第102話 冬のダンジョン
# 第102話 冬のダンジョン
## 出発
白い。
「森の恵み亭」の窓を開けた瞬間、セラの視界が白に支配された。街道も、屋根も、遠くの木々も、全部雪で覆われている。そこに朝の陽光が乱反射して、目が痛い。
「さ、寒っ……」
白い息が窓の外に消えていく。エルフになってから感覚が鋭くなったのは良いが、寒さへの感度も相応に上がっているらしい。耳の先がすでにじんじんしている。
布団から出るか出ないか、五分五分のまま外に出てきてしまった。
「セラ、起きてた?」
アリアが隣の部屋から顔を出した。彼女も少し眠そうだが、目は輝いている。朝から元気なのは彼女の特技だ。布団の中でうじうじしていたセラとは格が違う。
「今起きた。……今日、冬のダンジョンに行くんだよな」
「うん! ちょっとわくわくしてる」
「そのわくわく感、大事にして。俺はちょっと不安があるけど」
「大丈夫だよ。セラと一緒なら」
この根拠のない自信、どこから来るんだろう。いや、根拠があるとしたら自分への信頼からか。……重いな、嬉しい意味で。
食堂に降りると、店主がスープとパンを用意して待っていた。温かい。心に沁みる温かさだ。スープの湯気が、冬の朝の冷気に広がっていく。
「おお、お早う。今日からダンジョン探検か?」
「はい。冬のダンジョンというところに行く予定で」
「ほう! 冬のダンジョンか。懐かしいな。俺も若い頃、何度か挑んだよ」
「アドバイスはありますか?」
店主は少し考えてから言った。腕を組み、遠くを見るような目をした。
「中は意外と暖かいぞ。外の寒さが嘘みたいだ。でも、氷の床で滑りやすい場所があるから気をつけろ。それと、冬のモンスターは動きが速い」
「速いんですか」
「特に氷属性の連中はな。氷の息吹で攻撃してくるから、水魔法との相性が悪い。あと、滑って転んだら魔法を使う間もなくやられる。足元を固めろよ」
水魔法はアリアの専門分野だ。氷属性のモンスター相手では、主力の攻撃手段が一つ封じられる。火属性で対抗するか、それとも前衛に出て削ってから——いや、まず現地で確認が先だ。
「ありがとうございます。参考になります」
「無理はするなよ。若いのに先を急ぐことはない」
店主の言葉は温かかった。セラは素直に頷いた。
宿を出ると、外の冷気が頬を刺してきた。白い息が二人分、空気の中に消えていく。
「準備はいい?」
「うん! セラと一緒なら大丈夫」
「いい加減その台詞に慣れてきた」
「じゃあ慣れてくれたってことで」
アリアがにっこりと言った。まあいい。出発だ。
王都の北門を抜けると、雪の街道が続いている。足跡は少ない。この寒さの中、わざわざ出かける物好きは多くないのだろう。セラとアリアは物好きの部類に入った。
「きれいだね……」
アリアが呟いた。確かにそうだ。雪の地面が朝日を受けてきらきらと輝いている。純白の世界に、二人の足跡だけが残っていく。
「俺のいた世界じゃ、こんなきれいな雪景色、あまり見なかったな」
「え、セラの前いた世界って、雪降らないの?」
「降るは降るけど、街の中だとすぐ踏み固められてドロドロになって。こんな銀世界にはならなかった。翌日には茶色い泥みたいになってた」
「そっか。……じゃあ、今日の景色はセラにとって特別だね」
踏むのがもったいないくらいだが、踏まないと進めないので踏む。汚れを知らない雪がある、それだけで。
道は徐々に山の方へと傾いていった。周囲の森が深くなり、時々風が雪を舞い上げる。木の枝に積もった雪が、ぱさりと落ちる。
「セラ、耳赤い」
またそれか。セラは耳を触った。冷えて感覚が鈍い。
「エルフの耳は感度が高い分、寒さのダメージも大きいんだよ」
「かわいい」
「かわいくない! 機能的な問題だ!」
「かわいいと思ったらかわいいよ」
アリアが笑った。セラはマフラーを引き上げて耳を隠した。それで解決だ。……気持ち的に。
正午頃、山脈の麓に差し掛かった。前方に、雪に覆われた洞窟の入り口が見える。青白い氷柱が入り口の周囲を縁取り、不思議な光を放っている。
「あれが冬のダンジョン?」
「地図通りだと、そう」
「……なんか、雰囲気あるな」
「ワクワクする! 行こう!」
セラがまだ雰囲気に飲まれている間に、アリアは足を踏み出した。このメンタルの強さ、素直に羨ましい。
## ダンジョン到着
入り口を一歩越えた瞬間、温度が変わった。
外の刺すような寒さが、すっと和らいだ。店主が「中は意外と暖かい」と言っていたが、本当だった。洞窟内部には何らかの魔法的な気流があるらしく、凍えるほどではない。むしろ、外にいた時よりも体が楽になった。
「あ、あったかい」
「本当だ。不思議だな」
ただし、視覚的には十分に寒い。天井から巨大な氷柱が下がり、壁には霜の結晶が複雑なパターンを作っている。魔法の照明具を取り出すと、氷の壁に光が乱反射してきらきらと輝いた。
「きれいだね、セラ」
「……うん」
思わず素直に同意した。ここは美しい。危険を忘れそうになるほど——いや、忘れてはいけない。
セラは気を引き締めた。
「感知魔法を展開しておこう。敵の気配を常時チェックする」
「うん。私も水の感知、重ねるね」
二人は同時に感知魔法を広げた。ダンジョンの空間が、微かな魔力の流れとして認識できる。今のところ、近くに大きな気配はない。
足元に気をつけながら進んだ。店主の言う通り、床の一部が氷になっている場所があった。試しに足を乗せると、ツルッと滑った。
「うわっ」
「セラ!」
アリアが素早く腕をつかんでくれた。転倒は免れた。
「ありがとう……危なかった」
「気をつけてって言ったでしょ」
「言ってない。店主さんに言われただけだ」
「同じことです」
ぐう。正論だ。セラは足元を確認しながら進むことにした。
## 探索
ダンジョンの内部は、思った以上に広かった。
通路が枝分かれし、そのたびに二人で相談して方角を選んだ。感知魔法の反応を頼りに、大きな気配のある方向を避けながら、まずは地形を把握することを優先した。
氷の廊下。雪の結晶が床に積もっている場所。天井が高くなり、氷の鍾乳石のような構造が連なる広い空間。どこを見ても、自然の造形とは思えない美しさがある。
「セラ、あそこ」
アリアが指差した先、壁の一部に何かが浮かび上がっていた。近づくと、それは氷に閉じ込められた魔力の結晶だった。青白く輝き、微かに脈動している。
「これ、何だろう」
「ダンジョンコアの欠片、かな。このダンジョン、相当な歴史があるんじゃないかな」
「誰かが意図的に作ったとか?」
「分からない。でも、ただの洞窟じゃないことは確かだね」
セラは結晶を記憶に留め、先を急ぐことにした。ギルドへの報告書に書いておこう。後から来る冒険者が命がけで読む報告書。いい加減なものは書けない。
少し奥に進んだところで、通路が大きな広間へと続いていた。天井が高い。床は一面の氷。少し遠くに、何かの影が見えた。
感知魔法に反応があった。前方、少し右。
「アリア、止まって」
「うん」
二人は立ち止まった。セラは感知の精度を上げた。気配は一つ……いや、複数だ。まとまって動いている。
「三、四体。あの広い空間に」
「冬のモンスター?」
「おそらく。慎重に近づこう。動きが速い——ギルドの資料で見た種類だ」
「わかった。セラの後ろについていく」
「少し後ろに下がって待機してくれ。状況を確認してから判断する」
## 新種のモンスター
広間に出た。
高い天井。床は一面の氷。そして、そこにいたのは——
狼だった。
ただし、普通の狼ではない。毛皮が青白く、体のいたるところから薄い霧が漏れ出している。目は凍った湖のような透明な青。大きさは普通の狼の倍近い。四頭いる。
アイス・ウルフ。ギルドの資料で見た新種だ。まだ調査報告が少ない——つまり情報不足。知らない敵と戦うのは嫌なパターンだが、想定外を乗り越えた時に実力がつく。
一頭がこちらを向いた。青い目がセラを捉えた。
刹那、動いた。
「来る!」
セラは魔力を一気に展開した。
「風よ、刃となれ。敵を裂け——ウィンド・エッジ!」
風の刃が空気を鳴らす。一頭目が跳躍してきた瞬間、刃が正面で炸裂した。吹き飛んだアイス・ウルフが壁に激突する。
「動きが速い!」
「分かってる!」
二頭目が側面から来た。アリアの水の刃が飛んだが、アイス・ウルフはそれを軽やかに回避した。さすが氷属性、水属性の攻撃の軌道が読めているのか。
不利だ。アリアの水魔法との相性がよくない、というのは本当だった。なら、前衛に出るしかない。アリアを後ろに下げて、支援に回ってもらう。
「アリア、サポートに回ってくれ! 俺が引きつける!」
「わかった! でも無茶しないで!」
「無茶はしない。無理をするだけだ!」
セラは前に出た。三頭目が氷の息吹を放ってきた。冷気の塊が、白い軌跡を描いて迫る。横に転がって回避する。床が氷でよく滑った。意図せずドリフトした。
かっこよくはない。まったくかっこよくない。
体勢を立て直す。アリアが後ろから回復魔法の光を飛ばしてきた。体力が底上げされるのを感じる。
「ありがとう!」
「早く倒して!」
「倒す!」
光属性。氷は光に弱い。学園の魔法理論の授業で学んだ知識が、今ここで実戦投入される。
「光よ、矢となれ。敵を射貫け——ライト・アロー!」
光弾がアイス・ウルフの一頭を直撃した。断末魔の声もなく、ウルフは消えた。残りは三頭。
アリアが巧みに水魔法を操って二頭の足を縛り、動きを鈍らせた。直撃は避けているが、拘束として使う発想はさすがだ。
「天才じゃないか!」
「当たり前でしょ!」
動きの止まった二頭目に、セラは次の詠唱を走らせた。
「炎と風よ、融けて吹き荒れよ。敵を焼き砕け——フレイム・ウィンド!」
炎と風の融合魔法が二頭を同時に吞み込んだ。残り一頭が後退する。
「逃がさない——風よ、刃となれ。敵を裂け——ウィンド・エッジ!」
二連続の詠唱。魔力の消耗が激しい。それでも、倒せた。
「……全滅」
「やった!」
アリアが両手を上げた。セラは床に膝をついた。疲れた。本当に疲れた。冬のダンジョンの床は氷だが、今はそのひんやりした感触が心地いいくらいだ。
ダンジョンの空間が、しんと静まり返っていた。戦いが終わった後の静寂は、独特だ。さっきまで氷の息吹が飛び交い、風の刃が空気を切っていたのに、今は何も聞こえない。
「アリア、大丈夫か」
「うん、怪我はないよ。セラは?」
「腕をちょっと岩にぶつけたけど、大したことない」
「見せて」
アリアが軽い回復魔法を当ててくれた。打ち身がじわっと治まっていく。こういう時のアリアの手が、なんとなく頼もしい。
「ありがとう」
「どういたしまして。……でも、今日は苦戦したね」
「うん。アイス・ウルフ、想定より強かった。水魔法との相性が悪いのは分かってたけど、あそこまで速いとは」
「私の水魔法が役に立たなくて、ごめんね」
「謝らなくていい。拘束に応用したアイデア、あれが決定打だった。俺一人だったら光系魔法を出せるタイミングが作れなかった」
実際そうだ。アリアの水鞭で動きを止めてもらえなければ、消耗戦になっていた。二人いるから補える弱点がある。補えるから勝てる。
「二人でよかった」
「うん。……次に来る時も、二人で来よう」
「もちろん。またアイス・ウルフと戦う?」
「戦ってもいいが、次は余裕を持って勝ちたい」
アリアが笑った。ダンジョンの氷の壁に、二人の声が反響した。
## 帰還
戦利品を回収した。アイス・ウルフの毛皮、氷の爪、凍結した魔石。どれもギルドで高値が付く素材らしい。
ダンジョンから外に出ると、空はもう夕方に傾いていた。橙色の光が雪の地面を染めている。外の寒さが再び押し寄せてくる。ダンジョン内部の温かさに慣れてしまったせいで、余計に寒く感じた。
「疲れたな」
「うん、でも楽しかった」
「……楽しかった、か」
言われてみれば、そうだ。怖くて、危なくて、疲れたけれど、楽しかった。命がかかっている状況で全力を出した後の充実感。こういう感覚、セラには初めてだった。スポーツに近い、と言えばいいのか——本気で向き合って、全力を出して、結果が出る。
帰り道は来た道をそのまま引き返した。雪の街道が、夕陽を受けてまた違う表情を見せている。来た時と同じ道なのに、光の角度が変わるだけで全然違う景色だ。
「アイス・ウルフ、強かったね」
「うん。水魔法が封じられた分、苦労した。でも、アリアが拘束に使い方を変えてくれたおかげで助かった」
「セラが光属性で攻撃してくれたから。私には思いつかなかった」
「お互いさまだよ」
二人は並んで歩いた。足取りは重いが、気持ちは軽い。
「今日の経験、ギルドに報告書を出した方がいいな」
「アイス・ウルフのこと?」
「うん。新種だから、情報が少ない。光属性が有効だったこと、水魔法との相性が悪いこと、氷の床で足を取られやすいこと。後から来る冒険者の役に立つかもしれない」
「セラ、親切だね」
「情報の共有は大事だよ」
それだけだ。難しい理由はない。
王都の城壁が見えてきた頃、アリアがぽつりと言った。
「セラ、強くなってるね」
「そうかな」
「うん。学園に来る前より、ずっと」
セラは少しだけ黙って歩いた。強くなっている、か。転生してから、ずっと必死だった。エルフの体を使いこなすことも、魔法を覚えることも、人間関係も。でも気づけばこうして二人で、冬のダンジョンを攻略して帰ってきている。
「ありがとう、アリア」
「どういたしまして」
アリアが笑った。冬の夕陽が、彼女の金髪をオレンジに染めていた。
「森の恵み亭」に戻ると、店主が「どうだった?」と聞いてきた。
「攻略できました。アイス・ウルフっていう新種がいて、大変でしたけど」
「アイス・ウルフ!? それは珍しい。倒したのか?」
「はい、四頭」
「すごいな。若いのに」
店主が目を丸くした。セラはそれを素直に嬉しいと思った。人に認めてもらうことへの喜びは、どこへ行っても消えないものらしい。
「実は、アイス・ウルフのことをギルドに報告したら、記録に残る可能性があるよ。新種の発見者として」
「本当に?」
「あくまで可能性だけど」
「へえ……」
夕食を食べ、部屋に戻る。疲れ切った体がベッドに沈む。アリアが隣に横になった。
「今日、最高だったね」
「……まあ、そうだな」
認める。疲れたけど、最高だった。
目を閉じると、アイス・ウルフの青い目が浮かんだ。次に来る時は、もっとうまく戦える。光系魔法を起点にして、アリアが補助する形を磨いていけば。詠唱の速度も上げられる。
「おやすみ、セラ」
「おやすみ」
冬のダンジョンの余韻を抱えたまま、セラは眠りに落ちた。
次は絶対に、もっと余裕で。




