第120話 新たな旅立ち
# 第120話 新たな旅立ち
## 旅立ちの朝
朝の光が窓から差し込み、セラの目を覚ます。
天井。白い。見慣れた木目。
(……そうか。最後の朝だ)
起き上がる。部屋を見渡す。一年間、ここで暮らした。この天井を眺めて、この床に足をつけて、この窓から中庭を見た。
記憶が走る。入学式。最初の授業。ダンジョン攻略。学園祭。ミサトとの出会い。カトレアさんのギャハハ笑い。ライルとの夜更かし勉強。
「セラくん、起きた?」
隣のベッドからアリアが起き上がる。寝起きの髪が乱れていた。
「うん、起きたよ。アリアも?」
「えへへ、セラくんが動く気配で目が覚めちゃった」
(こんな起こされ方、一年前には想像もしていなかった。……あの頃はアラームだけが頼りだった。独り暮らしのワンルームで)
「今日は学園を去る日だね」
「うん。名残惜しいけど、新しい冒険も楽しみだね」
「まあ、そうだな」
(楽しみが、怖いより先に来る。一年前の俺には、たぶんそんな度胸はなかった)
窓を開けると、朝の光が部屋に満ちた。中庭の桜が、朝日に照らされて輝いている。
「綺麗だね」
「うん。最後の朝、見られてよかった」
しばらく黙って桜を眺めた。花びらが風に舞い、地面に散っていく。
「荷物、まとめないと」
「そうだね。馬車の時間もあるし」
二人で荷物をまとめ始める。服、魔法の本、クラスメイトからもらった手紙、ライルからもらったドワーフのお守り、ミサトの銀のブレスレット。一つ一つに思い出が詰まっている。
「セラくん、これ見て」
アリアが机の上に置かれた写真を持ってきた。クラス全員の集合写真。学園祭の時に撮ったものだ。
「懐かしいね。女装コンテストで大変だったやつ」
「えへへ、でも楽しかった。セラくんが一番綺麗だったよ」
「からかうなよ」
(ちなみに異世界転生すると体験値が一気に増える。望んでないやつが多いが)
写真の中のみんなが笑っている。ミナ、サクラさん、カイト、ライル、アズマ、ゴウタ。あの時のざわめきが蘇るようだ。
「みんな、元気でいてくれるといいな」
「うん。私たちも、頑張ろう」
最後の荷物を鞄に詰め、部屋を一周した。壁に貼っていた魔法陣の図。机の上のインク瓶。窓から見える中庭の桜。全部が、一年間の証だ。
「ここで、いろんなことがあったね」
「そうだね。最初の授業、勉強会、学園祭、試験……」
「ありがとう、この部屋」
セラは心の中で呟いた。
「行こう、アリア」
「うん!」
廊下に出ると、他の学生たちも荷物を持って動いていた。別れの挨拶がいたるところで交わされている。
「おはよう、セラくん」
「おはよう、ライル。行くよ」
「行ってらっしゃい!」
ライルが田舎の魔法茶を渡してくれた。疲れた時に飲むやつだという。
「ありがとう。大切にするよ」
通用門へ向かう道。朝の光の中、二人の影が長く伸びる。
「新しい冒険が待ってるね、セラくん」
「アリアと一緒なら、何でもできる気がする」
「えへへ。私も同じこと思ってたよ」
(「何でもできる気がする」——一年前の俺に言ったら笑われそうだ。でも今は本気でそう思ってる。この一年で、俺は変えてもらった。アリアたちに)
## 学園への別れ
正門に出ると、クラスメイトたちがもう集まっていた。
全員だ。
(全員って——二十人以上いたはずだが。こんな朝早くに全員来てるのか)
「みんな!」
「セラくん、行っちゃうんだね!」
ミナが猫耳を垂らして言う。もう目が赤い。
「うん。でも、また会えるよ」
「約束だよ!」
サクラさんが涙目で言う。
「うん、約束」
「セラ」
ゴウタが肩を組んでくる。
「友達でいてくれてありがとう。君のおかげで、俺も成長できた」
「ゴウタこそ。最高の友達だ」
「えへへ、最初は『セラ先生』って呼んでたけど、今は友達だね」
「そうだな。これからもよろしく」
(「これからも」——エルフの寿命は数百年あるって聞いた。俺たちはたぶん、この別れを何度も経験して、何度も再会する。……それって、すごいな)
「カイト先輩」
カイト先輩が小さな箱を差し出した。
「これ、父が作った風魔法の魔法具だ。君に使ってほしい」
「え、こんなに大事なものを」
「いいんだ。君なら風魔法を極めると思うから」
「ありがとうございます。絶対に使いこなします」
「アズマ先輩」
「剣術の練習、楽しかったな。またやろう、いつでも」
「はい。負けるかもしれないけど」
「ははは、もう俺に勝てるかもな」
「それは言い過ぎですよ」
「いや、本気だ。君は強くなった」
(本気なのか謙遜なのか判断に迷うやつだ。まあ、どちらにせよ嬉しい)
「セラくん、アリアちゃん」
人混みをかき分けて、ミサトが近づいてきた。制服ではなく、女騎士の鎧を着ている。
「ミサト……」
「行っちゃうんだね」
ミサトの目に涙が光った。
「うん。でも、また会えるよ」
「そうだね。週末には、王都で会おう」
「約束」
ミサトはセラを見つめてから、一歩踏み出した。強く抱きしめてくる。
「大好きだよ、セラくん」
「僕もだよ、ミサト」
(人前でこういうことを言える勇気——ミサトから学んだのかもしれない)
「私たち三人で、幸せになろう」
「うん、約束」
ミサトは涙を拭って、笑顔を見せた。
「行ってらっしゃい、セラくん。冒険者として大活躍だよ」
「うん。ミサトも、学園で頑張ってね」
「当然だよ!」
ミサトは敬礼した。様になっている。
「あ、これ」
小さな袋を渡してくれた。王都の名菓だという。
「道中で食べてね」
「ありがとう。大切に食べるよ」
「大切に、じゃなくて美味しく食べてよ」
(言い回しのツッコミが来た。ミサトっぽい。好きだこういうの)
クラスメイトたちが輪を作って、セラとアリアを囲んだ。
「みんな、ありがとう。魔法学園で出会えて、本当に良かった」
「こっちこそだよ!」
「セラ先生、ありがとうございました!」
「いつでも帰ってきていいからね!」
「セラくん、大好きだったよ!」
「先生のおかげで、試験合格できた!」
(先生。……呼ばれ慣れた呼び方になってたな。「佐藤さん」か「佐藤」か「カズヤくん」だった頃とは、ずいぶん違う)
気づいたら涙が出ていた。
「泣いちゃったね」
「えへへ、セラくん、涙もろい」
「うん。嬉しい涙だよ。みんなが応援してくれているから」
「みんなも、セラくんのこと大好きだよ」
「さようなら、みんな!」
「さようなら、セラくん!」
「行ってらっしゃい!」
「また会おう!」
クラスメイトたちが一斉に手を振る。セラとアリアも手を振り返しながら、正門を出た。
振り返ると、まだみんなが手を振ってくれている。
「ありがとう、魔法学園」
セラは心の中で呟いた。
## 王都編の総括
街道を歩く二人。春の光が木漏れ日となって降り注ぐ。
「セラくん、この一年、いろいろあったね」
「そうだな。王都に到着して、冒険者ギルドに登録して、初クエスト、ダンジョン攻略、魔法学園入学、学園生活、学園祭、女装コンテスト、ミサトとの出会い……」
(改めて並べてみると多い。一年でこんなにいろんなことが起きたのか。密度が高すぎる)
「でもセラくん、全部乗り越えてきたよね。最初はどうなるかと思ったけど」
「最初はどうなるかと思った——って、俺の話か? アリアからそれを言われると地味に傷つく」
「えっ、違う違う! そういう意味じゃなくて、その、なんていうか……最初は知らない土地で冒険者になって、ダンジョン入って、すごく大変そうだったよねって!」
「まあ、大変だったよ。でも、楽しかった」
(大変だったが楽しかった。以前の仕事は「大変だったけど大変だった」という感想しか持てなかった。楽しかった、という記憶が薄い。あっちの二十九年より、こっちの一年の方が充実してるのは——切ないより嬉しい)
「王都到着の時のこと、覚えてる? あの広場で、蜂蜜のパンケーキ食べたの」
「覚えてるよ。美味しかった。あと、服屋で水色のシャツを買ったな」
「えへへ、似合ってたよ」
「からかうな」
「からかってないよ! 本当に似合ってたんだから」
(ファッションへの興味がゼロだった俺が服屋に連れていかれて、アリアに選ばれた服を着た日のことだ。あの時はすんなり受け入れた。アリアのおかげだ)
「冒険者ギルドも思い出深いな。Fランクから始まって、Dランクまで上がれた」
「二人で連携して、ダンジョン攻略して、クエストこなして——本当によかったよね」
「カトレアさんと三人で最初のダンジョンに行ったのも、懐かしい。カトレアさん、罠解除が上手だったな」
「ギャハハ! って笑いながら罠外すの、かなりシュールだったよね」
「あの笑い声、最初は慣れなかったけど、今は聞くと安心するな。……カトレアさん、借金大丈夫かな」
「銀貨千枚以上、ね。大変だよね」
「あの人の商才と根性があれば、絶対返せると思う。応援してる」
(「銀貨千枚」がどれくらいの重さか分かる。かなりきつい。でも、カトレアさんはそれを笑いながら返そうとしてる。すごい人だ)
「魔法学園も楽しかったよ。勉強会、バーベキュー、クラス全員で試験合格した時——」
「ゴウタが『魔力が見えた!』って飛び上がった時、感動したね」
「うん。あれは本当に嬉しかった。自分が教えたことが伝わった、って初めて感じた瞬間だった」
(教えることの醍醐味を、この世界で初めて知った気がする)
「ミサトとの出会いも、大きかったね。最初は犬猿だったのに」
「えへへ、そうだね。でも今は大好きな人たちになりました」
「この一年、本当にいろんなことがあった。全部アリアと一緒だったから、乗り越えられたよ」
「セラくんも、私の支えだったよ」
「互い様だな。これからも一緒だよ」
「うん、ずっと一緒」
春の光の中、二人は微笑み合う。
しばらく黙って歩いた。街道の脇に小川が流れていて、そのせせらぎが聞こえる。隣にアリアがいる。同じ景色でも、一人の時とはぜんぜん違う。
「ねえ、セラくん」
「ん?」
「次の旅、難しいことが起きるかもしれないけど——それでも一緒にいたい」
「当たり前だろ。どこへ行くにも一緒だ」
「えへへ」
「なんでそれで照れる?」
「だって、セラくんが当たり前みたいに言うから」
(当たり前。——以前の俺には、これを当たり前と言える相手がいなかった。だから、当たり前の重みが分かる)
「転生して、本当に良かった」
セラが呟いた。
## 声の招待
街道の脇の木陰で休憩した。
水筒の水を飲みながら、二人は風の音を聞いた。春の匂い。木々のざわめき。鳥のさえずり。
「気持ちいい風だね」
「うん。公園のベンチに座ってる感じかな」
「公園?」
「……何でもない。気持ちいい風だな、ってこと」
「えへへ、そうだね」
「次の旅、どんなことが待ってるんだろう」
「魔族との遭遇、あるのかな」
「あるかもな。何かが——」
その時だ。
「──セラ・ウィスパーウィンド」
不思議な声が聞こえた。耳元で囁かれているような、遠くから呼ばれているような。
「この声……」
セラが顔を上げる。
「セラくん、どうしたの?」
「──よく頑張ったな」
「誰!?」
アリアも驚いて顔を上げた。
「──私だ。最初の日に会った者だ」
「えっ……!」
(あの声だ。転生した直後に聞いた、あの声。『次は楽しめ』って言ったやつ)
「あなたは、いったい何者?」
「──私は……まだ言えない。もう少し先で会おう」
「もう少し先……。まだ次の旅も始まってないのに」
「──君らの物語には、まだ続きがある。次の旅で、新しい冒険が待っている。魔族との遭遇、古代エルフの遺産、禁断の魔法——」
「禁断の魔法……?」
(禁断。触れてはいけないもの、封印されたもの——そういう類のものだな。怖い)
「──欲望具現化。もう少し先で習得することになる。欲望が力になる魔法だ。その手がかりが次の旅にある」
「欲望……が、力に」
「──そして、ルナとも会うだろう」
「ルナ?」
「──魔族の姫だ。君とは、特別な関係になる。敵対しつつも惹かれ合う運命にある」
(また増えるのか。……いや、今はそういうツッコミをする場面じゃない。真剣に聞こう)
「──次の旅へ来い。新しい冒険が、君たちを待っている」
声が遠ざかっていく。
「──行け、セラ・ウィスパーウィンド。そしてアリアも。次の旅で、会おう」
「待って、まだ——!」
叫んだが、声はもう聞こえない。
沈黙。
鳥がまた鳴いた。
「……セラくん、あの声、何だったの?」
「最初の日に聞いた、あの声だよ。『次は楽しめ』って言った人」
「……本当に誰かが見てるってこと?」
「そうらしい。もう少し先で会えるらしいし、次の旅への招待もしてった」
(見られてる。ずっと見られてた。……気持ち悪い、とは少し違う。どちらかというと——心配してくれてる、みたいな感じがした。なぜかは分からないが)
「魔族の姫、ルナか」
「えへへ、セラくん、モテモテだね」
「そういうなよ」
「でも、アリアが一番大事でしょ?」
「当然だ」
「えへへ」
「……笑うな。真面目に言ってるんだが」
「真面目だから笑うんだよ」
(何この会話の循環。……まあいい。アリアが笑えてるなら、それでいい)
アリアはセラの手を握った。
「怖いね。でも、セラくんとなら大丈夫」
「うん。アリアと一緒なら、どんな試練も乗り越えられる」
「魔族との遭遇……一度も生身で戦ったことがないから、正直怖いけど」
「俺も怖い。怖いけど——行く理由がある」
「どんな理由?」
「アリアを守りたいし、ミサトを守りたいし、この世界で友達になってくれたみんなを守りたいし、いつか『俺はここにいていい』って感覚を、ちゃんと確かめたいから」
アリアが少し目を潤ませた。
「……セラくん」
「重かったか。忘れてくれ」
「忘れない。絶対に忘れない。私、セラくんのそういうとこ、好きだよ」
(「そういうとこ、好き」。ここにいていい理由が、ある)
「次の旅、行こう」
「ああ。全力で楽しむぞ」
## 新たな旅立ち
夕方。夕日が地平線に沈みかけ、空は茜色に染まっていた。
「綺麗な夕日だね」
「王都での日々の締めくくりにふさわしいな」
(夕日をこんな気持ちで見たことが、以前にあったか。……ないな。あの頃の夕日は「残業か帰れるか」のどちらかだった。夕日に感動する余裕が、なかった。今はある)
「セラくん、考えてるの?」
「うん。この一年のことを。……ありがとう、アリア。一緒に過ごしてくれて」
「セラくんこそ、私を選んでくれてありがとう」
「この一年、最高だったな。冒険者として頑張って、学園で勉強して、クラスメイトと仲良くなって、ミサトと出会って——」
「えへへ、私も。セラくんと出会って、本当に良かった」
二人は手を繋ぎ、夕日を眺めた。
「転生から、本当にいろんなことがあった。最初は困惑してたけど——今は幸せだ」
「私も。セラくんといられて、幸せ」
「次の旅、楽しみだな。魔族との遭遇、古代エルフの遺産、禁断の魔法……」
「怖いこともあると思う。でも、セラくんと一緒なら大丈夫」
「怖くても行く。それが冒険者だから」
(……カッコいいことを言ったつもりだが、腹が空いてる。夕日を背に決意の台詞を言う俺の胃袋が鳴りそうで困る。エルフになっても直らなかった)
「行こう、アリア。次の旅へ」
「うん。セラくんと一緒に」
二人は手を繋いで、夕日を背に歩き出した。
(転生した俺に言ってやりたい。「お前はこの一年を生きて、ちゃんと笑ってるぞ」って。それだけで十分だ)
「ありがとう、王都での日々。良い思い出をくれて」
アリアも呟いた。
夕日が二人を照らし、新しい旅立ちを祝福していた。
街道の先に、広い世界が広がっている。新しい出会い、新しい冒険、新しい試練。全部が二人を待っていた。
「セラくん、明日から新しい旅が始まるね」
「ああ。何が来ても、二人でなんとかするぞ」
「うん。なんとかしようね」
「おい、もうちょっと力強く言ってくれ」
「えへへ。セラくんが頑張るから、私は笑ってればいいよ」
(……それって俺が大変ってことだが——まあ、アリアが笑ってれば十分だ。それだけで、転生した甲斐があった)
「行こう」
「うん」
## 旅立ちの影
その夜。
宿の窓から月を見ていたとき——ふと、背筋が冷えた。
理由は分からない。風は穏やかで、部屋は静かで、アリアは隣で眠っている。何も変わらない夜だ。
なのに。
(……何かが、動き始めている)
会社が静かすぎる夜は、翌朝に何かある——そういう感覚に近い。嫌な予感。根拠はない。でも——当たる。
遠くで、風が鳴いた。
セラは窓を閉めた。
(どんな試練が来るかは分からない。でも——来るなら、正面から受け取る。それだけだ)
月が雲に隠れた。
その向こう——はるか北の闇の中で、何かが息をひそめていた。
# 第120話 完




