第2話 美形エルフと覚醒
# 第2話 美形エルフと覚醒
## ◆新たな朝の目覚め
目が覚めた。
最初に認識したのは、天井だ。
木材で組まれた天井。昨日も見た天井だ。整然として美しく、前世のアパートの染みだらけの天井とは別物だ。あの染み、犬に見えると気づいてからずっと気になり続けた。引っ越す直前まで「あれ犬だよな」と天井を眺めながら思っていた。
(……この天井は犬に見えない。良い)
体を起こした。ベッドは柔らかい。シーツは白くて清潔だ。窓の外から鳥の声がする。
前世のアパートは、朝一番に聞こえるのが隣の部屋のテレビだった。壁が薄かった。毎朝ニュースを聞かされ「ああ今日も月曜か」となった。その次に聞こえるのが上の部屋の足音で、その次が外の工事音で、その次が——
(鳥の声の方が断然いい。今まで気づかなかったが、鳥の声には癒し効果がある)
転生してから気づいたことがある。前世の俺は、「良い環境にいる」という感覚を持ったことがほとんどなかった。良い環境の比較対象がなかったからだ。エルフの森に来て初めて「あれは良くなかったんだ」と気づいた。朝が、こんなに穏やかに始まれるのか、と。
立ち上がる。部屋の隅に、姿見のような大きな鏡がある。
銀髪。緑色の瞳。長く尖った耳——昨日から何度も見ているのに、まだ慣れない顔だ。
(頭では分かっているのに、鏡の中の顔が「自分」だと結びつかない)
ぼんやりと鏡を見ていると、ふと気づいた。
この耳は——よく聞こえる。よく聞こえすぎる。
前世の俺は「音が多いな」と感じた時、耳を塞ぐか音楽を流すか、その二択だった。でもここはエルフの森。どこもかしこも音がする。しかも——
(全部聞こえる。全部が、等しく、強く、聞こえる)
これは昨日から続いている問題だが、今朝も健在だった。
## ◆耳の苦悩
廊下から、誰かの足音がする。と思ったら、その足音から「軽い足取りで歩いている」「おそらく体の軽い人物」「床の木材の二枚目と三枚目の間に段差がある」という情報まで読み取れる。
(……いや待て。これ情報量が多すぎないか)
窓の外では鳥が鳴いている。「二羽いて、片方が威嚇している」という情報が音から自動的に読み取れてしまう。
(耳のハイスペックに、俺のOS側が追いついてない)
しんどい。正直に言うと、しんどい。
情報が多すぎる。全ての音が等しく耳に飛び込んでくる。選別できない。脳の処理が追いつかない。頭が少し痛い。
(これは昨日も同じだった。前世の俺は、音の優先順位を無意識に整理していた。コンビニの有線放送は「流す音」、客の呼び声は「拾う音」。自然と区別していた。でもここでは——全部が「拾う音」として飛び込んでくる。エルフの耳の設計思想が違うのか、それとも俺の操作スキルが不足しているのか。たぶん両方だ。でも片方でも解決すれば、少しはマシになるはずだ。魔力が関係しているとアリアが昨日言っていたから、魔力を安定させれば耳も落ち着くのかもしれない。今日の練習はそこを重点的に——)
「セラ?」
ドアをノックする音と共に、声が聞こえた。
「……アリア?」
「そう。入っていい?」
「ああ、どうぞ」
ドアが開き、金髪の少女が部屋に入ってきた。白いワンピース。尖った耳。アンバー色の瞳が、心配そうにセラを見ている。
「大丈夫? なんか顔が青白い」
「……少し、音が気になって」
「音?」
「全部が聞こえすぎて。どの音に集中すればいいか……」
アリアが、ああ、という顔をした。
「それ、魔力が安定してないと起きるの。感覚が過敏になるんだよ」
「魔力が……?」
「うん。魔力がコントロールできてないと、エルフの感覚器官が全力で働きすぎちゃう。普通は自動で調整されてるんだけど」
(なるほど。CPUが高負荷で冷却ファンが全力で回り続けてる状態だ)
「どうすれば落ち着く?」
「魔力を安定させること。あと……」
アリアが少し考えてから、セラの隣に座った。そして、両手でセラの手を包んだ。
温かい。柔らかい。
そして——
耳に入ってくる音が、少しずつ落ち着いた。
(……え?)
さっきまで全部等しく飛び込んできた音が、今は「必要な音」と「不要な音」に整理されていく。
「落ち着いた?」
「……うん。なんで?」
「私の魔力が、セラの魔力を安定させてるのかも」
アリアがしれっと言った。
(しれっと言ったが、これはすごいことじゃないのか? この子、スペック高すぎないか)
## ◆魔力の脈動
そういうわけで、魔力についての授業が始まった。
場所は部屋の中。先生はアリア。生徒はセラ。
(転生後は美少女エルフから魔力の授業を受けることになった。人生の振れ幅が大きすぎる。前世の俺に言ったら卒倒するか、あるいは「いいな」と言うか——後者だな絶対に)
「魔力ってね、体の中を血液みたいに流れてるんだよ」
「血液みたいに?」
「うん。でも血管とは別のルートを流れてる。感じる? 体の中で何かが流れる感覚」
意識を体の内側に向けた。……ある。確かにある。
「……感じる。何かが流れてる」
「それが魔力。セラの場合、普通のエルフより量が多いから——」
「多いと何か問題があるのか?」
「コントロールが難しくなる。水が多いほど、溢れやすいでしょ。それと同じ」
(容量の大きいバッファが制御できてない状態だ)
「じゃあ俺は、水道管を制御できてないまま大量の水が流れてる状態ってこと?」
「うん、まさに。上手くいくと、自分で魔力を操れるようになる」
アリアが自分の手に目を向ける。そっと手を伸ばすと、指先から淡い光がこぼれた。
(おっ!!)
「これが魔力を表に出した状態。制御できてると、こうやって光になって出てくる」
「制御できてないと?」
「暴走する。セラが昨日やったみたいに」
(昨日。手から光が漏れて、部屋が揺れかけた。あれが暴走だったのか。——俺の暴走は規模がでかい。初日にすでに地震もどきを起こした。魔力量が多い、というのは喜ばしいのか心配なのか、今の段階ではよくわからない)
「……俺も、やってみていいか?」
「もちろん。ゆっくりやってみて」
セラは自分の手を見つめた。体の中で流れる何かを意識する。手の平に向かって、少しずつ集めてみる。
じんじんとした感覚が手に集まってくる。
「あっ! 出てきてる! 光が!」
アリアが興奮した声を上げた。
手の平から青白い光がうっすらと漏れ始めていた。
(おおっ!!! これ……すごい)
「セラ、才能あるよ! 初日でここまでできるエルフ、あんまりいないから」
「そうなのか?」
「うん。普通は一ヶ月くらいかかるの」
(一ヶ月を初日でクリア。素直に嬉しい。前世で「才能がある」と言われた記憶が、ほとんどない。仕事で「使えないわけじゃないけど特出したものもない」みたいな評価を漠然と受け続けていた。「才能がある」という言葉は——悪くなかった)
「アリアが教えるのが上手いんだよ」
「えへへ」
アリアが照れたように笑った。
(この「えへへ」、何回見ても癒される。前世の職場では全員が「はあ」か「了解です」だった。疲弊した社会だった)
## ◆暴走の予兆
その直後。
事件が起きた。
アリアが「もう一回やってみて」と言いながら、セラの手に触れた。温かい手が、セラの手を包む——その瞬間。
(あっ)
魔力が、跳ねた。
さっきまで穏やかに手の平で光っていた青白い光が、突然倍以上に膨れ上がった。壁に映る光の影が大きくなる。棚の上の小物がカタカタと揺れ始める。
「わっ——セラ!?」
「わかってる! 止めようとしてる!」
だが、止まらない。
ダムが少し開いたと思ったら、全開になってしまったような感覚。「ゆっくり流す」を意識すればするほど、逆に全部流れ出そうになる。
(魔力よ。頼む。聞いてくれ。今は——今は抑えてくれ)
「セラ、手を握って!」
アリアがセラの両手を強く握った。
瞬間。
魔力が、すうっと引いた。水が凪ぐような感覚。光が消える。棚の小物が静止する。
部屋が、元の静けさに戻った。
「……はあ」
セラは大きく息を吐いた。肩の力が抜ける。
「大丈夫?」
「……うん。ありがとう、アリア」
「良かった。びっくりしたよ」
アリアがほっとした顔をした。
「なんで急に……?」
「わからない。急に弾けた感じ」
「うん、わかった。それたぶん、さっきの練習で魔力が活性化しすぎてたんだと思う。私が触ったのが、きっかけになったのかも」
(……つまり、俺の魔力はアリアに触れられると反応するのか。反応する理由は魔力の安定化——だけじゃない気もするが、今はその分析は置いておこう)
「……俺、まだまだ練習が必要だな」
「そうだね。でも、すごく速いペースで進んでるよ。焦らなくていい」
アリアが少し笑いながら、握っていたセラの手を離した。
(この子の「焦らなくていい」という言葉が、不思議と落ち着く。前世の職場では「早くしろ」しかなかった)
「……ありがとう」
「またありがとうが増えた」
「カウントするな」
「してないよ。でも、多い」
二人でまた笑った。
## ◆制御の試み
それからしばらく、魔力の練習が続いた。
「もっと柔らかくイメージして。力じゃなくて、流れに乗せる感じ」
「流れに乗せる……こうか?」
「惜しい! あと少し」
「惜しいって、どのくらい惜しいんだ?」
「三割ハズレ」
「七割は合ってるのか。じゃあ良くないか?」
「七割じゃダメ! 魔力の七割制御は、逆に言うと三割が暴走するということだから」
(三割の暴走。部屋が揺れるレベルだからな。炎上案件だ。七割の成功率で宇宙船を飛ばすようなものだ。三回に一回墜落する宇宙船は飛ばしてはいけない)
「……わかった。もう少し丁寧にやってみる」
深呼吸。体の中の魔力の流れを意識する。手の平に向かって、ゆっくりと——
光が出た。今度は安定している。揺れない。暴れない。穏やかな青白い光。
「できてる! セラ、できてる!」
アリアが嬉しそうに声を上げた。
(……素直に喜べる。エルフになって性格まで変わった気がする。前世の俺は「誰かに褒められる」と反射的に「そんなことはないです」と言っていた。謙遜が習慣になりすぎていた。今は——「できた」と素直に思う)
「……よし」
セラは手を握った。光が消える。
「アリアが教えるのが上手いんだよ」
「えへへ」
アリアが照れたように笑った。
「いや、セラが理解が速いんだよ。私が言ったことをちゃんと聞いてくれるから」
「……アリアの説明が分かりやすいから」
「私の?」
「水道管の比喩とか、水が多いほど溢れやすいとか——前世でも似た概念があったから、すっと入ってきた」
「前世でも魔力に似たものがあったの?」
「魔力はなかったけど、「量が多いほど制御が難しい」という概念は色んな分野にあった」
「たとえば?」
「……電流とか。水圧とか。感情の爆発とか」
アリアが少し考えた顔をした。
「感情の爆発?」
「怒りが強いほど、抑えにくい。それと同じ」
「ああ、わかる。私も怒ったとき、魔力が揺れることがある」
(アリアも魔力が揺れることがあるのか。この子、普段はずっと穏やかだから——怒ることがあるのか、という方が意外だった)
「アリアが怒るの?」
「怒るよ! たまに!」
「どんな時に?」
「……セラが無理しようとしてる時、とか」
思わず黙った。
(俺が無理しようとしてる時、か——それは「心配している」という言い方を「怒る」と表現したのか。それとも、本当に怒るのか)
「……覚えておく」
「ちゃんと覚えてね」
アリアが少し真剣な顔で言った。
## ◆アリアの予感
練習が一段落して、二人は窓辺に並んで座った。
午後の光が斜めに差し込んでいる。エルフの森は静かで、でもどこかに生き物の気配がある。鳥の声。風の音。葉のざわめき。さっきよりずっと、心地よく耳に届く。魔力が少し安定したからか。
「ねえ、セラ」
「うん」
「昨日から様子がおかしいよ」
アリアが、静かに言った。からかうでも、責めるでもなく。ただ事実を確認するように。
「おかしい、って」
「なんか……記憶が混乱してる感じ。私のことも、ここの生活も、全部を初めて見るような目で見てる」
(……鋭い。観察眼がある)
「……少し、記憶が混乱してる。昨日、何かあったみたいで」
「セラ」
「うん」
「それって、もしかして……別の世界の記憶?」
(——!!)
思わず黙った。
「エルフの伝説にね、稀に別の世界の記憶を持って生まれてくる子がいるって話があるの。そういう子は魔力が特別強くて——」
「……それ、どこで聞いた?」
「お母さんが昔、長老から聞いた話として教えてくれた。セラは生まれた時から魔力が強かったから、もしかしたら、って」
(この世界に転生者の概念がある? それとも単に「別世界の記憶を持って生まれる稀な存在」として認識されているのか。どちらにせよ、アリアはほぼ察してる気がする)
「アリア、その話——もう少し詳しく教えてくれるか?」
「うん、もちろん。あんまり詳しくないけど」
アリアは少し考えてから、話し始めた。
「そういう子はね、記憶が混乱することがあるって。別の世界の知識と、この世界の知識が混ざり合って、どっちが本当かわからなくなる時期があるって」
「……そういう時期が、あるのか」
「うん。でもね、大丈夫だって。長老が言ってた——そういう子は、必ず誰かに支えられて、ちゃんとこの世界に根ざしていくって」
アリアがセラを見た。真剣な目で。でも、その目は優しい。
「私が支えるよ。セラがどっちの世界の記憶を持ってても、今ここにいるのは確かだから」
(……この子は、どうしてこんなに真っ直ぐなんだろう)
「ありがとう、アリア」
「何に?」
「色々と」
アリアが少し首を傾けた。それから、にっこり笑った。
「セラが元気になったら、それでいいよ」
窓の外で、鳥が一声鳴いた。
## ◆前世の話
練習が一段落した後、アリアがお茶を持ってきた。今日の練習で魔力がずいぶん揺れたから、安定のためにと言って。
部屋の窓辺に並んで腰掛けた。午後の光が斜めに差し込んでいる。
(……魔力が安定すると、耳も安定する。アリアの言っていた通りだ。今、外の音が——ちゃんと「必要な分だけ」聞こえる気がする)
お茶を飲みながら、セラは自分の手を見つめた。今日初めて意図的に光を出した手。練習を重ねてコントロールが少し向上した手。
「ねえ、セラ。前世の世界ってどんな感じだった?」
「……とにかく、忙しかった。毎日仕事して、疲れて帰って、また次の日仕事して」
「仕事って、何をするの?」
「書類を作ったり、会議をしたり。あと、上司に怒られたり」
「上司?」
「偉い人に従う仕組みがある。その偉い人が、色々と指示を出すんだ」
「ふーん。エルフにも長老はいるけど、怒られることはあんまりないかな」
「エルフの長老は優しいのか?」
「怖いときはあるよ。でも、怒鳴ったりはしない。言葉で諭す感じ」
(前世の上司は、怒鳴るタイプだった。部長の怒号が廊下まで響いていた。エルフの長老の方が遥かに文明的だ)
セラは窓の外を眺めた。森の木々が風に揺れている。
「アリア、そういえば——長老は、今どこにいるのか知ってるか?」
「長老? たぶん集会所の方かな。毎日あそこにいるから」
(長老。その言葉を聞いた瞬間、なぜか胸の奥に何かが引っかかった。具体的に何かがあるわけじゃない。ただ——その言葉が何か大事なものに関係している気がした。アリアが言っていた「別世界の記憶を持つ子」の話を、長老が知っている。長老はセラのことを、何か知っているのか)
「長老に会ったことはあるか?」
「小さい頃に何回か。あんまり覚えてないけど」
「長老は、俺のことも知ってるのか?」
アリアが少し考えた。
「……知ってると思う。セラが生まれた時に、お母さんが長老と話したって言ってたから」
(セラが生まれた時。この体が生まれた時に、長老は何かを言ったのか? それが「別世界の記憶を持つ子」という伝説と関係しているのか?)
「気になるな」
「そうだね。今度、聞いてみようか」
「……うん、そうしよう」
アリアがにっこりした。
「まあ、今日はゆっくりしようよ。魔力の練習、だいぶ頑張ったんだから」
「……そうだな」
(……確かに。今日は初めてちゃんと光を出した。コントロールが少し上手くなった。長老の話は——次で良い。今日はアリアの言う通り、ゆっくりしよう)
「アリア、前世の世界の話、もっと聞きたい?」
「うん、聞きたい!」
「前世では、朝ごはんは自分で買いに行ってたんだ」
「えっ、誰も作ってくれないの?」
「一人で住んでたから」
「……一人で? 寂しくなかった?」
(寂しかったかどうか——なかった、と思う。一人暮らしを始めた最初の頃は少し寂しかった気もするが、慣れた。慣れてしまうと「一人が普通」になった。比較対象がなければ、寂しくもない。でも——)
「今は寂しくない。アリアがいるから」
言ってから、少し驚いた。こんなに素直に言えるとは。
アリアが目をまるくした。それから、少しだけ頬が赤くなった。
「……そういうこと、さらっと言わないでよ」
「事実を言っただけだ」
「それがさらっとなの!」
(……前世の俺は、こういうことを言えなかったな。思っても言えなかった。言わない方が「大人らしい」と思っていた。でも——言った方が、アリアが赤くなって面白い)
「えへへ」
今度はアリアじゃなく、セラが笑った。
## ◆夜の静けさ
夕食を食べ終えて、セラは一人で部屋に戻った。
窓を開けると、夜のエルフの森から音がする。昼とは違う、静かで深い音だ。虫の声。遠くで何かが動く音。風が木の葉を揺らす音。
(……きれいな夜だな)
手の平を見つめた。
(……魔力、か。これが俺の力になるのか)
前世の俺には、特別な力なんてなかった。今は——銀髪のエルフで、魔力が多くて、将来的には制御できるようになる(らしい)。しかも初日に手の平から光を出すことに成功した。
光を出してみる。手の平に意識を集中させると、うっすらと光が漏れた。今朝よりは安定している。揺れが少ない。練習の成果か、アリアの指導の成果か。
「セラ、寝る前に温かいもの飲む?」
ドアの向こうからアリアの声がした。
「あ、ありがとう。もらう」
しばらくして、アリアがハーブティーのようなものを持ってきた。青い花が浮いている。陶器のカップは手の平に収まるくらいの大きさで、温かみが伝わってくる。
「エルフの森のお茶。魔力を安定させる効果があるって、お母さんが」
「そうなのか」
一口飲むと、甘くて、少し草の香りがする。悪くない。後味がすっきりしていて、前世のコンビニのお茶とは全く違う。これが「本物の薬草茶」というものか。
「美味しい」
「でしょ? 毎日飲むと魔力が整うって」
二人でしばらく、その場に座ってお茶を飲んだ。話すわけでもなく、ただ一緒に。窓の外で虫が鳴いている。お茶が温かい。アリアが静かにそこにいる。
何もしない時間だった。でも——何もしないのに充実していた。前世の俺は、休日に何かしなければという強迫観念があった。何もしていると「無駄だ」という気がした。でも今夜の「何もしない時間」は、そういう焦りがなかった。
(前世では、誰かと何もしない時間を過ごすことが、ほとんどなかった)
「そろそろ寝るね」
アリアが立ち上がった。
「ありがとう、アリア。お茶も、今日のことも」
「当たり前でしょ」
また、あの言葉だ。
(当たり前でしょ。——前世の俺は「当たり前」にしてもらえることがほとんどなかったな。誰かが作った朝ごはんを食べたのは、いつ以来だろう。誰かに「才能がある」と言われたのは。誰かと一緒に夜のお茶を飲んだのは)
「おやすみ、セラ」
「おやすみ、アリア」
ドアが閉まった。
セラはお茶の残りを飲み干した。
体の中の魔力は、静かに流れていた。昼間より、ずっと安定している。アリアのお茶の効果か、練習の成果か、それとも——アリアが隣にいた時間のせいか。
アリアが部屋を出る前に、一瞬だけ、何かを言いかけた。言いかけて——やめた。口が開きかけて、閉じた。その一瞬の躊躇が、セラの目にはっきりと見えた。
(……今日も、何を言おうとしていたのか。気になるが、聞けなかった)
セラはそれをぼんやりと思い出しながら、目を閉じた。




