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神に楽しめと言われた。楽しみすぎて、神を超えた。  作者: issoh


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第107話 新学期の始まり

# 第107話 新学期の始まり


## 新学期初日


 朝の光が、窓から差し込んでくる。


 セラがゆっくりと目を開けた。


「……新学期か」


 独り言が漏れる。


 「新しい魔法を習える」「知らなかった術式に触れられる」——そういう積極的な期待が、昨晩からずっとある。胸の奥がじわじわと熱い。


「セラ!今日は新学期の初日だよ!」


 隣のベッドから、ライルが飛び起きた。茶色の髪が寝癖でひどいことになっている。


「わかってる。俺のほうが先に起きてたんだが」


「え、ほんと?え、すごいな。いつもならギリギリなのに」


「なにをもって「いつも」なんだ。まだ新学期始まってないのに」


「でも初日からやる気満々なんだね!セラ、顔が違う!」


「どんな顔してるんだ俺は」


「なんか……新年度の上司みたいな顔」


「それは褒め言葉か?」


「半々」


「ありがとうよ」


 二人は身支度を始める。制服に着替え、顔を洗い、髪を整える。セラは鏡に映る自分を見る。銀髪のエルフ。翡翠色の瞳。転生してから一年が経つが、まだたまに「これ本当に俺か?」と思う瞬間がある。


 (……まあ、もう俺の顔だ。慣れてきた)


 鏡の中の自分が少し変わった気がする、と最近思う。表情が。一年前と比べて、もう少し「ここにいる人間」みたいな顔をしている。根拠はないが、そう感じる。まあ根拠がなくてもいい。感じることは確かだ。


 制服を着る。エルフ向けのサイズに調整されていて、袖が少し長い。それにもすっかり慣れた。ライルは毎朝寝癖を直すのに苦労している。見ているとなんとなく和む。


「セラ、何ぼんやりしてるの?遅れるよ」


「独り言してた」


「また独り言?多いよね、セラの独り言」


「考えることが多いんだよ」


「そんなに考えてるの?すごいなあ」


「ライルはもっと考えていい」


「うっ」


 二人は寮を出た。廊下には他の生徒たちが次々と現れ、新学期の空気が漂っている。どこか浮ついた、でも少し緊張した雰囲気。どの顔も冬休み明けの生気に満ちている。


「おはよう!」「おはようございます!」「今日から新学期だね!」


 挨拶を交わしながら食堂に入ると、すでに賑やかだった。


「あ、セラくん!」


 アリアが手を振る。金髪をきれいにまとめ、制服が完璧だ。アンバー色の瞳が朝の光の中で輝いている。


「おはよう、アリア」


「ライルくんもおはよう」


「おはよう、アリアさん!今日から新学期ですね!」


「そうよ。楽しみね」


 三人は食堂の列に並んで朝食を受け取った。焼きたてのパン、スープ、サラダ、温かい紅茶。エルフに配慮した野菜多めのメニューが学園の食堂の特徴だ。


「先輩たちもいるね」


 セラが食堂の奥を指す。ゴウタ・マグナス、アズマ・レン、カイト・ウインドが一緒のテーブルで食事をしていた。


「挨拶に行こ」


「行ってみよう」


 三人で近づく。


「おはようございます!」


「お、セラ!おはよう!冬休みはどうだった!?」


 ゴウタが豪快に立ち上がり、胸を張る。相変わらず体格がいい。


「ゴウタ先輩、おはようございます。マウント・ベアを討伐しました」


「まじで!?Eランクで!?」


「ええ。二人で連携して」


「へぇ、セラの魔法か。俺は実家で筋トレしてたぞ」


「先輩、変わってないですね」


「当然だ!」


 この人、本当に変わらない。圧倒的な一貫性がある。ある種の安心感だ。筋トレも騎士の訓練も、「やると決めたらやり続ける」タイプの人間がいる。ゴウタ先輩はそれの体現だ。強さの質が違う、と思わされる。


「ゴウタ先輩は今学期どんな目標を?」


「Dランク昇格だ!そのためのトレーニングメニューを自分で作った!」


「自分で……?」


「それだけ本気だということだ!」


 横でアズマ先輩が苦笑いしていた。「毎朝五時に起きてるんだよな」と小声で教えてくれた。


「セラも目標あるか?」


「今学期、魔陣工学を全部理解したいです。あと、Eランクで受けられる最上位クエストをクリアしたい」


「欲張りだな!いいぞ!」


 ゴウタ先輩が豪快に笑った。「目標は大きいほうがいい」という意見にしては根拠が全部筋肉から来ているが、圧力は本物だ。励まされた、と思うことにした。


「カイト先輩、また風魔法の練習誘ってください」


「もちろんだ。セラの制御、見たかったんだ」


「ミナちゃんは?」


「あ、いたにゃ!」


 猫耳がぴこぴこ動くミナが食盆を持って走ってくる。


「おはよう、ミナちゃん。元気だね」


「うん!実家でねこの子たちと遊んできたにゃ!」


「猫族が猫と遊ぶのか……」


「猫族も猫が好きだにゃ!」


 そうか、むしろ「猫族なのに猫嫌い」のほうが大変な人生だ。たぶん社会的に何か言われる。


 賑やかな朝食が終わり、各自が教室に向かった。新学期、一日目が始まる。


 廊下を歩きながら、セラは窓の外を見た。学園の中庭に、冬の名残の霜が残っていた。朝の光が石畳に当たって輝いている。枯れた木が枝を広げ、そこに朝の光が差している——春の準備をしている感じがした。季節が動いている。自分も動いている。なんとなく、そう思った。


 教室の扉を開けると、すでに数人が席についていた。窓際の席がセラの指定席だ。荷物を置いて、すぐに昨日のノートを開く。今日の授業の予習として読み返す。この習慣が、いつの間にかついていた。


## 冬休みの話


 午前の授業は魔法理論だった。


 先生が黒板に書いた方程式を見ながら、セラは久しぶりに「教室」という空間の心地よさを感じていた。一週間、宿屋と外を行き来していた。体が動く生活はよかったが、こうして机に向かって考える時間も好きだ。両方ある、というのがいい。


 「ウィスパーウィンド、この式の意味を説明してみよ」


 先生に指名された。立ち上がる。クラスメイトの視線が集まる。


 「術者の魔力放出量と、陣の受容可能量のバランスを示す式だと思います。左辺が術者側、右辺が陣の許容値で、等号が成立する時に陣が最大効率で動く——つまり、術者の魔力を無駄なく陣に封じ込められる条件を示しています」


 先生が少し目を細めた。


 「正確だ。付け加えるとすれば?」


 「……右辺の定数部分が古代エルフの設計によって異なる可能性があること、でしょうか。現代の陣は規格化されていますが、古代陣はそれぞれ独自の係数を持っている可能性があります」


 「今学期の授業でそれを解析していく。よく気づいた」


 着席した。隣でライルが「すごいな」と小声で言った。「ありがとう」と返した。


 正直、昨晩三章まで読んでいたので答えられた部分もある。予習した甲斐があった。


 休み時間。


 教室の中が一気ににぎわった。前の列の生徒が振り返り、後ろの生徒が席を立ち、「ねえねえ」という声があちこちから上がる。冬休み明けの休み時間というのは、どこでも同じ構造らしい。「久しぶりの人と話したい欲求」は普遍的なようだ。


 カトレアが廊下から頭を突っ込んできた。


「セラ!新学期おめでとう!冬休み中、借金返済計画を改訂したわ!冬のダンジョン攻略によってEランクになったとの情報が入ってるわよ!報酬の使い道を共に考えさせてくれ!」


「おはようございます、カトレアさん。いきなり全力だ」


「当然よ!ギャハハ!休みだからって計算を止めるドワーフはいないわ!」


「冬休み中もずっと計算してたんですか?」


「もちろん!ドワーフにとって数字は空気と一緒よ!」


 公私の区別がない分、おそらく仕事の質は高い。問題は「仕事」が全て借金返済に向いている点だが。それはそれで一種の純粋さだ。あれだけ一つのことに全力を注げるのは、ある種の才能だと思う。方向性はともかく。


「カトレアさんの冬休み、全然休んでなさそうですね」


「働かざる者食うべからず、というドワーフの格言があってね。休むということは動かない岩になること。俺たちは転がる岩でなければならないのよ!」


「それはシェイクスピアでは……」


「ドワーフのほうが歴史は古いわ!ギャハハ!」


「ねえねえ、セラくん、冬休みの冒険、詳しく聞かせてよ!」


 ライルが前のめりになる。


「あ、俺も聞きたい」


 ゴウタが身を乗り出す。隣のクラスのくせに教室に来ている。いいのか。


「マウント・ベアってどのくらい大きいの?」


 ミナも猫耳をそばだてる。


「ぬいぐるみサイズかと思ったら大間違いで」


「どのくらい?」


「……二階建ての家、くらいのサイズ感だ」


「すごい!そんなに大きかったの!?」


「しかも凶暴化してたんだ。ダメージを受けても止まらない。目の光が消えないで迫ってくる」


「怖いにゃ!」


「怖かった。足がすくんだよ。近づいただけで圧が来る」


「で、どうやって倒したの?」


「まずアリアが聖三角で動きを封じて、俺がエアロ・ストームで仕留めた。順番が逆だったら死んでたかも」


「連携が肝心ってやつ!」


「そうそう。一人では絶対無理だった。あの魔力圧、俺一人じゃ防げないよ」


「セラとアリアって、本当に息ぴったりだよな」


「幼馴染だからね」


「……羨ましいなあ」


 ライルが遠い目をする。微妙に遠い目だ。


「えっ、どういう意味で羨ましいの」


「いや、強い連携パートナーがいるって意味で!それ以外ないって!」


「なんで自分から否定した」


「してない!してないから!」


「してたよ、絶対」


「セラ、今日から新学期なのに人の心を抉るのやめて!」


 「息の合う幼馴染がいる」という状況を羨ましがられるのは、嬉しいような居心地悪いような。……いや、素直に嬉しい。


 ライルが「それ以外ない」と言った瞬間、少し早かった。自分でも気づいていて、否定するあたりが正直だ。この先輩後輩みたいな空気、冬休み前とは違う。学期をまたいで、距離が縮まっている気がする。


 クラスメイト全体がそうかもしれない。半年一緒にいて、冬休みがあって、また戻ってくる。「久しぶり」「元気だった?」の会話の軽さが、最初の頃と変わった。慣れている。関係が積み重なっている。それが「友達」というやつだ、と思う。


「セラのエアロ・ストーム、ほんとにすごいの?一年生で上級魔法って聞いたにゃ」


「まあ……使えたっていうだけで、まだまだ制御が荒くて。実際、討伐後はしばらく動けなかったくらい消耗した」


「でも使えることがすごいにゃ!」


「ゴウタ先輩も使えますよね?エアロ・ストーム」


「俺は力押し特化だ。セラみたいな繊細な制御は俺の流儀じゃないな。俺は「とりあえず全力でぶち込む」スタイルだ」


「先輩が言うと説得力しかないですよ」


「だろう!」


 力技は時に正攻法を超える。あれはあれで有効な戦略だ。


 クラスメイトたちの笑い声が教室に響く。セラの冒険話に、休み時間は大いに盛り上がった。


 アリアが横から口を挟む。「セラ、全部は話してないでしょ。ミサトさんのことも言ってあげたら」


「いや、それはいい」


「え、ミサトさん!?」ライルが食いつく。「生徒会長の!?」


「仲良くなったんだよ」


「……どのくらい仲良く?」


「…………普通に、仲良く」


「どのくらい普通に?」


「いい加減にしろ」


 ライルが「どのくらい普通に?」と言い続けている間、アリアがニコニコと見ていた。アリアの「わかってて聞いてる顔」は毎回表情が豊かすぎる。


 しばらくそのやりとりが続いて、ライルが「わかった、聞かない」と引いた。代わりに「でも今度、ミサトさんに会う時に俺も呼んでくれ」とつけ加えた。


「なんで」


「セラの顔が変わるのを見たい」


「呼ばない」


「えー!」


 アリアが笑った。セラは渋い顔をしつつも、まあいいか、と思った。こういう賑やかさが、帰ってきた実感だ。


## 新しい授業


 午後の授業。


 担任の先生が黒板に書いた。「上級魔法陣工学・序論」。


「今学期から、新しい分野を学んでもらいます。上級魔法陣工学、略して魔陣工学です」


 「魔陣工学」という言葉に、教室がざわついた。


「難しそうだ……」


「でも聞いたことある。古代エルフの遺産を研究するんでしょ?」


「そう聞いたにゃ!」


 古代エルフの遺産。自動発動。仕組みを解析する学問。心拍が少し上がった。


 黒板の文字を見ながら、授業が始まる前からノートを開いていた。


「魔陣工学は、古代エルフが残した魔法陣の原理を解析し、実用化を目指す学問です。難しい分野ですが、現代魔法の発展に不可欠です」


「先生、魔法陣って、普通の魔法と何が違うんですか?」


 セラが手を挙げる。


「よい質問です。普通の魔法は術者の魔力と詠唱に依存しますが、魔法陣は陣そのものに魔力を封じ込め、一定の条件で発動させます。術者の介在なく、魔法を発動できるわけです」


「……術者なしで魔法が発動する」


「そうです。だから古代の武器、罠、施設に使われていました」


 教室が静かになった。


 術者不在で動く魔法陣——仕組みを全部知りたい。こういう「わかりたい」という感覚が今まで以上に強い。授業中に前のめりになっているのに気づいた。


 先生が黒板に魔法陣の基礎図形を書いた。六芒星に似た形の中に、エルフ文字がいくつか配置されている。「これが古代魔法陣の基本形です。陣の中心に魔力を封印し、外縁の文字列が発動条件を定義します」——解説が続いていく。言葉の一つ一つが意味を持っていて、頭の中でパズルのピースが埋まっていく感覚がある。


「セラくん、興味ありそうだね」


 アリアが小声で言う。


「面白いんだよ。魔法陣って仕組みが気になって……。前世——じゃなくて、ずっと疑問に思ってたんだ、こういう自動発動の仕組みって、どうやって設計するんだろうって」


「前世って言いかけた」


「言ってない」


「言いかけてたじゃん」


「言ってない!!」


「……ふふ、セラらしい」


「次回から、実際に簡単な魔法陣を作成してもらいます。教科書の三章まで予習しておいてください」


「はい!」


 セラはすでにノートにメモを書き込んでいた。「術者不在の魔力封入原理」「古代エルフの技術体系」「現代への応用例」——書けば書くほど疑問が増えていく。この感覚が心地よい。疑問が増えるのは、知識が増えている証拠だ。


 「これを実際に作れるようになるのか」と思うと、手が動く。授業が終わった後も余韻が残りそうな、そういう授業だった。


「セラ、めちゃくちゃ書いてる」


「うるさい、面白いんだよ」


「俺もせめて半分くらい熱意が欲しい……」


 ライルが遠い目をする。


「熱意は授業が面白ければ湧いてくる。ライルが遠い目するのは授業が退屈だからじゃなくて、自分の中に疑問がないからだよ」


「……急に核心を突くの、やめてもらっていいですか」


「ごめん」


 授業が終わったあとも、ライルはぼんやりとノートを眺めていた。


「ライル、どこかわからなかった?」


「全部……」


「それは早急に対処が必要だ」


「三章どころか一章から怪しい気がするんだよな……基礎ってどこで確認できる?」


「図書館に魔法陣の入門書がある。「古代魔法陣入門・上巻」が読みやすかったよ。表紙が青いやつ」


「……セラ、図書館のどこに何があるか把握してるの?」


「そこそこ」


「もう勉強歴が全然違う。俺、冬休みを全部休暇に使ったのが悔やまれる」


「悔やまなくていい。今から始めれば間に合う。俺が一緒に読んでもいい」


「本当に?」


「本当に」


 ライルが顔を上げた。「ありがとう」と言った。素直な言い方だった。こういう後輩——同級生だが——がいると、教えることが楽しくなる。教える、ということが自分の理解を深める、というのはここに来てから気づいたことだ。


## 魔陣工学の実習予告


 授業の後半、先生が言った。


「来週から実際に魔法陣を描いてもらいます。まずは最も基礎的な「光の陣」から始めます。発動条件は「日光の遮断」、効果は「周囲五メートルの照明」です。これを自分で設計し、実際に描いて、起動させてみてください」


「自分で設計……!?」


「そうです。テキストに設計図が載っていますが、寸法や線の太さは各自で調整してください。同じ陣でも、設計の細部で効率が変わります」


 教室が一瞬静かになった。次の瞬間、ざわめいた。


「難しそう……」


「でも面白そう!」


「失敗したらどうなるの?」


「魔力が陣から漏れて、空振りします。危険はありません」


「よかった!じゃあ失敗しても大丈夫か」


 セラはノートに「光の陣」とメモした。その横に設計のポイントを書き込む。先生の言葉を聞きながら、頭の中ではすでに陣の構造を考え始めていた。


 (陣の形状が詠唱の代替になるなら、形状の精度が魔法の精度に直結するはずだ。線の太さが均一でないと、魔力の流れが偏る——おそらくそういう仕組みだ)


 「おい、もうノート一ページ埋まってる」とライルが苦笑いした。


「考えることが多い」


「多すぎだろ」


「それでいい」


 でも確かに、ライルの言う通り、ノートが一ページ半埋まっていた。


 アリアが小声で「セラ、またノートが増えてる」と言った。「面白いんだよ」と返した。「知ってる」と言って、アリアは自分のノートに目を戻した。


## ミサトとの再会


 放課後の中庭。


 セラがベンチに座って魔陣工学の参考書を読んでいると、足音が聞こえた。革靴の、少し力のある足音。学園の生徒のそれとは少し違う。


「セラさん」


「ミサトさん!?」


 振り返ると、ミサトが立っていた。鎧姿ではなく、制服。……いや、学園の制服ではない。シンプルな私服だ。白いシャツに紺のコート。ダークブラウンの短髪が春の風に揺れている。


 鎧を着ていないミサトさんを、こんなにちゃんと見たのは初めてかもしれない。印象が違う。格のギャップ、というより——年相応に見える。それが少し、新鮮だった。


 鎧の人が私服でいると、印象がずいぶん柔らかくなる。「近衛騎士」という肩書きより、年齢が前に出てくる。ミサトさんはセラと同じくらいの年だ——というか一歳上だ。たまに忘れる。


「新学期、どうだった?」


 ミサトが隣に座る。当然のように座る。自然な動作だ。


「楽しかったです。魔陣工学の授業が面白くて」


「相変わらず勉強熱心ね」


「ミサトさんは?冬休み明けの騎士団、忙しかった?」


「ええ。でも充実してたわ」


 少しの間があった。中庭では他の生徒が散策しており、遠くから笑い声が聞こえてくる。枯れ草の上を鳥が歩いている。冬の終わりの中庭だ。


「……セラさん、また会えて良かった」


「……また言う」


「また?」


「今日……ええと、最初だけど、でもミサトさんなら言いそうな気がして」


「何それ」


「いや、なんでも」


 「また会えて良かった」。その言葉が、胸の中でほんの少し暖かい。受け取ることができた。それが今と以前の違いだ。


 以前の自分なら「どうも」で流していたかもしれない。今は違う。受け取る、という動作が自然になった。言葉をちゃんと受け取ることができるようになった、というのも変化の一つだ。


 ミサトが少し髪をさらりとかきあげる。


「……お礼を言いたかったの。新学期が始まって、改めて」


「お礼?何の?」


「冬の広場での約束のこと。三人で手を重ねた、あれ」


「ああ」


「セラさん、いつもまっすぐで……一緒にいると、変に気を使わなくていいから」


「それはこちらも同じです」


「そう?」


「ええ。ミサトさんと話していると、不思議と落ち着く」


 ミサトが少し顔を赤らめる。それからすぐに視線を逸らして、「そ、そう」と短く言った。


 (……ミサトさんの耳が赤くなってる。観察事実だ)


「セラさん、顔が赤いけど」


「え!?赤くない!」


「なってるわ。ふふ、可愛い」


「だから可愛いって言わないで!」


「なんで」


「なんでじゃなくて……!なんか……くすぐったいんですよ」


「くすぐったい、か。かわいい言い方ね」


「またそれを言う!」


 ミサトが笑う。柔らかい笑い方だ。鎧を着ていても、こうやって笑うと年相応に見える。いや、鎧なしの今はもっと、どこかの学生みたいだ。


「新学期も、よろしくね」


「ええ。こちらこそ」


 二人はしばらく、夕暮れの中庭で並んで座っていた。特に何かを話すわけでもなく、ただ並んで。木が風に揺れていた。鳥がまた鳴いた。遠くで生徒の声がした。


 ミサトが参考書を覗き込んだ。「魔陣工学?」「えっ、もう読んでるの?」「授業が楽しくて」「……セラさんって、本当に変わってるわね」「良い意味で?」「良い意味で」——そういう会話が、自然に生まれた。


 それが悪くなかった。むしろ、心地よかった。


## 夕方の魔力練習


 放課後、中庭の端の練習スペースで、セラは一人で魔力の制御練習をしていた。


 ミサトさんが先に帰った後、まだ日が残っていた。陽が傾いて、石畳がオレンジ色に染まっている。他に練習している生徒が二、三人いる。遠くでカイト先輩の風魔法の音がした。


 「光の陣」を実際に描く前に、手元の魔力制御をもっと精密にしておきたかった。先生が「線の太さが均一でないと魔力の流れが偏る」と言っていた。指先から魔力を出す練習——細く、均一に、安定した量で。


「ウィスパーウィンド、まだいるのか」


 振り向くとカイト先輩が立っていた。


「カイト先輩。練習していました」


「風魔法か?」


「いや、指先からの魔力制御です。魔陣工学の準備で」


「ほう」


 カイト先輩が近づいてきた。腕を組んで、セラの手元を見る。


「やってみろ」


 セラが人差し指の先から魔力を一定量で放出した。薄い光の糸が、指先から伸びる。五秒。十秒。均一さを保つ。


「細いな。意図的か?」


「はい。魔法陣の線を描くのと同じ細さで、均一に出したくて」


「面白いアプローチだ。普通は「量を増やす」ことを先に練習するが、お前は「精度」を優先してるわけだ」


「量は後でいくらでも増やせる、と思って。精度のほうが最初が肝心な気がして」


 カイト先輩が少し考えた顔をした。「それは俺にはない発想だな」と言った。


「先輩のほうが制御は上ですよ」


「量と速度はな。だが均一さという点では——参考になった」


 先輩が去った後、もう少し練習を続けた。指先から出る光の糸が、少しずつ安定してきた。完璧ではない。来週の実習まで、毎日やろうと思った。


 最後に十秒間、均一な太さで魔力の糸を保った。十秒後、糸が消えた。手を見る。少し疲れたが、充実感がある。進歩だ。小さいが、確かな進歩だ。


## 新学期の夜


 夜の寮。


 セラは机に向かいながら、今日を振り返った。魔陣工学のノートを開いている。でも内容が頭に入ってきているかというと——入ってきている。問題ない。ミサトさんの笑顔が浮かんでくるのと並行して入ってきている。マルチタスクは得意らしい。


「どうだった、新学期?」


 ライルがベッドの上で寝転がりながら聞く。


「楽しかった。授業も面白いし、久しぶりにみんなと話せたし」


「セラ、やっぱりアクティブだなあ。俺はもうちょっと寝ていたかった」


「それは毎日じゃないか」


「そうだけど!」


 アリアがノックして入ってくる。


「二人、まだ起きてたの?」


「起きてる。今日の授業の復習してた」


「魔陣工学でしょ。セラ、またノート広げてる」


「面白いんだよ。三章まで予習しろって言われたから、先に読んでる」


「でも早く寝なきゃ。明日も授業があるわ」


「わかってる」


「わかってない顔してる」


 ライルが笑う。


「二人って、本当に兄妹みたいだよな」


「幼馴染だからね」


「羨ましいな。俺も妹いるけど、全然こういう感じじゃなくて」


「生意気なんでしょ?」


「超生意気!でも帰ったら可愛かったから許してる!」


 妹のいる人間はだいたいそういう感じだ。面倒見て、振り回されて、でも愛おしい。セラには兄弟がいないので、なんとなく羨ましい。——いや、こっちには兄弟がいないが、アリアがいる。それはそれで、十分だ。


 三人は笑い合う。


「そういえば、魔陣工学の予習、どこまでやった?」


「二章まで読んだ」


「三章まで言われてたじゃん!」


「途中で面白すぎて注釈まで読んでた……」


「注釈!?」


「古代エルフの技術者が残したメモが収録されていて、それがまた興味深くて」


 三章全部を読む気でいたが、注釈の注釈まで読んでいた。制御できていない。これが「好奇心の暴走」というやつか。悪くない暴走の仕方だが。


 「古代エルフの技術者は、魔法陣を設計する際に詠唱の代替として陣の形状を用いた」——注釈の一文が、頭に焼き付いている。形状が詠唱の代わりをする。それは、魔法の発動に声が必要ではないということだ。声を出せない状況で魔法を使える可能性がある。そこまで考えが及んで、手が止まった。応用先が無数にある。


 「注釈の注釈まで読んだ」と言ったら、ライルが「どこで止まれるの……」と言った。「止まれなかったから今話してる」と答えた。「セラの好奇心、暴走してる」「暴走してる」「でも楽しそう」「楽しい」——こういう会話が自然に続く。これが「夜の寮のいつもの感じ」だ、と思った。


 ライルが「来週の実習、手伝ってくれる?」と聞いた。「もちろん」と言ったら、「セラ、ほんとに頼れる」と言われた。頼れる、という言葉が少し意外だった。でも悪くない。


「セラ、本当に勉強好きね。新学期が始まってよかった」


「ちょっと待って。それだとまるで俺が勉強のために新学期を喜んでる人間みたいじゃないか」


「違うの?」


「……半分くらいそうかも」


「えー!俺とライルの再会は残り半分?」


「同じくらい大事だよ!ちゃんと!……あと、ミサトさんに会えたし」


「ほら!ミサトさんの話が出た!」


「別に何もないから!」


「顔が赤い!」


「なってない!」


 なってる。自分でもわかる。困った。


 アリアがくすりと笑う。「ミサトさん、セラのこと気にかけてくれてるのがわかるから、私、嬉しいな」


「アリア……」


「ライルくんもいるし、先輩たちもいるし。セラを大切にしてくれる人がたくさんいて、本当によかった」


 セラは何も言えなかった。


 仕事の付き合い、という便宜的な人間関係の中だけにいたあの頃とは、全然違う。この場所には、本当の意味での「仲間」がいる。今日一日で、それを改めて感じた。


 アリアが「大切にしてくれる人がたくさんいて本当によかった」と言った。他人の幸せを、自分のことのように喜べる人間がそばにいる——それも、ここで得た大切なものの一つだ。


「新学期も、三人で頑張ろう」


「うん、頑張る!」


「ええ。セラとライルくんがいるなら、何でも乗り越えられそう」


「じゃあ明日のために寝ましょう。おやすみ」


「おやすみ、アリア」


「おやすみなさい、アリアさん!」


 アリアが部屋を出ていった。


 静かになった。セラはノートを閉じた。机の上に参考書と今日のノートが積み重なっている。一日で一冊分くらいのメモを書いた気がする。


「おやすみ、ライル」


「おやすみ。明日も楽しもうな」


「ああ」


 ライルがすぐに寝息を立て始めた。早い。さすが普段から寝ることが得意な人間だ。そのへんは羨ましい。


 消灯。部屋が暗くなる。


 目を閉じた。静かだ。学園の夜は静かで、遠くで風が木を揺らしているのが聞こえる。


 暗闇の中で今日を振り返る。魔陣工学の授業、先輩たちとの朝食、ライルとのバカ話、アリアの小言、ミサトさんとの中庭——一日の中に、こんなに色々が詰まっていた。


 「明日の授業が楽しみ」という気持ちが、静かにある。変化は少しずつだったが、確かに変わっている。変われる環境があることが、何よりの幸運だ。


 新学期一日目。悪くない。むしろ最高かもしれない。


 転生してよかった、と思う夜が、また一つ増えた。


## アリアとの廊下


 夜の廊下。


 アリアが戻ってきたのは、トイレに行ったあとだろうと思ったら、ノックが二回あって「少しいい?」という声がした。


「どうした?」


 ドアを開けると、アリアが廊下に立っていた。ランプの灯りの中、少し真剣な顔をしている。


「セラ、一個だけ聞いていい?」


「なに?」


「魔陣工学、楽しそうで良かった。……でも、無理しないでね」


「無理?」


「ノートが多すぎる。昨日の睡眠時間、たぶん少ないでしょ」


 言い当てられた。少し目が重い原因はそれだった。


「まあ……二章まで読んで、そのまま寝ようとしたら注釈が気になって」


「セラ」


「わかった。今日はちゃんと寝る」


「好奇心は大事だけど、体も大事。Eランクになったばかりで、身体的な成長もまだある。睡眠不足だと魔法の制御にも影響する」


「……それは知らなかった。本当に?」


「魔力制御は睡眠中に整理されると習ったわ。昨日のリナ先生の授業で言ってた」


「それ俺が聞き逃してた」


「やっぱり。ノートばっかり見てたのね」


「ごめん」


 アリアが苦笑いした。「ちゃんと聞いてないのに予習だけ完璧とか、セラらしい」と言った。


「来週の実習、うまくいくといいね」


「うまくいかせる。絶対に」


「その顔が好きよ。セラが「やる」と思った時の顔」


「どんな顔してるの」


「まっすぐ。ぶれない目」


 廊下が静かだった。ランプの炎がゆらいでいた。遠くで誰かの足音がした。学園の夜は、動いている部分と静かな部分が同時にある。


「アリア、ありがとう」


「なんで?」


「来てくれたから。わかってて声をかけてくれるの、アリアだけだから」


 アリアが少し目を細めた。


「当たり前よ。幼馴染でしょ」


 それだけ言って部屋に帰っていった。


 セラはドアを閉めて、ベッドに倒れ込んだ。天井を見上げた。


 こういう人がそばにいる。それだけで、何があっても大丈夫な気がする——根拠のない自信だが、こういう自信は悪くない。むしろ大切な燃料だ。


## 翌朝の誓い


 朝のチャイムが鳴った。


 セラは跳ね起きた。昨日の魔陣工学のノートが机の上に広げたままだ。三章どころか四章まで読んでいたらしい。自分でも笑えた。


 四章まで。——昨晩の俺、張り切りすぎだ。でも満足している。


 四章の最後のページに、自分でメモを書いていた。「陣の形状=詠唱の代替→声を出せない状況での応用可能性あり」——赤字で丸を付けてある。昨晩の自分が気になっていたポイントだ。今朝の自分も同じく気になっている。一貫していた。


 五章の表紙を見た。「古代陣の実例と分析」。……先生が三章まで、と言っていた。四章は自主的に読んだ。五章は——今日の放課後に読もう。来週の実習の前に、できるだけ全体像を把握したい。理解の地図を作ってから手を動かす方が好きだ。


「セラ、起きてる!?」


 ライルがドアをノックする。


「起きてる!」


「じゃあ早く!アリアさんが食堂で待ってるって!」


 セラは急いで顔を洗い、制服に着替えた。鏡の中のエルフが笑っている。


 何に向かっているかわかってる。新学期の最初だから気合いが入っているだけかもしれない——でもそうじゃない。この先に何があるかわからなくても、前に進むことが楽しいと思えている。それが全部だ。


 昨晩アリアが言った「ぶれない目」という言葉が浮かんだ。今朝の鏡の自分の顔を思い出した。——確かに変わった気がする。半年前とは違う。もう少し前に向いている。


「行くか」


 独りごちて、部屋を出た。廊下には朝の光が満ちていた。階段を下りると、食堂の賑わいが聞こえてくる。アリアの声も。ライルの笑い声も。


 新学期が、ようやく本格的に始まった。胸の中には、静かで確かな熱が宿っていた。


 アリアの声がした。「セラ、早く!」ライルの笑い声がした。「ほら、早く来て!」——両方が聞こえた。セラは階段を降りた。一段ずつ、確かに踏みしめながら。


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