第78話 魔法学園入学式
# 第78話 魔法学園入学式
## 入学式の朝
一週間後、入学式当日。
朝の光が、宿屋「森の恵み亭」の窓から差し込んでいた。
セラはベッドから起き上がり、深く伸びをする。椅子に掛けられた制服が目に入った。深い青色の上着に黒いズボン、白いシャツ、青と白のストライプネクタイ。魔法学園から支給された制服だ。昨日受け取ったばかりで、まだ折り目がしっかり残っている。
(制服か。これは俺が選んで入った場所の制服だ。着る意味がある)
まず鏡を確認した。寝癖を直す。髪をとかす。エルフの金髪は、放っておくとさらさらと流れるので、ある意味手入れが楽だ。白いシャツを着て、ネクタイを結ぶ。首に紐状のものを巻く感覚は昔から体が覚えている。上着を羽織る。ボタンを留める。
鏡を見ると、知らない誰かが映っているようだった。金髪、整った顔立ち、青い制服。エルフとしての外見と、学園の制服が妙にマッチしている。
「起きた?」
アリアの声だった。彼女はすでに着替え終わっている。青色のブレザーに白いブラウス、グレーのスカート。女性用の制服は、少し華やかなデザインだ。金髪が制服に映えて、絵のような美しさがある。
「……綺麗だ」
思わず出た言葉だった。
「えっ?」
「あ、いや。制服が似合ってるなと」
「えへへ。セラも早く着替えてよ。時間あんまりないよ」
「わかった、わかった」
「ネクタイ、難しい?」
アリアが覗き込んでくる。
「こういう紐状のものを首に巻くのは……まあ、慣れてる」
「エルフってネクタイ文化あるの?」
「俺は……まあ、普通に締められる」
「ふーん。なんか手慣れてるね。不思議」
(不思議でもなんでもない。でも説明するのは難しいし、する必要もない。ただ、こういう細かいところでアリアが「不思議」と言ってくれる瞬間が、なんか好きだなとは思う)
「行けそう?」
「うん。準備できた」
「セラ、すごく似合ってる!」
アリアが声を上げる。
「……ありがとう」
「ふふ、照れてる」
「照れてない」
(照れてる。でも認めたくない)
「いよいよだね。入学式」
セラが改めて実感する。
「うん。魔法学園の学生。夢みたい」
アリアも頷く。
「夢じゃないよ。ちゃんと受かったんだから」
「でもなんか、まだ信じられなくて」
「俺もだよ。実感が湧くのは、授業が始まってからかもしれない」
二人は身支度を整え、宿屋を出た。
宿屋の廊下を歩いていると、宿主のおじさんが声をかけてきた。
「おや、今日は魔法学園の入学式か。おめでとう。制服、よく似合ってるよ」
「ありがとうございます」
「この宿に泊まってる子が学園に入るのは、久しぶりだな。うれしいねえ」
おじさんが目を細める。その表情には、本当の喜びがある。
(他人に喜んでもらえるのは、悪い気分じゃない。シンプルな喜びを示してくれる人は、何よりありがたい)
「学園でもよろしく頼むよ」
「はい、お世話になります」
## 学園へ
朝の王都は活気に満ちていた。
商人たちが店を開き、人々が通りを行き交っている。その中を、制服姿の二人が歩いていく。すれ違う人々が、チラチラと見てくる。
「ちょっと、注目されてない?」
セラが小声で呟く。
「うん。魔法学園の制服だからね。王都では、魔法学園の学生は尊敬されてる」
確かに、通りすがる人々が二人を見て、敬意を表している。一部の人が「おめでとう」「頑張ってください」と声をかけてくる。子供たちが指差して「魔法使いさんだ!」と声をあげる。
「嬉しいね。この期待、応えなきゃ」
「うん。一緒に頑張ろう」
(こんなに誰かに「おめでとう」と言われたのは、いつ以来だろう。存外、悪くない)
学術区への道を歩く。街路樹が風に揺れ、朝の空気が澄んでいる。遠くに、白い塔が見えた。
「また見ても、やっぱりすごいね」
アリアが言う。
「これが俺たちの学校か」
「私たちの」
「そうだね。私たちの」
俺は繰り返した。
(「私たちの」という感覚が、なんか大事な気がする。俺とアリアが、同じ目標に向かっている。その感覚が今日から形になる)
正門に近づくと、同じく制服を着た新入生たちが続々と入っていく。設備の整ったキャンパス、緑の木々、白い石造りの建物群。正門の石柱には、「王都魔法学園」と刻まれている。
「入学したんだ……本当に」
アリアが呟く。
「本当に。実感湧いてきた?」
「うん。建物見たら、急に。わくわくしてきた」
「俺もだよ」
正門をくぐる。石畳の道が、本館へと続いている。両脇に植えられた木々が、朝の光を柔らかく遮っている。石畳の感触が足元から伝わってくる。
(ここを、四年間歩く。古代エルフの謎を解くために)
## 入学式会場
大講義室は、入学式のために椅子が整然と並べられていた。
新入生たちが次々と入ってくる。様々な年齢、様々な種族。全員が同じ制服を着ているせいか、種族の違いより個性の違いが目立つ。緊張した表情、期待に満ちた表情、押し殺した興奮。様々な感情が部屋に充満している。
「席はどこでもいいのかな」
アリアが辺りを見回す。
「前の方に行こう。よく見えるし」
「え、そんなに前に行くの?」
「入学式、ちゃんと聞きたいし。後ろだと聞こえにくいかも」
(今回は違う。ここに来る意味がある。ちゃんと受け取りたい)
「……セラ、入学前からやる気だ」
「一ヶ月勉強したんだから、やる気になって当然じゃないか」
「そうだね。行こう!」
二人は前から三列目に席を取った。
周囲には、緊張した顔の新入生たちが座っている。隣の席には、活発そうな黒髪の男がいた。
「よ、エルフだ。俺、アズマ・レンっていいます。よろしく」
「セラ・ウィスパーウィンド。よろしく、レン」
「特例クラスで合格したって噂のエルフ、セラさんですか?」
「そうだよ。噂になってたの?」
「なってましたよ! 試験当日に魔水晶が爆発しかけたって」
(爆発しかけた……そこまで言われてたのか。まあ確かに装置が白熱したが)
「さすがに爆発はしてない」
「でもすごかったって、みんな言ってた」
「……そう」
(当の本人は普通にやっただけなんだが……)
教師たちが壇上に並んでいく。様々な年齢の教師たち。何人かは、強い魔力の気配を放っている。その中に、昨日事務局で会った職員の顔も見えた。
「みんな、すごい魔力を持ってるね」
アリアが小声で言う。
「エリートが集まってるんだろう。先生になるくらいだから」
「私たちも、四年後にはあんな感じになるのかな」
(四年後か。明確な目標がある。古代エルフの謎を解くこと。それが四年間の軸になる)
## 学園長の講話
静寂。
壇上に、一人の老人が登壇した。
白髪を後ろにまとめ、深緑色のローブを纏っている。その佇まいだけで、場の空気が変わった。圧倒的な存在感。誰も咳払いしない。
「学園長、エルスキン先生だ」
誰かが囁いた。
「王国一番の魔法使いって言われてる」
「入学おめでとう」
エルスキン学園長の声が、大講義室に響き渡った。低く、落ち着いた声だった。
「君たちは、王都魔法学園への入学を許可された。それは才能と努力の証だ。しかし、それは出発点に過ぎない」
セラはノートを準備するのを忘れた。ただ聞いた。
「この学園で、何を学ぶか。魔法理論か。魔法陣か。戦闘技術か。もちろん、それらは重要だ。しかし、もっと重要なものがある」
学園長が一度、沈黙した。
「問いを持つことだ」
大講義室が、完全な静寂になった。
「魔法とは何か。なぜ魔法は存在するのか。自分はなぜ魔法を学ぶのか。その問いを常に持ち続けること。答えを求め続けること。それが、この学園で学ぶ最も重要なことだ」
(問いを持つこと。……これは俺にとって、今一番大切なことだ。なぜ転生したのか。なぜ俺の魔力はこんなに高いのか。なぜアリアが近いと安定するのか。その問いを持ち続けることが、ここに来た理由だ)
「この学園には、百年の歴史がある。宮廷魔法使い、王立研究者、伝説の冒険者。多くの卒業生が、この場所から旅立った。かつての生徒の一人は、百年前にこの学園で古代エルフの魔法の研究をして、世界中で知られる魔法理論を打ち立てた」
(百年前の古代エルフ。また出てきた。試験の時にヴァイン教授も言っていた。百年前の転生者と言われる伝説の生徒。まさか同一人物じゃないよな……)
「君たちも、四年後、この場所から旅立つ。しかし今は、旅立ちではない。今日は、始まりだ」
静寂。
「歓迎する。王都魔法学園へ」
エルスキン学園長が一礼した。
大講義室に、拍手が広がった。
俺も拍手した。本気の拍手だった。
「すごかった……」
アリアが呟く。
「うん。……問いを持つこと、か。俺、ずっとそれをしてたんだな、気づかずに」
「セラ、なんか眼が輝いてる」
「そう?」
「うん。入学式の前より、輝いてる」
(今回は違う。ここに、本当に来たかった。本当に、ここで学びたい)
## 新生活の始まり
入学式の後、クラス発表があった。
大講義室の前に貼り出された名簿を全員で確認した。セラとアリアは「特例クラス・魔力研究コース」に指定されている。クラスの人数はわずか八名。レアな環境だ。
「私たち、同じクラスだね」
「そうだな。良かった」
「なんで良かったの?」
「別のクラスになったら、授業で話せないから」
「えへへ。セラ、素直」
(素直というか、事実だ。環境が変われば関係も変わる。でも今は——同じクラスで、同じ目標に向かえる)
「特例クラス、八人しかいないのか。少ないな」
「その分、先生との距離が近いんじゃないかな」
「少人数で深く学べるということか」
(少人数制は、それだけ個人に目が向く。今その環境にいる)
入学式の後、寮への移動があった。
寮の建物は、石造りの落ち着いた雰囲気で、窓からは緑が見える。入口で、寮母のテレサさんが待ち構えていた。五十代ほどの女性で、がっしりとした体格だが、笑顔が温かい。
「新入生の皆さん、ようこそ。部屋の割り当てを発表します。名前を呼ばれたら、こちらへ」
部屋番号が呼ばれていく。セラは二一四号室。アリアは二一五号室。隣同士だ。
(隣同士。いい。アリアが隣なら、何かあった時にすぐ声をかけられる)
「門限は夜十時です。それ以降の外出は禁止。朝食は七時、昼食は十二時、夕食は六時。食堂は一階です。何かあれば、私か副寮母に相談してください」
「はい、よろしくお願いします」
「何かわからないことがあれば、遠慮なく聞いてね」
テレサさんが温かく言う。
(こういう人が寮母でよかった。相談しやすい雰囲気がある)
二一四号室のドアを開けると、四人部屋の空間が広がっていた。ベッドが四つ、学習机が四つ、小さなクローゼット。窓から、木の緑が見えた。
「あ、先客いる」
ベッドの一つに、男子の荷物が置かれていた。
ドアから、同年代の男が入ってきた。黒髪で、少し細身。人懐っこそうな顔をしている。
「あ、どうも! ユリウスです。どこかで会いましたっけ……あ! 入学式の会場で見た! エルフさんですよね!?」
「セラです。よろしく」
「エルフさんと同じ部屋になれて光栄です! 魔法学園にエルフが入学するの、何年ぶりって聞いてて、すごく珍しいって話で!」
(元気な人だ。場が明るくなるタイプだ。こういう人がいると、新しい環境に馴染みやすくなる)
「そんなに珍しいの?」
「はい! 試験の結果もすごかったって噂ですよ。魔水晶が白熱したって!」
「白熱は……まあ、した」
(もうこの話題がデフォルトになっている。仕方ない)
もう一人のルームメイト、リクという眼鏡の男は、すでに机で本を読んでいた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。リク、もう予習してるの?」
「少し。最初の授業で遅れたくないので」
(まじめだ。学ぶべきところが多そう)
「夕食は食堂で、全寮生が集まりましょう」
テレサさんが廊下から声をかけてきた。
「はい」
荷物を整理してから食堂へ向かった。カトレアが別の寮に入っていることを、途中で知った。学園内で別のクラスに配属されているらしい。入学式の会場でちらっと見かけたが、話せなかった。
(カトレアがいないのは少し寂しいが、まあ学園内で会えるはずだ)
食堂はすでに賑わっていた。パン、スープ、サラダ、焼き魚。シンプルだが栄養のある食事だ。
「食堂のご飯、思ったよりおいしい」
女子寮から合流したアリアが言う。
「うん。毎日ここで食べるのか」
「そーそー! 学園生活、始まったね」
「始まったね」
(毎日同じ場所で食べることの積み重ねが、習慣になって、生活になっていく)
「明日から授業だね。最初は何の科目かな」
「時間割、もらったよ。一時間目は魔法理論だって」
「来た。いよいよだね」
「うん。楽しみ」
俺は素直に言った。
(楽しみ、と思える。それが今の俺には一番大事なことだという気がした。明日の授業が楽しみだ。古代エルフの謎が、少し近づく気がする)
「セラ、今日はよく眠れそう?」
「眠れると思う。充実してたから」
「そうだね。……充実してた。入学試験からずっと、充実してる」
「これからも、充実させよう」
「うん!」
アリアが笑顔で言う。
夕食が終わり、食堂が片付けられていく。
ユリウスが「明日も頑張りましょう!」と言いながら先に部屋へ戻り、リクは食堂で少し本を読んでから戻ると言った。
「カトレアさんに会いに行ってみようかな」
アリアが言う。
「別の女子寮だよね? 門限までまだ時間あるし、いいんじゃないか」
「一緒に来る?」
「俺が行くと、男子寮はとか言われないか?」
「共用スペースなら大丈夫だよ。ロビーで待ってれば会える」
女子寮のロビーで待つと、しばらくしてカトレアが降りてきた。学園の制服ではなく、私服のまま。ドワーフらしい頑丈そうな服装だ。
「おう、セラ! アリア! 入学式どうだったよ!」
「ギャハハ! と大きな声で来るのは学園でも変わらないんだね」
「ギャハハ! この声が私の商標だからな! どうだった、学園?」
「良かったよ。学園長の話が特に」
「私のクラスの先生は、少し厳しそうで……でも、魔法陣の専門家らしい。銀貨が稼げるなら厳しい先生も大歓迎だよ!」
(カトレアはいつでも金の話に収束する。それが彼女の羅針盤だ。でも、その一貫性が、なんか安心感につながる)
「部屋はどう?」
「四人部屋。ルームメイトはドワーフが一人、人間が二人。ドワーフが同じ部屋にいるのは嬉しいな! 話が合う!」
「良かった。俺の部屋はユリウスとリクという人間の二人」
「そうか。セラ、もし困ったことがあれば言ってくれ。ドワーフとして、友人は守る」
「ありがとう、カトレア」
(カトレアの義理堅さは本物だ。金の話ばかりしているが、仲間への情は誰よりも厚い)
「ところで、借金の話になるが……奨学金って、どのくらい出るんだ?」
カトレアの目が、一瞬光った。
「お前、奨学金に目をつけたの早いな……」
「当たり前だ。魔法学園の学費は銀貨百枚。これは借金返済に回す余裕がなくなる。奨学金で賄えるなら、それに越したことはない!」
「特例クラスなら特別奨学金が出るって言われた。詳細は明日事務局に確認する予定だけど」
「なんと! 特例クラス……いいなあ。私は普通の入試で通ったからな。まあ、私はドワーフとして別の強みがあるから!」
「カトレアの強みは商才だよ。在学中にクエスト経験も積めるから、稼げる機会はあると思う」
「そうだな! 学園でも稼ぐ方法を考えなければ! ギャハハ!」
三人で笑い声を上げた。
夜の女子寮ロビーに、笑い声が響いた。
「カトレア、今夜は何か困ったことなかった?」
「んー。ルームメイトが片付けできない人で、荷物が床に散らばってて困ってる」
「それは……言いにくいな」
「私が片付けるのも違うし、言ったら角が立つし。初日から関係を悪くしたくなくてさ」
「カトレア、そういうところ、ちゃんと考えてるんだね」
「当たり前だ。集落を再建するためには、人間関係も重要なんだよ。借金返済もそうだが、信頼関係なくして商売は成り立たない」
(カトレアの言葉、深い。「必要なもの」として、前向きに考えている。見習うべきところが多い)
「とりあえず、初日は様子見でいいと思う。数日経てば、その人のペースもわかってくるし」
「そうだな。急いで動くより、観察してから動く方がいい場合もある」
「ドワーフの格言に「石を積む前に、地盤を確かめろ」というのがある。人間関係も同じだ」
「いい格言だ」
「よし、今日はもう寝るよ。明日から授業だし、体調整えなきゃ」
「そうだね。おやすみ、カトレア」
「おやすみ! ギャハハ! 明日、学園で面白いことあったら共有してくれよ!」
「任せて」
カトレアが元気よく階段を上がっていく。ドワーフの足音が廊下に響いた後、静寂が戻った。
「明日もよろしくね、セラ」
「うん。おやすみ、アリア」
「おやすみなさい」
魔法学園の第一日目が、終わろうとしていた。
部屋に戻ると、ユリウスがすでに眠っていた。静かな寝息が聞こえる。リクはまだ机で何か読んでいる。窓から月明かりが差し込んでいた。
明日、授業が始まる。
(今日一日、いろんなことがあった。入学式。学園長の「問いを持つこと」という言葉。寮の部屋。ルームメイト。カトレアと再会。全部、ここから始まる物語の最初の一日だ)
眠る前に、窓の外を見た。王都の夜空。星が見えた。
(いい始まりだ)
ベッドに横になった。天井を見上げた。
今日一日を反芻する。
入学式の会場に入った瞬間の圧倒感。あの広さ、あの人数。種族の違いを超えて、同じ制服を着た人間たちが集まっている光景は、俺が今まで見てきたどの光景とも違った。王都で行き交う人々でも、冒険者ギルドの喧噪でも、森の隠れ里の静寂でもない。何かを「学ぶ」という共通の目的のために集まった人間たちの空気。それが、ここには確かにあった。
エルスキン学園長の言葉が、繰り返し頭の中で響く。
「問いを持つことだ」
(俺の問いは何か。なぜ転生したのか。なぜ俺の魔力がこんなに高いのか。百年前の古代エルフとの繋がりは何か。それが俺の問いだ)
問いが答えより重要だという感覚は、ずっと持っていた気がする。でも言語化できていなかった。今日、それに言葉が与えられた。「問いを持つこと」。それを大切にしろと、学園長が言った。
(ここに来て良かった。本当に良かった)
隣の部屋——アリアの部屋から、かすかに物音がした。まだ起きているのかもしれない。
薄い壁越しに声をかけようかと思ったが、やめた。アリアも今日の疲れをゆっくり消化しているのかもしれない。それぞれの時間がある。
月明かりが窓から差し込んでいる。
俺はゆっくりと目を閉じた。
(明日から授業が始まる。最初の授業は魔法理論だ。アリアに教わったことが、今度は先生から正式に教わる形になる。楽しみだ——そう思えることが、すごく大事な気がする)
リクが静かに本を閉じる音が聞こえた。
「セラさん、眠れましたか?」
「ほぼ」
「私もそうです。慣れない場所は、最初は難しいですね」
「リクは本を読んでたけど、何の本?」
「魔法陣の理論書です。古代エルフの魔法陣についての記述があると聞いて」
(古代エルフ。俺と同じことを調べようとしている)
「どこで聞いたの?」
「図書館の目録に載っていました。正式には明日から利用できるので、入学式後に確認しました。一階の奥、特別資料コーナーに基礎資料があるようです」
「教えてくれてありがとう。俺も興味がある」
「では、明日一緒に行きましょうか」
「うん、そうしよう」
リクが静かに灯りを消した。
暗闇の中、俺は再び天井を見上げた。
(リクは調べ屋タイプだ。俺が実践で動く方なら、リクは資料から攻める方。組み合わせとしては、悪くない。古代エルフの謎に、少しずつ近づける気がする)
目を閉じた。
眠りに落ちる前に、今日一日の輪郭がぼんやりと浮かぶ。カトレア、アリア、レン、ユリウス、リク。新しい環境。新しい人間関係。新しい問い。
全部、ここから始まる。
魔法学園の第一夜が、静かに更けていった。
翌朝、目覚めると部屋には朝の光が差し込んでいた。
ユリウスがすでに起きていて、制服に着替えながら「おはようございます! 今日から授業ですよ! 緊張しますね! でも楽しみですよ!」と矢継ぎ早に言った。
「……おはよう」
「セラさん、朝のテンション低いですね!」
「低くない。これが普通だよ」
「エルフって朝は弱いんですか?」
「そういうことはない」
(ただ朝に全力を出せるユリウスが特殊なのだと思う。あれだけのテンションが朝から出せるのは、ある種の才能だ)
リクはすでに洗面を済ませ、またノートに何か書き込んでいた。
「おはよう、リク。昨日の図書館の話、今日確認できそう?」
「昼休みか、授業後なら行けます。先生に聞いてから確認しましょう」
「わかった」
食堂に向かうと、アリアがすでにパンを食べていた。
「おはよう、セラ! ちゃんと眠れた?」
「眠れたよ。アリアは?」
「私も。なんかすごく充実した気分で眠れた」
「良かった」
パンとスープを受け取って、隣に座った。朝の食堂は騒がしく、新入生たちが互いを確認しながら食べている。初日の緊張が少し解けて、少しずつ声が出てきている。
「今日の一時間目、魔法理論だね」
「楽しみだよ。理論から始まるのか」
「ちゃんとついていけるかな」
「大丈夫。一ヶ月勉強した」
「そうだけど……先生が難しいとどうしよう」
「難しかったら一緒に考えよう」
「そうだね!」
アリアが笑顔を取り戻した。
(こうして朝ごはんを一緒に食べて、授業に向かう。それが日常になっていく。悪くない、と思った)
食堂を出ると、石畳の道が教室棟へと続いていた。朝の光が白い建物に降り注いでいる。木々の葉が揺れている。
魔法学園の、最初の朝だった。




