第41話 旅立ちの日
# 第41話 旅立ちの日
## 旅立ちの朝
転生四十六日目。
目が覚めた瞬間に分かった。今日は違う、と。
セラはベッドの上で天井を見つめ、しばらく動かなかった。いつもの天井。いつもの木目。いつもの染み——でも、今日で最後だ。
不思議だ。前世の自分は変化が嫌いだった。新しい場所、新しい人間関係。全部が怖かった。それなのに、今の俺は——
「……楽しみだ」
声に出したら、本当にそう思ってることに気づいた。怖いより楽しみが上回ってる。
起き上がる。部屋はすでに整然としていた。昨夜のうちに全部片付けた。本棚の本は几帳面に並び、机の上は何もない。クローゼットも空。必要なものはバックパックに詰め、不必要なものは処分した。
部屋が、やけに広く見える。
「この部屋……思い出がいっぱいだな」
声に出したら、少し恥ずかしかった。転生してから目覚めた場所。アリアが毎朝「セラ、起きてー!」と怒鳴り込んでくれた場所。リリナと夜遅くまで魔法の参考書を読んだ場所。三人でこっそり台所のお菓子を食べた場所。
窓を開ける。朝の冷たい空気が一気に流れ込んでくる。エルフの森シルヴァニア。木々が朝露に濡れて輝き、鳥たちがさえずっている。光の筋が葉の間を縫って落ちてきて、まるで絵画のように美しい。
こんな風景を毎朝見て、何も感じなかった時期があったか。転生当初は「ここはどこだ」という混乱の方が強かった。でも今は、この光景のひとつひとつが、愛おしい。
「……行かなきゃ」
言い聞かせるように呟いて、バックパックを担ぐ。着替え三日分。魔法の参考書二冊。それと——アリアと一緒に拾った小石と、リリナが渡してくれた森の木の実。重さは大したことないのに、どこか重く感じる。
前世でいうと、転勤の朝というやつに似ているかもしれない。でも、あの頃は「行きたくない」の一択だった。今は違う。胸の中に、ちゃんと熱がある。
「これでいい」
玄関で靴を履く。いつもの靴。でも今日は、旅立ちの靴だ。
扉を開けると、朝の光が顔に当たる。冷たいのに、なぜか温かい。
振り返る。
この家。転生してから最初に目覚めた場所。誰かに呼ばれてやってきた場所。始まりの場所。
長く立ち止まらずに、セラは歩き出した。村の入り口へ。二人が待っている。
歩きながら、胸に手を当てる。心の中にある思い出。アリアとの出会い。リリナとの初めての会話。三人でのピクニック。聖三角の成功。平和な日々。愛の告白。旅立ちの決意。
全部、持っていく。忘れない。
## 二人との合流
村の入り口。二人は、もうそこにいた。
「セラ!」
アリアが手を振る。朝日の中で、金色の髪が輝いている。その笑顔は朝の太陽より眩しくて、直視したら目がやられる。リリナも少し照れくさそうに片手を挙げている。
「おはよう、二人」
「おはよう! 起きるの遅かったね」
「遅くないだろ。定刻通りだ」
「私たち、もう二十分も待ったんだよ」
早すぎる。どんなやる気だ。
「準備、できた?」
「もちろん! 着替え、水、魔法の参考書、乾パン——全部入れました!」
アリアがピンク色のリボンがついたバックパックを指差す。可愛らしいデザイン。でも中身は完璧に詰め込まれていた。
「私もっ! 着替え、水、そして——」
リリナがバックパックから小さな人形を取り出す。布製の、少し綻びたやつ。
「これ! 記念に持っていきます!」
「いつものやつだな」
「そ、そうです……セラにもらった、大切なやつだから」
リリナはぱっと顔を赤くして、大事そうに人形をバックパックに戻す。その仕草が、なんとも言えず可愛らしい。
「確認させてくれ、アリア」
セラはアリアのバックパックを開ける。
「着替え、水、魔法の本……乾パン?」
「えへへ、おやつに」
アリアが照れくさそうに笑う。その「えへへ」という笑い方は、転生してから何十回聞いても、毎回不思議と心が温まる。
「完璧だ。二人とも準備バッチリ」
「当たり前でしょ? セラたちと行くんだもん!」
リリナが元気に言う。その瞳には、不安より期待の方が大きく映っている。
「行くぞ。三人で」
「はい!」「ええっ!」
三人は並んで、村の広場へと向かった。歩きながら、セラは振り返る。エルフの村。小さな家々が並び、煙が立ち上っている。子供たちが広場で遊んでいるのが見える。
「セラ、大丈夫?」
アリアが心配そうに見上げる。
「ああ。大丈夫。ただ……ここで過ごした日々、全部思い出だなと思って」
「うん……私も」
アリアも村を見る。その瞳に、名残惜しさが浮かぶ。
「私、エルフの森しか知らなかった。ここが世界のすべてだと思ってた」
「私もです……外の世界なんて、名前しか聞いたことなかった」
リリナも、寂しそうに続ける。
「でも行きたいかって言ったら……行きたいです。セラたちと一緒に行きたい」
リリナが正直に言った。
「俺も」とアリアが続く。「怖いより、楽しみが上回ってる」
「でも」
セラは二人の手を取る。
「二人と一緒なら、未知の場所もきっと大丈夫だ」
「……うん!」「ええっ!」
二人の顔が、明るくなる。セラも微笑む。
## 村人の見送り
広場には、たくさんの人が集まっていた。
「おい、来たぞ!」「頑張りなよ!」「無理するなよ!」
温かい声が四方から飛んでくる。子供たちまで手を振っている。
胸が熱くなる。ここで生まれ、ここで育った——転生だけど。みんなに見守られてきた。平和な日々は、こういう人々のおかげ。
「みんな……」
声が出てこない。
それでいい、とセラは思った。言葉より、この感覚の方が正確だ。
「セラ、アリア、リリナ」
村長が進み出る。いつもの穏やかな笑み。でも今日は、少し目が潤んでいる。
「長老から聞いた。異変の源を探る旅に出るんだって」
「はい。僕たちが行きます」
「信じておる。お前たちなら、必ず戻ってくる」
「はい! 絶対に戻ります!」
アリアが力強く言う。その声に、迷いがない。
「私も! セラたちと一緒なら、何だってできます!」
リリナも拳を握る。その強さに、村人たちが驚いたような顔をする。
「がんばりな、セラ」「アリアちゃん、気をつけてね」「リリナちゃん、無理しないでね」
子供たちの声も混じっている。セラは手を振って応える。
「ありがとう。みんなのこと、忘れないよ」
「行ってらっしゃい!」の合唱が広場に響く。
村長が少し間を置いて、続ける。
「森の子として、エルフとして、誇りを持って行け」
誇り、か。平和な村で生まれ、平和な人々に育てられた。その誇り——転生した自分が持てるものかどうか分からないが、今は確かに胸に響く。
「はい! 絶対に、誇り持ちます!」
アリアが真剣に答える。リリナも頷く。
守護隊長が前に出た。いつもの厳しい表情。でも目は、温かい。
「セラ。お前たちを選んだのは、長老だけじゃない。私も信じてる」
「隊長……」
「聖三角を成功させた。実戦で力を証明した。史上初のチームだ。お前たちなら、異変の源も探り出せる」
「期待に応えます」
「ああ。だが、無理するな。命が一番だ」
「はい!」
三人で揃って返事をする。隊長は珍しく、少し笑った。
「帰ってきたら、祝杯だ」
「楽しみにしてます」
「行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
広場中の声。温かい声。旅立ちの温かさ。
「セラ! 一緒に帰ってきてよな!」
子供の声だった。振り返ると、小さなエルフの男の子が手を振っていた。
「帰ってくる。約束だ」
「約束!?」
「ああ。守れなかったら、エルフとして恥ずかしいからな」
男の子が笑った。
約束。言い切れた。迷わずに。
「ありがとう、みんな」
セラは心の中で呟く。平和な村。平和な人々。ここで過ごした日々は、一生の宝物だ。
## 森を出る
エルフの森の境界線。木々が途切れ、新しい世界が広がっている。
「ここが……エルフの森の境界」
アリアが呟く。その声に、少し震えが混じっている。
「外の世界、だ」
リリナも目を丸くしている。二人にとって、エルフの森は世界のすべて。外の世界は、名前しか聞いたことがない場所。
「……アリア」
「うん?」
「怖い?」
アリアは少し考えた。
「……怖い。でも、行きたい。セラと一緒に行きたい。その気持ちの方が大きい」
「リリナは?」
「わ、私も! 怖いけど、セラたちと一緒なら全部大丈夫な気がします!」
正直に「怖い、でも行く」と言える。これが強さというやつだ、とセラは思う。
「行こう」
「うん。セラと一緒なら」「私も! セラたちと一緒なら、どこへだって!」
二人の手を握る。温かい手。安心する手。
セラは森を振り返った。木々たちは朝日に輝き、鳥たちがさえずっている。一瞬、鳥が一羽だけ、こちらに向かって飛んできた——そして去っていった。まるで、「行ってらっしゃい」と言うように。
「さようなら、シルヴァニア」
アリアも森に向かって手を振る。その横顔が、少し寂しそうで、でもどこか凛々しくて綺麗だ。
「さようなら、私の家」
リリナも、少し寂しそうに手を振る。
「また、必ず来る」
「うん。絶対に」「ええっ!」
セラは一歩踏み出す。
足が境界線を越える。
新しい土の感触。新しい空気の匂い。新しい風の吹き方。全部、「外」の世界。
「来た……」
アリアが呟く。その瞳には、驚きと期待が交錯している。
「広い……」
リリナも、目を丸くしている。草原。遠くに見える山。空の広がり。全部、新しい。
「これが、外の世界か」
セラも呟く。空が広い。山が遠い。風が違う。前世の記憶でいう「ファンタジーの世界」じゃない。ここがリアルだ。土の重みが足から伝わってくる。
「すごい……空が、全部見える」
アリアが前を見つめる。
「広いね。エルフの森とは、全然違う」「うん。空も、山も、草原も、全部新しい」
リリナが興奮気味に言う。
「行こう。新しい世界へ」「はい!」「ええっ!」
三人は歩き出す。エルフの森を背に、新しい世界へ。
## 新たな道
夕方。新しい道を、三人は歩いていた。
草原が広がっている。どこまで続いているのか、見当もつかない。木々が空を隠していたエルフの森とは違う——ここでは空が全部見える。果てまで。
「広いね、外の世界」
アリアが呟く。
「楽しみだね、二人と」
セラが微笑むと、二人も自然と笑みがこぼれる。
「セラと一緒なら、楽しみだ」「私も! セラたちと一緒なら、どこへだって楽しい!」
二人の声が、草原に響く。
「そろそろ野営しようか。日が沈む前に」
「はい。ちょっと疲れちゃった」「私も、お腹すいた」
リリナがお腹をさする。その仕草が可愛らしい。
「その前に、今日一日を振り返ろう。何か気になったことはあるか」
「気になったこと……」
アリアが少し考えた。
「途中で、変な魔力を感じた気がしました。草原の東の方から」
「俺も感じた。弱かったけど、確かに不自然な流れがあった」
「異変の源と関係あるかな……」
「まだわからないな。でも記録しておこう」
セラがノートを取り出し、日時と方向を記録する。守護隊で習った訓練の成果だ。データを集めて、分析する。
「リリナは何か感じた?」
「わ、私は……草が少し黒くなってる場所を見ました。一箇所だけ」
「それも記録する。ありがとう、気づいてくれて」
「こういうの、大事なんですね」
「ああ。小さな情報が後で大きな意味を持つことがある」
三人で情報を共有し、ノートにまとめる。たった一日目だが、すでに手がかりが見えている気がした。
「テントを張ろう」
アリアが杖を取り出す。光の魔法で、周囲を照らす。セラは風の力で地面を平らにする。三人で協力して、テントを設営する。
「できた!」
リリナがテントに飛び込む。小さなテント。三人で入ると、少し狭い。
「お、狭いけど、三人で入れるね」
アリアが微笑む。
「乾パン、食べよう」
セラがバックパックから乾パンを取り出す。アリアとリリナも自分の分を取り出す。
「いただきまーす」「いったきます!」
三人で乾パンをかじる。味気ないけど、なんとも言えず美味しい。旅の味、というやつか。
「美味しいね」「うん。セラたちと一緒に食べると、美味しいね」「そだね。二人と一緒なら、何でも美味しい」
「アリア」
「うん?」
「今日、旅立ちの日に何を思った? 本音で」
アリアが乾パンをかじりながら、少し考えた。
「……嬉しかった。でも、寂しかった。ずっとあの森にいたから。でも一番は、セラたちと一緒に行けることが嬉しかった」
「リリナは?」
「わ、私は……正直、怖かったです。外の世界って、エルフの森より危ないって聞いてたから。でも、でも! セラが「二人と一緒なら大丈夫だ」って言ってくれたから、それで全部大丈夫になりました!」
「俺の一言でそんなに変わるのか」
「変わります! セラの言葉って、不思議と信用できるから」
信用できる、か。
嬉しい。そして、その重さもちゃんと分かる。
「明日はどうしようか」
「まずは、人間の王国へ。長老もそう言ってた」「人間の王国……どんなところかな」
アリアが少し不安そうに言う。リリナも、同じ表情。
「大丈夫。二人と一緒なら」
セラの言葉に、二人は頷く。
「うん。セラと一緒なら、大丈夫」「私も! セラたちと一緒なら、どこへだって!」
二人の強さに、セラは胸が熱くなる。三人の絆。それが、何よりの力だ。
「おやすみ、セラ」「おやすみなさい!」「おやすみ、二人」
セラも寝袋に入る。狭いテント。三人で眠る。初めての野営。安心する。
テントの外には、新しい世界の夜。星が輝いている。エルフの森とは違う、広い空。星が、より多く見える。より近く感じる。
二人の寝息が聞こえる。アリアのゆっくりした寝息。リリナの小さな寝息。それが、何よりの安心だ。
「おやすみ、新しい世界。よろしく頼む」
セラは目を閉じる。旅立ちの初日。新しい冒険の始まり。
——で、なんで俺、思ったより全然緊張してないんですかね。まあ、二人がいるからか。それで十分な気がしてきた。
夢の中で、セラは新しい世界を見る。人間の王国。広い野原。高い塔。たくさんの人々。未知の場所。未知の冒険。
でも、二人の手が温かい。それだけで、どこへでも行ける気がした。
夜中、ふと目が覚めた。
テントの布が風にはためく音。草の匂い。虫の声。全部が新鮮だ。
アリアとリリナの寝息が聞こえる。規則正しい、安心する音。
「二人がいる」
呟く。
それだけで、知らない場所でも眠れる。信頼できる人間がいれば、怖いことは半分になる——これが今夜、一番分かったことだ。
また目を閉じる。
明日は人間の王国へ向かう旅が続く。何があるかわからない。でも——
「まあ、やってみるか」
呟いて、テントの布天井を見つめた。星空の気配がする天井。前の世界のアパートの染みのある天井とは、全然違う。どちらがいいか、聞くまでもない。
アリアとリリナの寝息がまた聞こえる。規則正しい、小さな音。
二人が生きてる音だ。
誰かの寝息を聞けることが、こんなに安心するとは知らなかった。セラは再び深い眠りに落ちた。




