第89話 女装コンテスト
# 第89話 女装コンテスト
## コンテスト当日
当日の朝、セラは四時に目が覚めた。
起きる必要のある時間じゃない。控室集合は二時だ。
なのに目が覚めてしまった。
(……緊張とアドレナリンの合わせ技で強制的に起こされるやつだ。エルフの体も変わらないらしい。その点だけは)
ベッドで天井を見つめること一時間。あきらめて起きた。
ライルはまだ寝ていた。邪魔しないよう静かに洗面台へ。
鏡に映る自分の顔を見る。
銀髪、エルフの耳。
——今日、これが女の子になる。
「……一応、できる」
小声で確認した。鏡の中の自分が口を開いた。ちゃんと同期してる。
(大丈夫。リハーサルはうまくいった。衣装もメイクもプロがやってくれる。俺は歩くだけだ。ただ歩くだけ。たまたまドレスを着ていて、たまたま千人以上に見られているという点が異なるが、やることは歩くだけだ)
……「たまたま」の部分が大きすぎる気がするが、気にしないことにした。
朝食の時間になり、食堂でアリアたちと合流した。
「セラ! 今日いよいよだね!」
アリアが目を輝かせた。朝から全開だ。
「そうだね」
「緊張してる?」
「してる。でも大丈夫」
「当たり前でしょ。私が応援してるんだから!」
(この論理、通用するのかどうか分からないが、アリアが言うと不思議と納得してしまう)
カトレアが向かいの席から言った。「セラ、体調は問題ないか? 本番前に体調を崩した投資家の話を知ってるか。せっかくの機会を逃した」
「投資家の話を今してどうするんですか」
「プレッシャーを与えているんじゃなくて、体調管理の重要性を伝えている」
「ありがとうございます、一応」
朝食を食べながら話す。ゴウタとライルも合流してきた。コンテストの参加者として、ゴウタも今日は朝から少し気合が入っているようだった。
「セラ、今日よろしく」
「こちらこそ」
「俺、二年生で出るのは今年が初めてでな。一応、勝ちに行くつもりだが、まあセラが相手じゃ……難しいかもな」
ゴウタが肩をすくめた。
「ゴウタ先輩でも緊張しますか」
「するよ。千人の前に出るんだぞ。しない方がおかしい」
「……それ聞いて、少し安心しました」
「まあそういうもんだ。緊張は当然。でも俺はそれを楽しむことにしてる」
(ゴウタ先輩、豪快に見えて実はちゃんと考えてる人だな。見た目と中身のギャップがすごい。人は見かけによらない。どの世界も同じだ)
午前中、クラスの展示を手伝った。昨日の来場者がリピーターとして何人か来てくれた。カトレアの販売コーナーも好調らしく、「ギャハハ! 借金返済が見えてきた!」と一人で叫んでいた。
(カトレア、学園祭で借金を返そうとしている……それが一番驚きかもしれない。でもカトレアらしい)
「カトレア、今日どのくらい売れた?」
「今のところ、銀貨六枚分! 目標は十枚だ!」
「目標設定が具体的すぎる」
「商売人は常に目標を数字で持つ! ドワーフの基本だよ!」
「すごい。借金返済の計算、常に頭の中にある?」
「常にある! 起きたらまず「今日何銀貨稼げるか」から考える! 夢の中でも計算してる時がある!」
「夢の中でも……」
(カトレアの本気度、本物だ。俺が毎朝「今日どの仕事から片付けるか」から考えてたのと根本は同じかもしれないが、カトレアの方が遥かに前向きだ)
「ギャハハ! セラもコンテスト頑張って! 優勝すれば学費半年分が入ってくる! あなたの経済状況も改善される!」
「カトレア、俺のコンテスト参加の動機を全部金にしないでくれ」
「でも事実でしょ!」
「……まあ、事実だけど」
作業をしているうちに、不思議と緊張が和らいでいった。
(体を動かすのが一番だな。ただ考えていると不安が膨らむけど、別のことをしていると頭が切り替わる)
正午を過ぎたあたりで、アリアが「そろそろ準備に行った方がいいんじゃない?」と言った。
「まだ二時間ある」
「メイクって時間かかるよ! 早めに行ってゆっくり準備した方がいい!」
「そうかな」
「当たり前でしょ!」
押し出されるように準備室へ向かった。
準備室は学園の特別棟にあった。扉を開けると、プロのメイクアップアーティストがすでに機材を並べていた。衣装も壁にかけられている。ローズピンクのカジュアルドレス——見た瞬間に気持ちが少し引き締まった。
「セラさんですね。お待ちしていました」
「今日もよろしくお願いします」
「もちろんです。今日は本番ですからね。先日よりさらに丁寧にやりますよ」
椅子に座ると、作業が始まった。
ベースメイク。アイシャドウ。リップ。髪の編み込み。耳飾り。一つ一つ丁寧に。
(俺の顔、段階的に変わっていく。プロが仕上げると、鏡の中の自分が全然別の人に見えてくる。これはもう魔法と呼んでいい技術だ)
衣装に着替えた。ファスナーは今日はすんなり上がった。練習の成果かもしれない。
鏡を見た。
(今日の方が、より完成されてる。同じメイクをしてもらっているはずなのに、昨日より仕上がっている。プロって二日連続でやっても一日目より上手いんだ。すごい職業だな)
「いかがですか」
「……完璧です」
「それは良かった。今日は全力で応援していますよ」
「ありがとうございます」
## 会場へ
準備室から特設ステージへの移動は専用の通路で行われた。
ステージ裏に出た瞬間、音が変わった。
観客の声。拍手。司会者のマイク越しの声が幕の向こうから聞こえてくる。
幕の隙間からのぞくと——満員だった。
「……すごい人出だ」
小声でつぶやいた。
(大きなホールのイベント会場より多い。あの全員が今日の俺を見る。女装した俺を。……落ち着け。歩くだけだ。ただ歩くだけだ)
深呼吸を三回した。
「なんか、ミサトさんに言われたこと思い出してきた」
緊張したまま全力でやった人の方が、余裕をぶったやつより印象に残る。
——そうだ。緊張でいい。緊張したまま全力でやればいい。
ステージ裏に集まった出場者は六人だった。
二年生のゴウタ・マグナス。筋肉質な体にゴシックドレスという強烈なビジュアルで、それでも表情は落ち着いていた。隣に立つと圧が強い。
同じく二年生のライル・グリーン。森をイメージした緑のドレスで、穏やかな笑顔がよく合っていた。
三年生はアズマ・レン、イズミ・サクラ、カイト・ウインドの三人。それぞれ落ち着いた和の衣装、華やかなドレス、軽やかな風を感じさせる衣装。
そして一年生は——セラだけだ。
(一年生で一人。なかなか孤独なポジションだな。でもクラスのみんながいるし、ミサトさんが審査員席にいる。完全に一人じゃない)
「一年生で出るなんて度胸あるな」
ゴウタが言った。悪意のない言葉だ。
「クラスの代表として」
「そういうの、いいな。俺も一年の時にやればよかった」
「ゴウタ先輩でもそう思うんですか?」
「そりゃそうだよ。経験は早いほどいい。一年早く始めれば一年分の積み上げができる」
(見た目に反してまた良いことを言った。早く始めれば良かった、と思うことは数えきれない)
「セラ、初めてコンテストに出るんだろう」
アズマが静かに近づいてきた。
「はい」
「緊張は?」
「してます」
「それでいい。緊張してない人間の方が信用できない。緊張は真剣さの証明だ」
(三年生からこういう言葉をもらうと重みが違う。アズマ先輩、良い人だ)
「先輩方はコンテスト、何回目ですか?」
「俺は三回目。毎年出てる」
「三回目でも緊張するんですね」
「毎年緊張する。でも毎年、楽しくなるのも早くなってる」
「慣れてくるんですね」
「慣れというより……自分が何者かが分かってきた、という感じかな。初年は「俺にできるのか」だったが、三年目は「俺だからできることがある」に変わった」
(「俺だからできること」。その感覚が——今ここで少しだけ分かってきた気がする)
「ありがとうございます。参考になります」
「がんばれよ、一年生」
アズマが静かに頷いた。
## 開会と他参加者
「第百八回ル・グラン学園祭、エレガンス・コンテスト、ただいまより開始します!」
司会者の声が響いた瞬間、会場がわっと沸いた。
「出場者の皆さん、今日の主役はあなたたちです。緊張はして当然。でも楽しんでいきましょう!」
ステージ裏では参加者たちが順番待ちをしていた。
最初はゴウタ・マグナスだった。
「俺、行くわ」
ゴウタが首をぐるっと回した。それからずんずんとステージへ向かう。その背中は堂々としていた。
「次は、二年生のゴウタ・マグナスさんです!」
司会のアナウンスと共に、幕の向こうで歓声が上がった。
そして笑いも交じっていた。
セラは幕の隙間からのぞいた。
ゴウタが会場を歩いている。筋肉の形がゴシックドレスの上からも分かるほどの体で、それでもどこか誇らしげに胸を張っている。
観客が笑いながらも拍手をしていた。
あれは蔑笑ではない。
「ゴウタ先輩、堂々としてる」
セラはつぶやいた。
ライルが小声で答えた。「あの人、『自分らしくやる』って言ってたんだよ。筋肉とゴシックを組み合わせるのも、自己表現だって」
「それ……かっこいいな」
「うん」
ゴウタのウォーキングが終わり、観客から大きな拍手が来た。ゴウタは満足そうに戻ってきた。「会場の空気、良かった」と言いながら。
次はアズマ・レン。
和の衣装で静かに、優雅に歩く。会場の笑いが止まり、静かな拍手が波のように広がった。美しかった。三年間積み上げてきた何かが、その一歩一歩に表れていた。
(レベルが高い。本物の美しさってああいうやつだ)
イズミ・サクラは華やかな笑顔で舞うように歩き、会場から花びらを模した紙吹雪が舞った。
カイト・ウインドは風魔法を使って衣装を風に揺らしながら歩き、ため息がもれるような美しさだった。
ライルは穏やかな笑顔で緑のドレスをまとい、観客がほっとするような温かさで歩いていった。
そして——
「いよいよセラの番だよ」
ライルが振り向いた。
(自然体で歩く。セラがセラのまま歩けばいい。緊張していい。緊張したまま全力でやればいい)
深呼吸を一つ。
幕の前に立った。
## セラのターン
「最後に、一年生のセラ・ウィスパーウィンドさんです!」
幕を抜けた瞬間——
会場が静まり返った。
完全な沈黙。
セラは歩き続ける。
足音が聞こえる。自分の心臓の音が聞こえる。ドレスの裾がふわりと揺れているのを体で感じる。
静寂は、一秒も経たずに爆発した。
歓声。拍手。そして「えっ!」「本物?」「一年生!?」という驚きの声。
(……会場が沸いている。でも、自分がステージを歩くことに全部集中してるから、音が遠くなってる。これが「ゾーン」か。体で聞いたことがあったが、本当にこうなるものなんだな)
背筋を伸ばす。視線は前に。リハーサルでミナに言われたことを忠実に。
会場の奥まで視線を向ける。千人以上の顔がある。全員がこちらを見ている。
ステージの中央で止まった。
観客席を見渡す。
審査員席にミサトが見えた。表情を変えていないが、目が見ていた。ちゃんと、見ていた。
(……ミサトさんが見てる。それで十分だ)
セラは軽くお辞儀をした。
瞬間、会場から「わあっ!」という声と共に拍手が大きくなった。
「綺麗……」
「エルフって本当に美しい」
「一年生にしてあの完成度、何者?」
声が聞こえた。
(……照れる。でも悪い気はしない。称賛を真剣に言ってくれてるのが分かる。だから真剣に受け取ればいい)
ターンをして、ステージを戻っていく。
会場の熱がまだ続いていた。
ステージ裏に戻ると、参加者たちが口々に言った。
「セラ、すごかった!」
「会場の反応、別格だったよ!」
ゴウタが肩を叩いた。「一年生に持っていかれるかもな。まあ悔しくないと言えば嘘になるが、セラならしょうがない。あれは別格だ」
アズマが静かに言った。「自然体だったね。それが一番美しかった」
「ありがとうございます」
(アズマ先輩、ライルが言ってたことと同じことを言った。みんな同じところを見てくれているのか。だとしたら、俺が俺のままでやったことが正解だったということだ)
## 優勝候補
全員の披露が終わり、審査の時間が始まった。
参加者全員がステージ裏で待機する。
「緊張するな……」
カイトが静かに言った。
「三年生でも緊張するんですね」
「当たり前。毎年出てるわけじゃないし」
「来年もまた出るんですか?」
「……考えてみる」
アズマが目を閉じて座っていた。静かな集中の顔だ。
セラはぼんやりと自分の手を見た。
(ここまで来た。結果がどうあれ、やれることをやった。大事な場面でいつも一歩引いていた俺が——今日は、引かなかった。それだけで意味があると思う)
「次のお時間は、審査員からの質問コーナーです!」
司会のアナウンスが響いた。
ゴウタへの最後の質問はミサトからで、「握力はどれくらいあるんですか?」という直球だった。ゴウタが真顔で「右手で百二十キロ」と答えた瞬間、会場がドッと笑った。
「女の子を抱き上げるのは余裕ですね」
「はい、いつでもお手伝いします」
ゴウタが真剣に答えた。さらに笑いが起きた。
アズマは静かに、イズミは華やかに、カイトは自由を語り、ライルは自然を語った。それぞれがそれぞれらしい回答だった。
セラの名前が呼ばれた。
ステージに戻る。
「セラさん、一年生にして堂々とした参加でした。この衣装を選んだ理由は?」
理事長が質問した。
(さて、どう答えるか。本音は「クラスの代表として、カトレアの借金返済への貢献も含めて」だが、それは絶対に言えない。本当の気持ちを——)
「美しさは性別じゃないと思っています。エルフとして生まれたこの体は、男でも女でも関係なく、ありのままの美しさを持っている。私はこの女装を通じて、固定観念に縛られない自分らしさを表現したかったです」
(言いながら、これは本音だな、と思った。クラスのためとかカトレアのためとかももちろんあるけれど、それ以上に——俺は今日、自分のためにここに立っている)
会場が静かになった。
次の瞬間、拍手が起きた。
「セラさん、素晴らしいお考えですね」
リナ先生が頷く。
「セラ、質問」
ミサトが前に身を乗り出した。
「はい」
「そのメイク、誰がやったの? 技術が高いわ」
「王都の衣装店ローズ・ブルームのプロの方です」
「なるほど。——あと」
「はい」
「よくやった」
ミサトが審査員席に戻った。
(……「よくやった」。それだけの言葉だけど。今ここで、その言葉をもらった)
胸に来るものを飲み込んで、セラはステージを退いた。
審査員が協議に入る。参加者たちが息をひそめて待った。
「さて、結果の前に——上位三名の仮集計が出ました。セラ・ウィスパーウィンドさんが現在トップです」
司会のアナウンス。
会場から「おお!」という声が上がった。
セラは思わず固まった。
(……トップ。俺が、トップ。人生で初めて経験することを、異世界の女装コンテストでやってしまった。なんかすごい話だな)
ゴウタが豪快に笑った。「セラ! やっぱりそうなるよな!」
「まだ確定じゃないです」
「でもトップだ。それが現実だ」
アズマが静かに言った。「実力通りだよ。セラが一番、自然体だった」
「……ありがとうございます」
(結果は明日の最終審査で出る。でも——いける気がしている。根拠は感覚だけだが、この感覚を信じてみる。信じる、という選択をする)
夕暮れが学園の窓から差し込んでいた。
赤い光の中で、セラはドレスの裾を軽く握った。
「お疲れ様でした。素晴らしかったですよ」
着替えを終えた後、メイクアップアーティストが声をかけてきた。
「ありがとうございます。あなたの技術のおかげです」
「いいえ、セラさん自身が美しいんですよ。私はただ、その美しさを引き出しただけです」
(謙遜でなく、事実として言っているように聞こえた。プロの目にはそう見えているということだ)
「明日も宜しくお願いします」
「もちろんです。最終審査でも全力でやりますよ。今日の段階でトップですから、自信を持って臨んでください」
(誰かが「お前は大丈夫だ」と言ってくれる環境——それが今ここにある。それがこの世界の良さかもしれない)
着替え室を出ると、アリアが廊下で待っていた。
「セラ! 見てたよ! すごかった!!」
「ありがとう」
「本当に綺麗だった! ステージで歩いてた時、思わず息止まったんだよ。周りの人も「えっ!」ってなってたし。一年生であのクオリティ、信じられないって言ってた人もいた!」
「そんなに反応あったんだ……会場の音が遠くに聞こえてたから、あまりわからなかった」
「ゾーンに入ってたじゃない! あれはかっこよかった! セラ、かっこよかったよ!」
(女装してかっこよかった、と言われると複雑なのだが……でも、アリアの目が本気だから素直に受け取ろう)
「明日も頑張る」
「うん! 一緒に頑張ろうね!」
——明日、もう一回ステージに立つ。




