第87話 学園祭前夜
# 第87話 学園祭前夜
## 前日の学園
翌朝、セラはいつもより三十分早く目が覚めた。
理由は明確だ。目が覚めたのではなく、緊張で目が覚めてしまったのだ。
(……大事なプレゼンの前日の朝はこうだった。眠ったつもりなのに眠れていない感じで、体は疲れているのに頭だけ動いている。この感覚、どこから来るんだろう。人間の本能というのは深いな。というか俺はエルフだが)
ベッドから起き上がり、窓の外を見た。
学園の庭に朝日が差し込んでいる。空は澄んでいて、木々の梢が光を受けてきらきら光っていた。どこかの鳥が鳴いている。
明日の学園祭のために、今日は準備日だ。
着替えを済ませて廊下に出ると、学園はすでに騒がしかった。
あちこちで生徒たちが荷物を運んでいる。脚立に登って飾り付けをしている組、タペストリーを広げて配置を確認している組、屋台の食材を搬入している組。
走っている生徒がいて、指示を出している先輩がいて、笑い声が廊下の向こうから響いてくる。
(すごい。みんなが本気だ。規模も熱量も、想像以上だ。文化祭って「まあやるか」という空気でやるものだと思ってたが、ここは違う。みんながほんとに本気で楽しんでいる)
「セラ!」
廊下の向こうからアリアが走ってきた。
「おはよう。早いね」
「当たり前でしょ? 今日は準備日だよ。早く来ないと!」
「そうだね」
「セラ、もしかしてまだぼーっとしてた?」
「……少しだけ」
「もう、しっかりして! 今日と明日で二日間あって、女装コンテストは明日の午後だよ。まずは今日のクラスの準備をしっかりやる。セラも手伝って!」
「もちろん」
アリアに引っ張られながら廊下を歩く。
二年生のクラスが手品のステージを設置している。三年生の廊下にはギャラリーのように絵画が並んでいた。魔法科のコーナーでは、試作品の光魔法がチカチカと点灯の確認をしていた。
「これ全部、生徒たちが考えたの?」
「そうだよ。学園祭は毎年、各クラスで内容が違うんだって。全部オリジナルなの。去年と同じ出し物はルール違反なんだよ」
「すごいな……毎年新しいものを作り続けるのか」
(毎年変えないといけないって大変だが、その分やりがいもあるんだろう。マンネリの真逆をやってる)
「この廊下、去年と変わったみたいだよ。去年は二年生が料理を出したんだけど、今年は展示に変えたんだって」
「毎年変えるの大変そうだね」
「でも、それが楽しいんだって先輩が言ってた。「同じことの繰り返しは成長しない」って」
(前年踏襲が美徳とされる世界より、断然こっちの方がいいな)
「アリアのクラスは何するの?」
「私のクラスは……演奏会! 魔法楽器を使った特別演奏。私もエルフの笛で参加するの」
「エルフの笛って聞いたことある。すごい音色するんだよね」
「そうそう! 自然の風の音に似た音が出るんだよ。練習してたから、今回は綺麗に弾けると思う」
(アリアは演奏もできるのか。多才すぎる。俺に特技と言えるものが……まあ今は女装だな。なんとも言えない特技を手に入れた)
「あそこ、魔法の照明を使った看板だ」
セラが指さすと、アリアが「そうそう! 三年の生徒会メンバーが作ったんだって! すごいよね!」と目を輝かせた。
## クラスの準備
一年A組の教室は、すでに変貌の途中だった。
机が端に寄せられ、教室の中央には展示スペースが作られていた。壁には飾り付けがされ、入口には手書きの看板が立てかけられている。
「セラ来た! こっちこっち!」
ゴウタが太い腕を振って呼ぶ。その腕の太さで手招きされると、圧が強い。
「一年A組の出し物は魔法工芸品の展示&体験コーナーだよ」
ライルが説明してくれた。
「体験コーナーって?」
「そう。みんなが作った魔法小物を展示して、来場者に実際に使ってもらうやつ。ミナちゃんが発光する魔法石を、俺がちっちゃい風魔法の玩具を、それぞれ作ったんだ。セラも何か出してほしいな」
「えっ、今から?」
「そこまでは求めてないよ。でも展示の説明係とか、来場者への対応とか、当日手伝ってほしくて」
「それなら任せて」
「ありがとう! セラは対人対応うまいから、助かる」
(まあ人と話すのは苦手じゃない。多少は経験がある。……コミュ力で助かる日が来るとは思ってなかったが)
クラス全体が動いていた。男子たちが展示台を組み立て、女子たちが飾り付けの紙を切っている。カトレアが一角で何か計算をしていた——来場者数の見込みを算出しているのだろう。
「カトレア、何してるの?」
「来場者の見込み数から宣伝効果を算出してる。商売人の基本だよ」
「出し物に収益ある?」
「直接は少ないが、知名度という無形資産になる。一年A組が目立つことで、セラへの認知度も上がり、コンテストへの期待も高まる。相乗効果だ」
「カトレア、そこまで計算してたのか」
「商売人の基本だ! ドワーフは計算なしに動かない!」
「それで、借金返済の計算も?」
「もちろん! 全部繋がってる。セラが有名になれば、あたしも「有名なセラの仲間のドワーフ」として知られるからな!」
「俺を使う気か」
「ギャハハ! 友人は互いに活用し合うものだ!」
(カトレアの友人観が独特すぎる。でも嫌じゃない)
「カトレア、一応言っておくけど俺はまだ優勝してない」
「する予定だ」
「断言するのやめて。プレッシャーで倒れる」
「ギャハハ! 倒れたら俺が担ぐ!」
ゴウタが豪快に笑った。
「担ぐのは助かるけど、コンテストのステージで担がれたら審査員に引かれる」
「そりゃそうだ! じゃあ倒れるな!」
「倒れないようにする!」
(なんでこんな会話してるんだ。でも、こういうやり取りが妙に心地いい)
「セラ、当日の衣装、見たい?」
女子生徒の一人が言った。
「いや、それは本番まで秘密にしておきたい。自分でも見てないし」
「えー! 早く見たい!」
「明日のお楽しみで」
「まあ確かに、サプライズ感があった方が盛り上がるね」
(プレゼン前に内容を漏らすと当日の盛り上がりが半減する。情報の出し方のタイミングは大事だ)
アリアが飾り付け作業をしながら振り向いた。
「セラ、そっちの窓のところに看板置いてくれる?」
「了解」
「あと、入口に案内板も!」
「分かった」
「あと——」
「一個ずつ言って」
「えへへ、ごめん! 頭の中でいっぱい考えてたから一気に言っちゃった」
「整理してから言ってくれると助かる」
「う、うん。頑張る」
アリアが指折り数えながら「えーと、えーと」と考え始めた。それを見てライルが「アリア、メモ持った方がいいよ」と言い、アリアが「そうだった!」と叫んだ。
教室が少しずつ整っていく。午後になると展示台が完成し、魔法小物が並べられ、飾りが壁を彩った。
「よし、いい感じになってきたじゃないか」
ゴウタが腕を組んで満足そうに頷く。
「あとは明日の本番だね」
ライルが微笑んだ。
「セラも頑張れよ! コンテスト、応援してるから」
「ありがとう」
「セラが優勝したら、俺たちも鼻が高いな!」
「プレッシャーかけないでよ……」
## セラの緊張
午後、準備が一段落したタイミングで、セラは教室を出た。
廊下を歩いていると、学園の中庭が窓から見えた。まだ昼の賑わいが残っている。生徒たちが走り回り、先生たちが指示を出し、学園祭の準備が最終段階に入っている。
中庭への出口を曲がった瞬間、視界の隅を何かが引っかかった。
廊下の突き当たり。人通りがそれほど多くない場所に、黒いローブを着た人物がいた。学園の生徒服でも、教職員の服装でもない。フードを深く被っていて、顔が見えない。
一秒。
ローブの襟元に、何か紋様のような刺繍が見えた気がした。複雑な形の——でも遠くてはっきりしない。
次の瞬間、別の生徒が視界に入った。セラが視線を戻すと、もうその人物の姿はなかった。廊下の奥に消えたのか、角を曲がったのか。
(……外来の業者の人間か? それとも別の学校の視察?)
深く考えなかった。学園祭の前日なら、色々な人間が敷地内を出入りする。それだけのことだ。
中庭のベンチに一人座った。
夕方に差し掛かる時間帯だ。日が少し傾いて、庭の木々が長い影を落としている。
アリアが「いた!」と声を上げながら走ってきて、ベンチの隣に座った。
「セラ、こんなとこにいたんだ」
「少し休んでた」
「一人で?」
「……ちょっと考えてた」
アリアが黙って隣に座った。しばらく二人とも話さなかった。中庭の噴水が水の音を立てていた。
「……緊張してる?」
アリアが聞いた。
「してる」
「そっか」
「明日が本番だと思ったら。いよいよ実感してきた」
セラはベンチの木目をぼんやり眺めながら言った。
(試験前夜とか、入社初日の前夜とか、そういう感じに近い。うまくいくかどうかじゃなくて、ただ「始まる」ことへの緊張。もう止められない状況になっているからこそ来る、あの感覚)
「千人以上の前でステージに立つ。それが女装した状態で。考えるとちょっと……」
「怖い?」
「怖いというより。——なんか、変な感じ。こういう状況に自分がなるって、昔は思ってなかったな」
「昔って?」
「昔。もっと前の話」
アリアは少し首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
「大丈夫だよ」
「根拠は?」
「セラだから」
「それ根拠になってない」
「十分なってる」
断言された。アリアはこういう時、妙に確信を持っている。
「リハーサル見てたよ。本当に綺麗だった。あの歩き方で会場に出たら、絶対に注目される。あとは気持ちだよ」
「気持ちか」
「うん。セラが自信を持って歩いたら、それだけで見ている人に伝わるから。技術とか、見た目とか、そういう前に、まず気持ち」
セラは空を見上げた。
明日、あのステージに立つ。女装して、千人以上の前で歩く。
……正直に言えば、恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。
でも、それと同時に——
「なんか、やりたい気持ちもあるんだよね」
「そうでしょ!」
アリアがパッと顔を輝かせた。「セラは絶対やれる。私が保証する!」
「アリアの保証が一番効くかな」
「当たり前でしょ? 誰より近くで見てきたんだから」
(「異世界でエルフの幼馴染に励まされてる」って状況、どう説明すれば伝わるんだろう。まあ伝える相手もいないから関係ないが。アリアが隣にいることも、明日コンテストがあることも、全部本物だ)
## ミサトとの遭遇
中庭でアリアと話していると、足音が近づいてきた。
「……何やってるの、こんなとこで」
ミサトだった。
制服の上に生徒会の羽織りを着て、書類を脇に抱えている。その書類の量が半端ではなかった。学園祭の運営で相当な量の事務作業があるのだろう、目の下に疲労の色がうっすら見えた。
「休憩してました」
「もう準備は終わったの?」
「クラスの方は一段落です」
「そっか」
ミサトは二人のそばに来たが、ベンチには座らず、立ったまま腕を組んだ。
「明日のコンテスト、出るのよね」
「はい」
「……一年生で出るやつは、ここ数年いなかったよ。度胸あるじゃない」
「ありがとうございます。たぶん」
「褒めてる」
「たぶんが余計だったですね」
「余計だった」
ミサトの目が少し細まった。素直に言うのが照れくさいのか、視線がわずかに横を向く。
「まあ……エルフだし。昨年の優勝者もエルフだったから、勝機は十分あると思う。エルフって体の動きが自然と綺麗だから、ウォーキングは向いてる」
「ミサトさん、応援してくれてます?」
「別に! ただ情報として言っただけ! 審査員として客観的な評価をしてるだけ!」
「審査員なんですか?」
「……そう。生徒会長として一枠もらってる」
「じゃあ、明日ミサトさんに見てもらえるんですね」
「……まあ、そういうことになる」
アリアがこっそり笑った。ミサトがアリアをギロリと見た。
「何笑ってるの」
「なんでもないです!」
「フン」
ミサトは書類を抱え直し、踵を返そうとした。が、その前に振り返った。
「一つだけ言っておく」
「はい」
「本番は、自分を信じて歩きなさい。緊張は当然。でも緊張したまま全力でやった人の方が、余裕をぶったやつより印象に残る。私は審査員席でちゃんと見てるから」
それだけ言い切って、今度こそ去っていった。
足音が廊下に遠ざかっていく。
セラはしばらくその背中を見送った。
「……ミサトさんって、ああ見えてちゃんと応援してくれてるんだな」
「そうだよ。ツンデレなんだよ、ミサトちゃんは」
「本人に言ったらまずいやつ?」
「まずいやつ」
二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
(……口は悪いけど、実は一番ちゃんと見てくれてる人だ。そういう人から「ちゃんと見てる」と言われると、素直に嬉しい)
「ミサトさん、忙しそうだったね」
「うん。学園祭の運営って、相当な仕事量だよ。審査員もやって、生徒会長として挨拶もして、各クラスのトラブル対応もして……」
「それ全部一人で?」
「生徒会メンバーがいるけど、実質的な判断はミサトさんがしてると聞いた。三年生だし、学年代表だし」
(プロジェクトマネージャー兼部長兼対外交渉担当みたいなものか。あんな小柄な体でそれだけの仕事を……さすがに「鉄の女」と呼ばれるだけある)
「私、ミサトさんのこと最初は怖いと思ってたけど、今は少し違うかも」
「どう違うの?」
「強くて怖い、じゃなくて、重いものを背負って戦ってる人、って感じがする。だから怖さの中に誠実さがある」
(アリアの言葉、的確だ。ミサトは威圧的だが、それは弱さを見せないための鎧だ。厳しい人ほど、実は内側で何かを必死に守っているものだ)
「アリア、見る目があるな」
「セラを観察してきた成果だよ」
「……それはどういう意味だ」
「セラも複雑な人だから。観察しないと分からないこと、いっぱいあるから」
セラは少し黙った。アリアはそれ以上言わなかった。
中庭の噴水が静かに流れている。夕日が庭を染め始めていた。
## 前夜の決意
夜、寮の部屋に戻った。
ライルはすでに自分のベッドに横になっていた。本を読んでいたが、セラが入ってくると顔を上げた。
「あ、セラ。遅かったね」
「ちょっとアリアと話してた」
「そっか。……緊張してる?」
「みんなに同じこと聞かれる日だ」
「顔に出てるから」
セラは自分の顔を触った。そんなに分かりやすいのか。
「緊張はしてる。でも……やれる気もしてる。なんか、今日色々あって、気持ちが整ってきた」
「それで十分だよ」
ライルは本を閉じて、セラの方を向いた。
「俺、コンテスト見に行くから」
「ありがとう」
「絶対に優勝できると思う。セラって……なんか、自然体でいる時が一番綺麗に見える人だよ。無理して気取らなくていい」
「自然体で女装するってなかなか矛盾してる言い方だけど」
「矛盾してるけど、伝わるだろ」
「……伝わった」
セラはライルの言葉を頭の中で繰り返した。自然体で歩く。セラがセラのまま歩く。
(……ライル、いいことを言う。誰かにこういうことを言ってもらえると、不思議と落ち着く)
「ライル」
「うん?」
「一緒に戦ってくれてありがとう。コンテストとは別の意味で」
「何それ。恥ずかしいこと言うな」
ライルが苦笑しながら本を開き直した。
「でも……どういたまして」
小さく付け加えた。
「ライルは、ずっとここにいた?」
「うん。俺、実は今日は準備を早めに終わらせて、ここで本読んでた。……なんか、部屋の外の騒がしさが苦手で」
「そうか。コンテストは嫌いじゃないけど、文化祭の準備期間の騒がしさが少し疲れる感じはある」
「そうそう。それで準備終わったら逃げてきた」
「俺も少し似てるかも。ああいう場の熱量に全力でついていくのは、ちょっと疲れる」
「セラも?」
「まあ、昔からそういうタイプだったから。でも、みんなと一緒にやることは好きだよ」
「俺もそう。個人の時間も必要だけど、チームで動くのは嫌いじゃない」
(ライルと意外と気が合う。大騒ぎするタイプじゃなくて、静かに話を聞いてくれるタイプ。こういう人と話すのが一番楽だった——昔からそうだ)
「明日、一緒に応援してもらえるか」
「もちろん。一番前の席で声援送るよ」
「ありがとう、ライル」
セラも布団に入った。
部屋が静かになる。ライルのページをめくる音だけが、しばらく聞こえていた。
窓の外に月が出ていた。学園の屋根の向こうに、丸くて明るい月。
(明日、あの月を見ながら帰ることになるんだろうか。コンテストの結果がどうであれ、俺はやることをやった。リハーサルも準備も、できる限りのことをした)
目を閉じる。
頑張ろう。
クラスのためでもあるし、自分のためでもあるし。アリアに、あの綺麗な笑顔で「よかった」と言ってもらいたいから。ライルに「さすが」と頷いてもらいたいから。カトレアに「ギャハハ、やりやがった!」と言ってもらいたいから。
……誰かのために何かを頑張れる状況って、昔は少なかったから。こっちの世界では、それが当たり前になってきた。
(悪くないな、この学園生活。本当に、悪くない)
眠りに落ちるまで、それほど時間はかからなかった。
——その少し前、アリアからの文を受け取った。
廊下の手紙入れに挟まれていた、折り畳まれた紙だ。
「セラへ。明日、緊張してると思うけど、私が見てるから大丈夫。セラがセラでいることが、一番かっこいいから。応援してる。アリア」
(アリア、手紙を書いてくれた)
手書きの手紙なんて、滅多にもらわない。だからこそ、重みがある。
(温かいな)
素直にそう思った。照れも戸惑いもあるけど、それより先に「温かい」と感じた。
(こういう感情を素直に受け取れるようになったのは、この世界に来てからだ。昔の俺は、好意を素直に受け取るのが苦手だったから)
手紙を枕の下に入れた。笑えるくらい乙女な行動だが、まあいい。
明日は学園祭。女装コンテスト。
ステージに立って、歩く。
アリアが見ている。ライルが応援してくれる。カトレアが全力でサポートしてくれた。クラスメイトたちが横断幕を作ってくれた。ミサトさんが「ちゃんと見てる」と言ってくれた。
(これだけの人が、俺を待っている)
——それが、怖さより大きかった。
明日の朝には、また学園祭が始まる。セラ・ウィスパーウィンドの、いよいよ本番の日が。




