第126話 再会、そして休戦
# 第126話 再会、そして休戦
偶然の遭遇
夜の魔族の集落は、意外なほど穏やかだった。
……のっけから言うが、俺のイメージと全然違う。
魔族の集落といえば、なんか炎が燃えてて、ドクロが飾ってあって、みんなが剣を持って睨み合ってるとか、そういうの想像してたんだけど。
(ダークな物語で描かれる魔王城のイメージが強すぎた。あれはあれで創作だ。現実は違う)
子供が走り回り、屋台のおっちゃんが客と値段の交渉をし、どこかから食欲をそそる匂いが流れてくる。老人が井戸端で談笑しており、若い魔族の男女が連れ立って歩いている。平和だ。
俺——セラ・ウィスパーウィンド——は、変装魔法「イリュージョン・ディスガイズ」で魔族の青年に化けながら広場を歩いていた。本来の金髪は漆黒に、エルフの尖った耳も魔族っぽい丸みにある。紫の瞳も隠した。全体的に色黒で筋肉質な男に見せている。
アリアとミサトは集落の外で待機中だ。「少しだけ偵察してくる」と言って出てきた。二人には心配をかけているが、俺一人の方が目立たない。エルフが三人で歩いていたら、それだけで怪しまれる。
屋台の前で足が止まった。黒い皮に包まれた、焼き芋みたいなものが売っている。香ばしい匂いが漂ってきた。
「……おっ、珍しい客だな。どこから来た?」
屋台のおっちゃん——皺だらけの顔に、親しみやすい笑顔——が声をかけてくる。
「あ、ええ。遠くの村から。旅の者です」
「ほう、ようこそ。これ、持ってきな」
渡された黒い包みを恐る恐るかじってみると——甘い。人間界の焼き芋より少しクセがあるが、うまい。皮の部分は少し苦く、それが後から来る甘さを引き立てている。
(……魔界芋、意外に高度な味がする。甘みと苦みのバランスが絶妙だ)
「……魔界芋だよ。一番人気なんだ!」
いつの間にか近くに子供が集まっていた。角が生えた男の子が、胸を張るように言う。
「ありがとう。君は?」
「ボクはトト。9歳! お兄さんはどこから来たの?」
「遠くの村から。旅をしてるんだ」
「旅の人だー! すごい!」
子供たちが集まってくる。みんな目が輝いている。七、八人はいるだろうか。全員が角のある小柄な体つきで、それ以外は人間の子供と全く変わらない。
(……どこの世界でも子供は変わらないな)
魔族の子供も、人間の子供も、よそ者には好奇心旺盛らしい。
「ねえお兄さん、面白い話してよ!」
トトがせがむ。キラキラした目をしている。断れない。
「じゃあ……人間界の話をしようか」
子供たちが歓声を上げた。俺は子供たちの輪の中に加わった。人間界の学校の話、食べ物の話、風景の話。初めて聞く話に、子供たちの目が輝く。広場の端の方に寄って、腰を下ろした。
「人間の学校ってどんなの?」
「大きい建物があって、たくさんの子が一緒に勉強するんだよ。魔法の授業もある。火の魔法、水の魔法、風の魔法——自分に向いた属性を見つけて、練習するんだ」
(この世界の話だけでも、子供たちには十分面白いらしい。よかった)
「いいなあ……ボクたち、魔法使えないから」
トトが急に寂しそうな顔をした。頭の角が少し垂れ下がった気がした。
「魔法が使えないの?」
「うん。ボクたち下級魔族だから。魔力が少ないんだ。上級魔族だけが、強い魔法を使えるんだよ」
「じゃあ俺たちは一生使えないんだ」
別の子供が諦めるように言った。
俺は胸が痛くなった。魔力の差別、か。エルフの社会にも似たようなものはあるが、子供がこんなに自分の能力を恥じているのは見たことがない。
それに、俺も学園の入学試験の前に「自分には何も取り柄がない」と思っていた時期があった。周囲との差に押しつぶされそうになっていた。あの時の感覚と、この子たちの表情が、少し重なった。
「魔法が使えなくても、いいことがあるよ」
「え、何が?」
「人の優しさ、友達との絆、笑顔——そういうのは、魔法じゃ作れないから」
短い言葉だが、俺は精一杯言った。
「お兄さん、すごい!」
トトの目が輝いた。
「ほんとだ! 魔法が使えなくても、ボクにはトトたちがいるじゃんか!」
「そーだよ! 友達がいれば大丈夫!」
子供たちが歓声を上げる。
俺は微笑ましく思う。魔族の子供たちも、人間の子供たちと変わらない。純粋で、優しさに飢えている。きっかけを一つ与えるだけで、自分で答えを見つけることができる。
子供たちはそこから次々に質問を投げかけてきた。人間界の食べ物はうまいのか、海というのは本当にあるのか、エルフというのはどんな生き物なのか——俺は嘘をつかないように気をつけながら、答えた。途中で魔界芋のおかわりをもらった。
そんな時だった。
「……なにか、探しているものでも?」
突然の声。
俺の肩が強張った。
振り返る。
……なんだこれ。
銀色の髪が夜風に揺れている。月光を浴びて輝く、まるで銀糸のような髪。華奢な体つきに、その双眸には鋭い知性と、どこか寂しげな光が宿っている。
ルナだ。
魔族の姫君。数回戦った相手。あの黒い炎と影魔獣を操る強大な魔法の使い手。
(心臓が跳ねた。……やばい。超やばい。変装は効いてるはずだけど、この人、割と勘鋭いんだよな。俺が変装してることを知らなくても、普通じゃない何かを感じ取りそうで怖い)
しかし今の彼女は、戦う気配など微塵もない。何かを探すような視線で、広場を見回している。その瞳には、どこか疲れたような、諦めたような色がある。
「……あなたは?」
ルナがこちらを見る。
「あ、ただの旅行者で。道に迷って」
「旅行者?」
ルナの瞳が細められた。鋭い視線が俺を値踏みしている。
「魔界の森に、旅行者が来るのは珍しいわね。それに……あなたの雰囲気、普通の魔族じゃないわ」
(バレかけてる!? いや、完全にはバレてない。とりあえず落ち着け俺。冷静に、穏やかに。難易度は高いが気にしない)
「実は人間の領域から来たんです。魔族の暮らしが気になって」
「人間から?」
ルナの表情に、かすかな興味が浮かんだ。
「珍しい。人間が魔族の暮らしを見たいと?」
「はい。ここに来てみたら……とても平和で、驚きました」
「……平和、ね」
俺の言葉に、ルナは少しだけ表情を緩める。が、すぐに視線を広場の子供たちに向けた。子供たちはまだ走り回っている。ルナはその様子を、どこか羨むような目で見ていた。
「そうかも知れない。でも」
ルナは遠くを見つめた。
「私には、関係のない世界よ」
声をかける
「関係のない世界、とはどういう意味ですか?」
俺は自然に聞いた。
ルナは少し視線を逸らす。何かを言い淀むような、その様子。長い睫毛が、かすかに揺れた。
「……なにも。話すことじゃないわ」
「あなたは何を探しているんですか?」
「……なにも。大事なものを、ただ失ったと思っているだけ」
「大事なもの?」
「……話すことじゃない。あなたは人間でしょう? 私と話していると、他の魔族に怪しまれるわよ」
彼女はそう言って、立ち去ろうとした。
広場の喧騒の中に、銀色の背中が溶けていく。スラリとした背筋が、夜風の中で微かに揺れる。
(行ってしまうか?)
俺は迷った。
敵だ。数回戦った敵だ。その実力の片鱗を見た。黒い炎と影魔獣でこちらを追い詰めた。アリアもミサトも、あの戦いの後しばらく震えていた。
でも。
(集落の情報で聞いた。ルナは話し相手がいない。人間界の学園に通っていたことがある。人間の冒険者を逃がしたことがある)
子供たちの笑い声が響く。ルナが「関係のない世界」と言った、あの笑い声が。
彼女の瞳の、あの孤独は——誰かと重なった。誰かの、孤独と。
「待ってください!」
俺は声をかけていた。
ルナが立ち止まる。
「あなたは……ルナ、ですよね」
「……どうやって知ったの?」
警戒が一気に高まった。それがわかる。彼女の手が、わずかに魔力を帯びた。
「噂を聞いたんです。魔族の姫君が、人間に関心を持っていると」
「あなたは本当に、ただの旅行者なの?」
鋭い視線。
俺は逃げないことを選んだ。
「……実は」
深呼吸をする。アリアたちが待っている。危険かもしれない。でも——
「変装を解いてもいいですか? 正体を明かします」
「正体?」
ルナの瞳が揺れた。
魔力を込める。イリュージョン・ディスガイズを解除する。
黒く染めていた髪が元の銀色に戻り、丸く見せていた耳が元の尖った形に戻る。エルフの特徴が露わになる。瞳の紫色も現れた。
「……セラ!」
ルナの声に驚愕が宿った。
「あなたは……セラ・ウィスパーウィンド!」
「はい。初めましてではなく、数回お会いしていますね」
俺は苦笑した。
(『初めましてではなく』って、ずいぶん穏やかな言い方だな。殺し合いしかけた相手にこれ言う奴いる? まあ、実際こうなった以上、穏やかにいくしかない)
ルナは一瞬、攻撃の構えを取るが、すぐに手を下ろした。広場の子供たちが近くにいる。戦うわけにはいかない、という判断もあるのだろう。
「……なぜここに? なぜ、わざわざ魔族の集落に?」
「情報を集めに来たんです。あなたのことについて」
「私のこと?」
警戒が頂点に達した。
「何のつもり? 私を暗殺しに?」
「いいえ。ただ……話がしたくて」
俺は誠実に見つめた。
「あなたと戦って、感じたことがあるんです。あなたは本当に、人間と敵対したいんでしょうか?」
「……!」
ルナの表情が揺れた。
「何を言っているの? 私は魔族の姫。人間は敵よ」
「じゃあ、なぜ人間の学園に?」
ルナは言葉を失った。
「……なぜ知っているの?」
「噂です。あなたがかつて人間の学園に通っていたと。人間の冒険者を、わざと逃がしたとも」
「……噂ね。生意気な魔族たちが、勝手に言いふらしているのでしょう」
「本当ですか?」
「……」
ルナは黙り込んだ。
夜風が二人の間を吹き抜ける。子供たちの笑い声が、遠くで響いている。
対話
「……いい?」
ルナが静かに口を開いた。
「私は魔族だ。人間とは違う。生きる場所も、価値観も、歴史も。でも」
戸惑いが混じる。
「孤独だと思っているの。私だけが……誰にも理解されていないと」
「……理解されていない?」
「上級魔族として生まれて、強大な魔力を持っている。でも、その魔力ゆえに恐れられる。他の魔族たちは、私を尊敬しながらも、距離を取るの。姫として扱うけれど、本当の友達はいない」
(……わかる気がする)
俺も最初は異常な魔力量で周囲を驚かせた。測定器が壊れた時の先生の顔を、今でも覚えている。アリアだけが、そんな俺を普通に接してくれた。
「人間の学園に通ったのは、そんな孤独から逃げたかったからよ。人間なら、私の魔力を知らない。普通の人間として接してくれると思ったの」
「……どうでしたか?」
「失望したわ」
ルナの瞳が遠くを見つめた。月明かりが、その銀色の瞳に映っている。
「人間も、魔族も、変わらない。差別と偏見に満ちている。自分たちと違うものを排除しようとする。ちょっと行動が違うだけで、裏で噂された。それに気づいて、嫌気が差したの。……だから学園を去った」
「でも、人間の冒険者を逃がしたのは?」
「……ただの子どもだったからよ。まだ駆け出しの冒険者で、18歳にも満たない少年だった。彼が震えているのを見て、私の手が出せなかった。ただそれだけよ」
(……これ、普通に優しい人じゃないか)
敵対する魔族の姫君が、人間の少年を助けた。その事実に、俺の中の何かが変わった。
「あなたは……悪い人じゃないんですね」
「魔族に善悪なんてないわ。ただ、立場が違うだけ」
ルナはカズヤを見た。
「あなたは? なぜ私に話しかけたの? 正体を明かしてまで、私と話したいと思った理由は?」
俺は誠実に答えた。
「あなたと戦った時、感じたんです。あなたの魔力、あなたの瞳……孤独だ、と」
「……孤独?」
「はい。私も転生者なんです。前世が人間で、今はエルフの体。どこにも属さない、孤独な存在だと思っていました。でも、アリアやミサトに出会って、救われました」
ルナの瞳が揺れた。
「転生者……?」
「はい。前世は人間として生きて、29歳で事故死しました。そしてこの世界に、エルフの体で転生したんです」
(こんな話、普通は信じてもらえないんだけど……)
「最初は混乱しました。自分が誰だか分からなくて。でも、アリアという幼馴染がいて、彼女は私を受け入れてくれた。前世の記憶を持つ私を、ただのセラとして愛してくれた」
「……」
「あなたにも、そんな存在がいていいはずだ。と思ったんです」
ルナは、長い沈黙の後、小さく微笑んだ。その笑顔は、どこか少女のようで、凄絶な戦闘をしたあの姫君とは違う表情だった。
「……あなたは変わっているわね。エルフでありながら人間の記憶を持ち、魔族の姫に共感して」
「変ですよね」
「……ううん。悪い意味じゃないわ」
(なんか、初めての場所で初めて会った人と、気づいたら深い話をしていた——あの感覚に似ている。なんで俺、魔族の姫とこんな話してんだ。でも、嫌じゃない)
二人は、自然と笑い合った。
敵同士。数回戦った相手。でも今夜は、戦いの空気はない。
休戦の約束
「……今日は戦わないわ」
ルナが宣言した。その声には、迷いがなかった。
「あなたの正体も知れたことだし。今日は休戦としましょう」
「はい。ありがとうございます」
「私も戦う気はありません。ただ、あなたと話がしたかっただけです」
「ふふ。そう言ってもらえると、嬉しいかも」
ルナの表情が、少しだけ柔らいだ。魔族の姫の顔ではなく、ただの一人の女性の顔。
「……セラ」
「はい」
「また、会えるかしら」
(……どう答えるべきか。敵だ。まだ戦う可能性がある。でも。彼女の孤独を知った今、「また会う必要はない」と切り捨てることが、できなかった)
「……会いたいです。また」
ルナは少し驚いたような顔をして、すぐに微笑んだ。
「……ふふ。あなたも、変わっているわね」
彼女は去っていく。銀色の髪が夜風に揺れる。長い足で、広場を横切っていく。その背中は、どこか寂しそうで、でも少しだけ軽くなったように見えた。
去り際、振り返る。
「……休戦、のちまた」
その言葉が、夜風に溶けていった。
(……『のちまた』ってなんだ。また会うという意味か? かわいい言い方するな。次に戦う時でも、この言葉を思い出してしまいそうだ)
俺はしばらく、彼女の背中を見送った。
広場では子供たちがまだ笑っている。トトが何か別の子に教えているようだ。
魔族の集落の夜。平和な日常。ルナも、そんな日常の中に生きていけるといい——
そんなことを考えていた俺は、ゆっくりとアリアとミサトが待つ場所へ向かった。
***
「……セラ!」
森の影からアリアが飛びついてきた。
「無事だった? 長かったよ! 心配したんだよ!」
「ごめん、ごめん。ちょっと予想外のことがあって」
「予想外って?」
「ルナに会った」
静寂。
「…………ルナに?」
ミサトが眉を上げた。
「正体も明かした。話をした。休戦の約束をした」
「……セラ。あなた、何考えてるの」
「え、ダメだった?」
「ダメとかじゃなくて——」
ミサトは額に手を当てた。
「……まあ、あなたがそう判断したなら。聞かせなさい、何を話したか」
三人は野営地に戻り、焚き火を囲んで座った。俺は順を追って説明した。ルナの孤独のこと。人間の学園に通っていたこと。少年の冒険者を逃がしたこと。転生のことも打ち明けたこと。
「……転生のことまで話したの?」
ミサトが少し驚いた顔をした。
「ああ。信頼してもらうためには、必要だと思った」
「無防備すぎないかしら。彼女が利用しようとしていたら……」
「その可能性は、ゼロじゃない。でも、俺はルナが本当に孤独で、話し相手を求めていると感じた。人を見る目は——この世界で培ってきた直感だ」
(……大袈裟なことを言ったが、実際この直感は信じたい)
「彼女、本当に孤独なんだね」
アリアが静かに言った。
「魔族の姫君なのに、話し相手がいない。カズヤと……なんか、似てるね」
「似てる?」
「うん。カズヤも異常な魔力量で、最初は周囲に距離を置かれてたじゃない。私が引っ付いてなかったら、どうなってたか」
(……アリア、それ鋭い。アリアがいなかったら、俺はこの世界でもずっと一人のままだったかもしれない)
「仲良くなれるといいね。ルナとも」
アリアが優しく言った。
「……うん。そうだね」
「ふふ。セラは優しいね」
アリアがカズヤの腕に寄り添う。焚き火の光が、アリアの金色の髪を照らしている。
「でも、気をつけて。彼女は敵よ」
ミサトが真剣な顔で言った。
「分かってる。でも、敵だからこそ、話す必要があるんだ。戦いだけじゃ、何も生まれないから」
「……セラ」
ミサトが感心したように——そしてどこか複雑そうに——言った。
「あなたは本当に、楽観的だわ。でも……悪くないわね。ルナ姫が孤独なのは、私も戦いの中で感じていた。彼女の魔法には、どこか孤独な熱があった」
「そうだろ。だから」
「でも、次に会う時はしっかり警戒もする。それは忘れないように」
「了解、騎士様」
「……敬称をつけるな、気持ち悪い」
三人は笑い合った。焚き火がパチパチと音を立てている。夜空には星が輝いている。魔界の森の夜も、美しかった。
「寝ようか。明日は旅を続けないと」
「うん。おやすみ、アリア。おやすみ、ミサト」
「おやすみ、セラ」
「おやすみ」
寝袋に潜り込む前に、俺はもう一度だけ空を見上げた。
ルナは今頃、どこにいるのだろう。集落の中か、それとも魔界の何処かに一人でいるのか。
「……休戦、のちまた」
小さく呟いた。夜風に、その言葉が溶けていく。
平和な夜だ。
それだけは、確かだった。




