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神に楽しめと言われた。楽しみすぎて、神を超えた。  作者: issoh


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第9話 森の異変

# 第9話 森の異変


## 平穏と噂


 転生して七日目の朝は、昨日より少し早く目が覚めた。


 前日の集会での報告が頭に残っていた。複数か所での魔物の痕跡。結界が弱まっている。長老が補強すると言っていたが、それがいつになるかは分からない。


(対策が出た、でも当たるまでの間が一番危ない。「対策を立ててる間も脅威は止まらない」というやつだ)


 それに気になっていることがもう一つある。


(昨日の集会で新しいキノコの話が出た。「魔力が混じってる」キノコ。アリアは「魔物の痕跡があった場所の近く」だと言っていた。偶然かもしれないが、「偶然の一致を疑え」というのは正しい。何かが変になる時は、複数の「偶然」が重なってることが多い)


 窓を開けると、朝の空気が入ってきた。


 朝食を作った。簡単なもの——エルフの日常食。アリアほど上手くはないが、食べられるものは作れるようになった。


 エルフの村の朝は、いつもと同じように始まった——はずだった。


 セラが家の外に出ると、村の空気がどこか違う。


 普段なら笑顔で挨拶を交わすエルフたちが、今朝は小声でひそひそと話し合っている。数人が集まって、何かを話して、また散らばる。


(何かある時のこの空気。みんなが知っているが、声に出すのを憚っている空気)


「セラ!」


 アリアが駆けてきた。いつもより早い歩調で、表情も少し固い。


「どうしたの? みんな何かひそひそしてるけど」


「そうなの。聞いた?」


「何を?」


「森で、異変があったって」


 異変。


「異変、って?」


「昨日の夜、猟師がいつもの森の奥に行ったら——木が何本か、おかしな壊れ方をしてたって。爪痕があったって聞いた」


「爪痕」


「うん。大型の魔物の爪痕みたいな感じ、って」


(…………)


 セラは一瞬だけ間が空いた。


(待て。昨日、俺が魔力暴走して木を傾けたのは確かだ。でも爪痕はつけていない。それに、俺が練習した場所は……今アリアが言った「いつもの森の奥」と場所が違う。つまり別の何かが——)


「昨日の俺の暴走のことじゃない?」


「違うと思う。場所が全然違う。それに、爪痕って魔物のものだって言ってたから」


「魔物が……エルフの森に?」


「そう。普通はここまで来ないんだけど、最近ちょっと変だって話はあったの」


(最近ちょっと変だった、ということは前から兆候はあったわけだ。でもそれが表面化したのが昨日。症状が出た時にはすでに原因は前からあった、という)


「村の人たちは大丈夫なの?」


「今のところ、人的被害はないって。でも猟師さんたちが心配して、今朝みんなに報告したの」


「見に行った方がいいか?」


 セラは言った。


 アリアが少し驚いた顔をした。


「……行く?」


「行かないと、何が起きてるか分からないだろ。俺には魔法がある。昨日暴走したけど、それは別の問題として」


(一人じゃない。アリアがいる。それなら昨日みたいな最悪の事態にはならない。それに——この森で何かが起きてるなら、俺が知らないままでいいはずがない)


「一緒に行く?」


「うん。行こう」


## 調査への出発


 家に戻って、簡単に準備をした。


 アリアも準備があるというので、一度それぞれの家に帰って、昼頃に合流することにした。


 セラは部屋で、何を持っていくか考えた。


(水と食料が基本だな。この世界では何が役立つ?)


 水は革製の水筒に入れた。食料は携帯しやすい干し果物。あとは……何が必要だ?


(武器、はない。でも魔法がある。俺の場合は武器より魔法の方が役立つだろう。問題は制御だ。昨日の反省を活かして、今日は絶対に暴走しない)


 アリアが迎えに来た。彼女は小さなリュック的なものを背負っていた。そして手には細い杖。


「準備できた?」


「できた。水と食料は用意した」


「えらい! 私は回復薬も持ってきたよ」


「回復薬?」


「植物から作ったやつ。傷の回復を助ける。森の奥に行くなら、念のために」


(念のため。その準備の徹底ぶり。俺も見習わないといけない)


「アリア、戦闘になったらどうする?」


「私は回復魔法も攻撃魔法も使えるから、状況に合わせて。セラは——」


「攻撃に専念する。制御に気をつけながら」


「うん。でも無理はしないで。何かおかしいと思ったら、すぐに言って」


「分かった。互いに声をかけ合いながら行こう」


 二人で家を出た。


 出発の前に、二人で装備を確認した。アリアが持ってきたのは、小さな革製の袋と、細い木製の杖。


「これ、何?」


「魔法のサポート道具。詠唱を少し安定させる効果があるの。初心者向けだけど……セラは魔力が強すぎて、効果があるかどうか分からないんだけど」


「一応持っていくよ。お守り代わりに」


(お守り。そういう気持ちって、世界が変わっても変わらないものらしい)


「セラ、戦ったこと……ある?」


「ない」


「そっか。私も何度かは……でも、本格的には」


「魔物がどんなものか分からないけど、小さいものなら光弾で対処できないかな」


「できると思う。でも——」


「慎重に行く。無謀なことはしない」


 アリアが少し安心した顔をした。


「じゃあ行こう」


 二人で森へ。


 村を出ると、いつもより静かな道が続いた。朝の鳥の声はあるが、なんとなく、遠い気がする。風も少ない。


(静かすぎる。これは不吉な静かさだ。何かある時の森特有の沈黙)


「猟師さんが見たのは、どの辺り?」


「もう少し奥。北東側の、大きな岩の近く」


「分かった。気をつけながら行こう」


 二人で村の外れまで来た。いつも練習する開けた場所を過ぎて、さらに奥へ。普段はここまで入ることがない。


 道がなくなった。


 正確には、「人が通る道」がなくなった。代わりに、獣道のような薄い踏み跡がある。これを辿っていく。


「この辺から、猟師さんたちが入らなくなったって言ってた」


「なんで入らなくなったの?」


「魔物の気配がするから。猟師さんたちは感覚が鋭いから、近づく前に分かるんだって」


(ベテランの勘、というやつか。それを感じるほどの変化が、この森にある)


 セラは自分の魔力を感じた。


 体の中を流れる熱。今日は穏やかだ。制御している。昨日の暴走の反省がある。でも——何か、外側から来るものを感じる気がする。


「アリア、この辺りの魔力の流れ、普通と違う感じがする」


「私も感じる。少し淀んでる」


「淀んでる?」


「魔力の流れが不純になってる感じ。清潔な水に泥が混じったみたいな」


(淀んだ魔力。それが魔物の侵入と関係しているのかもしれない。あるいは結界の弱まりの原因か)


## 痕跡の発見


 森の奥は、様子が違った。


 いつも歩く小道を外れて、北東方向へ。木々がだんだんと密になり、足元の草が深くなる。日差しが届きにくくなって、薄暗い。


 そして——見えた。


「あれ」


 セラが指差した。


 木が一本、ひどく傷ついていた。幹の高さ一メートルほどのところに、深い傷跡が三本。爪痕だ。爪が皮膚のように剥ぎ取ったような跡——それより深い。そして大きい。


「でかい……」


「うん。これ、普通の動物じゃない」


 アリアが傷痕に近づいて、触れずに観察した。


「魔力の残滓がある。魔物の痕跡だよ」


(魔力の残滓——ここに何かがいた証拠だ)


 さらに奥を見ると、周囲の木も何本か傷ついていた。地面にも、大型の生き物が通ったような跡。草がなぎ倒されて、土が掘り返されている。


「複数いた?」


「一匹だけじゃないかも。……でも足跡の大きさが違う。小さいのと大きいのが混じってる」


「群れ、か」


「群れ、というより……侵入してきた感じがする。エルフの森には結界みたいなものがあって、普通は魔物が入ってこないの。でもその結界が弱くなってるのかもしれない」


(結界が弱まる。防壁に穴が開いた状態だ。外から入ってくるものを防げなくなってる)


「なんで弱まるの?」


「理由は色々ある。季節の変わり目、魔力の流れの変化、外部からの干渉……」


「長老が言ってた。魔力の流れが変わってる、みたいなことを」


「そうかも」


 アリアが立ち上がった。


「セラ、いったん長老に報告した方がいいよ」


「そうする前に——」


 ガサ。


 茂みが、揺れた。


## 初戦闘


 二人が同時に止まった。


 茂みがまた揺れた。大きく。


(来る。確実に来る。不吉な静けさの先にあったのはこれだ。でも今は映画じゃない。魔力がある。魔法がある。アリアがいる。俺は逃げない)


「セラ」


「分かってる」


 セラは掌を開いた。魔力を集め始める。焦らず。冷静に。昨日の反省を活かして。


 腹の中心から。均等に。今日練習した方法で。


(落ち着け。焦ったら外す。一発が大事だ)


 茂みから、小さな——


 小さい?


 飛び出してきた生き物は、犬くらいの大きさだった。緑がかった皮膚。鋭い爪。尾が長い。目が黄色く光っている。


「グルル……」


「これが魔物、か……!」


(昨日の爪痕の大きさから、もっとデカいのを想定してた。でも小さい。でも「小さい」と油断するのが一番危ない。弱いと思った相手に足をすくわれる——それは初歩的なミスだ)


 奴の目が、セラを見た。


 黄色い。濁った黄色。動物の目じゃない。何か、根本的に違う種類の知性を持った目だ。


 その目が——跳んだ。


「一匹ね。……後ろに注意!」


 アリアが声を上げた。


 セラが振り返ると——同じ生き物が、もう二匹、別の茂みから出てきていた。


「三匹か」


「私が二匹、セラが一匹。いい?」


「任せて」


 間髪入れずに言った。


(任せて——言えた。迷わず言えた。少し前の俺なら三回は確認してからじゃないと言えなかった言葉だ。ここに来てから何かが変わってる)


 セラは、正面の一匹を見据えた。


 奴が跳躍した。爪が光る。直線。セラ目掛けて——


「光よ、矢となれ——ライト・アロー!」


 光弾。発射。


 直撃。


 バン、という音。魔物が吹き飛んで、地面に落ちた。ピクリとも動かない。


(……入った。本当に入った。実戦で使えた)


 だが——


 セラは後ろに吹き飛ばされていた。


 魔物の突進の余波か。あるいは光弾の反動か。足が地面から浮いて、一歩、二歩と後ろによろめいた。


 そのまま——木の根に足を取られて、背中から地面に倒れた。


 ドン、と。


(……痛い。痛いが、大したことはない。でも。地面に倒れたのはどうなんだ。自己評価高め? まあ誰も見てないからいいか)


 違う。アリアが見てた。


 起き上がって横を見ると、アリアが鮮やかに二匹を同時に仕留めていた。彼女の光弾はセラより速くて、軌道が安定している。そしてアリアは——倒れていない。


「さすがアリア」


「セラ! 大丈夫!?」


「大丈夫。転んだだけだ」


「一発で仕留めたじゃん! でも受け身がすごい下手だよ……」


「分かってる」


(受け身。魔法は使えても、体の使い方はまだ素人だ。魔物を倒したが、自分も倒れた。これを「完璧」と言うのは無理がある)


「ビギナーズラックかも。でも次もこれくらいやれるかは分からない」


「違うよ! ちゃんと狙えてた! 集中してたから入ったんだよ」


 三匹の魔物は、全部動かなくなった。


 森が、また静かになった。


(終わった。俺の初戦闘、あっさり終わった。もっとドラマチックな展開があるかと思ってたけど——まあ、ドラマチックじゃなくて良かった。ドラマチックな戦闘は大体どこかが傷つくから)


 アリアが魔物に近づいて、確認した。


「息はない。撃退完了」


「俺のは……」


「一撃撃退だよ! 完璧!」


(完璧か。でも一発当てるだけで精一杯だった感じがする。アリアみたいに余裕を持って二匹同時、というのはまだ無理だ)


「アリア、この魔物は何ていう種類なの?」


「ゴブリンリザード。人間の地域には多いけど、エルフの森では珍しい。結界が効いてるはずだから、こんなに入ってきてるのは異常」


「ゴブリンリザード」


(ゴブリンとリザードが合体したような名前。見た目通りだ。分かりやすい命名だな)


「弱い種類なの?」


「エルフの森の魔物の中では、一番弱い部類だよ。でも群れると厄介になる。三匹でもそれなりに注意が必要なんだよ?」


「そんなに? あっさり片付いたように見えたけど」


「それはセラの光弾の威力が高いから。普通のエルフが一匹に一発だとしたら、セラは一発で確実に仕留めてる。それって魔力の密度が高いってことだよ」


(密度が高い。量だけでなく質も、ということか。自分の攻撃力が、他のエルフより高い。それは……知っておくべき事実だな)


「これだけじゃないと思う。他にも奥にいる可能性がある」


「うん。今日はここまでにしよう。報告が先だよ」


「そうだな」


「長老、今日の夕方に時間もらえるか聞いてみる」


「うん。昨日の集会で結界補強のことを言ってたから、きっと受けてくれると思う」


「複数か所で魔物の痕跡が出てるって言ってたよな。それに今日確認した場所を合わせたら、範囲が広い」


「そうなの。でもセラと一緒なら、情報まとめて報告できる。私だけじゃ、うまく説明できないかも」


「任せて。情報整理は得意だから」


「えへへ! 頼もしい」


 アリアが笑顔で言った。


(頼もしい、か。そう言われると、少し背筋が伸びる感覚がある。期待に応えたくなる。いい言葉だな)


## 深まる謎


 家に帰る道。


 二人とも、少し疲れていた。魔法を使った分の魔力消費と、緊張の後の気の抜けた感覚。


「戦えたな」


 セラが言った。


「うん」


「数日で実戦か。想像より早かった」


「練習してたから。それと、セラの才能があるから」


「アリアも強かった。二匹同時って、難しくないの?」


「慣れたら普通だよ。でも最初はやっぱり難しかった」


(アリアも最初は難しかった。でも今は余裕を持って二匹同時。練習の積み重ねということか。俺も続けよう)


 少し沈黙が続いた。


「戦って、怖かったけど——動けた」


「うん。制御もできてた。昨日の反省が活きたんじゃない?」


(そうだ。感情を抑えて、冷静に、一発に集中した。失敗から学ぶのが一番速い——そういうことかもしれない)


「あの魔物、死んだのかな」


 セラは聞いた。


「魔物は、倒すと魔力が分解されて消えるよ。死体は残らない」


「消えるの?」


「うん。魔力の塊だから。魔力が切れると、形が保てなくなって消える。生き物の形をしてるけど、元は魔力の固まりなの」


(魔力の塊が生物の形を取っている。エネルギーが切れたら形が保てなくなる。不思議な存在だ)


「じゃあ怪我させて逃がすのは良くない?」


「そう。弱らせてから仕留めるのが基本。逃げた魔物が回復してまた来ることがあるから」


「勉強になる」


「次の機会がないのが一番だけど……多分、またある」


 アリアが少し暗い顔をした。


「そうだな」


「ただ、森の異変は続いてると思う」


「そうだね。一匹や二匹じゃなくて、どこかから侵入してきてる。根本的な解決じゃない」


「長老に話す必要がある」


「うん、明日の朝に相談しよう」


 家の明かりが見えてきた。


 セラは歩きながら、自分の掌を見た。


 光弾を撃った掌。残熱が残っている。今日は暴走しなかった。制御した。アリアと連携した。


 素直に言って、それは嬉しい。でも——


「アリア」


「ん?」


「一つ聞いていい? 戦闘中、怖かった?」


 アリアが少し考えた。


「怖かったよ。でも——セラがいたから、大丈夫だって分かってた」


「俺がいたから?」


「うん。セラの魔力って、側にいると感じるの。大きくて、温かくて。あの感じがあると、なんか……守ってもらえてる気がする」


(守ってもらえてる気がする。俺は「守ってる」意識はなかった。ただ前に出て、光弾を撃った。でもアリアはそれを「守られた」と感じた。守ることって、意識するものじゃなくて——ただ行動することかもしれない)


「俺は守ってる意識はなかった。ただ前に出た」


「それで十分だよ」


「そうか」


「十分以上だよ」


 アリアが小声で、でも確かに言った。


「ねえ、セラ」


「ん?」


「今日戦って……楽しかった?」


 唐突な質問だった。


 セラはしばらく黙った。


(楽しかったか。怖かった、緊張した、制御に精一杯だった——そういう感覚はある。でも「楽しかったか」と言われると)


「……怖かった。でも、頭が動いてた」


「頭が動いてた?」


「うん。怖い、じゃなくて——どう動くか、考えてた。魔物がどこにいるか。アリアがどこにいるか。俺はどこを狙えばいいか。その計算をしてた」


「それが楽しい、って感じに近い?」


「近い……かもしれない。怖さと楽しさが、一緒にあった」


 アリアが少し笑った。


「それ、私も分かる。戦闘って、そういうものだよ。怖くて、でも自分が全部使える感じがして」


(自分が全部使える感じ。そうだ。今日、この体の全部を使って一匹倒した。光弾の練習、昨日の反省、腹の中心から均等に——全部が繋がって、一発になった。それが「楽しかった」に近い感覚かもしれない)


「アリア、俺の魔法の声を聞いた。昨日、戦闘の前に——声が聞こえた」


「声?」


「「楽しめ」って」


 アリアが止まった。


「誰の声?」


「分からない。知らない声だった。でも——その言葉で、何かが決まった気がした」


 アリアが少し考えた。


「……そういう声が聞こえることって、あるんだね」


「あるんだと思う。この世界では」


「魔力と関係してるのかも。魔力が強い人は、そういうものを感じやすいって聞いたことがある」


(魔力が強いと、「声」を聞きやすい。それが俺に「楽しめ」と言った声の正体だとしたら——その声は、俺の魔力に宿ってる何かなのか。それとも外から来たものなのか)


「誰が言ったのかは、まだ分からない」


「うん」


「でも、その声のおかげで、今日動けた気がする」


 アリアが静かに頷いた。


「それでよかったじゃない」


「そうかもしれない」


 しばらく二人で黙って歩いた。


 夜の森の音。虫の声。遠くで木が揺れる音。


 セラは一人、家の前に立って、しばらく聞いていた。


 今日、初めて魔物と戦った。勝った。手が震えなかった。頭が冷静だった。それは素直に嬉しい。


 でも——


(次は一匹や三匹じゃないかもしれない。もっと大きな魔物が来るかもしれない。俺は今日、小さな魔物に一発で勝てた。でも強い敵には?)


 掌を見る。


 光弾を撃った掌。今日は暴走しなかった。制御できた。


 それよりも——


 頭の奥に、ずっと引っかかっていることがある。長老の言葉じゃない。もっと前の。もっと遠い日の。


 トラックが突っ込んでくる直前に聞いた声。


(「楽しめ」って言ったのは、誰だったんだ)


 今まで深く考えなかった。ただその言葉を信じて、この世界で生きようとしてきた。でも——声の持ち主を、俺はまだ知らない。


(誰かが俺に、そう言った。あの瞬間に。死の直前に。誰が、そんな言葉を——)


 答えは出ない。森の夜だけが、静かに息をしている。


 遠くで枝が折れる音がした。セラは顔を上げた。


(魔物か。あるいは風か)


 どちらでもいい。


 今夜はそれより、あの声のことが、妙に頭から離れなかった。



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