第123話 魔姫との戦闘
# 第123話 魔姫との戦闘
## 戦闘開始
「じゃあ、始めるわよ」
ルナの声が夜気を切った。低く、静かで、それでいて圧倒的な重みがある。
その瞬間——黒い炎が噴き出した。
ドッ、と音がした。焚き火が消えた。空間そのものが闇に喰われたような感覚。深夜の魔界の暗闇が、さらに深くなる。
「ッ!」
セラは即座に障壁を展開する。
「ルミナス・シールド!」
光の膜が黒い炎を受け止める。光と闇がぶつかり合い、激烈な衝撃波が広がる。ドォォォォン!!爆音が森に響き渡り、周囲の木々が揺れた。
「うぐっ……!」
強い。
圧倒的に強い。Eランクの魔物とは次元が違う。魔力の圧が違う。空気が違う。想像の三倍は強い。
黒い炎がシールドを削ってくる。光属性の障壁なのに、じわじわ押されている。前線で戦ってそういうことが体でわかるのが最悪だ。
「セラ!」
「大丈夫。平気だ——けっこうギリギリだけど」
「ギリギリならギリギリと言ってください!」
「言うと心配するでしょ!」
「させてください!」
アリアが杖を構えようとしたその瞬間——
「邪魔よ」
ルナの声が冷たく響く。黒い炎の分身がアリアへ向かって飛んだ。速い。魔力の塊だ。
「きゃっ!」
「アリア!」
ミサトが剣を振るい、黒い炎を両断する。
「私は近衛騎士ミサト・ヴァレンタイン!」
ミサトの声が夜の森に響く。鎧が月光を反射してきらめいた。
「貴様らに私の仲間を傷つけさせない!」
「フフッ、言うじゃない」
ルナがわずかに口角を上げる。
驚いてはいるな。ミサトの剣技、本物だ。あのルナも多少は驚いている。少し眉が動く。熟練した戦士が予想外の相手に出会った時の顔だ。
「ルナが闇魔法を展開する!散らばって!」
ルナの両手から黒い炎が数十本の矢となって降り注ぐ。夜空を切り裂く闇の弾幕。圧倒的な量だ。
「散れ!」セラが叫ぶ。
「了解!」ミサトが右へ。
「わかった!」アリアが左へ。
セラは正面で受ける。火魔法の矢を放ち、黒い矢を迎え撃つ。赤と黒の炎が空中で激突し、爆音が連続して響く。
「いい魔力ね」ルナが言う。「でも、光と火だけで私に勝てると思わないで」
思いたい。でも正直ちょっと怪しくなってきた。あの魔力量、セラがフルパワーを出して互角かどうかという規模感だ。
ルナの指が動く。闇が形を成し、無数の影の獣となって三人を囲む。犬のような、狼のような、でも目だけが赤く光る存在が次々と実体化していく。
「影魔獣……!」ミサトが剣を構えなおす。「数が多い!どうします!」
セラは素早く数を数えた。
七体。いや十体。
増えてる。
「アリア、回復でサポート!ミサト、前線を頼む!俺が後方から撃つ!」
「了解!」
「任せて!」
役割を分けて、同時に対処する。三人でいると、それができる。一人なら追いつかない状況も、分担すれば捌ける。
## パーティの連携
ミサトが突進した。
「聖なる光よ、剣に宿れ——聖剣閃!!」
一閃。三体の影が消滅する。続けて、また一閃。また一閃。騎士の剣技は美しく、無駄がない。無駄のない動き、研ぎ澄まされた判断。この人が剣に費やしてきた時間が、その軌跡に滲んでいる。
「ミサト——!」
ルナの影の矢が、ミサトの左腕をかすめた。赤い線が走る。小さな傷だが、出血している。
「アリア、ミサトの腕を!」
「見てます!」
アリアが素早く詠唱する。
「光よ、傷を癒せ——癒やし!」
聖なる光がミサトの身体を包む。柔らかな輝きが腕を走り、傷口がたちまち塞がる。皮膚が再生し、出血が止まる。アリアの回復魔法。これがあることで、ミサトは果敢に前に出られる。三人の役割分担が噛み合っている。
「チッ、回復役がいると厄介ね」ルナの眉がピクリと動く。
「そうでしょうそうでしょう」
(悔しがってる。あのプライドの高そうなルナが、少し焦ってる——でも油断は禁物だ。強気な相手が焦ったふりをして隠し球を出す場合もある。まだ本気じゃないかもしれない)
「ミサト、無理すんな!」
「これが私のペースよ!」
ミサトが返しながら、また一体の影魔獣を斬り捨てた。血が出ない。影だから。消えるだけだ。その消え方が幻想的で美しくもある。
美しいとか言ってる場合じゃない。集中しろ。ここ魔界。戦闘中。
「影よ、集え!」
ルナの魔力が膨れ上がる。空間がひずみ、影の獣が増殖する。十体が五十体になり、五十体が百体になる。あっという間だ。
「こっちは増える一方……!」
「セラ、左から来る!」
「見えてる!アリア、中心から回復を維持して!」
「はい!」
「ミサト、右の大型を頼む!俺が左を処理する!」
「了解!」
三人の動きが噛み合い始めた。
ミサトが前線を切り開く。セラが光魔法で敵を削る。アリアが二人の傷を継続して治癒する。この形、学園の試験の時から積み上げてきた連携だ。理屈じゃなく体で覚えた動き。
「ミサト、三時方向!」
「見てる!」ミサトが振り向きざまに斬り下ろす。影魔獣が光に散った。「セラ、もっと範囲魔法で薙いで!個別に追うのが追いつかない!」
「了解!《ライト・ストーム》!」
光の嵐が広がった。周囲の影魔獣を一気に十体以上巻き込んで、消滅させる。
「すごい……!」アリアが目を見開く。「でも、バッテリーが!」
「問題ない。続けて!」
セラは言いながらも、実際にはじわじわと消耗を感じていた。光属性の大規模魔法は、魔力をごっそり持っていく。持続性を考えないといけない。でも今は攻め時だ。
「連携するわけね」ルナが苛立つ。「でも、これには勝てない」
彼女の身体が黒い炎に包まれた。
魔力が急激に膨れ上がる。周囲の木々が折れ、地面がひび割れていく。空間が悲鳴を上げる——あながち比喩ではなく、本当に何かが軋む音がする。魔界の大気が、ルナの魔力に反応している。
「魔人化……!」ミサトが後ずさる。
「《ダーク・ノヴァ》!」
ルナを中心に、闇の爆発が広がった。全方位に放たれた闇の波。真っ黒な津波が三人に迫る。木が消え、地が裂け、光が呑まれる。
「障壁で!」
「《ルミナス・プロテクション》!」
光の膜が三人を包む——が、闇の波は容赦ない。ギギギ、と障壁が軋む。亀裂が入る。光が押されていく。
「くそっ、突破される……!」
## 覚醒の兆し
その時だ。
心臓が——ドクン、と跳ねた。
(なんだこれ……熱い……胸が熱い……)
胸の奥から、何かが湧き上がってくる。
制御できない何か。
これまで感じたことのない感覚。魔力が血管を駆け巡り、全身が内側から燃えるようになる。熱い。灼熱。でも痛くない。むしろ、力が溢れてくる感覚。皮膚の下で何かが蠢く。そして、その核心で——何かが目覚めようとしていた。
「あ……あぁ……ッ!」
セラの身体が発光し始める。
最初は微かな光。次第に明るさを増し、夜空を照らすほどの輝きになる。光属性だけじゃない。風、火、水、土——あらゆる属性の魔力が混ざり合い、虹色の輝きを放っている。
「これは……!」
ルナの目が見開かれた。
余裕が消えた。代わりに純粋な驚きと、微かな——恐怖が浮かんでいる。
「まさか……古代エルフの……覚醒……!」
体が熱くて、制御が——できない。体の中から何かが決壊しようとしてる。意識の端が揺れ始める。
「ッ……!」
発光が一段階増す。
眩しさで、ミサトが目を覆った。アリアはそうしなかった——まっすぐセラを見ていた。怖いのに、逃げなかった。
「な、なにこれ……体が……!」
意識が飛びそうになる。
魔力が暴走寸前だった。
手足の先がしびれる。視界が白くなる。障壁の感覚が消えている——維持できていない。魔力が外へ、外へと流れ出す。抑えようとするほど増幅される。自分の意志が、魔力の奔流に飲まれていく。
内側から何かが圧迫する。肺が押されているような圧。息が浅くなる。こういう時に深呼吸するべきだとわかっているのに、それすらできない。
ルナが動こうとした。
その瞬間、ミサトが前に出た。両手で剣を構え直し、ぐらつく体で正面に立つ。
「……ルナ。今のあなたは、前進しない方がいい」
「何?」ルナの眉が跳ね上がる。
「あの魔力の流れ。制御が外れたら——あなたにも当たる」
実際にそうかどうかは分からない。でもミサトは言い切った。背中から見ていたセラには、彼女の肩が微かに震えているのが分かった。怖い。それでも立っている。
ルナは一瞬だけ考え、足を止めた。
視線がセラに向く。その目に、驚愕と——何か計算のようなものが浮かんでいた。
すべてが熱い。アリア——アリアはどこだ。ミサトは——
(制御できない……こんなに……膨大な……ア……リ……ア……)
彼女の名前を思った瞬間、魔力が少し収まる。
なぜかは分からない。でも、確かに収まった。ほんの少し。でも確実に。
「セラ!!」
アリアが駆け寄る。
彼女がセラに抱きつく。
その瞬間——暴走寸前だった魔力が、急激に安定し始めた。
アリアの体温。アリアの香り。春の花みたいな匂い。それが嵐のど真ん中で突然、風が止んだみたいに、魔力を静めていく。
セラの内側で荒れ狂っていた力が、方向を見つけたかのように落ち着いていく。熱が、引いていく。虹色の輝きが、弱まっていく。
(アリアが近いと落ち着く。これ、理屈じゃわからないけど、本当だ。アリアの魔力と俺の魔力が何か共鳴してる。図書館で話した「感情と魔力の連動」——これがそれだ)
「あ……アリア……」
「はい、私です。来ました」
アリアが強く抱きしめる。震えているのは彼女の方だ。
怖かったんだ。俺が制御できなくなることが。自分の身の危険より、俺のことを心配して駆け寄ってきた。
「私のそばにいて。離さないから」
セラの発光が収まっていく。虹色の輝きは消え、通常の魔法レベルに戻る。全身の熱も、徐々に引いていく。
「なによ、その魔力……」ルナが低く呟く。「ありえない。なんでエルフがそこまで出せるのよ」
「僕もよく分からない……でも、アリアが近いと制御できる」
「チッ……」
ルナが舌打ちをする。
あの高慢な魔姫が、舌打ちをした。想定外の事態に直面した時の反応。ということは、俺たちが——こいつの計算の外側にいる。まだ、諦めるのは早い。
## 撤退
「もういい。今日はここまでにするわ」
「逃げるんですか?」ミサトが問う。
「逃げるじゃないわ。撤退よ」ルナが即座に言い返す。「今日のあなたたちとは決着がつかない。それに」
ルナの視線がアリアに向く。
「回復役がいると、消耗戦が向かない。合理的な判断よ」
「……合理的ですね」アリアが、意外にもルナに向かって言った。「あなたは、強いのに、冷静」
ルナが少し眉を上げた。
「何?」
「称賛です。本当に」アリアはにこっと笑う。天然な笑顔だ。
ルナは何かを言いかけて——止めた。
「……変な子」と一言だけ言って、視線を逸らした。
「……」
アリアが少し驚いたようにルナを見る。
合理的な判断、か。ルナ、ただ感情で動いているわけじゃない。ちゃんと計算している。そういう頭のある相手だ。感情的に見えるが実は冷静。そういうタイプは意外と次の手が速い。
「次こそは、必ず」
ルナは黒い炎を纏い、空へと舞い上がった。周囲を取り囲んでいた魔族の大部隊も、それに続くように静かに撤退していく。
そして、静寂が戻った。
虫の音さえない、完全な沈黙。
「いったい……何だったんでしょうか」ミサトが剣を納めながら呟く。手がまだ微かに震えていた。「あの魔力……圧倒的すぎますわ」
「魔族の姫……ルナ」セラが深く息を吐く。「強かったね」
「でも、君たちのおかげでなんとかなった」セラは言う。「ミサトの剣が、何度も窮地を救ってくれた」
「当たり前よ」ミサトが少し照れくさそうに、でも毅然として言う。「騎士として、当然のことをしたまでですわ」
「でも」セラは続ける。「ミサトが来なかったら、アリアがルナの分身魔法にまともに当たってた。本当に助かった」
「……次からは当たりませんから!」ミサトがムキになって言う。「今日は不意打ちだっただけで」
「わかってる。それでも助かった」
ミサトが、ふいっと視線を逸らした。照れてる。
(ミサトって、素直に受け取れない性格だな。でも、ちゃんと嬉しいのは伝わってくる)
「アリア」セラはアリアを見る。「さっきの、ありがとう。抱きついてくれなかったら、暴走してた」
「は、はい……」アリアは真っ赤になっていた。「私が役に立てて……よかった、です……えへへ」
「二人さん、いい雰囲気だけど」ミサトが肩をすくめる。「敵が待ってますから、惚気は後でいいですか?」
「惚気てはいない。感謝を伝えただけだ」
「同じことよ」
惚気てはいない。本当に。でも確かに、アリアが近いと気持ちが落ち着く。アリアの魔力と俺の魔力が何か深い部分で繋がっている。今はそれだけわかれば十分だ。後で整理する。
「敵だけど」セラは紫色の空を見上げながら言う。「ルナのこと、もっと知りたい気がする」
「敵を知ることは戦略の基本ですからね」ミサトが同意する。「でも、カズヤさんの顔はそういう顔じゃないですよ」
「どういう顔だよ」
「気になってる顔。純粋に、相手のことを知りたいっていう顔」
「……作戦として気になってる」
「ふふ、そうね」アリアが微笑む。「私も、ルナさんのことが気になります。彼女の瞳、戦っている間に一度だけ揺れたんです。敵意じゃない何かが、混じっていたような気がして」
セラは頷く。
そうだ。俺も感じた。ルナの瞳の奥に、何か——孤独みたいなものが見えた気がした。あの高慢な態度の裏に、何かある。プライドが高くて強がっている人の本心は、だいたいその逆だったりする。弱い人ほど強がる。ルナが強いのか弱いのか——たぶん、両方だ。
「次に会う時は、もっと話せるかもしれない」セラは言う。「今日みたいに、いきなり全力で戦うだけじゃなくて」
「楽観的ですね」ミサトが苦笑する。
「楽観的じゃなくて、直感だよ」
「直感の根拠は?」
「ルナが、俺たちを殺さなかった」セラは言う。「あの魔力があれば、本気で殺そうと思えばできたはずだ。でも、しなかった。撤退した」
「……殺さなかったのは、単に時間の問題かもしれませんよ」ミサトが冷静に指摘する。「今日は『実力確認』だった。次は本気で来るかも」
「そうかもしれない」セラは認める。「でも——それだけじゃない気がする」
「……確かに」ミサトが少し考える。「合理的な判断と言っていたけれど——それだけじゃないかもしれませんね。回復役がいるから撤退したというより、まだ「決着をつける気がなかった」という感じが」
「そう。だから——次は、違う話ができるかもしれない」
「……根拠のない楽観は危険ですが」ミサトが言う。「カズヤさんの直感、信じてみましょうか」
「信じてくれるの?」
「今日、あなたの魔力があの規模まで上がった。それも信じてなかったら信じてなかったことになるでしょ。直感も、信じてみる価値はある」
論理的だ。リスクを認めつつ、信じる。そういう判断ができる人間は少ない。ミサトはそれができる。
「今日は休もう」セラは言う。「明日、作戦を考える。ルナが来る前に、動けるだけ動かないと」
「はい」
「了解ですわ」
三人は寄り添うように座り込んだ。
焚き火が消えているので、魔界の夜は完全な暗闇だ。大きすぎる星々だけが、三人を見下ろしている。
ミサトが傷の具合を確かめるように、腕を曲げ伸ばしする。アリアがそれを見て、静かに呟いた。
「癒やしの光よ、傷を閉じよ。生命力を満たせ——癒やし!」
柔らかな光がミサトを包む。残った傷がすっと消える。アリアの手元から漏れる淡い輝きだけが、三人の顔を照らしていた。
「……ありがとう」ミサトが言う。珍しく、素直な声だった。
「いえ。ミサトさんが前線で頑張ってくれたから」アリアが微笑む。「私が感謝する番です」
「ふん、また褒め合い」
「悪いことですか?」
「悪くはないけど……」ミサトが少し照れくさそうに下を向く。「慣れない」
ミサトって、照れると下を向く癖がある。強くて、意地っ張りで、でも褒めたら照れる。素直なんだと思う、根っこは。
「俺、焚き火をもう一回点けよう」
セラは木の枝を拾い集める。魔界の木は歪んでいるが、燃えないわけじゃない。少しずつ集めて、積み上げて。
「火魔法、使っていいですか?」アリアが手を挙げる。
「頼む」
小さな炎がアリアの掌に灯り、枝に移る。ぼっ、と重い音がして、紫がかった炎が揺れ始めた。
焚き火の前に、三人が並んで座っている。
さっきまで戦っていた。魔族の姫と、全力で、命がけで。それが今は、こうして火の前で肩を並べている。その落差が、なんだかおかしくて——でも悪くない。
「次こそは、必ず」
さっきのルナの言葉が耳に残っている。
必ず、か。必ず勝ちに来るのか、それとも必ず会いに来るのか——ルナ自身は、どっちの意味で言ったんだろう。
「ルナって、どんな人だと思いますか?」アリアがぽつりと言う。
セラはすぐに答えなかった。
「強くて、プライドが高くて、頭もいい」ミサトが言う。「魔族の姫君。それ以上は、今はわからない」
「でも」アリアは炎を見つめる。「今日、一瞬だけ——すごく孤独そうな顔をした気がしたんです。他の魔族が撤退していく時、最後に振り返った時の表情」
「……気のせいじゃないと思う」セラが呟く。「俺も——一瞬、同じものを見た」
「えっ、セラもそう思いましたか?」
「ちょっとだけな」
「まあ」ミサトが遠い目をする。「敵だとしても、魔族だとしても、心はある。それは確かでしょうね」
「うん」アリアが頷く。「だから、もし次に会う時があったら、戦う前に少し話してみたい」
「甘いな」ミサトが苦笑する。
「えへへ。でも私は、そういうの好きです」
三人の絆が、夜の闇の中で確かに結ばれていた。
紫の炎が、静かに燃えている。魔界の夜は長い。でも三人で過ごすには、十分すぎるほど長かった。
それから、しばらく誰も喋らなかった。
焚き火の炎を見る。また消えないうちに、アリアが小さく魔法を継ぎ足す。赤い光が揺れる。虫の声はない。遠くで何かが唸っている気がするが、近くはない。
体の疲れが重い。魔力を大量に使った後の疲弊感は、筋肉の疲れとは違う。体の芯が空っぽになったような、ひんやりした感覚。
でも、体は確かにここにある。
(さっきの覚醒——あれは何だった。胸の奥から何かが噴き出してきて、制御できなくなった。今まで感じたことのない感覚だった)
セラはそっと自分の手を見た。
掌の中に、魔力を集めてみる。小さな光の玉が生まれる。いつものライト・アローの素になる魔力。それは、今は落ち着いている。普通に動く。暴走していた痕跡が、まるでない。
(本当に安定してる。アリアが抱きしめた後から、急激に落ち着いた)
「セラ」アリアの声が聞こえた。
「うん」
「さっきの……体、大丈夫ですか」
「今は、問題ない」セラは正直に答える。「でも——何があったのかは、俺にもわからない」
「わからない」
「うん。内側から何かが溢れてきた。でも、アリアが来たら止まった。それだけわかってる」
アリアが少し沈黙した。
「私が……来たら、止まった?」
「そう」
「どうして……」
「わからない」セラは炎を見る。「でも本当のことだ。説明できないけど、本当だ」
アリアはしばらく黙っていた。
何かを考えている。その横顔が、炎の光に染まって揺れている。
「不思議ですね」アリアがぽつりと言う。「私が何かをしたわけじゃないのに」
「してたよ」
「え?」
「そばにいた」セラが言う。「それが、一番のことだった」
アリアの頬が赤くなった。炎のせいだけじゃない。
「……私、お役に立てて、よかったです」アリアが静かに言う。「怖かったんです。セラが制御できなくなっているのを見て。でも逃げたくなかった。逃げたら——」
「逃げたら?」
「後悔すると思った」アリアはまっすぐ言う。「セラを一人にしたら、絶対に後悔する。だから、行きました」
セラは言葉を探した。でも見つからなかった。
見つからなかったから、ただ「ありがとう」と言った。
「いえ」アリアが微笑んだ。「こちらこそ、ありがとう」
「何が」
「呼んでくれたから」アリアが言う。「意識が遠くなりながら、私の名前を呼んでくれた。それが聞こえたから、走れた」
(呼んだ、か。意識が飛びかけている時に、アリアの名前が浮かんだ。それは——単なる反射じゃなかった、と思う)
「ミサトも」セラはミサトに声をかける。「ありがとう。俺が暴走しかけてる時に、ルナの前に立ってくれた」
「騎士の仕事よ」ミサトがぶっきらぼうに言う。
「騎士の仕事は、俺を守ることじゃないでしょ」セラが笑う。
「……王国から任命された仕事じゃないけど」ミサトが炎を見ながら言う。「私は、自分で選んでる。あなたたちを守ることを」
その声が、静かだった。
ミサトらしくない静けさだ。でも、嘘はない。全部本当のことだ。
(ミサト、俺より先に魔界に来ることを決めたんだよな。誰かに命令されたわけじゃなく。それがどれほどのことか——やっと、わかってきた気がする)
「ミサト」セラが言う。
「なに」
「さっきの、聖剣閃——すごかった」
「当たり前でしょ」ミサトが鼻を鳴らす。「私がいつ弱かったの」
「強くなったって言いたいんだよ」
「……ふん」
ミサトは視線を逸らした。でも、耳が少し赤い。
(三人が、それぞれ何かを選んでここにいる。それが今日、ひとつの形になった。チームって、こういうことなんだと思う)
セラはもう一度、掌を見た。
光を灯す。消す。また灯す。
さっきの覚醒は、まだ何も説明がついていない。でも——あれが俺の中にあることは、確かだ。制御できなかったのも、確かだ。アリアが来たら止まったのも、確かだ。
(次に何かが起きた時、もう少しうまくできるかもしれない。何かをつかんだ気がする。感覚として。まだ言葉にできないけど)
「そろそろ寝よう」セラが言う。「俺が最初の見張りをする。二人は休んで」
「本当に大丈夫ですか」アリアが心配そうに。「さっき、かなり消耗してましたよ」
「大丈夫。動ける」
「……わかりました」アリアが頷く。「でも、無理したらすぐ言ってください」
「はい」
アリアが横になる。ミサトも地面に腰を下ろし、剣を膝に置いたまま目を閉じる。見張りをしながら休む、そういう体制だ。騎士の習慣が自然と出る。
セラは立ち上がり、周囲を確認した。
感知魔法を静かに展開する。魔力の波が広がり、周囲の気配を探る。
何もない。静かだ。
ルナたちは撤退した。今夜はもう来ない——そんな気がする。根拠はないが、あの「次こそは」という言葉が「今夜は終わり」を示していた。
紫の炎が揺れている。
魔界の夜は、長い。
(でも、なんとかなる気がする)
それだけで十分だった。




