第108話 学園生活の日常
# 第108話 学園生活の日常
## 日常の朝
朝の鐘が鳴る前に、セラは目が覚めた。
窓の外にはまだ薄暗い空が広がっている。春の朝の冷たい空気が窓の隙間から入り込んでいた。
「……うーん」
セラがベッドの上で伸びをする。
隣のベッドでは、ライルがまだ幸せそうに寝ている。茶色の髪が枕に埋もれ、口を少し開けて寝息を立てていた。新学期が始まってから二週間が経つが、ライルの朝弱さは変わらない。
(エルフの体になってから、なぜか朝型になってしまった。環境のせいか体のせいかわからない。よくわからないが、まあいい。朝の静けさは好きだ)
セラは静かにベッドから立ち上がり、机に向かった。上級魔法理論の授業で出された課題、融合魔法のプロセスについてだ。
「融合魔法のプロセス……感情と魔力がリンクしてるのはわかるが、制御の仕方はもっと複雑だな」
「ん……セラ?」
ライルが目をこすりながら起き上がる。
「起きちゃった?ごめん、宿題の予習してた」
「セラって、本当に勉強熱心だなあ。起き抜けから予習って……子供の頃からそうなの?」
「いや、全然だよ。授業についていくのが必死で」
「たまたまで一年生が上級魔法を使えるわけないだろ」
ライルが半目で笑う。説得力はある。確かに。
「……まあ、少しずつな」
「食堂は七時からだよね。あと十五分」
「ちょっとだけ二度寝する……」
「寝過ごすなよ?」
「大丈夫。セラが起こしてくれるでしょ」
(気づけば、また世話役体質が出ている。なんなんだこれ。俺にはその素質があるのか。まあ、嫌いじゃないが)
約十五分後、セラはライルを起こした。朝食逃すよ、の一言でライルが飛び起きるのは毎朝恒例になりつつある。条件反射だ。完璧に学習している。
食堂に向かうと、アリアがすでにいた。
「今日も早いね、シルヴァんくん」
「朝の時間、有効に使いたいと思って」
「すごいなあ。私はギリギリまで寝てたいな」
ライルが苦笑する。
「二人で被らないでください」
「ふふ、ライルくんらしいね」
三人は朝食を受け取った。温かいパン、スープ、サラダ、卵料理。学園の食堂は種族ごとの食文化に配慮したメニューを提供していて、エルフには野菜中心の料理が多い。
「今日の授業、何だっけ?」
「一時間目は魔法史、二時間目は上級魔法理論、午後から実技」
「ああ、魔法史のテスト返ってくるんだっけ」
「大丈夫よ、ちゃんと勉強してたし」
「でもセラは満点だろうなあ」
「いや、全然だよ」
「毎回そう言って毎回いい点数取るの、やめてくれない?」
「たまたまだって……」
「たまたまって言い続ければ謙虚に見えると思ってる?」
ライルが鋭いことを言う。
(それは……否定できない。このさじ加減は難しい)
## 授業風景
食堂でのやりとりを終えて教室に向かう途中、カトレアが廊下を駆けてきた。
「セラ!おはよう!昨日の魔陣工学の課題、どこまでやった!?」
「七問中六問」
「私は全問終わらせたわ!借金返済に役立つ知識は最優先よ!」
「魔陣工学が借金返済にどう繋がるか聞いていいですか」
「魔法陣で資産運用の自動管理システムを作れるとしたら!?」
「それはさすがに遠い話では」
「夢は遠くていい!ギャハハ!ドワーフの格言に、「届かない岩を打ち続けるのが職人だ」とあるわ!」
「その格言、好きです」
「でしょう!では課題を確認し合いましょうか!」
(カトレアは朝から全力だ。モーニングハイの原因はたぶん、夜中に練り上げた借金返済計画だ。すごい人だ)
一時間目の魔法史の授業が始まった。
担当は白髪の老年の男性、グレイ先生。元宮廷魔法使いで厳格だが生徒想いと知られている。黒板の字は大きく、説明は丁寧。「いい先生」の典型だ。
「今日は前回のテストを返却します」
教室中が一瞬緊張した。
「アリア・エルフウィンド」
「はい」
「よくできました。八十五点です」
「ありがとうございます」
「ライル・グリーンウッド」
「は、はい」
「六十八点です。もう少し勉強が必要ですね」
「はい、すみません……」
ライルが戻ってきて、小声でセラに言った。
「満点だったら焼くから」
「物騒だな」
「セラ・ウィスパーウィンド」
「はい」
「満点です。素晴らしい」
教室のあちこちから感嘆の声が上がった。
「また満点かよ……」
「セラくん、すごいなあ」
「魔法史、暗記科目なのに」
「……ライル、生きてる?」
「やりやがった……」
セラが席に戻ると、ライルが目を細めて見ている。
「たまたまだよ」
「それを言う権利は失った」
「なぜ!?」
「満点取った後に「たまたま」は通じない。世間の常識だ」
「常識にそんなルールがあるとは知らなかった……」
(謙虚と嘘くさいの境界線、難しい。このさじ加減、永遠にわからないかもしれない)
グレイ先生がテストを返し終わると、黒板に向き直った。
「今日の授業を始めましょう。古代エルフの魔法体系について学びます」
セラはノートを開く。ペンを握る。気合いが入る。
(古代エルフの魔法体系——彼らが築いた技術は今でも「機能する」。それが普通の歴史と違うところだ。机上の話じゃない。実際に発動する)
先生が黒板に図式を書き込んでいく。魔力の循環、術式の構造、エルフ特有の共鳴理論。
「セラ」
隣からアリアが小声で呼ぶ。
「ん?」
「授業、楽しそう」
「面白いんだよ。古代エルフって俺たちの先祖なんでしょ?彼らがどんな魔法を使ってたか、気になって」
「……ふふ、セラらしい」
「授業中に話しかけてくるのはアリアだから」
「ごめんなさい」
グレイ先生が振り返る。全員が姿勢を正した。
「では、共鳴理論の続きです。前回の課題を思い出しながら……」
セラのペンが走る。ノートが埋まっていく。こういう時間は「こなすもの」ではなく「積み上げるもの」だ。違う感覚。好きな感覚だ。
## 実技の授業
午後の実技の授業は演習場で行われた。
担当はカラット先生。若いが実技一流の女性教師で、赤い長髪と鋭い目が印象的だ。生徒たちの評価は「怖いけど、教え方はわかりやすい」で一致している。
「今日は融合魔法の初歩をやります。風と火、風と水、どちらかの組み合わせを各自選んでください」
「先生、一人でやるんですか?」
「そう。融合はまず一人でできるようになってから、二人でやる段階に入ります」
ライルが小声で言う。
「風と火、怖くない?炎になったりしない?」
「制御が甘ければなるかもな」
「こわ……俺、風と水にしよう。安全そうだから」
「それは正しい判断だよ」
セラは風と火を選んだ。
演習場の中央に立ち、深呼吸する。マナの流れを感じる。風属性は軽くて流れがある。火属性は圧力があって重い。この二つを同時に制御するには——
「セラ・ウィスパーウィンド、先に見せてもらいましょうか」
カラット先生に名指しされた。
(なんで俺が先番なんだ。プレゼン一番手に指名される法則、ここでも発動か)
「はい」
演習場の中心で、セラは静かに目を閉じた。マナを二方向に分ける。風の流れを左手。火の圧力を右手。それぞれを別個に制御しながら、少しずつ融合させる。
(これは……難しい。でも面白い——)
二つの属性が混ざり合う瞬間、不思議な感覚があった。風が炎を纏い、炎が風に踊る。「炎の竜巻」と呼ぶにはまだ小さいが、確かに融合しつつある。
「……合格点。よくできました。特に感情制御が安定している」
「ありがとうございます」
クラスメイトたちがほっとした顔をした。
「セラができたなら俺たちも!」
ゴウタが声を張り上げて、演習場が笑いに包まれた。
それからクラスメイトたちが順番に挑戦した。ライルは風と水の組み合わせを選び、最初は霧雨にもならなかったが、三回目でなんとか「霧雨っぽいもの」を出した。
「よし!できた!」
「やったじゃないか、ライル」
「三回失敗したけど!」
「三回もやり続けたんだから十分すごいよ」
「……ありがとう」
ライルがほっとした顔をする。
カラット先生が演習場をぐるりと見回して、最後にまとめを言った。
「全員、なんらかの融合反応が出せました。融合魔法は難しいが、感情制御の感覚を掴むとあとは早い。次の授業では二人一組でやります。各自でペアを考えておくこと」
(二人一組——。アリアとペアを組んだら何かが起きそうだ。あの「セラの魔力が安定する」現象の話を考えると、研究的にも面白い。でもそれは後で考えよう)
「セラ、ペアはどうする?」
アリアが聞いてきた。
「アリアと組みたいんだけど、いいかな」
「もちろん!楽しみにしてる」
## 昼休み
昼休みの食堂は、朝とは違う賑やかさがある。
ガヤガヤとした声、食器の音、笑い声。エルフ、人間、ドワーフ、猫族——こんなに多様なランチ風景、学園ならではだ。
「セラくん、今日の実技、どうだったの?」
ミナが猫耳をぴこぴこさせながら聞く。
「難しかったけど、面白かったよ。感情と魔力のリンクを実際に体で感じるから」
「難しそうだにゃ……できた?」
「なんとか」
「すごいにゃ!セラは何でも面白いって言うよね。そしてなんでもできる」
「実際面白いんだから仕方ない。ミナちゃんは実技、得意でしょ?俊敏さが魔法にも出てた気がするけど」
「速さはあるにゃ!猫族だから!でも魔法の制御は……にゃ」
「感覚で動けるタイプは融合系も意外と早く掴めるよ。一緒に練習しようよ」
「本当!?嬉しいにゃ!」
ゴウタが向こうのテーブルから声をかけてきた。
「セラ!昨日の魔法史のテスト、また満点だったって本当か?」
「……なんで知ってるんですか」
「ライルが廊下で叫んでたぞ。「またやりやがった!」って」
「ライル!」
「すみません!悔しくて!感情が漏れました!」
「わかった!わかったから落ち着け!」
テーブルが笑いに包まれる。
「セラ、やっぱりすごいな。勉強も魔法も、バランス良くできるやつって珍しいんだよ」
「ゴウタ先輩は戦闘力なら学年一じゃないですか」
「それはそうだが、書き物系が……うん。まあ、人には得意不得意があるもんだ」
「先輩の成績表、見たことないですが、見なくていいですね」
「やめてくれ。お願いだから見なくていい」
(ゴウタ先輩の得意不得意——現場最強・書類苦手のタイプだ。あのタイプは現場で輝く。書類は得意な人に任せればいい。組織の力だ。それでいい)
アリアが横から入る。
「セラ、ご飯ちゃんと食べてる?考え込んでて止まってるわよ」
「あ、食べてる食べてる」
「また何か考えてたの?」
「いや、前世——じゃない、子供の頃のことを少し」
「セラ、たまに「前世」って言いかけるよね」
「言いかけてない」
「さっき言いかけた」
「言いかけてない!!」
アリアがくすりと笑う。
「冗談よ。ちゃんと食べて」
(本当に危ない。前世バレだけは絶対に避けなければ。あれが「ヤバい秘密」ランキング不動の一位だ)
昼食の残りを片付けながら、セラは周りを見渡した。笑い声、話し声、食器の音。日常の一コマだ。こういう光景が、この学園に来て日常になった。当たり前の一日——それが一番の贅沢なのかもしれない。
## 放課後の図書館
放課後、セラはアリアと一緒に図書館に向かった。
学園の図書館。高い天井まで本が積まれた棚が並んでいる。光魔法で灯された照明が、温かい色で空間を照らしている。入り口の時点でもう、空気が違う。静かさの質が、廊下とは別物だ。
(ここは好きな場所だ。静かさがいい。それだけで十分だ)
「静かでいいな」
「ね。こういう時間、好きだよ」
アリアが向かいに座る。二人は各自の教科書を開いた。セラが開いたのは魔陣工学の参考書。アリアは回復魔法の応用理論。
しばらく、静かな時間が続く。
ペンを走らせる音。本のページをめくる音。時折、遠くで誰かが咳をする音。他に人がいることで、逆に集中できる——不思議な空間だ。
「ねえ、セラ」
「ん?」
「今、何の本読んでるの?」
「魔陣工学の参考書。授業の内容が面白すぎて、深堀りしたくて。三章まで予習したが、注釈が気になって注釈を追ってたら五章まで読んでた」
「相変わらず……」
「アリアは?」
「回復魔法の応用。感情と魔力の連動について」
「それ面白そう。というか、共鳴の理論と繋がりがありそうだ」
「そうなの?」
「感情と魔力のリンクって、融合魔法の制御にも使われてる概念で——実際、俺がアリアの魔法を受けた時、なんか安定する感覚があるんだよ。あれが「感情と魔力の連動」じゃないかと思って」
アリアの表情が少し変わった。驚いたような、でも何かを考えているような顔。
「……セラの魔力が安定するの、私も感じてた」
「ほんとに?」
「うん。私がそばにいると、セラの魔力が落ち着く。最初は気のせいかと思ったけど……なんか、本当にそういう仕組みがあるのかもしれない」
「面白いな。実験できないかな」
「実験!?」
「いや、研究的な意味で。学術的に」
「……それ、先生に言う?」
「まず自分で調べたい。図書館にその方面の本があるかもしれない」
気づいたら二人で熱心に話し込んでいた。窓の外が橙色になっている。
「……もうこんな時間だ」
「一時間経ってたね」
「本を読んでるとあっという間だ」
「セラのせいでしょ、面白い話をするから」
「アリアも乗り気だったじゃないか」
「だって面白かったんだもの。私の研究と繋がってるかもって思ったら、止まれないよ」
二人は顔を見合わせて笑う。
「こういう時間、好きだな」
セラが本を閉じながら言う。
「私も。セラと一緒だと、勉強も楽しいから」
(「もっと学びたい」——気づいたらそう思っている。アリアがいる、という要因が大きいのかもしれない。認める。ただし声には出さない)
「また来よう。週一くらいで」
「ええ。約束ね」
帰り際、アズマが図書館の入り口で声をかけてきた。
「セラ、図書館に来てたのか」
「ええ。魔陣工学の参考書を」
「俺も時々来る。あそこの四階に古代エルフの文献がある。見たことあるか?」
「まだです。四階に上がれるんですか?」
「許可証が必要だが、グレイ先生に申請すれば一般生徒でももらえる。興味があるなら申請してみろ」
「……それは知らなかった。絶対に申請します」
「やっぱりそうなるか。お前はそういう顔をするな、知らない知識があると知った時」
「どんな顔ですか」
「目が輝く。ちょっと怖い」
「怖いのか」
「良い意味でだ。俺もそういう顔をしたいと思う」
アズマが珍しく微笑んだ。
(アズマ先輩——寡黙だけど、実は面倒見がいい。信頼できるタイプだ。間違いない)
## 一日の終わり
夜の寮。
セラとライルが部屋に戻ると、アリアがノックして入ってきた。
「一日、どうだった?」
「充実してた。テストも実技も、授業も」
「ライルくんは?」
「満点を取られたこと以外は良かったです」
「満点はどうしようもない」
「どうしようもないのが一番悔しい!」
セラが笑う。
「実技、融合魔法の初歩はどうだったの?」
「難しかったけど、理屈がわかって楽しかった。感情と魔力のリンク、実際に体で感じると面白くて」
「セラはうまくできてたよ。先生も褒めてたし」
「俺は三回失敗した」
「ライルはあの難しいのを三回もやり遂げようとしたんだから立派じゃないか」
「……フォローになってる?」
「なってる。少なくとも俺は本心だ。失敗して続けられる人は強い。前世——じゃなくて、俺の経験でいうと、そういう人が最終的に伸びる」
「……ありがとう。でも「前世」って言いかけた」
「言ってない」
「言いかけた!!」
(言いかけた。本当に口から出やすい。条件反射になってる。どうにかしなければ)
「……まあ、気のせいだ。とにかく、ライルは頑張ってた」
「……ありがとう」
ライルが少し照れた顔をする。
「明日の課題、どのくらいある?」
「魔法史が一ページ。上級魔法理論が計算問題十問」
「十問!?」
「難しくないよ。パターンがあるから」
「セラ基準で難しくないは信用できない……」
「一緒にやる?」
「……助かります」
三人で机を囲んで、課題をこなした。セラが説明して、アリアが補足して、ライルが「なるほど!」と頷く。気づいたら一時間経っていた。
「よし、できた」
「助かった……セラ、本当にありがとう」
「いつでも」
「セラ、先生になれそうね」
「まだまだ。教えることの難しさを痛感してる。図書館でアリアに話してみても、伝わる部分と伝わらない部分があって」
「でも、教え方が上手だよ。理屈を丁寧に説明してくれるから、わかりやすい」
「……それは嬉しいな」
(誰かが「なるほど!」と言う瞬間の、あの顔。あれが好きだ。こっちで初めて気づいたことの一つだ)
「じゃあ、寝ましょ」
「ええ。明日も早いし」
「おやすみ、アリア」
「おやすみ、セラ。ライルくんも」
「おやすみなさーい」
アリアが部屋を出ていった。
「今日もよかったな」
ライルがベッドに転がりながら言う。
「うん。こういう日常が一番好きだ」
「わかる。特別じゃないけど、充実してる感じ」
「ライル、わかってるじゃないか」
「俺だって考えることくらいある!」
「知ってる」
消灯。部屋が暗くなる。
(当たり前の一日に、意味がある——それだけで十分だ)
「おやすみ、ライル」
「おやすみ。明日も満点取るなよ」
「取ったらごめん」
「……やっぱり取るんじゃないか!」
笑い声が夜に消えていく。今日も、本当に良い日だった。それだけで、十分だ。




