい、ゆるゆると。
ベッドから起き上がり、窓際へ歩く。学園の敷地が見下ろせる。朝霧が薄く立ち込める中、既に何人かの生徒が動き始めていた。鳥が一羽、木の枝から空へ飛び立つ。
昨日の自分もこんな感じだったのだろうか。舞台に上がる直前の、飛び立つ瞬間のような感覚。
「おはよう、セラ」
隣のベッドからライルが顔を覗かせる。ニコニコしている。というか、ニヤニヤしている。
「おはよう、ライル。今日もいい天気だな」
「そうそう! でもね、セラ。今日の学園新聞、もう見た?」
ライルが手にした新聞紙を差し出す。インクの匂いがする紙面には、でかでかとこう書かれていた。
『一年生にして優勝! 銀髪のエルフの騎士様が女装コンテストを制覇!』
その下。ステージ上でピンクのドレスを着て優勝トロフィーを抱えている自分。優雅に微笑んでいる。
「……うわ」
思わず顔を覆う。
「うわって言い方だな! セラ、これすごいよ! 一年生で優勝なんて、前代未聞だって! 寮のみんなも朝から話題にしてた。『あの美形エルフ、やっぱり神がかってる』とか『あれは男なのか?』とか、盛り上がってたよ」
「いや後者は複雑なんだが……」
「見てよ、ここにも読者ページに掲載されてる。『あの銀髪の騎士様の優雅な姿、一生忘れられません!』『再来年も出場してほしい!』なんて手紙が来てるよ」
「再来年は絶対に出ない」
断言した。これは譲れない。
「でもさ、セラ。考えてみてよ。一年生で優勝したんだぜ? しかも、あのカトレアとか先輩たちも出てたんだろ? すごいことだよ」
「確かに……」
昨晩の光景が浮かんだ。ステージ上でのアナウンス。観客の歓声。そして優勝カップを手にした瞬間の温かみ。全部が鮮烈な記憶として残っている。特にアリアが涙ながらに「私のセラが」とか叫んでいたのは……まあ、それはそれとして。
「さあ、着替えて行こう。今日の学園祭、最終日だもんね」
ライルがセラの背中をバシンと叩く。痛い。でも嫌な感じではない。
「……そうだな、頑張るか」
ベッドから起き上がった。窓の外、学園の敷地では生徒たちが行き交い、ブースの準備をする姿が見える。
新しい一日。昨日を超える自分でいよう。
## セラの人気
正門をくぐった瞬間、波が来た。
「あ、見て! 昨日の優勝者だ!」
「本当に銀髪のエルフさんだ……生身で見たらもっと綺麗……」
「サインお願いします!」
「私も! 一緒に写真お願いしてもいいですか?」
女子生徒たちが群がってくる。遠くからこちらを撮影している者もいれば、遠慮がちに近づいてくる者もいる。
「えっと、こんにちは」
苦笑いしながら手を振った。
「やっぱり人気者だね」
アリアが隣で微笑む。その顔には、明らかな誇りが浮かんでいる。得意げ、という言葉がこれほど似合う表情も珍しい。
「ちょっと恥ずかしいけど、悪くはない気もする」
「セラが綺麗だったから当然だよ。私、一番前で応援してたから。セラがステージに出てきた瞬間、鳥肌が立ったんだよ」
「え、本当に?」
「うん。あの瞬間、私、泣きそうになったもん」
アリアは誇らしげに胸を張る。その横でミナも興奮気味だ。猫耳がピコピコと動いている。
「セラくん、すごいよぉ! 猫族の間でも話題になってるんだって! 『あのエルフの女装は見るべき』って先輩たちも言ってたし!」
「猫族まで広まってるの……」
「そう! 獣人限定の掲示板でもスレが立ってたらしい。『エルフの女装、神がかってる』とかって」
「セラくん、後でサインしてください!」
「私も! あのドレス、どこで買ったんですか?」
「優勝おめでとうございます! 本当に綺麗でした!」
次々と声をかけられる。一つ一つ丁寧に応じた。
「ありがとうございます。……えっと、ドレスは仕立てに頼んで作りました」
「すごい! やっぱり本気だったんですね!」
女子生徒たちの目が輝く。
「疲れてない?」
アリアが心配そうに尋ねる。その手が自然とセラの腕に触れた。
「少し疲れたかも。でも、悪い疲れじゃない」
「無理しないでね。私がそばにいるから。もし何かあったら、すぐ言ってね」
「うん、ありがとう。アリアがそばにいてくれるのが、一番安心する」
「えへへ、私もそうだよ。セラと一緒だと、何でもできる気がする」
二人は並んで歩いた。周囲の視線を浴びながらも、不思議と心地よい距離感があった。
通路の先で、下級生らしき一年生の集団がセラに気づき、ひそひそと話し合っていた。一人が勇気を出してこちらに歩いてくる。
「あの……セラ先輩! 昨日のコンテスト、本当に素晴らしかったです! 私、感動しました!」
「え、先輩……僕らは同じ一年生ですけど」
「でも、先輩みたいな存在感ですよ! あのステージ姿、忘れられなくて」
「そ、そうですか。ありがとう」
「ねえ、セラ。今日の閉会式で、また何かあるかもよ?」
「え、また? これ以上何が」
「さあね? でも一年生で優勝したんだから、学園長からの何かがあるかもよ?」
胃のあたりがきゅっとした。アリアの言葉には根拠があるような気がする。なぜかは知らないけど、こういう時のアリアの勘は当たることが多い。
学園の通路は、まだ朝の清々しさが残っていた。遠くからブース設営の音が聞こえてくる。今日は最終日だ。昨日の興奮を引き継いで、全員が力を合わせている。
## クラスの成功
一年A組の展示ブースは、昨日よりもさらに賑わっていた。
「おお、ここが魔法の可視化実験がある場所か」
「見てみようよ」
「すごい、魔力の流れが実際に見える! これなら魔法の仕組みがよくわかるな」
来場者の声が飛び交う。カトレアが考案した「魔法の流れを見える化」という展示は、透明なチューブの中で色とりどりの光が魔力の流れを視覚化するという代物だ。赤が攻撃系、青が防御系、緑が回復系。シンプルだが、これが初心者には刺さる。
「セラ、来てくれてありがとう」
カトレアが汗ばんだ顔で微笑む。疲労と達成感が混ざった表情だ。
「いいブースだね。すごい人来てる」
「うん! 口コミで広まったらしいよ。教官たちも驚いてた。『一年生にしてよくこれだけのものを作った』とか」
カトレアは少し誇らしげだ。
「商人の血だね。見る人の目を惹くっていうのが重要なんだ。あと、説明を丁寧にするのと」
「そのアイデア、本当にすごかったよ。実用的だし、見た目も綺麗だ」
「ギャハハ! ありがとう! これで借金返済への道がまた一歩近づいたかも!」
カトレアの豪快な笑い声が響いた。目が少し金色に輝いている気がするのは気のせいだろうか。
「カトレアさん、借金ってどのくらい残ってるの?」
「ギャハハ! それは企業秘密よ! でも、このブースの評判が広まれば、うちの家の商会の名前も売れるし、色々と好転するわね!」
「それ絶対、話の流れで全部教えてくれる気がする」
「なんで分かるの!?」
カトレアが目を丸くした。セラは肩をすくめた。
「セラくん! こっちも来て!」
ミナが呼んでいる。展示の解説役を務める女子生徒たちが忙しそうだ。
「はいはい、今行くよ」
セラは展示ブースの奥へ進んだ。水風船のような透明な球体の中で、色とりどりの光が渦を巻いている。
「すごいな、これ。魔法学習の補助教材として使えるんじゃない?」
「でしょ? カトレアさんと一緒に考えたんだ。魔力の流れを色で見えるようにするだけで、初心者にも魔法が理解しやすくなるでしょ?」
ミナが得意げに胸を張る。猫の耳がピコピコ。
「クラスのみんな、頑張ってるね」
「うん! ゴウタくんも演劇の準備してるし、ミサキさんも練習してる。セラが優勝したおかげで、クラスのみんなもやる気出たみたい」
「セラ、こっちも手伝ってくれる?」
ゴウタが演劇のステージ設営で手を招いている。筋肉隆々な腕で背景の板を持ち上げている。
「いいよ。風魔法で支えるね」
セラが風を纏うと、背景の板が浮き上がり、所定の位置へと滑らかに動いた。
「おお、すごい! 魔法って便利だな」
「ゴウタの筋力なら一人で持てそうだけど」
「いやいや、やっぱり魔法は便利だよ。セラ、ありがとう」
「ゴウタくん、演劇の準備進んでる?」
「うん! あとでリハーサルがあるから、見に来てよ。セラが優勝した勢いで、一年A組も優勝狙うよ!」
その時、リナ先生がブースの前を通りかかった。
「一年A組、今年の学園祭の優勝候補かもね。展示も演劇も、そして何より、あの女装コンテストでの快挙。一年生にしては破格の成果よ」
「先生、そう言ってくれると嬉しいです」
「ええ、もちろん。セラ君、あなたの優勝は単なるイベントの成功以上の意味があるわ。性別や種族を超えた美しさ、それを認める学園の姿勢。それが何よりの成果だわ」
セラは少し驚いた。
「……ありがとうございます」
「いいえ、感謝するのは私の方よ。あなたたち一年生に、多くのことを教えられたわ」
先生が去っていく。足音が遠ざかったあと、その言葉だけがしばらく空中に漂っていた。
## 閉会式
夕暮れ時、中庭の特設ステージで閉会式が行われた。
空は茜色に染まり、涼しい風が吹き抜けていた。三日間の熱気が、まだ学園全体に残っているような気がした。
「それでは、第百八回魔法学園祭の閉会式を始めます」
生徒会長の宣言で式典が始まる。壇上には学園長、副学園長、各学科の代表が並んでいる。
「諸君、三日間の学園祭、本当にお疲れ様でした」
学園長の穏やかな声が、中庭全体に響き渡った。
「今年の学園祭は、久しぶりの開催ということもあり、多くの思い出が生まれました。創意工夫にあふれた展示、感動的な演劇、そして熱気あふれる競技」
学園長は少し間を置いてから続けた。
「特に今年の目玉イベントであった『エレガンス・コンテスト』では、一年生にして優勝する快挙が生まれました。セラ・ウッドランター君、壇へ出てきてください」
「……えっと」
全校生徒の注目が集まる。舞台に上がるのは、女装コンテストの時とはまた違う緊張感だ。あの時はドレスという鎧があったが、今の自分は普通の制服を着ているだけだ。
「セラ、行ってらっしゃい」
「恥ずかしがらないでね。誇りを持って」
アリアとカトレアに背中を押され、セラは前に出た。
壇上に上がると、学園長が笑顔で迎える。
「セラ君、あなたの優勝は学園にとっても嬉しい驚きでした。美しさは性別ではない、そのメッセージは多くの人々に響きました。勇気ある挑戦、称賛に値します」
学園長が手を差し出す。その手には小さな黒い箱が握られている。
「これは優勝記念のバッジです。いつでも身につけていいぞ」
「ありがとうございます、学園長」
中には銀色のバッジが入っていた。「第百八回エレガンス・コンテスト優勝」という文字が刻まれ、周囲には精巧な模様が施されている。
バッジを手のひらに載せた。細かい細工の感触。精勤賞の木製額縁とは、明らかにわけが違う。
「そして、一年A組のクラス展示も評価が高かったですね。魔法の基礎をわかりやすく伝える試み、素晴らしいものでした」
学園長はクラス全員に視線を向けた。
「全クラス、全参加者、諸君の努力と創意工夫、心から称賛します」
会場から大きな拍手が湧き起こる。一年A組のクラスメイトたちが、互いに顔を見合わせて笑い合っている。
「Congratulations!」
ミサトが学年代表として壇上から挨拶に立っていた。満足そうな表情だ。
「今年の学園祭、本当に楽しかったね。一年生にも頑張るやつがいて、面白かった」
少し意地悪な笑みを浮かべながらも、目はしっかりと笑っていた。
「特に某女装コンテストの優勝者、合格点だったわよ。来年もまた負けないでね。二年生になった私たちも、負けてられないから」
会場が笑いに包まれた。セラは少し照れながら、手を振って応えた。
閉会式の最後には、魔法の花火が打ち上げられた。
色とりどりの光が夕闇に咲き乱れ、学園祭の終わりを告げる。赤、青、黄、緑、紫。あらゆる色の光が夜空を彩り、そして静かに消えていく。
「終わっちゃうんだな」
アリアが隣で呟く。その声には、寂しさと共に充実感が混じっていた。
「うん。でも、良い思い出になった」
「学園生活最高!」
カトレアが満足げに言う。その手には、純粋な喜びが宿っていた。
「そうだね。最高だった」
隣ではミナが「来年もまた参加したい!」と目を輝かせ、ゴウタは「演劇、もう一回やりたいな」とニヤニヤしている。
「セラ、今年一番すごかったの、お前だな」
ゴウタが真剣な顔で言う。
「そんなことないよ。みんなそれぞれ頑張った」
「いや、女装コンテストで一年生が優勝って、ほんとに前代未聞だぞ。先輩たちもびっくりしてた。俺も正直、お前がここまでやるとは思ってなかった」
「……そう?」
「うん。セラ、お前はすごい」
ゴウタが真っ直ぐな目でそう言った。照れ隠しのない、純粋な称賛だった。
胸のあたりが、じわっと温かくなった。
クラス全員が、それぞれの思いを抱きながら、同じ花火を見上げていた。
花火が消えて、しばらくした後だった。
帰路につくために動き始めた人の流れを、ミサトが逆方向に歩いてきた。一人で、書類も持たず、珍しいことに表情が少し引き締まっていた。
「セラ、少しいい」
「はい」
「——今日、変な気配を感じた」
声が低かった。周囲の騒音に紛れるような音量だった。
「変な気配?」
「学園祭の二日間。人が多くて気が散りやすかったから断定はできないけど——何か、こちらを見ている視線があった。生徒でも来賓でもない感じの」
「視線」
「ずっとではない。でも繰り返し。特定の一点からじゃなくて、移動しながら見ていた気がする。動いてる人間の目線だよ」
ミサトが腕を組んだ。その表情には警戒の色がある。
「……どんな人間ですか」
「分からない。人込みに紛れたら追えない距離だった。ただ——私の感覚では、遊びに来た人間の目線じゃなかった。観察している、という気配に近かった」
ミサトは一瞬言葉を止めた。
「気にしすぎかもしれない。学園祭には色々な人が来るから、外部の人間がいてもおかしくはない。でも念のため、報告しておく。セラは何か気づいたことはある?」
「……前日の準備で、廊下に黒いローブの人間を一瞬見ました。フードを深く被っていて、すぐいなくなって」
ミサトの目が細くなった。
「ローブ。……分かった。私の方でも少し調べてみる。今すぐ何かという話じゃないけど、しばらくは周囲に気を配っておいて」
「分かりました」
「以上。——おつかれさま、コンテストの件は本当によかった。今度はそちらの話題で終わりたかったけど」
それだけ言ってミサトは踵を返した。
人込みに紛れて、すぐに見えなくなった。
(……気配を感じていたのか、ミサトも)
セラは少し立ち止まった。昨日の廊下の黒ローブと、今のミサトの話。二つが繋がるかどうか、今は分からない。ただ引っかかりが、頭の奥にわずかに残った。
## 日常への復帰
寮に戻ると、静かな安らぎが待っていた。
廊下の灯りは薄暗く、寮全体が眠りにつこうとしている雰囲気だった。三日間の興奮が、ふっと引いていくような感覚。
「疲れた」
ベッドに倒れ込むと、アリアが優しく微笑んだ。部屋の隅の椅子に座っている。
「お疲れ様、セラ」
「ありがとう。アリアも疲れただろ」
「うん、でも楽しかった。セラが優勝して、クラスも大成功で。全部が良い思い出になった」
その瞳には、安らぎと共に何か特別なものが宿っていた。言葉にならない種類の感情が、静かに揺れているような。
「明日からはまた普通の学園生活だね」
「そうだね。学園祭が終わると、少し寂しい気もする」
「でも、私たちはずっと一緒だよ。これからも」
胸が温かくなるのを感じた。
「うん、そうだな。アリアがそばにいてくれたから、頑張れた。もしアリアがいなかったら、女装コンテストに出るなんて、絶対にできなかったよ」
「セラ」
アリアがセラの手を握る。柔らかく、温かい。
「私、セラの女装姿、一生忘れないよ。本当に綺麗だったから。魔法のドレスも、優勝の瞬間も、全部」
「恥ずかしい思い出として残しちゃダメだよ」
「えへへ、でも誇らしい思い出だよ。一年生で優勝したんだから」
アリアは満足そうに笑った。
「学園祭、楽しかったな」
天井を見上げると、昨日の興奮がまだ残っているような感覚があった。
「ゆっくり休めばいいの。明日は明日、頑張ればいい。私はずっとそばにいるから」
「そうだね。今日はもう寝よう」
「おやすみなさい、セラ。良い夢を」
「おやすみなさい、アリア」
アリアが部屋を出て行くと、セラは目を閉じた。
三日間の学園祭。女装コンテストでの優勝、クラスの成功、仲間との絆。全部が良い思い出として心に残っていた。
充実感と共に、深い眠りが訪れる。
明日はまた新しい一日が始まる。学園祭の余韻を抱きながら、新たな日常へ。
その期待を胸に、セラは夢の世界へと落ちていった。
――夢の中の話は誰にも話さないことにした。
でも、これが今の自分の現実だ。
銀髪のエルフ。女装コンテスト優勝者。クラスの一員。そして、アリアの隣にいる存在。
悪くない。全然、悪くない。




