第39話 平和な日々
# 第39話 平和な日々
## 平穏な朝
転生四十四日目、朝。
まぶしい。
その感覚だけが、意識の浅瀬で波打つ。夢の名残が、まだ頭の中に漂っている。昨日の戦いの記憶が、断片的に蘇る。黒い影、三角形の光、そして、安堵。
セラは、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
天井の木目が、朝日に照らされて淡く光っている。窓の外からは、小鳥のさえずりが届く。森の朝の匂いが、窓の隙間からひらりと入ってくる。湿った土の匂い、若葉の香り、露を含んだ大気、遠くから流れる小川の水音。すべてが、生きている。春の森が、朝を迎えている。
「……ああ」
寝起きの声が、静かな部屋に響く。
昨夜の任務の疲れが、まだ体に残っている。肩が重い。腰がだるい。魔力を使い込んだ後の、あの独特の感覚。でも、不思議と悪くはない。むしろ、心地よい疲れだ。任務を成功させた達成感が、胸の奥にじんわりと残っている。
セラはベッドから起き上がった。足が床につく。木の床の冷たさが、足の裏から伝わってくる。
窓の外を眺める。エルフの森が、朝の光の中で目覚めている。木々の間から漏れる光が、空気中の塵をきらきらと照らしている。葉の上の露が、朝日を反射して宝石のように輝いている。
「……いい朝だ」
ノックの音が、静かな朝を破る。
「セラ、起きてる?」
アリアの声。柔らかく、優しい。
「ああ、起きてる」
「入れていい?」
「うん」
ドアが静かに開く。アリアが入ってきた。朝の光を背負って、金髪が輝いている。清楚な笑顔。優しい瞳。素の顔。それが、何より美しい。
「おはよう、セラ」
「おはよう、アリア」
「昨日はお疲れ様だったね」
アリアが近づいてくる。自然体で、当たり前のように。セラの目の前に立つ。
(この距離感、転生してから四十四日経ってもドキドキする。そういうことにしておこう。……アリアが素敵すぎるせいだ、たぶん)
「ありがとう」
セラは少し照れくさそうに言った。
アリアは、ふっと笑った。
「セラ、昨日の聖三角、すごかったよ。三人の魔力が一つになる感じ、初めて知った」
「俺も。アリアとリリナと、心が通じ合ってるって感じだった」
「うん。私も同じこと思ったよ」
アリアの手が、セラの手に触れる。冷たい指先。でも、その冷たさが、どこか心地いい。触れているだけで、魔力が安定していくのが分かる。光属性の魔力が、風属性の魔力と共鳴している。
「魔力、安定してる?」
「うん、アリアが近くにいると、すごく安定する。不思議だね」
「よかった。私も、セラのそばにいると、落ち着くの」
二人の間に、静かな時間が流れる。
(感動的な場面のはずなのだが、お腹が減っている。人間の三大欲求には逆らえない)
「朝ごはん、作っておいたよ」
「あ、ありがとう」
「リリナも呼んできてね」
「うん」
アリアが、またふっと笑って部屋を出て行く。その背中が、朝の光の中に溶けていく。
セラは、その背中を見送った。
平和な朝。アリアがいてくれて、リリナもいてくれる。この幸せを、守りたい。その想いが、胸の奥からじわじわと広がっていく。
## 村での買い物
セラは、家を出た。朝の空気が、肌に心地いい。
広場へ向かう道。石畳の道が、森の中を続いている。両側には、木々が並んでいる。小川が、道の横を流れている。せせらぎの音が、心地よいBGMになっている。
「セラ!」
リリナの声。
振り返ると、リリナが走ってきた。茶色の髪が、風に揺れている。元気いっぱいの笑顔。
「おはよう、リリナ」
「おはよー!」
リリナが、セラの前に立つ。少し息を切らしている。
「今日も、一緒に遊ぼうね」
「うん、楽しみだ」
「アリアちゃんも、朝ごはん作ってくれたんだよね?」
「そうみたいだ」
「やったー! アリアちゃんの料理、美味しいからね」
「えっ、ちゃんと聞こえてたよ」
アリアが後ろから追いついてきた。三人でちょうど揃う。
「当たり前でしょ? 私の料理は美味しいんだから」
「そーそー! 正直者アリア!」
「……ありがとう?」
二人は笑顔を交わす。セラも自然と笑みがこぼれた。
(こういう何気ない掛け合いが、実は一番幸せなんだよな。……しみじみ思う)
エルフの村は、平和だった。
広場には、朝から多くのエルフが集まっている。子供たちが走り回っている。大人たちが、商売をしている。笑い声が、あちこちから聞こえてくる。
「わあ、すごい人」
リリナが、広場を見渡して言った。
「いつもの感じだね」
「平和でいいなぁ」
「そうだね。この平和、守らなきゃ」
セラの言葉に、リリナが頷く。
「うん!」
市場は、賑やかだった。屋台が並んでいて、新鮮な野菜や果物が並んでいる。色とりどりの商品が、目に鮮やかだ。
「いらっしゃい」
魚屋の店主が、顔を上げて笑った。中年のエルフ。
「お、セラくんじゃないか」
「あ、おはようございます」
「昨日の任務、聞いたよ。黒い影を退治したんだって?」
「ええ、まあ」
「すごいなぁ。君たちのおかげで、村も平和だ」
「お世話になってます」
「これ、サービスしとくよ」
店主が、一匹の魚を渡してきた。新鮮な魚。目は澄んでいて、鱗はキラキラしている。
「……ありがとうございます」
(お礼を受け取るのは照れる。かといって断ったら失礼だ。ここは素直に。……素直に受け取れたら苦労しないんだよな、こういうの)
三人は、市場を回った。
野菜屋で、新鮮な野菜を買った。赤いトマト、緑のレタス、黄色いかぼちゃ。
パン屋で、焼きたてのパンを買った。湯気が立っている。
「あつっ! でも、美味しい!」
リリナが、パンを齧った。頬を膨らませながら、目をキラキラさせる。
果物屋で、甘い果物を買った。
「これ、美味しそう」
リリナが、赤い果物を手に取った。掌サイズで、表面がツルツルしている。
「スイートベリー。甘くて、美味しいの」
「じゃあ、買おう」
セラが、お金を払った。
「いただきまーす」
リリナが、ベリーを齧った。
「わあ、甘っ!」
「美味しい?」
「うん、すごく!」
リリナの顔が、笑顔で輝いている。口の端に、果汁がついている。
セラも、ベリーを齧った。甘い。ジューシーで、甘い。口の中に、甘い汁が広がっていく。
「美味しいな」
「でしょ?」
アリアも、その光景を見て優しく微笑んでいた。
「二人、いい関係だね」
「えっ、な、なんでもないよ!」
セラが、慌てて言う。顔が熱くなる。
「セラ、照れてる」
「照れてない!」
「照れてるよ」
リリナが、ニシシと笑った。
(照れてるってわかってるけど、違うって言わないと負けた気がするんだ。……でも実際照れてるし。どっちにしろ詰んでる)
市場の喧騒。人々の笑い声。朝日が、三人を照らしている。平和な時間。この幸せを、守りたい。
## 森のピクニック
三人は、森の中へ向かった。ピクニックだ。
木々の葉が、風に揺れている。小川の水が、さらさらと流れている。鳥のさえずりが、森中に響いている。
「ここ、ピクニックにぴったりだね」
アリアが、広場を見渡して言った。芝生が広がっている。木陰がある。小川が流れている。完璧な場所だ。
「じゃあ、ここで食べよう」
セラが、シートを広げた。赤と白のチェックが、緑の芝生に映える。
「わあ、豪華!」
リリナが、目を輝かせた。籠から、料理が取り出されていく。パン、魚、野菜、果物、チーズ。色とりどりの料理が、シートの上に広がっていく。
「いただきましょう」
セラが、パンを裂いた。
「魚も、焼こうか」
セラが、魔法で火をおこした。風属性の魔法で、空気を集めて火をつける。小さな炎が、空気に浮かんでいる。
「おいしそう……」
リリナが、お腹を鳴らした。
「ぷっ」
セラが、吹き出す。
「りりな、お腹空いた?」
「うん、ぺこぺこ」
魚が焼けていく。焦げた香りが、漂ってくる。食欲をそそる香りだ。
「できたよ」
「いただきます!」
リリナが、魚に齧りついた。
「わあ、美味しい!」
「よかった」
「森の魚は、やっぱり美味しいね」
アリアも、魚を食べている。指先で、身をほぐしていく。
三人は、食べながら話した。平和な時間。小川のせせらぎ。風が、木々を揺らす音。鳥のさえずり。すべてが、調和している。
リリナが、パンを齧りながら、ふと遠くを見た。その表情に、何か憂いが感じられる。
「……ねえ」
リリナが、突然口を開いた。
「私、こういうの、初めて」
「えっ?」
「ピクニック。三人で、ご飯を食べる。こういうの、私、初めて」
リリナの声が、少し震えていた。セラとアリアは、顔を見合わせた。
「転生する前は、いつも一人で食べてた。会社員だったから、みんな忙しくて。一人で弁当食べて、また仕事。そんな毎日」
リリナの目に、涙が光っている。
「コンビニのおにぎりとか、スーパーの惣菜とか。あんまり美味しくなかったなぁ。でも、忙しかったから。昼休みも、三十分くらいしかなかったし」
「……」
「みんな、自分のことばっかりで。私のことなんて、誰も気にしてくれなかった。孤独だったなぁ。でも、不思議と、寂しくはなかった。それが、普通だったから」
リリナの声が、静かに森に響く。
「でも、今は違う。セラがいて、アリアもいて。三人で、一緒に食べてる。手作りの料理、美味しいもの。こんなの、初めて」
リリナの目から、涙がこぼれ落ちた。一粒の涙が、頬を伝って落ちる。
「私、幸せ」
セラは、リリナの手を取った。
「俺も、幸せだ。アリアとリリナと、一緒にいられて」
アリアも、リリナの反対側の手を取った。
「私も。二人に出会えて、本当に良かった」
三人は、抱き合った。温かい体温。心臓の音。互いの息遣い。すべてが、愛おしい。
(リリナの話を聞いていると、胸のどこかが痛くなる。孤独が「普通」だった日々。でも今は——今は違う。この温かさが、リリナにとっても、俺にとっても「初めて」の何かだ)
「……大好き」
「私も、大好き」
「私も、二人のことが、大好きよ」
アリアが、二人を強く抱きしめた。三人の体温が、混ざり合う。風が、三人を包む。この瞬間が、永遠に続けばいい。そう思った。
## 夕暮れの三人
夕暮れ。空が、茜色に染まっている。
西の空が、燃えるように赤い。雲が、金色に輝いている。東の空は、まだ薄い青色が残っている。グラデーションが、空を彩っている。
「きれい……」
リリナが、夕日を見つめた。その瞳に、夕日が映っている。
「エルフの森の夕日、特別だよ」 アリアが言った。「毎日、違う顔を見せる。今日は、特に綺麗ね」
セラも、夕日を見上げた。空全体が、光で満たされている。
セラは、二人を見た。アリアの横顔が、夕日に照らされている。金髪が、金色に輝いている。リリナの横顔も、夕日に染まっている。茶色の髪が、オレンジ色に輝いている。
二人が、美しい。
「セラ、好き」
「えっ?」
アリアが、セラを見た。その瞳が、真っ直ぐにセラを見ている。
「好きよ。セラのこと」
「俺、俺も」
「……本当?」
「うん。アリアのことが、大好き。優しくて、強くて、綺麗で。こんな人、他にいないよ」
アリアの瞳に、涙が浮かんだ。
「……ありがとう」
セラは、アリアの手を握った。
「私も」
リリナが、二人の間に割って入った。
「私も、セラのこと、大好き! だから、アリアちゃんと公平にね」
「……幸せだな」
「うん」
「ええ」
三人は、黙って夕日を眺めた。手を握っている。セラの右手に、アリアの手。セラの左手に、リリナの手。三人の体温が、伝わってくる。
(三人で夕日を見ている。美形エルフに転生して、最強のチームと一緒で。……なろう系って言い方もできるが、この温かさは間違いなく本物だ)
「この平和、守らなきゃね」
セラが、言った。
「うん。守るよ」
アリアが、真っ直ぐに言った。その瞳に、強い光がある。
「私も! 守る!」
リリナも、拳を握り上げた。
「三人で、一緒に」
「ああ」
夕日が、三人を照らしている。三つのシルエットが、夕日の中に浮かんでいる。長く伸びた影が、一つに重なり合っている。
「ねえ」
アリアが、静かに言った。
「こうして、三人でいられる。それが、私にとって一番の宝物」
「……私も」
リリナが、アリアの手を握り直した。
「私もよ。二人と出会えて、本当によかった」
セラは、二人の手を強く握った。
「ありがとう」
「え?」
「二人に出会えて、ありがとう。俺の人生を変えてくれて」
アリアとリリナが、顔を見合わせた。そして、笑った。
「こっちこそ、ありがとう」
「セラに出会えて、私、本当によかったよ」
夕日が、沈んでいく。空が、少しずつ暗くなっていく。最初は、茜色。次に、紫。そして、深い青。星が、一つ、また一つと、現れてくる。
「……帰ろう」
アリアが、言った。
「うん」
三人は、立ち上がった。手を繋いだまま、歩き出す。三つの足音が、石畳に響く。
## 守る決意
夜。セラは、ベッドに坐っていた。
部屋は、暗い。窓の外から、月明かりが入ってくる。月が、冴えている。満月に近い。
今日一日を、振り返る。
平和な朝。アリアが来て、朝ごはんを食べた。市場で買い物をして、ピクニックをして、夕日を見た。ただの平和な一日。でも、それが、何より大切だ。
戦いがない。恐怖がない。緊張がない。ただ、平和が、そこにある。
セラは、手を胸に当てた。心臓の音が、トクトクと響いている。
「……守らなきゃ」
この平和。アリアとリリナの笑顔。エルフの森の穏やかな日々。すべてを、守りたい。
黒い影はまた現れる。邪神は動いている。でも、セラには、アリアとリリナがいる。三人で、聖三角を発動できる。最強のチームだ。
(平和な一日を過ごすと、「守らなきゃ」という決意がまた強くなる。平和があるから、戦う理由がある。守りたいものがある。だから、強くなれる)
「……頑張ろう」
セラが、決意を新たにした。
明日もまた、平和な一日が来るように。そのために、自分はできることをやる。守護隊として。エルフとして。そして、アリアとリリナのパートナーとして。
セラは、立ち上がった。窓の外を見た。月が、空に浮かんでいる。雲がない。星が、きらきらと光っている。森が、月明かりに照らされている。木々が、銀色に輝いている。遠くから、フクロウの声が聞こえる。
「ホーッ」
夜の声だ。
セラは、ベッドに横になった。枕の感触が、心地いい。布団の温かさが、体を包み込む。
「……おやすみ、アリア。おやすみ、リリナ」
セラが、静かに言った。部屋には、誰もいない。でも、心の中には、二人がいる。アリアの笑顔。リリナの元気な声。二人の温もり。それが、セラを安心させた。
まぶたが、自然と重くなっていく。意識が、遠くなっていく。
明日もまた、平和な一日が来るように。その願いを胸に、セラは眠りについた。
夜の静寂が、家を包み込んでいた。外からは、虫の声が聞こえる。コオロギの鳴き声が、夜の静けさを演出している。月明かりが、部屋に差し込んでいる。平和な夜。エルフの森は、静かに眠りについていた。
セラは目を閉じる直前、今日一日を脳裏に巡らせた。
朝のパンケーキ。アリアの得意げな顔。市場のにぎわい。ピクニックの芝生。リリナの涙と、三人の抱擁。夕日の茜色。「大好き」という言葉。三人の手のぬくもり。
(今日は細かい景色まで全部覚えてる。なんでだろう)
答えは、分かってた。
大切な人たちと過ごした時間は、消えない。記憶に刻まれる。心に残る。
(……明日も、平和だといい)
その願いは、守護隊員としての覚悟にも繋がっている。平和が欲しいから、戦える。守りたいから、強くなれる。今の自分には、守るべきものがある。
ならば——やれる。絶対に。
セラは深く息を吐いて、眠りの深みに落ちていった。フクロウの声が、遠くから聞こえる。森が、静かに、三人の眠りを守っていた。
眠りに落ちる直前、セラはふと思った。
守護隊に入って、修行して、聖三角を習得して、初任務をこなして——そのどれもが目まぐるしい体験だった。でも今日は、ただ普通に一日を過ごした。市場で買い物をして、ピクニックをして、夕日を見て、愛の言葉を聞いた。
その「普通」が、一番豊かだった。
アリアの「好きよ」という言葉が、耳の奥に残っている。リリナの「大好き!」も。
俺も、好きだ。大好きだ。二人のことが。
その気持ちを胸に抱いて、セラは静かに眠りについた。平和な夜。守るべき平和。守りたい笑顔。それがある限り、セラ・ウィスパーウィンドには戦う理由がある。
夢の中でも、三人は一緒だった。
明日は、どんな一日になるだろう。また平和であればいい。また三人で笑えればいい。それだけでいい。それが、今のセラの全部だった。
守護隊員として、修行は続く。任務もある。黒い影はまたやってくる。でも——
今日みたいな日を、積み重ねていくために戦う。
それが、セラ・ウィスパーウィンドの、エルフ転生四十四日目の、結論だった。
フクロウが、もう一度鳴いた。
セラは、それを最後に聞きながら、深い眠りへと落ちていった。




