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神に楽しめと言われた。楽しみすぎて、神を超えた。  作者: issoh


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第74話 ダンジョン深層へ

# 第74話 ダンジョン深層へ


## 朝の出発


 ダンジョンでの初夜は、意外にもあっさり明けた。


 目を開けると、照明魔法具の青白い光が部屋を照らしている。石造りの壁、冷たい空気、遠くから聞こえる水滴の音。ここが地下であることを、全身が教えてくれる。


「おはよう、セラ」


 カトレアが入り口の脇で座り、周囲を警戒しながら微笑んでいた。夜通し起きていたはずなのに、その目に疲れはない。ドワーフの体力は本物だ。


「おはよう、カトレア。夜は大丈夫だった?」


「うん。静かだったよ。遠くからゴブリンの声が聞こえたけど、ここには来なかった」


「ありがとう。助かった」


「いいよ。ドワーフは夜目がいいし、魔物の気配も察知しやすいんだ。それより、セラはしっかり休めた? 今日も魔法を使うんでしょ?」


「うん。十分休んだ」


(言いながら少し体を動かすと、背中が痛い。石の床の上で寝るのは、冒険者修行中の今の俺が語ることではないが、正直つらい。でも言わない)


 カトレアが俺の顔を見て、少し笑った。


「顔に出てるよ、セラ。背中、痛い?」


「痛い」


「正直に言えるじゃん。最初より言えるようになったよね、自分の状態を」


「前は隠そうとしてた?」


「うん。最初の頃は何でも「大丈夫」って言ってたもん。でも最近は、ちゃんと「痛い」とか「怖い」とか言えてる。いいことだよ」


(正直に言えるようになった、か。ある時期まで俺は「大丈夫です」を口癖のように使っていた。大丈夫じゃなくても大丈夫と言い続けた。でも今は違う。「痛い」と言ったら助けてくれる相手がいる)


「ありがとう、カトレア」


「どういたしまして! さ、飯にしよう!」


「じゃあ、朝食!」


 カトレアが保存食を取り出した。乾パンと干し肉と水筒の水。過酷な環境での非常食だ。でも、今日も生きているという事実が、どんなメシよりもうまい調味料になっている。


「ねえカトレア、ドワーフの集落では朝ごはんって何食べるの?」


「熱いスープとパンが基本だよ。鉱山作業で体力を使うから、濃い肉と野菜の煮込みスープ。祖母の秘伝のスパイスが入ったやつで、それを食べると体が温まるんだよ」


「美味しそうだ。集落が再建されたら、飲ませてほしいな」


 カトレアの表情が一瞬、柔らかくなった。


「……うん。いつかきっと」


 静かな声だった。その声に込められた気持ちが、石造りの部屋に染み込んでいくようだった。


(カトレアにとって、集落の再建は単なる目標じゃない。帰る場所を取り戻す、ということだ)


「装備の確認をしよう」


 俺は立ち上がった。


 照明魔法具——半分くらい魔力が残っている。松明三本。回復薬二本。罠解除道具はカトレアが管理中。


「完璧だね。じゃあ、行くぞ。第二層へ」


「うん。二人で行って、二人で帰ってくる!」


「三人だったはずだけど、アリアは入口外で待機してるんだったね」


「そうだ。昨日の夜に見送ったじゃん。アリアは今頃、入口のテントで朝ごはん食べてるよ」


(そうだった。アリアは第一層までついてきて、昨日の野営まで一緒だったが、今朝は入口で待機することになった。戦闘向きじゃないからな。俺もそこは無理強いしない)


「行こう」


 二人は部屋を片付けた。ゴミを一か所にまとめ、野営の痕跡を残さない。これがダンジョン探索のマナーだと、ガトーから教わった。


「準備完了」


「うん。セラ、魔力の状態は?」


「十分回復した。昨日は回復薬を一本使ったけど、今日はなるべく温存したい」


「了解。じゃあ、カトレアが前衛で負担を引き受けるから、セラは温存しながら戦ってね」


「カトレアに全部押し付けるわけにはいかないよ」


「ギャハハ! 気にしないよ! 前衛が私の役割だからね! それに、ホブゴブリンの素材が高く売れれば、借金返済が大きく進む! 気合が違う!」


(借金返済が戦闘モチベーションになっている。ある意味で最強のモチベーションだ。月末の締め日前みたいな気合だ)


## 第2層へ


 階段を降りた瞬間、空気が変わった。


 第一層の薄暗い通路とは違う。天井が高くなり、通路が広くなり、そして——冷気が一段と強くなった。肌に刺さるような寒さだ。


「広い……」


 カトレアが見渡した。


「ここが第二層か」


「うん。第一層の三倍はあるね。古代ドワーフが大規模な採掘をしてた場所だよ。壁のツルハシの跡を見て——」


 カトレアが壁を指差した。確かに、岩に無数のツルハシの跡が刻まれている。何百年前かの作業の痕が、今も残っている。


「昔はここで、ドワーフたちが汗を流して働いてたんだよ。鉄や銅を掘り出して、笑顔で帰っていったんだ」


 カトレアの声が、わずかに揺れた。


 今は廃墟。魔物の住処。


(ドワーフにとって、ここは先祖の職場だ。それが荒れ果てている。先人が築いた場所が朽ちていく——その痛みは、言葉では言い表せない)


「カトレア、俺たちが手伝う。いつかカトレアの集落も再建する。こういう場所も、また安全にする」


「……ありがとう」


 短い答えだったが、その声に重さがあった。


「泣いてない。ドワーフは泣かない」


「泣いてないよ。俺も言ってない」


「ギャハハ! じゃあ進もう!」


 カトレアが前に出た。立ち直りは早い。ドワーフ魂だ。


 第二層は複雑な構造だった。通路が分岐し、部屋が多い。俺はチョークで壁に印をつけながら進んだ。左折なら「→←」、直進なら「↑」。地図とチョークの組み合わせが、迷子防止になる。


「感じない? 何かの気配」


 カトレアが立ち止まって言った。


「うん。感じる。第一層のゴブリンとは違う。もっと重い」


 魔力の感覚が警告している。前から、何かが近づいている。


「床の罠はどうかな?」


「確認する……ここは大丈夫。でも、次の角の先が見えない。警戒して」


 二人はゆっくりと角を曲がった。


 広場。


 第一層の通路とは比べものにならない広さだ。天井も高く、まるで地下の広場のようだ。中央には、かつての噴水跡があった。水は枯れているが、石の縁にドワーフの彫刻が残っている。ツルハシを持つドワーフたちの姿が、精巧に刻まれていた。


「ここは休憩所だったみたい。昔はここで、鉱山作業の休憩をしてたんだよ。水を飲んで、仲間と話して——」


 カトレアが彫刻を見ながら言った。声が少し柔らかくなった。


「今は誰もいない」


「でも、記憶は残ってる。石に刻まれた記憶が」


(カトレア、詩人みたいなことを言う。でも本当のことだ。先祖の記憶が、この石の中に残っている)


「来るぞ!」


 俺が叫んだ。


## ホブゴブリンとの戦い


 広場の暗闇から、巨大な影が現れた。


 でかい。


 ゴブリンより一回り大きい。身長二メートル。肩幅が広く、太い腕には鋭い爪。青黒い皮膚は傷跡だらけで、その目には——俺たちを餌と見る色があった。


「ホブゴブリンだ!」


 カトレアが叫んだ。少し後ずさったが、すぐに踏みとどまった。


「戦闘態勢! カトレア、前衛! 俺が後衛で魔法攻撃だ!」


「任せて!」


 ホブゴブリンが動いた。重心の低い突進——速い。あの巨体でこの速度は反則だ。


「カトレア、足を止める!」


「光よ、矢となれ。敵を射貫け——ライト・アロー!」


 光の矢がホブゴブリンの右肩に命中した。


「グガッ!」


 怯んだ。一瞬だけ。でも、倒れない。傷は負った——厚い皮膚が魔法を軽減している。


「効いてるけど、致命傷じゃない! もっと踏み込む! カトレア、右に回れ!」


「わかった!」


 カトレアがハンマーを構えて右へ。ホブゴブリンの視線が分散する。


 視線を引きつけている間に——


 俺は魔力を集中させた。足元から湧き上がる風の感覚。ライト・アローで怯ませ、ウィンド・エッジで仕留める。それが俺たちの作戦だ。


「ホブゴブリン、こっちを向け! 石砕き!」


 カトレアのハンマーが壁を叩いた。轟音が広場に響く。ホブゴブリンが音の方を向いた——その側面が、俺に向く。


 今だ。


「風よ、刃となれ。敵を裂け——ウィンド・エッジ!」


 風の刃が鋭く形成され、ホブゴブリンの左腕を斬り裂いた。


「グガアアアア!」


 痛みで怯んだ一瞬——


「今だ! カトレア!」


「いけーっ! 石砕き!」


 カトレアのハンマーが、渾身の力でホブゴブリンの胸元を叩いた。


 ドガン!


 地面が揺れた。ホブゴブリンがよろめき——倒れた。


 静寂。


「……倒した?」


「倒した! ギャハハ! ドワーフの腕前、見せてあげたよ!」


 カトレアが胸を張った。


(あのハンマーの一撃、すごかった。俺の風刃で怯ませた瞬間を見逃さなかった。二人の連携が、あの巨体を仕留めた)


 俺は息を整えた。思ったより魔力を使った。ホブゴブリンは、ゴブリンとは全然違う。それを確認できただけでも、今日は収穫だ。


「魔力、どのくらい残ってる?」


「六割くらい。でも、ホブゴブリン二体目と戦ったら怪しくなる」


「無理しないでよ。引き際が大事だからね」


「わかってる」


 ホブゴブリンの素材を回収した。牙、皮膚の一部、そして小さな金の首飾り。


「金の首飾り! これ、銀貨三十枚はするよ!」


「なんでホブゴブリンが金の首飾りを?」


「盗んだんでしょ。ホブゴブリンは知能がある分、人間の商品を盗む癖があるんだよ」


(盗品を持つホブゴブリン。倒したから我々のものだ、という理屈でいいだろう)


## 古代の壁画


 ホブゴブリンを倒した後、通路を進んでいると、カトレアが突然立ち止まった。


「セラ、見て」


 壁の一面に、何かが描かれている。


 照明魔法具を近づけた。ツルハシの傷跡ではない。精緻に、意図を持って刻まれた——壁画だ。


 縦一メートル、横二メートル。岩の表面を彫り込んで作られたその絵は、長い年月を経てもなお、輪郭が鮮明に残っている。描かれているのは、木々の中に立つ細身の人物。その人物の周囲に、渦を巻くような模様が広がっている。


「これ……ドワーフの作じゃない」


 カトレアが呟いた。


「ドワーフの彫刻は直線と幾何学模様が基本。でもこれは曲線ばかり。生き物みたいに流れてる」


「エルフの作か?」


「たぶん。ドワーフの地下にエルフの壁画——ここが共同作業の場所だったって、本当なんだね」


 俺はもっとよく見ようと、壁画に顔を近づけた。


 その人物の顔の部分に、細かい文字が刻まれている。古代エルフ文字だ。読めない——でも、どこかで見た文字の形をしている。


「カトレア、下の文字、読める?」


「ドワーフ文字じゃないから無理。でも……上に別の文字がある。古代ドワーフ文字の翻訳らしき」


 カトレアが額をしかめながら読む。


「えーと……『風と水の精霊が守る場所、二つの民が誓いを立てた地』……かな。解読が合ってれば」


 (風と水の精霊。エルフの魔法の属性と符合する。そして二つの民——エルフとドワーフが、ここで何かを誓った?)


「この人物、誰だと思う?」


 俺は壁画の中心の人物を見た。エルフのような細身の輪郭。手を差し伸べている姿勢。その手の先には、上に向けて伸びる光のような模様がある。


(光の矢……? ライト・アロー——)


 思わずそう重ねてしまった。形が似ている。俺があの重力の罠を解除した時に放った、細く鋭い光の矢。


「セラ、顔色が変わった」


「ちょっと考えてた。この人物が放ってる光——昨日の、俺の魔法に似てる気がして」


 カトレアが壁画を見直した。


「……確かに」


 二人は少しの間、壁画の前に立っていた。遠くで水滴が落ちる音。松明の炎が、石の表面に揺れる影を作る。


「記録しておこう。これ、長老への手紙に書く。エルフとドワーフが共作した壁画が残っているって」


「うん。これは残しておくべきものだ」


 俺は地図の隅に「壁画・共同作業の跡」と書き込んだ。インクが羊皮紙に染み込む。この発見が、記録に残る。


## ボス級との遭遇


 ホブゴブリンを倒した後、俺たちは奥へ進み続けた。


 第二層の深部に向かうにつれて、空気が重くなっていく。魔物の気配が、より濃くなっていく。


「ここまでにしようかな」


 俺は少し立ち止まった。


「まだ行ける?」


「魔力が五割を切ってきた。緊急時のために温存したい」


 その時——


 ドドドドドド。


 地鳴りがした。


 壁が揺れた。


(な、なんだ!?)


 前方の暗闇から、赤い目が二つ光った。


 それだけで、わかった。


 でかい。大きすぎる。


 照明魔法具の光が、その姿を照らし出した。


 身長四メートルを超える、巨大な体。岩のような筋肉、鉄の鎧を着ているかのような皮膚。そして——赤く光る目が、俺たちを見下ろしていた。


「オーガ・ロード……」


 カトレアが囁いた。声が震えていた。


 俺も震えた。


(無理。これは無理だ。あの威圧感は別格——空気が変わる。生命の危機を全身が叫んでいる)


「撤退する」


 俺は即断した。


「え、戦わないの?」


「戦えない。俺の魔力が五割以下で、カトレアも疲れてる。これは今の俺たちじゃ無理だ」


「でも、この先に何かある——」


「カトレア」


 俺は静かに言った。


「冒険者の鉄則は何だ?」


「……無理をしない。引き際を知る」


「そうだ。今日のオーガ・ロードは、俺たちの今の実力では倒せない。それは事実だ。でも、情報は得た。次は準備して挑む。それが正しいやり方だ」


 オーガ・ロードがゆっくりと近づいてくる。


 ドドドド。


 足音のたびに床が揺れる。


「走れ!」


 二人は来た道を全力で逃げた。


 チョークの印が、俺たちを正確に導いてくれた。


 オーガ・ロードが追いかけてくる音が背後に響く——が、通路が狭くなると、巨体は通れなくなったのか、足音が遠ざかった。


「……行かれなくなった」


 カトレアが息を切らしながら言った。


「通路が狭くて、追いかけてこれなくなったんだ」


「よかった。逃げる判断が正しかった」


(チョークの印がなければ、迷路の中で追い詰められていた。冷静に印をつけておいた過去の俺に感謝する)


 通路を走りながら——ふと、何かが聞こえた気がした。


 後ろからじゃない。正面でも、上でもない。


 どこかから。どこでもない場所から。


「——次は楽しめ」


 低く、でも穏やかな声。性別がわからない。年齢がわからない。でも——確かに聞こえた。


 俺は走りながら、一瞬だけ動きが止まりかけた。


「セラ、何してる!」


 カトレアが振り返って叫んだ。


「いや……なんか声が聞こえた気がして」


「今は逃げる時だよ! 後で考えて!」


「——そうだな!」


 俺は再び走った。


(次は楽しめ——誰の声だ。オーガ・ロードじゃない。ダンジョンの壁が囁いたのか? それとも俺の思い込みか? わからない。でも——その声には怒りも焦りもなかった。まるで先輩が後輩を見守るような——)


 考えている場合じゃなかった。足が止まれば死ぬ。


 俺たちは第二層の通路を早足で進んだ。チョークの印が道標になり、迷わずに階段まで戻ることができた。


「やっぱり印をつけておいて正解だった」


「うん。ドワーフの慣習は偉大だよ」


 第一層まで戻ると、少しだけ息が楽になった。オーガ・ロードの気配はもうない。第二層と第一層の境目に、暗黙の縄張りがあるようだ。


「少し休もう」


「うん。立ち止まる前に安全確認——ここは大丈夫」


 カトレアが床と周囲を確認してから、俺たちは通路の脇に座った。


「水を飲もう。脱水になると判断力が落ちる」


「さすが、セラは冷静だね」


「冷静じゃないよ。手が震えてる」


「え、本当に?」


「ほら」


 俺は手を差し出した。確かに、微かに震えていた。


「……でも、体は動いた。判断できた。それが大事だよ」


 カトレアが静かに言った。


「ドワーフの先輩が昔言ってた。『怖くない鉱夫は、危険を知らない鉱夫だ』って。怖さを知ってるから、準備できる。怖さを知ってるから、引き際がわかる」


 俺は手の震えを見ながら、その言葉を噛みしめた。


(怖さに素直に従って撤退した。それが正しい判断だった。怖さは、生きるための信号だ)


「次に行く時は、もっと準備する。オーガ・ロードの情報を集めて、弱点を調べて——」


「そして俺が魔法でヤツをぶっとばす」


「ギャハハ! それが正しい答えだよ!」


「セラ、すごかったよ。あの場面で即座に撤退の判断ができた」


「自分の実力を正確に把握することも、冒険者の実力だよ。ガトーさんが言ってた」


「撤退のタイミングで生死が分かれるって?」


「そう。死にたくなければ、引き際を知れ」


(撤退できない者は、いずれ全部失う。それはどの世界でも変わらない教訓だ)


## 生還


 ダンジョンの入り口が見えた時、俺は思わず足を止めた。


 光だ。


 地上の、本物の光。


 夜明けの空が、入り口の向こうに広がっている。青みがかった空に、星がまだ残っている。冷たいが、新鮮な空気が肺を満たした。


「生きてる……」


 俺は呟いた。


「生きてるよ! ギャハハ!」


 カトレアが笑った。その笑顔が、ダンジョンの暗闇で張り続けた緊張を解いてくれた。


 入り口のテントから、アリアが飛び出してきた。


「セラ! カトレア! 無事だった!?」


「無事だよ、アリア」


「よかった……! 心配してたんだから! 二人とも遅くて、もう何時間も待って……」


 アリアの瞳が潤んでいた。


「ごめん、心配させた」


「もう! 次からは私も連れてって!」


「それはダメだ。アリアには役割がある」


「役割って何よ!」


「待っていてくれること。帰ってきた時に、迎えてくれること。それが一番大事な役割だ」


 アリアが少し固まった。


 それから、少し赤くなった。


「……そういうこと言うから、心臓に悪いんだよ」


「えへへ、セラ、うまいこと言ったね!」


 カトレアが笑った。


(うまいこと言ったつもりはないんだが、まあいいか)


 俺は外の空気を大きく吸った。


 ダンジョンに入ってから、どのくらい経ったか。体感より長い時間が過ぎている気がする。疲れている。でも、達成感もある。


「成果は?」


「ホブゴブリンを一体倒した。オーガ・ロードを確認して、撤退した。マッピングは第一層と第二層前半まで完成した。金の首飾りも手に入った」


「オーガ・ロード!? それは……」


「今の俺たちじゃ無理だった。でも、次は必ず倒す」


「次のために撤退したんだよ!」


 カトレアが力強く言った。


「うん。今日の経験は無駄じゃない。オーガ・ロードの強さを知った。弱点を探す手がかりもある。次はもっと準備して挑む」


 俺は振り返って、ダンジョンの入り口を見た。


 巨大な口のような入り口が、暗闇の中に広がっている。


(また来る。もっと強くなってから。次は絶対に勝つ)


「さあ、王都へ帰ろう」


「宿屋のご飯が待ってる! ダンジョンの保存食から解放されるんだから、もう何でもご馳走に見えるよ!」


「アリア、私は料理してないよ?」


「ギャハハ!」


 三人で笑いながら、俺たちは王都への道を歩き始めた。


 背後のダンジョンが、少し遠ざかっていく。


 また来る。


 それだけは確かだ。


 王都への道を歩きながら、俺は今日のことを整理した。


 第二層に踏み込んだこと。ホブゴブリンとの戦闘で、詠唱が自然に短くなっていることを実感したこと。そしてオーガ・ロードとの遭遇——あの圧倒的な威圧感は、まだ体に残っている。


「セラ、魔法の感覚、変わってきた?」


 カトレアが歩きながら聞いた。


「うん。詠唱が短くなってきた。意識して省いてるんじゃなくて、自然と魔力が動く感覚がある」


「それって、すごいことだよ。ドワーフの鍛冶職人でも、同じことが起きるんだ。最初は手順を全部意識しなきゃいけないのに、慣れてくると体が覚えて自然に動く」


「職人の感覚と魔法使いの感覚が似てるの?」


「根っこは同じだと思う。反復と経験で、技が体に馴染む。それだけのことじゃないかな」


(反復と経験。魔力の流れを体に覚えさせる。詠唱は魔力を束ねる手順で、その手順が内側から湧いてくるようになれば——無詠唱への道が開ける)


「俺、もっと強くなれると思う」


「当たり前だよ! まだまだ伸びしろがある! 次はオーガ・ロードも倒せるくらいに成長しよう! そしたら素材が高く売れて、借金が——」


「カトレア、最終的に必ず借金に帰着するね」


「だって大事だもん! ドワーフとして、借りたものは返すのが鉄則なんだよ!」


 三人で笑い合いながら、王都の城壁が見えてくる。


 白く輝く城壁。人が行き交う門。商人の声、馬のいななき、鐘の音。


 生きている世界の音だ。


「帰ってきた」


 俺は呟いた。


「帰ってきたね」


 アリアが俺の腕に寄り添った。


 ダンジョンでの経験が、俺を少し変えた。強さだけじゃなく、仲間の大切さ、引き際の大切さ、そして——生きて帰ることの大切さを、体で学んだ。


 次は、もっと強くなって戻ってくる。


(「次」という言葉が、本当に自然に出てくるようになった。次が楽しみだ。次に何が待っているかを考えるだけで、ちょっとワクワクする。これが冒険者になってから一番大きく変わったことかもしれない)


 オーガ・ロード、待っていろ。


「セラ、今なんかニヤニヤしてた」


 アリアが横から言った。


「してた?」


「してた。ちょっと怖い顔してたけど、口の端が上がってたよ」


「それ、喜んでるんだか怒ってるんだか……」


「どっちだったの?」


「喜んでた。次が楽しみで」


「えへへ、セラらしいね。私も楽しみ」


「カトレアは?」


「借金返済まで全部楽しみ!!」


 三人で笑い合いながら、ゆっくりと門をくぐった。


 王都の喧騒が、温かく出迎えてくれた。熱気と声と音が混ざり合う、賑やかな場所。ここが、今の俺たちが帰ってくる場所だ。


(帰る場所がある。帰ってきた時に笑顔で迎えてくれる仲間がいる。それが、こんなにも大きな違いだったんだな)


 (それと——あの声。次は楽しめ。誰だったんだ。あの声には、焦りも怒りもなかった。ただ、見守るような温かさがあった。ダンジョンが俺に話しかけた? それとも、もっと別の何かが——)


 考えても答えは出ない。でも、忘れられない声だった。


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