第105話 高ランククエスト
# 第105話 高ランククエスト
## 新しいクエスト
Eランクになって最初の朝。
冒険者ギルドのクエスト掲示板が、昨日までと違って見えた。物理的には同じ掲示板だ。木製の板に、羊皮紙が画鋲で留められているだけ。でも今日は、Eランク用のエリアが自分に関係のある場所として目に入る。
管理職になった初日に、今まで関係ないと思っていた書類が急に自分ごとになる感覚——そういうのがある。昨日まで「上の人の話」だったものが、今日から「自分の話」になる。
掲示板の右半分、上段のエリア。そこがEランクのクエスト域だ。
「山岳地帯の魔物討伐 銀貨五十枚」
「洞窟の調査 銀貨六十枚」
「失踪者の捜索 銀貨七十枚」
「街道の魔物パトロール 銀貨四十五枚」
「報酬が跳ね上がってる……」
セラが思わず声に出した。Fランクの頃の基本報酬の倍以上がざらにある。最低でも銀貨四十枚超え。二週間前まで、銀貨二十枚でも「良い仕事」と思っていたのが嘘みたいだ。
「銀貨五十枚か。学費の足しになるな」
「セラ、お金のことだけ考えてるの?」
アリアが横に並んで、呆れた顔をした。
「違う違う。学費と生活費の計算をしてるだけだ。……はい、計算終わり。次は難易度を見ます」
「ふふ、正直な人ね」
「お前も本当のことを言え。どれが気になってるんだ」
「……全部かな。でも特に」
アリアが掲示板の奥を指差した。さらに高い難易度のクエストが並んでいる区画。その中の一枚に目が止まった。
「マウント・ベア討伐 銀貨八十枚」
「マウント・ベア……」
アリアがひとつ間を置いた。真剣な顔になる。こういう顔の時は、真面目な情報が来る。
「山岳地帯に住む巨大な熊よ。体長三メートル以上、力はオーガ以上。皮膚が厚くて物理攻撃が通りにくい。魔法で削る必要があるわ。……それから、縄張りに入ったものを執拗に追いかける習性があるから、逃げるのも難しい」
「オーガは倒したことある」
「あの時は二人でギリギリだったでしょ」
「ギリギリでも勝てたんだから、次はもう少し余裕を持って勝とう」
前回ギリギリだったことを今回は余裕で仕上げようと思う——そのモチベーションが湧いている。成長の実感が、行動の燃料になる。実際やってみると想定外の事態が起きるのが世の常だが。……という不吉な考えを、セラは頭の隅に押し込んだ。
ちょうどそこへ、ミサキさんがカウンターからこちらに気づいて駆け寄ってきた。
「セラさん、アリアさん。昨日のランクアップ、改めておめでとうございます! 今朝はもうクエストを見に来たんですか?」
「ありがとう、ミサキさん。早速動こうと思って」
「さすが。どのあたりが気になりますか?」
「このマウント・ベア討伐を考えてる」
ミサキさんが一瞬だけ「おお」という顔をした。それからすぐにプロの顔になった。
「場所は王都の北、山岳地帯の第三峰付近です。対象はマウント・ベア一体——ただし、目撃情報から大型個体と思われます。報酬は銀貨八十枚。制限時間は三日間。……お二人なら実力的には問題ないかと思いますが、最近マウント・ベアが凶暴化している個体が増えているという報告が来ています。通常より攻撃的らしいので、十分にご注意を」
「凶暴化? 何か理由は?」
「詳しくはわかっていないんです。近隣の猟師から複数の目撃情報が来ていますが……いつも以上に慎重に行動してください。撤退の判断も迷わず」
クエスト票を受け取りながら、セラはアリアと視線を合わせた。アリアが小さく頷いた。行こう、という意味だ。
「受けます。マウント・ベア討伐」
「承りました。お気をつけて。無事に帰ってきてくださいね」
カウンターを離れながら、アリアが小さく言った。
「凶暴化、気になるわね」
「うん。でも情報が少なすぎる。現場で確認するしかないな」
詳細不明。とにかく行ってみて状況を把握するしかない——その緊張と好奇心が混ざった感じが、今は前向きに働いている。
「準備してから出発しよう」
## 出発
北門を抜けると、山々が遠くに見えた。
冬の山岳地帯。青灰色に霞む稜線。雪がかかった頂。それが待ち受ける目的地だ。街道は白く、踏み固められた雪の上を二人の足が進む。朝の冷気が肌を刺す。呼吸するたびに白い霧が出た。
大型案件の現場に向かう時の感覚に似ている。事前情報は集めた、段取りはできている、後は現場でやるだけ——という、緊張と覚悟が混ざった気持ち。問題は「やるだけ」の「だけ」が思った三倍大変なことだが。
「今日は連携の確認をしながら進もう」
「うん。マウント・ベアの皮膚は厚いから、属性魔法の選択が大事ね。水より火や風が有効よ」
「学園で学んだ炎と風の融合魔法を試してみる。フレイム・ウィンドだ」
「それと、エアロ・ストームは温存しておいた方がいいわ。あれは魔力消費が大きいから、切り札として最後に取っておく」
「わかった。序盤はフレイム・ウィンドとウィンド・カッターで攻める。アリアは支援と追撃で」
「了解。アイス・スパイクで足を止めることもできるわ。氷が刺さったら動きが鈍るはず」
二人で話しながら歩く。息が白い。足音が雪に吸われる。木々がまばらになり、岩が増えてきた。北の山岳地帯は、南の森とまったく景色が違う。
街道を進む途中、荷台を積んだ馬車が反対方向から来た。
「おい、冒険者さんたちか。山岳地帯への道を行くのか?」
御者の男が声をかけてきた。五十代ほど、日焼けした顔に心配そうな表情がある。
「そうです。クエストで」
「気をつけな。最近、マウント・ベアが妙に荒れてる、という話を聞いたぞ。縄張りが広がってるとか、いつもより攻撃的とか。村の猟師が二人組で行って、ひとりがケガしたという話も聞いた」
「ありがとうございます、気をつけます」
「若い衆だな……二人で大丈夫か?」
「はい、なんとかします」
馬車が去った後、セラはアリアと顔を見合わせた。
「縄張りが広がってる……何かあったのかな」
「わからないわ。ただ、縄張りが広がっているなら、出会いやすくなっているとも言える。想定外の場所で遭遇するかもしれない」
「楽観的な解釈とは言えないな、それは」
「備えておこうという意味よ。感知魔法を早めに展開した方がいいかしら」
「そうしよう。負担になっても、奇襲よりはましだ」
クレーマー情報を事前に入手した状態で商談に向かう時に似ている——身構えすぎず、しかしノーマークにもしない。その匙加減が大事だ。
山岳地帯の入り口に来ると、空気が変わった。岩が増え、木が減り、見通しが悪くなる。雪の積もり方も深くなった。踏み込むたびに靴がめり込む。
「感知魔法を展開する」
「私も重ねるわ。全方位で」
二人の感知魔法が広がった。周囲の魔力の流れが手に取るように分かる。風の動き、岩の温度差、生き物の存在。……静かだ。
「今は大丈夫そう。でも注意して」
「うん」
険しい岩道を進んだ。足を置く場所を一歩一歩確認しながら。転んだら即やばい状況がある。魔物の縄張りという意味でだ。
「さっき馬車の人が言ってたこと、ちゃんと頭に入れておく。奇襲を受ける可能性がある」
「ええ。……あ、待って」
アリアが立ち止まった。感知魔法に何かが引っかかった顔だ。
「右前方、三十メートルほど。大きな熱源があるわ」
「……来てるな」
二人が足を止めた。岩の陰に身を寄せる。呼吸を整える。
「先に攻撃する? 待つ?」
「待つ。位置を把握してから動く」
交渉相手が口火を切るまで先に喋るな——情報は先に仕掛けた方が不利になることがある。この場合、熊相手に「交渉」はないが、原則は同じだ。
岩の隙間から、それを見た。
## 強力な魔物
岩場の陰から、それは現れた。
「グォォォォォ!!」
声が岩山に反響した。体長三メートル超。筋肉の塊。黒褐色の毛皮は岩場の色に溶け込んでいたが、動いた瞬間にその巨大さが顕わになった。鋭い爪が空を切る。地面が、揺れた。
でかい。想像の三倍だ。「デカい熊」ではなく「熊型の怪物」という表現の方が正確だ。こちらを認識した眼が、異様に澄んでいた。
「来るぞ!」
マウント・ベアが走り出した。体の割に動きが速い。岩を踏みつぶしながら直進してくる。地面が揺れる。岩が砕ける。
「シールド!」
セラが防御魔法を前に展開した。半透明の盾が現れる。マウント・ベアがそれに激突した。
衝撃。腕に伝わる、桁違いの重さ。足が後ろへ押される。
くっ、重い……! 体で受けたら骨が逝く。
「水の鞭!」
アリアが水魔法で鞭を作って放った。マウント・ベアの体に絡みつく。——しかし、巨大な力で振り払われた。水の鞭が空中でちぎれ飛ぶ。
「力が強すぎる。拘束できないわ!」
「わかった。俺が前に出る! アリアは遠距離で削れ!」
「風よ、刃となれ——ウィンド・カッター!」
鋭い詠唱と共に風の刃を放った。初めて本番で声に出した言葉が、岩山にはっきりと響く。マウント・ベアの肩を直撃し、毛皮が裂ける。血が滲む。
「グォォ!」
傷を負ったマウント・ベアが、怒りをさらに増して迫ってくる。
怒らせた。怒りの倍返しが来る。……いや今はそんなことを考えてる場合じゃない。
「炎と風よ、融けて吹き荒れよ。敵を焼き砕け——フレイム・ウィンド!」
炎と風の融合魔法。赤い光の弾がマウント・ベアの胸を直撃した。爆発。熱が岩山に散る。マウント・ベアが後退する——と思った瞬間、止まった。
止まった?
傷ついても止まらない。凶暴化、というのはこういうことか。
「まだ来る!」
マウント・ベアが再び突進した。今度は低い姿勢で。避けられない軌道だ。
セラが横っ飛びで避けた。岩に腕をぶつける。痛い。が、直撃よりはましだ。
「氷よ、棘となりて敵を貫け——アイス・スパイク!」
アリアの鋭い声が岩場に通った。氷の槍がマウント・ベアの前脚に突き刺さった。体勢が崩れる。ぐらつく。
「今だ! フレイム・ウィンド、もう一発!」
連続で放つ。炎と風。マウント・ベアの胸に二発目が命中した。今度は爆発が大きい。
「グォォォォ!」
激しい声。しかしマウント・ベアは倒れない。前脚を地面についてバランスを取り直す。体から煙が上がっている。それでも目の光が消えない。
タフすぎる。ダメージを受けていないわけじゃない。ただ折れない。
「セラ! 右から!」
アリアの声で振り向いた。
マウント・ベアが横方向に爪を薙ぎ払っていた。アリアの方向へ。
「シールド!!」
考える前に体が動いた。セラがアリアとマウント・ベアの間に飛び込んだ。盾を展開する。
爪がシールドに直撃した。
亀裂が走る。光が揺らぐ。シールドが割れそうになる。腕が震えた。
「くっ……!」
歯を食いしばった。保った。ぎりぎりで。
これで良かった。アリアを守れた。後悔はない。ただ次は防御の構え方を改善しよう——シールドの厚さを増やせないか研究する。
「セラ、大丈夫!?」
「大丈夫。——だが、このままじゃ勝てない。削れてるはずだが、倒すには決定打が要る。連携で行こう」
マウント・ベアが再び構えた。硬い。速い。力が強い。一発一発が重い。
でも、崩せる瞬間はある。フレイム・ウィンドで後退した時、アイス・スパイクで体勢が崩れた時——一瞬だが止まる。その瞬間を狙う。
「アリア、僕の魔法の後に聖三角を重ねろ。タイミングを合わせる。俺が『今』と言った瞬間に放て」
「わかった! 準備する!」
「エアロ・ストーム!」
上級魔法。魔力の大半を放出した。風の暴風が渦を巻き、マウント・ベアを飲み込む。巨大な体が浮く。三メートルの体が、宙に浮いた。体勢が崩れる。
「今!!」
「聖三角・最大出力!!」
光、水、風の三属性が融合した。三角形の光が——マウント・ベアに命中した。爆発。光が岩山を照らした。衝撃波が岩を揺らした。
「グォォォォォォ!!!」
絶叫。それからずさっと倒れる音。
静寂。
セラは膝をついた。魔力が底をついた。体が鉛のように重い。肺が焼けるように熱い。岩の冷たさが膝に伝わってくる。
「……勝った」
「やったわね、セラ!!」
アリアが駆け寄り、セラの肩に手を置いた。その手が少し震えていた。
魔力消耗でしばらく動けない——たぶん明日には回復してる。回復ポーションもある。大型クエスト終わりの疲労感と、それでもちゃんと立てる感覚。この手応えは、今世でしか感じられないものだ。
二人は岩の上に並んで座った。荒い息が白く空気に溶けた。遠くで鳥が鳴いた。
「危なかったわね。あの爪、シールドが割れてたら……」
「割れなかった。大丈夫だった」
「セラ……ありがとう」
「礼はいらない。連携が決まったのはアリアの魔法のおかげだ」
アリアが寄り添ってきた。セラはアリアを片腕で引き寄せた。安堵の温かさが、疲れた体に沁みた。
## 勝利
空が広かった。
山岳地帯から空を見上げると、雲の切れ間に青が広がっている。冬の、澄んだ青。遮るものがない。どこまでも遠い。
「空、綺麗だな」
「ええ」
しばらく二人は黙って空を見た。心臓がゆっくりと落ち着いてくる。魔力がじわじわと戻ってくる。
「……学園で学んだ魔法、全部役に立ったな」
「ええ。フレイム・ウィンドも、エアロ・ストームも。授業の内容が実戦で使えるなんて、良い学校ね」
「リナ先生の理論の授業、難しかったけど、本当に役立ってる」
「特にエアロ・ストームの展開タイミング。理論で習ったのと全く同じ状況だったわ。授業って大事ね」
当時は意味が分からなかった授業が、社会に出て「あれか!」と気づく瞬間——それがこっちでも起きている。知識は使う時を選ばない。貯めておくことが大事だ。
「マウント・ベアの素材、回収しないと」
「あ、そうだ。忘れてた」
「冒険者失格よ」
「悪い。次から忘れない。……たぶん」
「『たぶん』が気になるわね」
二人は立ち上がった。素材回収。爪、牙、毛皮。ナイフを使って丁寧に切り分ける。作業的ではあるが、これも冒険者の仕事だ。
「重い……マウント・ベアのスケールが全部大きい。爪一本でナイフ並みの長さがある」
「当然よ。体が三メートルあるんだもの。爪だけで三十センチはあるわ」
「これ、武器素材になるって言ってたな」
「ドワーフの工房で加工できるらしいわ。マウント・ベアの爪は硬度が高いから、短剣や矢じりに使われるって読んだことがある」
「なるほど。じゃあ換算してもらおう」
素材をまとめて、山岳地帯を出発した。帰路の街道、夕日がオレンジ色に染まっている。長い影が雪の上に伸びた。王都の城壁が遠くに見える。
「銀貨八十枚か。プラス素材売却分も入るんじゃないか?」
「マウント・ベアの爪は武器素材として高価らしいわ。五十枚くらいは追加で期待できるかも」
「百三十枚か。そこまでいったら学費一学期分が賄えるな」
「またお金の話をしてる……」
「大事なことだよ! 生活基盤の確保は戦略的優先事項だ!」
収支の計算をしながら理想を追うのが現実的な冒険者というものだ——夢だけでは生きていけない。まあ、転生してもそこは変わらないらしい。
## 帰還と報告
夜のギルドは賑やかだった。
酒を飲む冒険者たち、クエストの報告をする者たち、次の仕事を話し合う者たち。炉が煌々と燃えて、広い室内が暖かい。その中をセラとアリアが進む。素材の入った袋を肩にかけていた。
「ミサキさん、マウント・ベア討伐クエスト、完了しました」
クエスト票と素材の袋を差し出した。
ミサキさんの目が丸くなった。それから、また大きくなった。
「まあ! 本当に倒してきたんですか!? 日帰りで!?」
「はい。二人で」
「す、すごい……Eランクに昇格して最初のクエストで、しかも日帰り……」
「なかなか手強かったですけど」
「怪我は!?」
「ないです。打ち身くらいで」
「よかった……!」
ミサキさんが素材を確認し始めた。爪を手に取る。その大きさに目を見張る。牙を見る。毛皮を触る。一つ一つ丁寧に。
「爪、牙、毛皮、全部上質です。これは……すごい。マウント・ベアの爪は武器素材として最高クラスなんです。特別換算で……基本報酬銀貨八十枚、素材売却益が……」
ミサキさんが計算している。暗算だ。早い。
「素材売却益銀貨四十枚。合計銀貨百二十枚です。本当に今日お渡しして大丈夫ですか? また明日でも」
「百二十枚!?」
初ボーナスの感触に似ている。数字が目の前に出た瞬間の「本当に?」感。こっちは税金も社会保険もそのままもらえる。そういう部分が地味に嬉しい。
「えへへ、百二十枚! セラ、私の計算は?」
「百三十と言ったけど、ほぼ合ってた。アリアはすごいな」
「当たり前でしょ? 事前調査の成果よ」
「……誰も聞いてないのに威張るのか」
「え? 何か言った?」
「いいえ、何も」
その時、周囲の空気が変わった気がした。
「セラさん、アリアさん」
低い声が届いた。振り返ると、大柄な男が立っていた。ギルドマスターのガトー。筋肉隆々の体躯、腰には剣。年齢は五十代前後だが、圧倒的な存在感がある。
重役が突然現れた感じだ。「なんかやらかしたっけ」という反射的な焦りが走る。——でも俺はやらかしてない。多分。
「マウント・ベアを倒したと聞いた。しかも日帰りで」
「はい」
「Eランク昇格後の初クエストで、それとは、素晴らしい実力だ」
「ありがとうございます。でもアリアがいなければ無理でした。聖三角の連携がなかったら、最後の一撃が届かなかったと思います」
ガトーがアリアを見た。アリアが少し背筋を伸ばした。
「二人の連携が素晴らしい。互いの強みを活かした戦い方だ。俺が若い頃、パートナーの動きを信頼して動けるまでに一年かかった。それをお前たちはすでにやっている」
「ありがとうございます」
ガトーが腕を組んだ。視線がセラからアリアへ、そしてまたセラへ。何かを測るような目だ。
「これからの活躍を期待している。Dランクになれば、さらに難しいクエストが受けられる。古代遺跡の調査、魔獣の集団討伐——やりがいのある仕事がある。お前たちなら、もう一段上に行ける」
「次はDランクを目指します」
アリアが力強く言った。セラも頷いた。
「期待されてる」という言葉が、以前とは違う感触で胸に落ちた。プレッシャーではなく——燃料だ。「失敗したくない」ではなく、「やってやろう」に変わっている。環境が違うと、感じ方もこんなに変わる。
「ひとつ聞いていいですか」
「なんだ」
「マウント・ベアが凶暴化している原因、わかりますか? 今日の個体も、ダメージを受けても止まらなかった。通常より攻撃的でした」
ガトーの顔が少し変わった。考える顔。
「……魔力の乱れが原因、という仮説がある。山岳地帯の地下に、古代の魔法陣の遺跡があるらしい。それが何らかの理由で活性化していて、周囲の魔物を刺激しているのかもしれない。まだ調査中だ」
「古代の魔法陣……」
「詳しくわかれば依頼として出す。その時はまた頼むかもしれない」
「はい、よろこんで」
ガトーが去った後、アリアがセラの袖を引いた。
「古代の魔法陣って……また大きな話になりそうね」
「まだわからない。でも、頭の隅に置いておく」
ミサキさんから銀貨百二十枚の袋を受け取った。ずっしりとした重さが手に伝わる。
ギルドを出た。夜の王都、星空だった。
「百二十枚……」
セラが袋を見た。
「すごいわね。Eランク、最初からこれだもの」
「Dランクになったら、もっと上のクエストが受けられる。古代遺跡とか、魔獣の集団討伐とか」
「楽しみね。……あと、心配でもあるわ」
「両方だな」
アリアがセラの腕に寄り添った。
「これからもっと難しいクエストを受けて、Dランクも目指す。ガトーさんに言ったように」
「ええ。セラがどこへ行っても、私がついていくわ。Dランクも、Cランクも、Bランクも——最後まで」
「……最後まで、か」
その言葉の重さが、夜風の中でセラの胸に落ちた。
最後まで一緒、という約束をこんな自然にする人が傍にいる。未来の話をしている——それが今の自分の現実だ。同じ自分なのに、随分変わったものだ。いや、変わったのは環境で、俺は少しずつ変わっているのかもしれない。
「一緒に行こう。ずっと」
「うん、ずっと」
手を繋いで、「森の恵み亭」への道を歩いた。星が多かった。冬の夜の星空は、夏よりも近い気がする。大気が澄んでいるからだろうか。
「今日の戦い、忘れないな」
セラが空を見上げながら言った。
「ええ。二人で力を合わせて、マウント・ベアを倒した日。覚えておくわ」
宿に戻った。店主が「おかえり、顔が充実してるね」と言った。
「いい仕事をしてきました」
「若いな。いいことだ。飯は食ったか?」
「まだです」
「じゃあ今から作る。座ってな」
夕食を食べ、部屋に戻る。
銀貨の袋をベッドサイドに置いた。Eランクのギルドカードを隣に並べた。
今世の俺の机に、こういう「成果物」が並んでいる。報告書はデータで消えない。成約は数字で消えない。手元に残るものがある。今世の俺は、ちゃんと積み上げている。
「おやすみなさい、セラ」
「おやすみ、アリア」
暗闇の中で少しの間があった。
「……ねえ、セラ。次、もっと難しいの選んでいい?」
「アリアが行きたいなら行く」
「うん。強くなりたい。もっと」
「今日も十分強かった。アイス・スパイクがなければ仕留められなかった」
寝息が聞こえるまでに時間はかからなかった。
目を閉じた。マウント・ベアの巨体が脳裏をよぎった。次にエアロ・ストームを放つ瞬間。アリアの「今!」という声。光。爆発。それから静寂。
次は、もっとうまくやろう。
次は、もっと余裕を持って戦えるようになろう。
そしてDランクへ。
セラはそう思いながら、冬の夜に沈んでいった。




