第118話 冒険者としての集大成
# 第118話 冒険者としての集大成
## 最後の週末
学園を出て、久しぶりに王都の宿屋に泊まった翌朝。
早い。
窓を開けると、朝霧が街道を覆っていた。遠くの城壁がぼんやりと浮かぶ。春の風が頬を撫で、微かな花の香りが漂ってくる。
今日が、最後の週末だ。
(新卒で入った会社を辞める最終出勤日みたいな感覚、か——いや違う。あっちは解放感が先に来た。今回は純粋に名残惜しい。それだけ、ここに居場所があったってことだな)
「……おはよう、セラくん」
アリアが目をこすりながら隣に来た。寝起きの髪が少しだけ乱れている。
「おはよう。早起きだね」
「なんか目が覚めちゃって」
二人で黙って朝の景色を眺めた。パン屋の煙突から煙が上がる。早朝から働く人々のシルエット。石畳が朝露を反射して、鈍く光っている。
「今日が、最後の週末だね」
「うん。学園の次の学期が始まったら、週末クエストの頻度も減る」
「少し、寂しいね」
「でも、良い思い出になる」
俺はアリアの肩に手を置いた。冷気の中で、体温が温かい。
「冒険者として積み上げたもの——無駄にはしない」
「当然だよ。セラくんが積み上げたもの、全部本物だもん」
(本物。……魔法の制御力も、戦闘の判断力も、仲間との連携も。全部、どこへ行っても持ち歩けるものだ)
「ギルドにも行かなきゃいけないし、最後のクエストも受けてこないと」
「うん、頑張ろう! セラくんとアリアの、最後の週末クエスト!」
アリアが握り拳を作った。俺も笑って頷いた。
二人は装備を整え、朝食を済ませてギルドへ向かった。
「最初にギルドに来た時のこと、覚えてる?」
「もちろん。緊張して手が震えた」
「あはは、私も。受付嬢の笑顔にほっとしたのを覚えてる」
懐かしく語り合いながら歩く。最初に王都に来た時のことは、よく覚えている。見知らぬ土地、見知らぬ人々、冒険者ギルドという新しい世界。全部が新鮮で、少し不安だった。
今は、この石畳も、この王都も、懐かしい場所になっている。
「カトレアとも、ギルドで出会ったもんね」
「そうだね。カトレアさん、久しぶりに会いたいな。借金、どうなってるか」
「前回聞いた時は銀貨千枚以上残ってたって」
「……あの人、大丈夫なのかな」
「ギャハハ精神があるから大丈夫だよ、きっと」
(あれだけ豪快に笑える人が身近にいれば——ブラック職場ももう少し楽だったかもしれない。いや、たぶんカトレアさんがいたらその職場ごと「ギャハハ! 解決!」って打開してた気がする)
遠くに冒険者ギルドの看板が見えてきた。
「ただいまって言いたくなるね」
「そうだね。帰ってきた、って感じ」
「……ただいま」
「ただいま、ギルド」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
## ギルドでの別れ
昼の冒険者ギルドは、いつものように賑わっていた。
扉を開けた瞬間——
「おっ、セラじゃないか!」
「アリアさんも! 久しぶり!」
「最近学園で忙しいって聞いてたけど、元気だった?」
次々と声がかかる。俺とアリアは手を振りながら答えた。
(こういうのが、会社の送別会と根本的に違うやつだ。誰も「義務だから来た」顔をしていない)
「お疲れ様です!」
「久しぶりです! 元気でしたよ!」
受付カウンターには、いつものミサキがいた。二人の顔を見るなり、大きく手を振る。
「セラさん、アリアさん! いらっしゃい!」
「お疲れ様、ミサキさん」
「学園でも忙しいのに、週末来てくれるなんて!」
「久しぶりにギルドに来たくて。それに最後の週末クエストもしに」
ミサキの表情が少し柔らかくなった。
「……最後の週末、ね」
「はい。次の旅が始まると、学園が忙しくなるから」
「それは少し寂しいですね。でも——二人のような冒険者に来てほしいのは変わりません」
(プロの笑顔と本物の笑顔の違い、分かる。これは本物だ)
「今日はどんなクエストにしますか?」
「少し難易度の高いものに挑戦したい」
「実はちょうど今日、少し特別なクエストが出ていて。街道北の森で、森狼の群れが目撃されています。数が多くて少し危険ですが——」
「挑戦します!」
即答すると、ミサキが少し驚いた顔をした。
「本当に? Eランクの二人には少し危険ですよ?」
「大丈夫です。アリアと一緒なら倒せます」
「セラくんと一緒なら大丈夫!」
アリアが自信満々に追随した。ミサキは微笑んだ。
「……わかりました。登録しますね」
手続きを進めていると、ギルドの奥からガトーが出てきた。
「おっ、セラじゃないか!」
「ガトーさん! お久しぶりです!」
ガトーは太い腕を組み、二人を見下ろした。
「学園での生活、順調か?」
「はい。魔法の勉強も、友達関係も」
「それは何よりだ。セラ、君はEランクに昇格してからも素晴らしい活躍だった」
「……ありがとうございます」
「感謝するのはこっちだよ。君のような若い冒険者がギルドで活躍してくれると、他の連中も励まされる」
(上司に褒められると社交辞令に聞こえていたあの頃とは、何かが違う。ガトーさんに言われると——素直に嬉しい。なぜかは分からないが、嬉しい)
「ギルドの期待に応えます」
「そうこなくちゃ。今日のクエストも頑張ってこい」
「はい、行ってきます!」
二人がクエストの紙を受け取って帰ろうとすると、ギルド中の冒険者たちが集まってきた。
「セラ! しばらく会わないけど、元気でね!」
「アリアさんも! 応援してるよ!」
「またクエストで会おう!」
涙する人まで出てきた。
(こんな風に、自発的に集まって声をかけてくれる——前の仕事でも、そういう人たちがいたか。正直言えば、いなかったな)
「……みんな、ありがとう」
「こっちこそだよ、セラ。君に出会えて、刺激をもらった」
「セラさんとアリアさんは、ギルドの宝物だよ」
「また絶対に来てね!」
「はい、絶対来ます!」
アリアも何人かに抱きしめられ、涙ぐんでいた。
俺の目も、少し潤んだ。
(……エルフは感情が豊かでいい。そういうことにしておこう)
「みんな、本当にありがとう。ここで過ごした時間、ずっと忘れない」
「セラくん、また来てよ!」
「また来るよ、絶対に!」
「約束だぞ!」
「約束だ!」
ガトーが太い腕を組んだまま、静かに笑っていた。ミサキも目を潤ませながら手を振っていた。
ギルドを出る前、二人で振り返った。賑やかな内部。笑い声、話し声、温かい空気。
「……また、絶対に来るよ」
「うん、約束だよ」
## 最後のクエスト
午後の街道北の森は、静寂に包まれていた。
森の入り口。深呼吸。
「感知魔法、使ってみるね」
アリアが目を閉じ、魔力を周囲に広げた。俺も気配を探る。
「……西北に反応がある。六匹くらい」
「じゃあそこへ。慎重に」
木々が生い茂る中を進む。落ち葉の音がサクサクと響く。鳥のさえずり。そして——遠くで何かが動く、重い足音。
「……セラくん、気配が濃くなってきた」
「もうすぐだ」
「緊張する?」
「……少し。でも、大丈夫だ」
「えへへ、私も少し緊張してる。最後のクエストだから、気合が入りすぎてる」
「気合が入りすぎて失敗するのが一番まずいパターンだぞ」
「分かってる。でも、なんか燃えてくる」
(分かる。スポーツの大会前の——いや、俺は文化系だったから大会前の高揚感は知らない。でも今ならよく分かる。最後の戦いに向かう、この体が前のめりになる感じが)
開けた場所に出た瞬間——六匹の森狼が正面にいた。
普通より大きい。牙が長い。琥珀色の瞳が光っている。
(六匹同時か。Eランクには少し重いと言われた理由が分かった。でも——)
「……準備いい?」
「いつでも!」
「行くよ」
三匹が同時に飛びかかってきた。
「風よ、刃となれ——ウィンド・エッジ!」
風の刃が走る。最初の一匹が回避する——その隙をアリアが突いた。
「水よ、撃て——!」
水流が二匹目に直撃。三匹目がアリアに向かうのを、俺が先読みして牽制する。
「そこ! 風よ、刃となれ!」
森狼が鳴いた。
(冒険者になったばかりの頃、初めてモンスターと戦った時、手が震えていた。詠唱を間違えて、アリアに「大丈夫?」と声をかけられてた。今は——体が勝手に動く)
「セラくん、左!」
「わかった——風の壁!」
二匹の突撃を防ぎながら、アリアが水魔法で一匹を仕留める。残り二匹。
「炎と風よ、融けて吹き荒れよ——フレイム・ウィンド!」
炎風の渦が広がる。残る二匹が一斉に後退した——瞬間、アリアの水流が横から叩き込む。
「やった!」
戦闘は十数分で終わった。六匹目が倒れた瞬間、森が静かになった。
俺とアリアは肩で息をしながら向かい合った。額に汗が滲んでいる。
「……やったね」
「うん。全員。一人も怪我なし」
「最後のクエスト、完璧だったよ」
(今日の最後のクエストは、完璧だったと言い切れる。なんとなく、それが嬉しかった)
「セラくん、今日の魔法、すごく安定してた」
「そうか?」
「うん。以前より迷いがない。『次はどこを狙う』っていう判断が速い」
「……アリアと連携してるから、余裕が生まれるのかもしれない」
「えへへ、私のおかげ?」
「アリアのおかげだよ」
「やった!」
アリアが小さくガッツポーズをした。森の中に小さな笑いが響いた。
二人は戦闘結果を確認し、証拠を回収して森を出た。
「六匹、全部」
「傷もない。完璧だよ」
「冒険者としての集大成にふさわしいクエストだったな」
街道に戻ると、夕方の光が橙色に染まっていた。
## ギルドマスターとの面会
ギルドに戻ると、ミサキが「ギルドマスターがお呼びです」と告げてきた。
ブロンウィン・ギルドマスターの部屋は、奥まった場所にある。入ったことは数えるほどしかない。
「失礼します」
扉を開けると、初老の女性が椅子に座っていた。見た目は穏やかだが、その目には深い厚みがある。
「来たか、セラ。アリアも」
「お呼びいただきありがとうございます」
「座れ。そんなに緊張しなくていい」
俺とアリアは向かいの椅子に座った。
「学園で忙しい中、冒険者としての活躍も続けていたな。見ていたよ」
「……ありがとうございます」
「Fランクから始まって、今はEランクだ。冒険者としての成長は申し分ない。だが——」
ギルドマスターは俺を真っすぐに見た。
「——魔法の才能だけでなく、人としても成長している。ギルドの連中が君を慕っているのは、その証拠だ」
(予想外のことを言われた。魔法の実力ではなく、「人として」の部分——それを言われるとは)
「……恐れ入ります」
「謙遜するな。事実を言っている。君のような冒険者が、これからも世界のために動いてくれると、私は嬉しい」
「世界のために、ですか」
「これからの旅では、もっと大きな試練が待っているかもしれない。魔族との接触、古代の遺産、未知の魔法——。覚悟はあるか?」
「あります」
即答すると、ギルドマスターが微笑んだ。
「よい目だ。行け、セラ。次の旅も、その目で進め」
俺とアリアはギルドマスターの部屋を出た。
「セラくん、すごく褒められてたね」
「……びっくりした」
「私も嬉しかったよ。セラくんが認められるのが」
(実績を見た上で、本当のことを言っている——そういう重さが、あの言葉にはあった)
「セラ」
「はい」
「一つだけ言っておく。君は——特別な才能を持っている。魔法だけでなく、人を動かす力だ」
「……人を動かす力」
「ギルドの連中は、君に憧れている。あの年齢の冒険者が、ここまで慕われることはそうそうない。それを忘れないように」
(人を動かす力。以前の俺には、まったく縁のない概念だったな。与えられた仕事をこなす歯車として生きていた。でも——今は違うのか。そうなのか)
「肝に銘じます」
「行け。次の旅が君たちを待っている」
ギルドマスターの視線が、俺たちを送り出していた。
## 冒険者としての集大成
夕方。王都の街道を二人で歩いて戻った。
日が傾き、石畳が橙色に染まっている。
「……今日、充実してたな」
「うん。クエストも、ギルドでの別れも、全部」
「冒険者として、王都でやれることはやった気がする」
「セラくん、強くなったよ。ほんとに」
「アリアも」
「えへへ、ありがとう」
夜の学園へ向かいながら、俺は王都での冒険者生活を振り返った。
Fランクから始まった。初クエストは採取任務だった。それがダンジョン攻略になり、モンスター討伐になり、今日は群れの森狼を二人で仕留めた。
(改めて並べてみると、よく頑張ったな。エルフになって一年足らずで、ここまでできるとは思ってなかった)
「次の旅、楽しみだな」
「うん! どんな冒険が待ってるかな」
「分からないけど——アリアと一緒なら、怖くない」
「私も。セラくんとなら、どこへでも行く」
二人は手を繋ぎ、夜の街道を歩いた。遠くに学園の灯りが見える。
「ねえ、セラくん」
「ん?」
「冒険者として一番嬉しかった瞬間って、何?」
少し考えた。
「初クエストを完了した時かな。採取任務だったけど、達成感があった」
「私は、ダンジョンで最初のボスを倒した時! 三人で連携して、うまくいったあの瞬間!」
「カトレアさんが罠を解除しながら『銀貨いくらになるか計算してる』とか言ってたやつだっけ」
「えへへ、そうそう! カトレアさんらしいよね」
「あの時のカトレアさん、かっこよかったけど」
「でしょ? ドワーフとしての本領発揮だったよね」
二人は歩きながら笑い合った。
「一番怖かった瞬間は?」
「……アリアが怪我しそうになった時かな」
「え、いつ?」
「ダンジョン攻略の時、魔物の爪がかすったやつ。あの時は体が勝手に動いてた」
「……セラくん」
「大したことじゃないけど、その瞬間だけは頭が真っ白になった」
(守りたいと思って体が動く——転生して、初めて知った感覚だ)
「えへへ、セラくん、かっこよかったよあの時」
「そういうことを言うと……照れるだろ」
「照れていいじゃん!」
「……まあ、そうか」
学園の門が見えてきた。灯りが明るく輝いている。
「帰ってきたね」
「うん。今日も、お疲れ様」
「お疲れ様、セラくん」
「ギルドへの感謝も忘れないようにしよう。あそこで出会ったもの、全部今の俺を作ってる」
「そうだね。ギルド、大好き」
「俺も」
二人は学園の門をくぐった。夜の学園は静かで、月明かりが白く広場を照らしていた。
今夜は早めに休もう。次の旅への体力を残しておくために。
(大事な時に向けて準備することの意味、今の俺はちゃんと分かってる)
「おやすみなさい、アリア」
「おやすみなさい、セラくん。今日も最高だったよ」
「うん、最高だった」
静かな夜が、二人を包んだ。
## ミサトの言葉
寮に戻ると、廊下でミサトに会った。
「セラさん」
「ミサトさん! こんな時間に」
「クエスト帰り? お疲れ様」
ミサトの声には珍しく柔らかさがあった。
「今日は最後のクエストでした。六匹の森狼を」
「完了報告、見た。ギルドから連絡が来てたから」
「もう? 早いですね」
「ギルドマスターが直接教えてくれた。二人の連携が美しかったって言ってた」
(ギルドマスターの言葉が、ミサトのところにも届いてるのか。この世界の情報網、思ったより速い)
「ありがとうございます」
「セラさん、次の旅に入ったら……少し、引き継ぎのつもりで話させてください」
ミサトが珍しく真剣な顔をした。
「引き継ぎ?」
「これからの旅の最初の難所は、魔族との接触だと聞いている。私のような騎士としての経験が、多少役に立てるかもしれない」
「……ありがたいです」
「私も、セラさんたちと一緒に戦いたいと思っている。才能じゃなくて、向かい合う勇気を持った人と一緒に戦いたい」
(ミサトさんがこういうことを言ってくれるのは、珍しい。普段は「フン」くらいで終わるのに。こういう言葉は——刺さる)
「……嬉しいです。一緒に、よろしくお願いします」
「ええ。よろしく」
二人は短い沈黙を共有した。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい、セラさん。良い夢を」
ミサトが去った後、廊下でしばらく立っていた。
(良い夢、か。そういう言葉が当たり前みたいに飛んでくる——ありがたいことだ)
部屋に戻り、明かりを消した。布団の中で目を閉じる。
王都での日々は終わった。次の旅が待っている。
(でも今夜は——ただ眠る。それで十分だ)
# 第118話 完




