第71話 女騎士との遭遇
# 第71話 女騎士との遭遇
## 新しいクエスト
朝のギルドは、すでに人でごった返していた。
……いや、ごった返しているというか、それが普通なのか。冒険者ギルドとはそういうものだ。騒がしくて当然。臭くて当然。朝から酒を飲んでいる奴がいても当然。
(あの感覚、慣れた。慣れてしまった)
「おはよう、セラ!」
アリアがぐいっと腕に抱きついてきた。金髪が揺れて、ふわっと森の匂いがする。毎朝これをやってくるので、免疫がつくかと思ったが——まだついていない。
「お、おはよう。アリア」
声が少し裏返った。情けない。
「今日はどんなクエストにするー?」
クエスト掲示板に視線を向けるアリアの瞳が、子供みたいにキラキラしている。こいつはいつも朝から元気だ。
「東の街道警護クエスト、興味があるんだ」
俺は掲示板の一枚を指差した。
「東の街道警護……難易度E、報酬銀貨十五枚。期限は三日間」
アリアが読み上げる。声が少し真剣になった。
「最近、東の街道で奇妙な光が出現するらしい。商人が倒れたとか、地響きがするとか」
「へぇ、面白そうね」
「……面白そう、って反応する? 普通は怖いんじゃ」
「セラと一緒なら大丈夫でしょ?」
(それはそれで重圧なんだけどな)
受付カウンターに向かうと、ミサキが二人に気づいて笑顔を向けてきた。栗色の髪が揺れ、大きな瞳が輝いている。この子は毎日なぜこんなに元気なんだろう。
「あ、セラさん、アリアさん! おはようございます!」
「おはよう、ミサキさん。東の街道警護クエストを受けたい」
「えっ、東の街道ですか?」
ミサキの表情がすっと真剣になった。
「実は……先週、王宮近衛騎士団のパーティが調査に行ったんです。団長のミサト様が率いていましたが、何も発見できなかったらしくて」
「王宮近衛騎士団?」
俺の耳がピクリと動いた。エルフの耳は正直すぎる。
「はい。団長のミサト様は王国でも有名なSランク騎士で、強力なんですが、性格が少々……」
ミサキが口を濁した。その表情が「言いにくいですよ」と雄弁に語っている。
「性格が?」
「……実際にお会いになれば、わかると思います」
(含みがある。ものすごく含みがある。「あの人、仕事はできるんだけど……」ってやつだ。ろくなもんじゃない)
クエストカードを受け取り、二人は出発準備に入った。
「ねえ、セラ。ミサトって人、どんな人かな」
「さあ。会えばわかるだろ」
「怖い人だったら嫌だなぁ」
「俺もそう思う」
クエストカードを手に依頼書の詳細を頭に入れた。東の街道。宿場町「旅路の憩い亭」まで。期限は三日間。奇妙な光の原因究明と、商人が倒れた件の確認。
ギルドを出ると、朝の空気が清々しかった。石畳の道を石造りの建物が囲んでいて、朝市の屋台から焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。馬が走っている。毎日見ても、まだ慣れない。
「セラ、出発の前に朝ごはん食べていく?」
「うん。屋台のパンでいいか」
「え、もっとちゃんとしたもの食べようよ」
「三日間の道中もあるんだから、今のうちにしっかり食べよう、ってこと?」
「そう! 当たり前でしょ?」
(この幼馴染は、いつも「当たり前でしょ?」って言うんだよな。当たり前じゃないことが多いんだが)
近くの食堂でスープとパンと焼いた卵。異世界の料理は独特の風味がある。エルフの体になってから、味覚が少し鋭くなったのか、スープのハーブの香りが複雑に感じられる。
「おいしいね」
「うん。旅に出る前の朝ごはんって、なんか特別だよね」
そして俺たちの予感は、この後、見事なまでに的中することになる。
## 街道での遭遇
東の街道は、王都から一直線に伸びる土の道だ。
両側に牧草地が広がり、白い羊の群れが草を食んでいる。空は青く、雲はゆっくりと流れている。のどかだ——RPGのフィールドマップに近い。ただし徒歩で、冒険者装備を身につけているので、それほど気楽でもない。
「わぁ、広いねぇ」
アリアが感嘆した。金髪が風に揺れる。
「うん。王都暮らしに慣れると、こういう景色が新鮮だ」
(埼玉の田舎道を思い出す——いや、俺には関係ない話だ)
しばらく歩くと、アリアが「あれ見て」と指を差した。牧羊犬が羊の群れを見守っている。のどかな光景だ。
「かわいいね」
「うん」
(犬を見てのどかな気分になっている俺は、完全にこの世界に馴染んでいるのかもしれない。半年前なら「犬だ」で終わっていた。今は「のどかだ、いいな」って思う。変わったな、俺)
草の匂いが濃い。空は透き通るように青く、雲は高い。風が吹くたびに牧草がさざ波のように揺れる。王都にいるときには感じられない、広さだ。
馬車が通り過ぎるたびに、御者から軽く挨拶される。王都の喧騒とは違う、のんびりした空気がある。
「街道の人たち、優しいね」
「旅人に対して友好的なのは、ここらが安全だからだよ。……まあ、今は奇妙な光の件もあるけど」
「安全……なのかな」
「まあ、それが今回のクエストだし」
街道を歩き続けていると——
カラン、カラン、カラン。
鎧の音が聞こえてきた。
俺の耳がピクリと動く。一つじゃない。複数の鎧が、リズムよくぶつかり合っている。整然としたリズムだ。訓練された集団の足音だ、これは。
「誰か来る」
「あ、ほんとだ。……騎士!?」
アリアが少し声を上げた。
前方から、整列した騎士たちの隊列が近づいてきていた。その数、十五人ほど。全員が鎧を身にまとい、胸には王国の紋章——剣と盾を交差させた紋章——が輝いている。日光を反射した鎧が、行進する太陽のように見えた。
「王宮近衛騎士団……」
「すごい威圧感……!」
アリアが俺の後ろに隠れた。
確かに。遠くからでも伝わってくる。本物の戦士の集団だ。命がかかっている感じがある。
俺たちは街道の脇に寄って、騎士たちを通すことにした。
カラン、カラン、カラン。
鎧の音が波のように二人を包み込んでいく。騎士たちは一切乱れない整列で進んでくる。その先頭に——
一人の女騎士がいた。
長い黒髪が風になびいている。兜を外しているので顔が見えた。切れ長の目、高い鼻梁、引き締まった唇。整った顔立ちだが、その表情は冷徹そのものだ。周囲を射抜くような鋭い視線が、街道を歩く全員を等しく見下している。
「……女騎士だ」
アリアが呟いた。
女騎士はすれ違いざまに、ちらりと俺たちに目を向けた。
一瞬だった。
でも、その一瞬に込められた侮蔑の色を、俺は見逃さなかった。
(あの人が、ミサトか)
なるほど。ミサキが口を濁したわけだ。
カラン、カラン、カラン……
鎧の音が遠ざかっていく。
「……なんか、怖かった」
アリアが少し震える声で言った。
「俺もそう思う」
(でも、絶対あとで絡んでくるタイプだ。どこでも一人はいる。話しかけてこないけど、絶対あとで何か言ってくる人。ミサキが口を濁したのも頷ける。あの目が「お前らみたいな弱い奴がここに来るな」と語っていた)
すれ違いざまに浴びた視線が、まだ皮膚に残っている気がした。
俺たちは街道を進み続けた。風が草原を撫でていく。羊の鳴き声が遠くから聞こえる。
「セラ、あの騎士たちってどんな訓練してるんだろう」
「毎日のように実戦訓練をしてるはずだ。ギルドの冒険者と違って、組織として動く訓練もある」
「強いんだね」
「うん。あの整列を見るだけで、並大抵の訓練じゃないってわかる」
(自衛隊の行進みたいなもんだよな——いや、その比喩ももう封印しよう。ここが現実だ)
「俺もいつかあんな風になれるかな」
「セラなら絶対なれるよ! 魔力だって平均の五倍以上あるんだから!」
「魔力が多いだけじゃ、騎士にはなれないよ。経験と訓練が必要だ」
「でも、セラはすごいもん。無詠唱で魔法も使えるし、状況判断も的確だし。ギルドの人たちだって、セラのこと認めてるじゃん」
「……ありがとう」
アリアの言葉が、少し照れくさかった。
(素直に受け取れる。自分が変わったんだな)
## 女騎士ミサト
街道を半時ほど歩いたところで、石のベンチを見つけて休憩した。
水筒から水を飲む。冷たい水が喉を通り、ほっと一息つく。街道歩きというのは、意外に体力を消耗する。
「あとどのくらいかな?」
「クエストカードによると、宿場町まであと五キロほど」
「頑張ろう」
アリアが立ち上がろうとした、その時だった。
「おい、そこのエルフ」
鋭い声が、空気を切り裂いた。
振り返ると——あの女騎士が立っていた。一人で。部下たちから少し離れた場所で、冷たい目でこちらを見ている。
「え、あたし?」
俺は思わず自分を指差した。
「そうだよ。お前だ」
ミサトはずかずかと街道を横切り、二人の前に立ちはだかった。近くで見ると、さらに整った顔立ちだ——が、その表情は完璧に不機嫌だった。
(いきなり威圧的だな。前の会社の怖い上司より怖い。……いや、それはもういい。とにかく、怖い)
「何か?」
俺は努めて冷静に聞いた。
「お前たちは、このクエストを受けているエルフか? 街道警護の?」
「ああ。東の街道警護クエストで」
「ランクは?」
「Fランク」
ミサトの眉がわずかに動いた。
「Fランク。……はあ」
その「はあ」に、十トン分の侮蔑が詰まっていた。
「こんな場所に、Fランクが来るとは思わなかった。命が惜しくないのか?」
「危険かどうかも、調べてみないとわかりませんから」
「薄い答えだ。先週、我々が調査に来て何も見つからなかった。お前らにわかるとでも?」
(先輩が失敗したことを後輩に「お前にできると思うか?」って言う——それ、なかなかのパワハラだぞ)
「俺たちは俺たちで調べます。誰かが失敗したからといって、全員が失敗するわけじゃない」
「生意気な口をきくな」
「失礼なのはどちらですか」
ミサトの目が、少し細くなった。
## 口論
「エルフのくせに、戦士の真似事をするな。お前らの役割は魔法だろう。こんな危険な場所に、Fランクで突っ込んでくること自体が間違いだ」
言葉に棘がある、なんてもんじゃない。刃だ。
(……わかってる。わかってはいる。俺たちが弱いのは事実だ。でも、だからといって、何も挑戦するなというのは違う。弱いから動くな、弱いから黙ってろ。そういう論理で世界が動いたら、誰も最初の一歩を踏み出せない)
「失礼!」
アリアが怒って声を上げた。
「セラは必死に頑張ってるんだから! あなた、何様なの!?」
「おや、強気な娘だ。エルフの女はもっと従順であるべきだろう」
「誰がそんなこと決めたの!?」
「アリア」
俺はアリアの肩に手を置いた。
(落ち着け俺。こういう挑発に乗っちゃいけない。クレーマーに感情的になったら負けだ。ただし、言いなりになっても負けだ)
「ミサトさん」
俺はミサトと正面から向き合った。
「俺たちは冒険者だ。ギルドに登録して、正規のクエストを受けている。誰かに依存もしていないし、誰かの邪魔もしていない。それのどこが問題なんですか?」
「問題は、お前らが弱すぎるということだ。こういう場所でFランクが動き回ると、犠牲が増える。我々が救助に来なければならなくなる」
「それは俺たちが決めることじゃないですか。俺たちは自分の命に責任を持っています」
「命の価値がわかっていない者が、そんなことを言う資格があるのか?」
胸の奥で、何かがぶつりと切れた。
「──あなたが決めることじゃないと思います」
静かに、でもはっきりと言った。
(怒鳴ったら負けだ。感情的になったら負けだ。落ち着け)
「エルフが口答えするとは」
「口答えじゃなくて、正当な反論です」
「可笑しい。お前、Fランクだと言ったな。それで俺に正当な反論ができると?」
「ランクと発言の権利は関係ないはずです」
ミサトが少し眉を上げた。驚いたのか、それとも呆れたのか——判断できない。
「一つ聞くが、エルフ。お前は何のために冒険者になった?」
「……人々の役に立つためです。そして、強くなるために」
「金のためではないのか?」
「金は必要ですが、それだけが目的じゃない」
「ほう」
ミサトが少し黙った。
(一瞬、何かを考えるような顔になった。この人、感情が表情に出ないタイプだけど、目は正直だ)
ミサトの目が、少し揺れた気がした。
「……チッ」
短い舌打ち。
(目が動いた。一瞬だけ。「この子は本気で言っている」と気づいた顔だ。鋭い人間は、相手の本気を感じ取る。……こいつは確かに、強い)
「騎士たちが止める前に、さっさと行けよ。子供の相手をしている暇はない」
「こちらも同じです」
ミサトが踵を返しかけた、その時——
「……困ったことがあれば、助けてやる」
振り返らずに、ミサトが言った。
その言葉だけは、不思議なほど棘がなかった。
(……なんだそれ。散々馬鹿にしておいて、最後に助けてやるって。そういう人間、いるんだよな。厳しくて怖くて失礼で、でも本当は誰かを見捨てられない。あの「困ったことがあれば」は、本心だ。言いたくなかったかもしれないけど、出てしまった言葉だ)
## 別れ
カラン、カラン、カラン。
騎士たちが再び整列し、街道を西へと去っていく。
ミサトはその先頭に立ち、一度だけ振り返った。鋭い目が、一瞬だけ俺たちを捉えた——それだけだった。次の瞬間には、もう前を向いていた。
「……行っちゃった」
アリアが少し肩の力を抜いた。
「うん」
「……性格悪いね、あの人」
「だな」
「でも、最後の一言は……なんか変だったね」
「そうだな」
去っていく騎士たちの背中を見送りながら、俺は何か引っかかりを覚えていた。
(あの人、ただのイヤな人じゃないな。何かある。最初は怖くて嫌いだった人が、あとから話してみると実は良い奴だった——そういうパターン、けっこうある)
「セラ、顔が赤い」
「暑いんだよ。街道が」
「そうかなぁ」
「そうだ」
アリアが少し笑った。楽しそうに笑った。
「ふふ、セラ、あの人のこと気になってるんでしょ」
「全然」
「絶対気になってる」
「全然気になってない」
「口論して、顔赤くして、それで気になってないは無理があるよ?」
(こいつは……天然のようでいて、なかなか鋭い。怖い)
「気になってたとしても」
俺は少し間を置いた。
「それが何か問題でもあるか」
「え?」
アリアが少し驚いた顔をした。
「強い人を気になると思って何が悪いんだ。俺は冒険者だ。強い人間には興味がある。それだけだ」
「……そっか。まあ、そうだね」
アリアが少し考える顔をした。
「でも、セラが女の人に興味持つの、珍しいよね」
「別に女の人に限らず、強い人には興味があるよ」
「ふうん」
アリアがなぜか少しだけ不満そうにした。
(え、なんで不満そうに? 俺、何かまずいこと言った?)
「……アリア、どうした?」
「何でもないよ」
「絶対何かある」
「何でもない! 進もう!」
(女の子の「何でもない」は何でもないことがない)
「とにかく!」
俺は少し早足になった。
「クエストを進めよう。奇妙な光の調査だ。宿場町まであと五キロ。日が暮れる前に着かないと」
「はーい」
アリアが笑いながらついてくる。
東の街道はまだ続いている。牧草地が広がり、風が草を揺らしている。遠くの丘に、木立が小さく見えた。あの向こうに宿場町があるはずだ。
(あの騎士、ミサト。ただの感じ悪いやつじゃない。確信がある。……まあ、当分は会わないと思うけど)
そう思いながら歩いていると——俺の胃の腑が、それはまったく根拠のない楽観だと、すでに察していた。
「……なんか嫌な予感がする」
「え、どうしたの?」
「いや。なんでもない。進もう、アリア」
「はーい! セラと一緒なら、どんなクエストでも大丈夫!」
アリアが俺の腕に抱きついた。
そのまま二人は東の街道を進んでいった。
女騎士との、本当の意味での再会は——まだ先のことだ。
でも、宿場町への道の手前、石橋を渡ったところで——俺は立ち止まった。
道の端に、複数の人影が固まっている。揉め事だ。大きな男が三人。そして、その中心に——
(……ミサト?)
女騎士が、一人だった。部下の騎士たちはいない。そこを、荒くれた旅人風の三人が取り囲んでいた。「騎士様よ、一人で寂しくないか」という声が、風に乗って聞こえてきた。
(やめろ。行くな。あいつは俺のことが嫌いだ。俺だって好きじゃない)
足が、止まらなかった。
「その人から離れろ」
声が出た。怒っていた。明確に、怒っている。
男たちが振り返る。
ミサトが振り返る。
「……なんで、来た」
ミサトの声は、平静を装っていた。でも一瞬だけ、その目が揺れた。
(こいつ……ちょっとだけ助かってた。言わないけど)
「俺には関係ない、か」
「……そうだ。関係ない」
「今日だけは関係あることにする」
三人の男たちは俺とミサトを交互に見て、ざわざわと後退した。銀髪のエルフが魔力を帯びているのが見えたのかもしれない。一人が小声で「エルフの魔法使いか……」と言って、三人はそのまま足早に立ち去った。
騒ぎが収まった後、ミサトは何も言わなかった。しばらく、前を向いたまま立っていた。夕日が女騎士の横顔を赤く染めていた。
「……礼を言う必要があるのか」
「ない。俺がそう思っただけだ。お前には関係ない」
ミサトが踵を返した。振り返らずに言った。
「……宿場町では、知らないことにする」
「こちらも同じだ。今日のことは、今日だけのことだ」
ミサトが去っていく。俺は、少し呆けた顔でその背中を見送った。アリアがぽかんとした顔でこちらを見ている。
「……セラ、今の、なに?」
「なんでもない。進もう」
(あいつは好きじゃない。でも——それだけじゃない。なんだろうな)
宿場町「旅路の憩い亭」に着いたのは、夕方だった。
小さな宿場町だ。旅人向けの宿が二、三軒。商人の店が数軒。泉のある広場。それだけの規模だが、旅の途中の休憩地として機能している。
「着いたね!」
「うん。日が暮れる前に着けた。まずは宿を確保して、情報収集だ」
宿屋に入ると、老いた主人が出迎えてくれた。薪の匂いがした。暖かかった。
「いらっしゃい。冒険者さんかい? エルフの方は珍しいね」
「東の街道警護クエストで来ました。奇妙な光のことを調査しています」
「ああ、あの話か」
老人の顔が曇った。
「先週、商人のジョンが丑の刻に丘の上へ行って、倒れて帰ってきたんだ。今も意識が戻っていない。奥さんが看病してるが……」
「商人が倒れた?」
「ああ。ジョンは何かを見たらしい。意識を失う前に、『青白い光』『古代の文字』『光の遣い』と言ってたそうだ」
古代の文字。
俺の耳がもう一度ピクリと動いた。
(古代エルフに関係するものか。転生したエルフである俺が関わる何かが、ここにある)
「丘の上に、何かあるんですか?」
「昔、エルフの神社があったという伝説があるんだよ。今は井戸しか残っていないが——その井戸から、最近、魔力の反応が出ているという噂がある」
俺とアリアは顔を見合わせた。
「明日、丘の上を調べてみます」
「気をつけなさいよ。あそこは……普通じゃないものを感じる場所だ」
宿の部屋は狭いが、清潔だった。板張りの床、藁入りのベッドが二つ。窓から見えるのは広場の泉と、遠い丘のシルエット。小さい部屋だ。それでも、旅の途中の宿として十分だった。
アリアと二人で地図を広げ、明日の調査ルートを確認した。
「セラ、古代エルフの神社って何かな」
「わからない。でも、古代エルフに関係するものが、この世界には色々残っているらしい。魔法の泉とか、古代の遺跡とか。ここが俺と何か関係があるのか——それもわからない。でも、行ってみるしかない」
「セラが古代エルフの転生者だっていう話と、関係があるかな」
「……それは俺にもわからない。でも、調べる価値はある」
窓から見える夜空に、星が輝いていた。王都では建物が邪魔して、こんなに星が見えない。宿場町の星は、手が届くように近い。
エルフの森から出て、王都で暮らし、冒険者になった。今日は女騎士に絡まれて、口論した。そして今、不思議な伝説を持つ丘の近くの宿場町にいる。
(人生って、どこへ行くかわからないな)
「セラ、おやすみ」
「うん。おやすみ、アリア。明日も頑張ろう」
「はーい。セラと一緒なら、大丈夫だよ」
アリアがニコッと笑って、灯りを消した。
暗闇の中で、俺は天井を見上げた。
ミサトの鋭い目が、頭から離れない。
強くて、厳しくて、失礼で——でも、最後の言葉だけが妙に温かかった。
困ったことがあれば、助けてやる。
(言いたくなかったはずだ。あの顔は、思わず出てしまった言葉の顔だった。……あんな人間が、本当はどういう人間なのか、俺にはまだわからない)
(明日は丘の調査だ。余計なことを考えるな、俺)
そう言い聞かせながら、俺はゆっくりと目を閉じた。




