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神に楽しめと言われた。楽しみすぎて、神を超えた。  作者: issoh


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第68話 初戦闘体験

# 第68話 初戦闘体験


## 作業の進捗


 翌日、新しい薬草採取クエストを受けた。作業は思ったより速く進んでいた。


 月草を五本。水蓮の根を三本。太陽草を二本。


「順調だね」


 アリアが額の汗を拭いながら言う。


「うん。あと半分くらい残ってるけど、このペースなら夕方までには終わりそう」


「さっきの月草、採取の感触がよかった。根っこをぎりぎりの位置で切れたから、品質が高いはず」


「アリア、詳しいね」


「エルフの森で採取を教わってたから。師匠が厳しくて、根の傷み具合で腕がわかるって言ってたの」


「師匠、か。誰かいたの?」


「森の長老の奥さん。薬草の扱いが世界で一番うまいって言われてた人」


(エルフの森にも「この人に聞けばわかる」という存在がいるのか。どんな職場にも一人はいる、あの人種だ)


「じゃあ、太陽草の採取もアリアが判断して。品質が心配なら俺に教えて」


「わかった。任せて」


 アリアが気合を入れたように頷いた。得意分野を任された時の顔、だ。


「ちょっと休憩しよう。足が疲れてきた」


「そうだね。あそこの木の根元に座ろう」


 太い木の根元に腰を下ろす。地面は腐葉土が積み重なって柔らかく、湿気がある。エルフの体は自然の中でよく馴染む——前世の俺は公園のベンチでさえ苦手だったのに、今は森の地べたが居心地いい。体が変われば感覚も変わる。


「魔法袋の中、確認してみよう」


 アリアが魔法袋を覗き込む。


「月草が五本、水蓮の根が三本、太陽草が二本……あと半分ちょっとだね」


「このあたり、太陽草がまだありそうだから、続けよう」


「うん!」


 アリアが元気よく立ち上がろうとした——その瞬間。


 音がした。


 遠くで、草がざわめく音。


(……風? いや、違う。風なら木の葉が先に揺れる。これは地面に近い草が——動いた?)


 俺は咄嗟に立ち上がった。


「アリア、待って」


「え?」


「今、何か音がしなかったか」


 アリアが耳を澄ました。エルフの耳は人間より鋭い。俺も同様に耳を立てる。


 森が、静かだ。


 静かすぎる。さっきまでは虫の声が聞こえていた。それが——消えた。


(虫の声が消えるのは、何か大きなものが近くにいる時だ。エルフの本能が、そう告げている。この感覚、信じる)


## 物音


「セラ……」


 アリアの声が低くなった。


「うん。俺も感じてる」


 何かいる。


 視線のようなものを感じた。森の奥からこちらを観察している——人のものじゃない。もっと本能的で、獣の目だ。


「アリア、杖を構えて。前には出るな」


「……了解」


 アリアの声が静かになった。普段の明るい声じゃない。戦う準備ができたときのアリアの声だ。頼もしい。


 俺は剣に手をかけた。抜刀はしない。まだ。でも、いつでも抜ける位置に指を添える。


(手のひらが汗ばんでいる。プレゼン前や重要な試験の朝にあった感覚と似ているが——種類が全然違う。あれは失敗したら恥をかく怖さ。これは命に直結する怖さだ)


 草むらが、また揺れた。


 今度は近い。


「セラ」


「わかってる。アリアは俺の後ろで」


「でも——」


「後ろで」


「……うん」


 アリアが俺の背後に移動する。


 その足音が、かすかに聞こえた。砂利を踏む音。小さい音なのに、緊張した耳には大きく聞こえる。


 俺は正面に目を向けたまま、じりじりと二人の距離を維持した。


 数秒の、沈黙。


 長い。妙に長い。体感では一分以上だ。


(怖い。正直に言えば、怖い。でも——アリアがいる。アリアを守らなきゃいけない。その事実が、足を動かさせる)


## 魔物出現


 木々の影の中から、それが姿を現した。


 森狼だ。


 体長は一メートル半ほど。灰色の毛並みが汚れていて、黄色い目がこちらをじっと見ている。牙は白く、長い。耳は立っていて、尻尾は低い位置でゆっくりと動いている——攻撃前の姿勢だ。


「……セラ」


「わかってる。これが初の、実戦だ」


(こんな生き物、動物園のガラス越しにしか見たことなかった。それが今、ガラスなし、距離五メートル、歯を剥き出しにして俺たちを見ている。普通に怖い。怖いが——退けない)


「アリア、水魔法は使えるか」


「使える。火魔法は森が燃えるから、水なら問題ない」


「俺が前で引き付ける。タイミングを見て、俺の指示で水魔法を撃て」


「セラが——」


「大丈夫。あの狼、俺を見てる。俺が動けば狼も動く。そこがチャンスだ」


 アリアは一瞬だけ沈黙した。


「……分かった。任せる」


 信頼されてる。


 それが、ちゃんと伝わってくる。


(この感覚が、力になる)


 俺は剣を抜いた。


 金属の引っ掻き音が森に響く。


「セラ、怖い?」


「怖い」


「……正直に言ってくれてよかった」


「嘘ついても仕方ない。で、アリアは?」


「めちゃくちゃ怖い」


「そうか。じゃあ二人でめちゃくちゃ怖いまま、ちゃんとやろう」


「……うん」


 短い沈黙。どちらも動かない。狼も動かない。三すくみ状態。


 先に動いた方が、主導権を握る。


## 初戦闘


 森狼が唸った。低い声が、森の静寂を切り裂く。


 俺は剣を構えながら、ゆっくりと横にステップを踏んだ。アリアから狼の注意を引き離す動作。


 効果があった。狼の目が俺の動きを追う。


(よし。こっちを見てる。問題は——こいつが攻撃に来た瞬間をどう対処するか。剣で受けるのは最悪だ。サイズが違いすぎる。回避して、空いた瞬間に魔法で反撃。それしかない)


 狼が後ろ脚に体重をかけた。


 跳ぶ。


 その直前の予備動作が見えた瞬間——俺は右に飛んだ。


 ドン。


 狼が俺のいた場所に前脚を叩きつける。地面が凹む。その爪の力が想像を超えていて、一瞬息が止まった。


(……速い。これ、もらってたら終わりだった。でも今はエルフの体だ。反射神経が違う)


「セラ!」


「大丈夫! 今だ、アリア!」


 狼が着地した瞬間、バランスが崩れる。その一瞬が——チャンスだ。


 俺は右手に魔力を集めた。


 光弾。無詠唱。


「光よ、矢となれ——ライト・アロー!」


 叫びというより、発散だった。右手のひらから白い光が飛ぶ。


 ドン。


 直撃した。


 光弾が狼の右肩に命中し、衝撃で狼が横に吹き飛ぶ。ギャン、という鳴き声。


(当たった……当たった! 魔法が実戦で当たった!——いや待て、まだ終わってない。感動は後でいい)


 狼が四本脚で着地する。今度はこちらを警戒した目だ。怒りと、痛みと、そして——恐れ。


 アリアが杖を構えた。


「行くよ、セラ!」


「待って——逃げるかもしれない。様子を見て」


 狼はそのまま、一歩、また一歩と後退した。


 俺は追わなかった。


(追えば追えた。でも追わなかった。ゴールに届いたら止まる。それが正解だ)


## 勝利と安堵


 森狼が木々の奥へ消えた。


 ざわ……と葉が揺れ、消えた。


 静寂が戻ってくる。


 虫の声が聞こえ始めた。鳥の声も。森が「危機が去った」と判断したのか、音が戻ってきた。


「……行ったかな」


 アリアが小声で言う。


「うん。逃げたと思う」


「確認する?」


「しない。そっちに近づく理由がない。薬草は全部採ったんだろ?」


「全部ある」


「なら帰ろう。追いかけなくていい。命がかかってる時は、勝ちに行かなくていい。逃げられれば十分だ」


 俺は剣を鞘に戻した。手が、少し震えていた。


(気づかなかった。戦っている間は震えてなかったのに、終わってから震えてる。本番中はアドレナリンで動いて、終わってから体が追いつく。異世界でも同じか)


「セラ……大丈夫?」


 アリアが駆け寄ってくる。顔が青白い。


「大丈夫。怪我はない。アリアは?」


「私も大丈夫。でも——怖かった」


 声が少し震えていた。


「俺もだ。めちゃくちゃ怖かった」


「えっ、セラも?」


「当たり前だろ。あの速さと牙、見た? 普通に怖い」


 アリアがふっと力を抜くように笑った。


「なんか、安心した。セラが怖いって言ってくれるから」


「カッコよく決めようとしたけど、内心はかなり怖かった。告白する」


(怖くなかったら逆にやばい。怖いものを怖いと認識できるのは、ちゃんと危機センサーが機能してる証拠だ)


「えへへ、でも前に出てくれて、守ってくれて——ありがとう」


 アリアが俺の腕を掴んだ。その手が少し冷たかった。俺の手も冷たかった。


(二人とも怖かったんだな。それでも戦ったし、守ったし、逃げなかった。これが冒険者ってものか。悪くない。全然、悪くない。むしろ、生きてる感じがした)


「深呼吸しよう。ちゃんと確認して」


「うん」


 二人で深呼吸した。息が整う。心臓の鼓動が、少しずつ落ち着いてくる。


「怪我、本当にない? 爪でひっかかれたりしてない?」


「ない。あの狼、直撃はしてこなかった。ライト・アローが当たって、びっくりして逃げた感じだった」


「びかっと光って、一発で吹き飛ばして——すごかったよ」


「狼の肩を狙った。殺すより追い払うほうがいいと思って」


「……優しいね、セラ」


「優しいというか、まだ魔法の加減に自信がないだけだ。節約もしたかったし」


(正直に言えば、狙い通りに命中させられたことに自分でびっくりしてる。訓練では当たってたけど、実戦は初めてだったから。現場でも通じた瞬間だ)


「アリア、周囲を警戒しながら作業を続けよう。あの狼が仲間を呼んで来たら厄介だ」


「うん。私、周囲に意識を向けながら採取するね」


「俺も前を見ながら動く。二人で補い合おう」


「うん!」


 アリアが再び元気を取り戻したように答えた。


(あれだけ怖かったのに、もう立て直してる。アリアの切り替えは本物だ)


「アリア、右の方の草の陰が気になる。念のため確認して」


「わかった。……うん、大丈夫。小さい虫だけ」


「了解。続けよう」


 警戒しながら動くのは、思ったより体力を使う。目、耳、魔力の感知、全部を同時に使っている状態だ。前世の「マルチタスク」とは全然違う。体全体が緊張し続けている。


 でも、その緊張の中に確かな充実感があった。


 太陽草を三本追加で採取した。水蓮の根も二本、追加した。


「これで全部か?」


 魔法袋を確認する。月草五本、水蓮の根五本、太陽草五本。クエストの要件を満たした。


「そうだよ。全部揃った」


「よし。帰ろう。ここに長居すると、また魔物が来るかもしれない」


「うん、帰ろう。早く帰ろう」


 アリアが俺の腕を取る。今度はさっきより強く。


(アリアも、怖かったんだな。平気そうにしてたけど、怖かった。それでも俺を信じて後ろで待っていてくれた。かっこいいな、アリアは)


 二人は森を出た。


 夕暮れの光が、木々の間から差し込んでいた。温かく、やわらかい光だ。森の中の緊張が、その光の中でゆっくりとほどけていく感覚があった。


「……終わった」


「うん。終わった」


 二人で、笑った。


 疲れていた。怖かった。震えた。でも終わった。初クエスト、初戦闘、全部含めて、終わった。


「あの、セラ」


「ん?」


「さっき——狼と戦ってる時。私、役に立てたかな」


「役に立てた。後ろで待ってくれたこと、俺を信じてくれたこと。それが一番大事だった」


「……そっか」


「アリアが「任せる」って言ってくれなかったら、動けなかった気がする」


「嘘でしょ」


「本当だよ。信頼されてると思ったら、体が動いた。今までの人生でそんな経験、あんまりなかった」


 アリアは少し黙っていた。それから、ゆっくり頷いた。


「私もセラに信頼されてるって感じた。だから怖くても後ろで待てた」


「お互いさまだ」


「えへへ、お互いさまだね」


 街道を歩きながら、足元を見ていたアリアが急に「あ」と声を上げた。


「どうした」


「靴、濡れてた。川に入った時の水、まだ残ってる」


「冷たい?」


「ちょっとだけ。でも全然平気」


(切り替えが早い。それが強さなんだな)


「宿に帰ったら、靴を乾かそう。火魔法使えば早い」


「そうする。ありがとう」


 他愛もない話だった。でも、こういう他愛もない話ができる相手がいることが、今は何より大事な気がした。


 王都の城壁が見えてきた。もうすぐ、帰れる。


 街道が見える。王都の明かりが、遠くに見え始めていた。


「ねえ、セラ。一つ聞いていい?」


「どうぞ」


「怖かった時、なんで諦めなかったの?」


 少し考えた。なんで、か。


「後ろにアリアがいたから」


「私が……?」


「うん。俺が諦めたら、アリアまで危険になる。それだけだ」


「……そういう理由だったんだ」


「格好いいことじゃない。怖くても諦めなかったというより、諦めるとアリアが危ないから、諦める選択肢が頭になかった、が正確だ」


「セラって、しっかりしてるんだね」


「本当かな。内心はずっとビビってた」


「でも動いてた」


「動かないといけない状況だった」


「それが——強さだよ」


 アリアが真剣な目で言った。その目に嘘はない。


(強さ。俺はそんなものを持っているだろうか。でも、アリアの目を見てそれを信じることはできる)


「次のクエスト、少し強いのに挑戦してみたい」


 アリアがぽつりと言った。


「……本当に?」


「うん。怖かったけど——楽しかった」


(楽しかった。アリアがそう言うのを聞いて、俺も気づいた。俺も——楽しかった。恐怖の中に、確かな高揚感があった。こんな充実感、ここにある)


「じゃあ、次は一緒に考えよう。今日の反省を活かして」


「うん! 反省点、一緒に整理しよう」


「まず俺の反省点は、回避が一歩遅かった。もう少し早く動けた」


「私の反省点は……水魔法を準備するタイミングが遅かった。もっと先読みできた」


「そうだな。でも、今日は二人ともよくやったと思う」


「セラも?」


「俺も、自分で思ったよりよくやれた気がした」


 アリアが笑顔を向けた。夕日がその顔を橙色に染めている。


「ねえ、セラ」


「ん?」


「一つ聞いていい?」


「どうぞ」


「怖かったのに、なんで前に出られたの?」


(難しい質問だ。でも、適当な答えを言っても仕方ない。アリアは本気で聞いている。俺も本気で答えよう)


「……アリアがいたから」


「え?」


「アリアが後ろにいた。それだけで、前に出られた。俺一人だったら、多分逃げてた」


「……それって——」


「一人じゃ動けない。でもアリアがいると、動ける。俺はそういうやつなんだと、今日はっきりわかった」


 アリアは少しの間、何も言わなかった。それから、小さな声で言った。


「私も。セラがいたから、待てた。一人じゃ絶対逃げてた」


「そうか。じゃあお互い、一人じゃ弱いんだ」


「うん。でも、二人なら強い」


「それでいいか、二人なら」


「絶対いい」


 確信を持った声だった。


 王都への道を、二人で歩く。


 最初のクエストが、終わった。最初の実戦も、終わった。そして——二人の次が、始まろうとしていた。


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