第106話 冬休みの終わり
# 第106話 冬休みの終わり
## 冬休みの終わり
朝の光が窓の隙間から差し込んでくる。
セラはゆっくりと目を開けた。
充実していたからこそ、もうすこし続けたかった感じがある。名残惜しさというやつだ。
窓の外では王都がもう動き始めている。馬車の音、呼び売りの声、遠くで鐘が鳴っている。世界はセラの気持ちとは無関係に、きっちり動く。それが今日は少し冷たく感じる。
「あ、もう起きたの?」
隣のベッドから、アリアが顔を覗き込んでくる。金髪が寝癖で跳ねていた。アンバー色の瞳がまだ眠そうで、若干充血している。
「うん……なんか、自然と目が覚めた」
「宿屋のベッド、そろそろお別れね」
アリアが静かに言う。
「一週間、ここで過ごしたんだな」
セラが部屋を見渡す。「森の恵み亭」の一室。木造の天井、素朴な家具、窓の外には王都の屋根が連なる。この部屋を拠点に、冬休みいっぱい過ごしてきた。
(マウント・ベア討伐も、女装コンテストも、ミサトとの和解も、全部この一週間だった。我ながら、密度が高すぎる)
「あっという間だったわね」
アリアがセラのベッドに腰掛ける。
「本当に。マウント・ベアを倒したのも、この冬休みだったね」
「ええ。セラがEランクに昇格して、初めてのクエスト」
「緊張したなぁ。あんなに大きいとは思わなかった」
「でも、二人で連携して倒した。セラのエアロ・ストーム、すごかったわよ」
「アリアの聖三角もすごかったよ。あれがなかったら勝てなかった」
二人は微笑み合う。
冬休みの出来事が次々と蘇ってくる。学園祭での女装コンテスト——あれは本当にやりたくなかった——ミサトとの和解、ペンダントをもらったこと、銀貨百二十枚の報酬。ギルドでの仲間との出会い。王都の夜。アリアと見た夕焼け。
思い返すだけで手のひらが温かくなる感じがする。記憶に体温がある、というのは不思議だ。経験として積み上がっている。これは消えない。
「いろいろあったなぁ」
「ええ、本当に。セラ、学園に来たばかりの頃から比べると、本当に変わったわね」
「そうかな?」
「うん。最初は何もかもに驚いてたし、魔法もぎこちなかったし、エルフの耳を見るたびに固まってたじゃない」
「……それは言わないでくれよ」
「ふふ、でも可愛かったわよ」
アリアがくすりと笑う。
「ちなみに、女装コンテストのことは記憶から消去したいんだが」
「ダメよ、大事な思い出だもの」
「なんで大事なんだよ!優勝した恥ずかしさが記憶に焼きついてるんだが!」
「でも、みんなが喜んでたじゃない。セラ、本当に綺麗だったんだから」
「……綺麗って言うのは一番傷つく」
「男の子として?」
「男の子として!!」
アリアがまた笑う。今日の朝からテンションが高い。
「ねえ、セラ。ミサトさんのこと好きなんでしょ?」
唐突な話題転換である。セラが思わず口に含んでいた水を噴き出しそうになった。
「えっ!?な、なんでそういう話に!?」
「だって、よくミサトさんのこと話すもの。ペンダントも大切にしてるし、冬休みにデートしたって言ってたし」
「そ、それは友達だし……ミサトは友達として大事なんであって……」
「友達以上でしょ?」
アリアがにっこりと笑う。わかってて聞いてるやつだ。完全に遊んでいる。
「……もう、どうでもいい」
「ふふ、セラの可愛いところ」
アリアが頭を撫でてくる。ペットみたいになってきた気がするが、心地よいのでまあいいか。エルフの耳が少し動いた気がする。聞かなかったことにしよう。
「優しいなあ、アリアは」
「当たり前よ。セラは私の幼馴染で、一番大切な人だから」
「……ありがとう」
アリアがまたセラの頭を撫でた。セラは抵抗しなかった。するつもりもなかった。
二人はしばらく静かに過ごした。部屋の中に差し込む朝の光が、少しずつ角度を変えていく。王都の朝は早い。外では馬車の音がしはじめ、商人たちの呼び込みが遠くに聞こえる。「森の恵み亭」の最後の朝。宿の屋根から鳥が飛び立つのが、窓から見えた。
「さて、荷物をまとめないと。今日はミサトさんと待ち合わせでしょう?」
「あ、そうだった!広場で正午に!」
セラが慌ててベッドから飛び出す。
「何時だっけ?」
「正午よ。まだ時間はあるわ」
「ふぅ、よかった。寝坊するところだった」
重要な約束の朝は必ず変な夢を見て寝坊しかけるのに、今日もまたそのパターンだ。体質というより、魂の癖だろう。エルフになっても直らないのだから、もう直らない。
荷物をまとめよう、と二人は立ち上がった。
衣類、魔法の道具、本。部屋の中に広がった生活感を一つ一つ鞄に詰めていく。一週間分の荷物はそれなりの量になっていた。
「あ、これ図書館から借りたやつだ」
セラが魔法の本を手に取る。魔法陣の基礎理論を解説した本で、冬休みの暇な時間に読み込んでいたものだ。
「返さないと」
「そうだった。忘れてた」
「セラ、忘れ物ない?」
「大丈夫……たぶん」
「たぶんじゃ不安ね。確認しましょうよ」
アリアが部屋を見渡す。衣類、道具、財布——全部ある。
「よし、完璧!」
「ふふ、セラらしい」
魔法の触媒を忘れると死活問題になる。学習してる、と思いたい。思いたいだけで確信はないが。
「やっぱり名残惜しいわね」
アリアが部屋を見渡して言う。一週間、ここが「家」だった。帰る必要があるとはわかっていても、慣れ親しんだ空間を離れるのは少し寂しい。
「ええ。でも、学園にも楽しみがあるな。新しい学期、新しい授業——魔陣工学、楽しみだな」
「新しい魔陣工学の授業?」
「それもあるけど。なんかこう……充実してる感じが、ここで終わっても続いてる気がして」
セラが鞄の留め具を止めながら言う。うまく言葉にならないが、こういう感覚は珍しい。何かが始まった感じ、何かが積み重なってきた感じ——去年まではなかった。
「ふふ、セラらしいわ。良い意味で」
「良い意味でよかった」
「……まあ、一つだけ残念なのは」
「何?」
「クロワッサンが食べられなくなること」
「ああ!!そっちは俺も残念だ!!」
アリアが笑う。セラも笑う。
「よーし、まず朝飯だ。最後だから少し贅沢しよう」
「賛成!クロワッサン食べたい」
「俺は肉料理が食べたい」
「セラ、食べるの好きね」
「成長期だし!」
「十六歳ね、確かに」
「……むしろ正確に言われると複雑だ」
「ふふ」
## ミサトとの約束
広場に到着したのは、正午少し前だった。
冬の広場。冷たい風が吹いているが、空は澄み渡っている。人々が行き交い、子供たちが笑い声を上げ、屋台では温かいスープが売られている。
「ミサトさん、どこかな」
セラが広場を見渡す。
「あ、いたわ」
アリアが指差す。
広場の中央、噴水の近くにミサトが立っていた。ダークブラウンの髪が風に揺れ、鎧を身に着け、背筋を伸ばしている。凛とした姿だ。周りの人々の視線を集めながら、それを全く気にしていない様子がまた格好いい。
噴水の水音と、広場の雑踏の中で、ミサトだけが静かに見えた。動かないのではなく、全てが揺れていてもミサトだけが軸にいる感じ、とでも言うのか。剣を持つ人はこういう立ち方をするのだ、と思う。
「ミサトさん!」
セラが手を振る。
「あ、セラさん!アリアさん!」
ミサトが笑顔で駆け寄ってくる。白い息が一瞬漏れるのが見えた。冬の空気の中で、笑顔の輝きだけが暖かい。
「待たせちゃってごめん」
「ううん、今来たところ。大丈夫よ」
「広場、寒いですわね」
「でも、冬らしいですよ」
三人は並んで立った。噴水の周りでは子供たちが走り回っている。噴水から霧状の水が吹いていて、それが冬の日差しに当たって虹を作っていた。
「セラさん、冬休みどうだった?」
「楽しかったです。マウント・ベアを倒したし、Eランクにもなれたし」
「すごいわね!マウント・ベア!?Eランクに昇格してすぐのクエストで!?」
「ええ。二人で連携して」
「セラさんのエアロ・ストーム、すごかったんだって」
アリアが嬉しそうに補足する。
「ふふ、ありがとうございます。アリアさんの聖三角もすごかったですよ。あれがなかったら絶対に勝てなかった」
セラが照れながら言う。
「二人で協力するのが一番なのね」
「ええ。一人では無理だったと思います」
「ミサトさんは?冬休み、どうだった?」
「私?近衛騎士団の訓練に参加したの。朝から晩まで剣の訓練ばかり。体力作りに走り込みも毎日三十キロ」
「三十キロ!?毎日!?」
「近衛騎士団の基礎訓練よ。私の部隊は特に厳しいから」
三十キロ。走り込みの記録として聞いたことすらない数字だ。毎日。ミサトさんとは文字通り住む世界が違う——いや、同じ世界にいるから「文字通り」は嘘か。ともかく、体の作りが根本から違うのだと思う。
「疲れなかった?」
「ええ、でも楽しかったわ。自分の成長を感じられたし——それに、セラさんと会えるのも楽しみにしてたから」
ミサトが少し顔を赤らめる。
(「楽しみにしてた」って言った?俺のことを? さらっと言うなよ)
「僕も、ミサトさんに会えるの楽しみにしてました」
慌てて言う。本心だ。本心なのになぜか慌ててしまう自分が情けない。
「ふふ、セラさん、いつも可愛い」
「えっ!?可愛いって!」
「へへ、ミサトさんはセラをからかうのが楽しいのね」
アリアが嬉しそうに笑う。
「二人で結託しないでよ!」
「ごめんなさい、ふふ」
ミサトが謝りながら笑う。
三人でしばらく笑い合った。冬の広場に三人の笑い声が響く。冷たい風が吹いているのに、なぜか心は温かい。
屋台の呼び込みの声が遠くに聞こえた。子供が犬を追いかけている。どこかで笑い声が上がる。世界はいつも通り動いている。その中に、今日の自分たちもいる——それが何か不思議で、少し誇らしい。
「ねえ、セラさん。冬休み、他に何か印象に残ったことは?」
「うーん……学園祭の女装コンテスト、ですかね」
「女装コンテスト!?セラさんが!?」
「優勝しました」
「……優勝」
ミサトが一瞬固まった。
「それは……その……」
「綺麗だったわよ、セラ」
「アリア!!」
「ふふ」
「「ふふ」じゃない!フォローをしてほしかったんだが!」
ミサトが少し噴き出した。
「……ごめんなさい、笑っちゃって。でも、セラさん、それだけのポテンシャルがあるって、ある意味すごいじゃない。顔が整ってる証拠よ」
「フォローになってるようでなってない!!」
「ならば、騎士団でのウワサ話をしようか。先輩の宴会芸で——」
「やめよ!!お互い平和に過ごそう!!」
三人はまた笑い合った。
笑えている、というのは健全なことだ。ミサトさんとこうして笑えている——それが少し前まで想像できなかった。出会った頃は「近衛騎士団の超優等生」という壁を勝手に感じていた。でも今は、一緒に噴き出したりしている。それが嬉しい。
「ねえ、セラさん。約束してください」
ミサトが突然、真剣な表情で言った。
「約束?」
「新学期も一緒に頑張るって。どんな困難があっても、助け合うって」
ミサトがセラを真剣な目で見る。表情が変わった。さっきまでの笑顔ではなく、騎士としての、真剣な目だ。
「うん、約束する。ミサトさんとアリアと、三人で一緒に頑張る」
セラが左手を差し出す。
「ええ、約束」
「私も。三人で助け合いましょう」
アリアが二人の手に自分の手を重ねる。
三つの手が重なった。
噴水が静かに水を落としていた。子供たちが走り回る声が遠くに聞こえた。冬の空気が、三人の重ねた手のまわりで静止したように感じた。
(青春、これが青春だ。卒業式の前みたいな誓い合い。学園に来て半年、こんなシーンが自分にも来るとは。——うん、来てよかった)
「約束、です」
「うん、約束」
「ミサトさん、ペンダント、まだ付けてますか?」
アリアが気づいたように聞く。
「ええ、いつも付けてるわ。宝物だもの」
ミサトが胸元のペンダントを見せる。銀の鎖にエルフ文字で「自由」と刻まれたペンダントが輝く。
「よかった。気に入ってくれると思って」
「とても気に入ってる。騎士としての誇りと、自由への誓い——どちらも大切にしてるから、その言葉が嬉しかった。朝も夜も付けてるわ」
「セラ、ミサトさんのプレゼント大切にしてね」
アリアがからかうように言う。
「アリアさんも同じようなもの持ってるでしょ?セラさんからの」
「えっ!?なんでそれを!?」
「へへ、アリアさんも可愛い」
「もう二人で結託しないでよ!」
今度はアリアが抗議する。
三人はまた笑い合った。広場の風が、三人の笑い声を運んでいく。冬の日差しが三人を照らしている。
「また学園で会えるわよね?」
ミサトが期待を込めて聞く。
「うん、もちろん。休み時間にでも話そう」
「楽しみにしてる。——セラさん、一つお願いがあるんですが」
「何?」
「新学期も、変わらずにいてほしいの。セラさんの、優しさも、強さも、全部」
ミサトが真剣な目でセラを見る。
「ありがとう。僕も変わらないよ。セラ・ウィスパーウィンドとして、全力で生きる」
言葉にしたら、逆に実感が来た。当たり前のことを当たり前に言えるようになった。最初の頃は「セラ・ウィスパーウィンドとして」という言葉に少し引っかかりがあった。でも今はない。自分の名前だ。
「ええ、それを聞きたかったわ」
## ギルドへの挨拶
冒険者ギルドに到着したのは、午後二時頃だった。
ギルドの中は賑やかだ。冒険者たちが酒を飲み、クエストの話をしている。武術の演武も行われていた。騒がしくて、お世辞にも清潔とは言えない。全員武装している分、迫力がある。怖い。怖いのに落ち着く——不思議な場所だ。
「あ、セラさん!アリアさん!」
受付嬢のミサキが二人に気づいて手を振る。銀色のウェーブヘアに受付の制服。いつも笑顔が明るい。
「ミサキさん!クエスト、お疲れ様でした。マウント・ベア討伐、すごかったですね!」
「ありがとうございます。二人で協力したおかげです」
「二人の連携、素晴らしかったですよ。他の冒険者たちも見習うべきだと思います」
新入りが突然「他の見本」と言われる感じ。嬉しいけど重い。——でも悪くない。重いならそれに見合う動きをすればいい。言葉に追いつく、という方向で考える。
「ありがとうございます」
「そういえば、セラさん。冬休み、終わっちゃうんですね」
ミサキが少し寂しそうに言う。
「ええ。明日からまた学園です。でも、学園でも頑張りますから」
「ギルドにも来てくださいね。皆、楽しみにしてますから」
「もちろん。定期的に来ます」
その時、ギルドマスターのガトーが二人に気づいた。
「お、セラ、アリア!よく来たな!」
ガトーが酒場から大股で近づいてくる。体格がいい。熊みたいな人だ。
「ガトーさん!お世話になりました」
「こちらこそ!マウント・ベア討伐、すごかったぞ。Eランクに昇格して初クエスト、よくやった」
「ありがとうございます」
「いやいや、自分の実力だ。魔法の才能、戦術の判断力、全部素晴らしい。今後に期待してるよ。——そうだ、セラ、これ、渡したかったんだ」
ガトーが懐から小さな袋を取り出す。
「えっ、これ?」
「マウント・ベア討伐のボーナスだ。報酬とは別に、ギルドから特別ボーナス」
「ボーナス!?」
ボーナス。討伐成功でもらえるとは——手放しに嬉しい。袋がずっしりとしている。額を確かめる前に既に嬉しい、というのはいい気分だ。数えるのは後でいい。
「Eランクでマウント・ベアを倒したのは珍しいから。ギルドとしても、応援の気持ちを込めて」
「ありがとうございます、ガトーさん!!」
袋を受け取った。中身を確認すると銀貨が詰まっていた。枚数は数えなかった。受け取った、という事実だけで十分だ。
「セラが喜んでる」
「セラにボーナスが出るとは」
「次はDランクだな。頑張ってくれよ」
「セラとアリア、最強のパーティだな!」
冒険者たちが次々と声をかけてくる。
「ありがとうございます!!」
「……みんな、優しいな」
セラがギルドを見渡す。騒がしくて、お世辞にも清潔とは言えない空間だが、ここに集まる人々のことが好きだ。
「ええ。ギルドのみんな、セラたちを応援してるわ」
「ここ、いい場所だな。冒険者たちが集まって、助け合って、戦う場所。ここが僕たちのホームグラウンドだ」
「セラと私の、出発点ね」
アリアも頷く。
「また来ます。定期的にクエストも受けますから」
「ええ、待ってるよ。いつでも歓迎する」
ガトーが豪快に笑う。
「みなさん、ありがとうございました!」
「いってらっしゃい!」
冒険者たちが一斉に手を振る。
二人はギルドを出た。外の光がまぶしい。冬の午後の光が石畳を照らしている。
「いい人ばかりだったな」
「ええ。ギルドのみんな、セラたちを応援してるわ」
「また来よう。定期的に」
「ええ。セラと一緒なら、どこへでも行くわ」
## 王都に来てからの振り返り
王都から学園への道。夕暮れ時の道は、オレンジ色に染まっていた。
西の空が燃えるように赤く、東の空には紺色が広がり始めている。冬の夕暮れは短い。でも、だからこそ美しい。
街道の両端に木が並んでいた。葉のない枝が黄金色の空に伸びている。踏み固められた土の道が、遠くまで続いている。二人の足音だけが静かに響いていた。
「夕日、綺麗ね」
「冬の夕日は特別だ。澄んでて、遠くて——ほかの季節と空気が違う」
「……何か言いかけた?」
「いや!なんでもない!」
「また口が滑りかけた顔をしてる」
「してない!!」
セラがぶんぶんと首を振る。アリアが苦笑している。危なかった。本当に危なかった。油断するとひょいっと出てくる——魂の癖というやつだ。
「ねえ、セラ。王都に来てからの半年、振り返ってみてどう?」
「どうだろう……いろいろあったな」
セラが遠くを見る。
「学園に入って、ミサトさんとも仲良くなったし、カトレアさんとも出会った」
「ええ。魔法学園での生活、充実してたわね」
「魔法の勉強も進んだし、冒険者としても成長した。Eランクにもなったし」
セラが自分の手を見る。エルフの細い指。でも、今は魔法を使える手だ。指一本一本が動く。握ると光が集まる気がする。
「この手で魔法が使える。不思議だよなぁ」
(転生してから、まだ慣れてないところが正直ある。でも、こうして手を見るたびに——自分の人生だという実感が少しずつ積み上がってくる)
「ええ。セラの才能、本当にすごいわ」
「でも、アリアがいなかったら、ここまで強くなれなかった。二人の共鳴があってこそ」
「セラもすごいわよ。一人でも強いのに。私がいなくてもきっと……」
「アリアがいない、っていう前提が成り立たないんだよ。アリアはずっといてくれるから」
「……セラ」
アリアが静かに言った。少し、目が潤んでいる気がした。
「二人で力を合わせてこそ、最強」
「そうね。二人が一番」
誰かと一緒、ということがこんなにも力になると知ったのは、こっちに来てからだ。遅い気づきだが、必要な気づきだった。一人で全部抱えるのが強さだと思っていたあの頃の自分に、少し呆れる。そして少し、感謝もある。あのままではここに辿り着けなかったかもしれないから。
「この半年、学園編だったね。新しい友達、新しい勉強、新しい冒険……」
「ええ。でも、来学期も楽しみね」
「来学期……どんなことが待ってるんだろう」
「楽しみね。セラとなら、何だってできる」
「……ねえ、セラ。転生してよかった?」
アリアが突然、真剣な顔で聞いた。
「えっ?」
「カズヤとしての人生を終えて、セラとして生きる。それを幸せに思ってる?」
セラはしばらく沈黙した。
転生のこと。前の自分として生きた年月。平凡な毎日、特に輝かしいこともなかった日々。残業が多くて、休日は家でゲームして、特段の夢もなく。仕事は真面目にやっていた。人に迷惑をかけることは少なかった。それが悪かったわけじゃない。ただ——こんなふうに誰かに「幸せか」と聞いてもらえたことは、一度もなかった。
ただ……
「……うん、幸せだよ」
セラが静かに答える。
夕日が街道を赤く照らしていた。風が草を揺らした。遠くで鳥が鳴いた。
「前の自分の人生は、平凡だった。でも、セラとしての人生は、何もかもが新しかった。魔法が使えるし、冒険ができるし、大切な人たちとも出会えた。毎日何かが起きる。毎日誰かと話している。毎日、少しずつ強くなってる」
セラがアリアを見つめる。
「……アリアと出会えたことは、最大の幸せだ」
「セラ……」
アリアが目を潤ませる。
「ありがとう、セラ。私も、セラと出会えて本当によかったわ」
アリアがセラに抱きついた。
夕日が二人を包む。風が優しく吹いている。
「この半年、最高の思い出になった」
「ええ。来学期も最高にしましょう」
アリアが言い切った。迷いがない。先の見えないことを怖れない——というより、先が見えなくても一緒にいる、という確信の方が強い。そういう人がそばにいる。
「来学期、何があるかわからないけど」
「セラとなら、何だってできる」
## 学園への帰還
学園の寮に到着したのは、夜になっていた。
門を入ると、学園の石造りの建物が灯りをつけていた。各窓に薄明かりが灯って、学園全体が静かに光っている。帰ってきた、という感覚が足元から来る。
「ただいま」
セラが寮のドアを開ける。懐かしい匂い。木の匂い、本の匂い、生活の匂い。一週間離れただけで、こんなに懐かしく感じるのか、と少し驚く。
「あ、セラさん!お帰りなさい!」
ルームメイトのライルが駆け寄ってくる。茶色の髪、緑の瞳、笑顔が眩しい。
「ライル!久しぶり!」
「冬休み、どうだった?詳しく聞かせてよ!」
「マウント・ベアを倒したんだ」
「まじで!?すごいな!Eランクのクエストだろ? しかも初クエストで!?」
「ええ。二人で連携して倒したのよ」
「二人で!? 学園一の美形コンビが最強コンビでもあると!? ずるい!!」
「ライルも一緒に来ればよかったじゃないか」
「実家に帰ってたんだもん……! でも正直羨ましすぎる。俺が実家で妹の相手をしてる間に、セラはマウント・ベアを倒してたとは……」
「ライルはライルの冬休みを楽しめた、ってことでいいじゃないか」
「それはそうだけど……」
ライルがぶつぶつ言いながらも、セラの話を聞きたそうにしている。
「座ろう。詳しく話すから」
「待ってました!」
三人は椅子を並べて座った。
セラとアリアが交互に話す。マウント・ベアとの戦いの緊張感。エアロ・ストームと聖三角の連携。勝利したときの達成感。ガトーからのボーナス。
ライルは目をどんどん丸くしながら聞いている。「えっ」「まじで」「すごい」を交互に言い続けている。話している方も楽しい——自分たちが経験したことを言葉にするたびに、記憶がもう一度鮮やかになる。
「ボーナスまでもらったの!? ギルドってそんな制度があるのか!」
「Eランクでマウント・ベアを倒したのが珍しいらしくて」
「すごいな、セラさん。本当に」
「でも、アリアがいたからこそだよ」
「ふふ、セラらしい」
「新学期、三人でどんどん強くなろうぜ。俺も負けてられない」
「うん!一緒に頑張ろう」
「そういえば、新学期から新しい授業があるらしいよ。魔法陣工学」
「古代エルフの遺産を研究するんだろ?面白そうだよな」
「セラは絶対に好きそう」
「好きだよ!すでに楽しみで仕方ない!」
「俺は……ちょっと怖い」
「大丈夫。わからないところがあったら一緒に考えよう」
「セラ、先生みたいだな」
「教師に向いてるって、誰かに言われたことある」
「誰に?」
「……まあ、色々」
夜が更けていく。窓の外には星空が広がっていた。
「あ、もうこんな時間だ」
「明日は新学期の初日よ。早く寝ないと」
「じゃあ、また明日な」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい、セラさん。アリアさん」
ライルが自分の部屋に戻る。
二人は静かにベッドに横たわった。
「おやすみ、アリア」
「おやすみ、セラ」
目を閉じると、冬休みの出来事が次々と流れてきた。笑い声、夕日、マウント・ベアの轟音、三つの手が重なった広場。ガトーの豪快な笑い、ミサキさんの心配そうな顔、アリアの詠唱の声。
一つ一つが鮮やかだ。経験が積み重なるということは、こういうことなのだ、とわかる気がした。記憶は薄れると思っていたが、濃くなっている。
こっちには、大切なものがある。アリアも、ミサトも、ギルドのみんなも。それだけで十分だ。それ以上は、要らない。
セラは目を閉じた。明日から、また新しい物語が始まる。
王都に来てからの半年——完。




