第101話 冬休みの始まり
# 第101話 冬休みの始まり
## 冬休み開始
冬の朝というのは、容赦がない。
魔法学園の寮。窓の外は白く染まり、すきま風が首もとにひやりと忍び込んでくる。セラはベッドの上で丸まったまま、しばらくその現実と向き合っていた。
(今日から冬休みだ)
そう認識した瞬間、体が自然に起き上がった。学校公認の休暇というのは奇跡みたいなものだ。冬休み当日の朝に、ちゃんと心が弾んでいる。
「……セラ、起きたの?」
隣のベッドから、ライルの眠そうな声がした。
「ああ。今日で学期終わりだな」
「うん……実家に帰る日だ」
ライルはもそもそと布団から体を出した。眠そうな顔だが、どこかほっとした表情がある。学期末試験をなんとか乗り越えた人間特有の、あの脱力感。
(決算期が終わった時の解放感——いや、それよりもっと清々しい。残業がないぶん)
「セラは冬休み、どうするの?」
「王都で過ごそうと思ってる。冒険者ギルドにも顔を出したいし」
「冒険者……すごいな」
ライルが素直に感心してくれた。謙遜するのも変なので、セラは素直に頷いた。
荷物は昨夜のうちにある程度まとめてある。エルフの生活は質素で、必要なものだけで回せる。それはそれで、割と気持ちいい。
「ライル、今学期いろいろ助かったよ」
「こっちこそ。セラにいろいろ教えてもらったから」
「そんな大したことしてないよ」
「大したことだよ。最初、魔法理論の授業で死にそうだったもん」
ライルが力説する。確かに、最初の魔法理論の授業は凄まじかった。魔法の基礎理論を真剣に聞いた甲斐があって、結果的にちゃんと頭に入った。まあいいか。
「ライルも頑張ったよ。定期試験、合格したじゃないか」
「セラに勉強を教えてもらったから合格できたんだ。……本当にありがとう」
「お互いさまだよ。ライルのおかげで、俺も学園生活の勝手が分かったしね」
「セラ、また新学期に会おう」
「ああ、春に。そっちも元気でな」
二人は握手した。男同士の別れらしくて、よかった。
廊下に出ると、荷物を抱えた学生たちがわらわらと動き回っていた。実家に帰るもの、友人と集まるもの、それぞれが冬休みの顔をしている。
(エルフの学園はきちんと整列してる。この整然さ、守護隊の訓練で叩き込まれた礼儀か)
食堂の入り口で、金髪が目に飛び込んできた。
「セラ!」
アリアだった。手を振りながら駆け寄ってくる。その笑顔は、冬の朝の空気を二度くらい暖かくする威力があった。
「おはようアリア。もう来てたんだ」
「セラが遅いんだよ。ご飯、冷めちゃうとこだった」
「ごめんごめん。ライルと話してた」
「ライルさん、今日実家に帰るんですよね? ちゃんとお別れしてきた?」
「うん。握手した」
「握手!? もっとこう、感情のこもった別れじゃないの?」
「いや、握手で十分だ。男同士だし」
アリアが「ふぅん」という顔をした。三人で朝食を取りながら、冬休みの話になった。ライルは実家へ、アリアはセラと王都で過ごす予定だという。
「セラの実家に来るか?」とライルが提案したが、アリアは柔らかく断った。「今回はセラと一緒に王都を楽しみたいから」。
(……「セラと一緒に」を全力でナチュラルに言うな、こいつ。ライルが「そっかー」で流してくれてよかった)
セラが内心でつっこんでいる間に、朝食は終わった。ライルと別れを告げ、アリアとともに荷物をまとめにもどる。
寮の部屋で荷造りをしていると、アリアが思い出したように言った。
「そういえば、ミサトさんとのデートの話、ちゃんと聞いてませんでしたね」
「あ、ああ……」
そのワード、急に来たな。セラはとっさに答えを探した。デート、という表現をミサトは使っていなかった気がするが、アリアの中でそういう位置づけになっているらしい。
「王都で一緒に回ったんだ。魔法カフェとか、服屋とか。テンプテーション・ティーを飲んだり、エルフの人形を見つけたり」
「楽しかったですか?」
アリアの表情は穏やかだった。嫉妬というより、純粋に聞いているような顔だ。
「……うん。楽しかった」
「そうですか」
アリアは少しだけ間を置いてから、微笑んだ。
「セラが楽しめたなら、私も嬉しいです。……前にも言ったでしょう? 三人で、幸せになろうって」
「アリア……」
「照れないでください。本気ですから」
(ちょっと待って。この子の器、デカすぎないか。俺が抱えてた人間関係の悩みなんて、全部些細に見えてくる)
「アリア、優しいな。本当に」
「セラが幸せなら、私も幸せですから。簡単なことです」
簡単ではないと思うけど。でも、その言葉を受け取ることはできた。
荷物をまとめ終えると、寮の出口でゴウタとミナに遭遇した。ミナの猫耳がピコピコ動いている。
「シルヴァさーん! 冬休みの予定は?」
「王都で過ごすよ。ミナは?」
「猫族の集落に帰るにゃ! 家族と過ごすにゃ! お母さんの手料理が食べたかったにゃ!」
「それは楽しみだね。おいしいもの食べてきてよ」
「シルヴァさんも、王都で美味しいもの食べてにゃ!」
ミナはセラの足に擦り寄ってきた。アリアが横で「あら」という顔をした。ゴウタが「おい」という顔をした。セラは「いつものことだ」という顔をした。
「ゴウタは実家?」
「ああ。親父に剣術を教わる予定だ。なまってるからな」
「頑張ってな」
「お前もな。……アリアさん、こいつのこと頼みますよ」
「はい、任せてください!」
アリアが元気よく言った。ゴウタが苦笑した。セラは「頼まれてる側の気持ちを聞けよ」と思ったが、アリアが嬉しそうなのでやめた。
「新学期に会おうな、みんな」
「はい! にゃ!」
通用門を抜ける時、セラは一度だけ振り返った。魔法学園の校舎が、冬の陽光の中に白くそびえている。
(……来た時は何もわからなかったのに。今は何とかなってる)
転生して、エルフになって、学園に入って、友人ができて。この景色が日常になっている。不思議だし、ありがたい。
「行こう、アリア」
「はい。春にはまた戻ってきます」
雪の積もった道を、二人で歩き出した。
## 王都の宿屋
王都の城壁が見えた時、セラはほっと息をついた。
雪の街道を歩くこと数時間。エルフの体力があるとはいえ、冬の風は耳の先から体温を奪っていく。アリアと二人で歩いてきたこの道、会話は絶えなかったけれど、到着するとやはり安堵する。
「着きましたね」
「やっと宿に入れる」
「セラ、耳が赤いよ」
指摘されて、セラは耳を押さえた。確かに、冷えて感覚が鈍くなっている。
(エルフの耳って、感覚が鋭い分、寒さのダメージも大きいんだよな。イケメンエルフのビジュアルはいいが、耳の寒さはどうにかしてほしい)
「ちょっと、可愛くなってる」
「なってない! 機能的な問題だ!」
「同じことだよ」
アリアが笑った。セラはマフラーを引き上げた。
「森の恵み亭」の看板が見えた。木造の温かみある外観。冒険者ギルドに通い始めた頃からの宿だ。まだそれほど長い付き合いではないが、すでに安心感がある。
扉を開けると、店主がカウンター越しに顔を上げた。
「おお! セラ君! アリアさんも! よく来た、よく来た」
「お久しぶりです、店主さん」
「魔法学園はどうだった? 元気そうだな」
「おかげさまで。試験も乗り越えられました」
「そうか、そうか。いつもの部屋、取っておいたよ。二人がそろそろ来るかと思ってな」
(取っておいてくれてた……。これが「常連」の温かさというやつか。チェックインのたびにポイントカードを探すような無粋な関係とは全然違う)
セラは内心で感激しつつ、鍵を受け取った。二階の奥の部屋。階段を上がると、木の香りが鼻をくすぐる。
「懐かしいですね」
アリアが部屋に入りながら言った。
「ここが落ち着くんだよな」
「私もです。ここにいると、不思議と安心する」
荷物をベッドに置いて、窓の外を見る。王都の街並みが広がっている。冬の空は高く、青い。学園とはまた違う景色だ。
「セラ、まずどこ行きますか?」
「ギルドに顔を出そうと思ってる。冬休みの間にできるクエストを確認して」
「私も一緒に行っていいですか?」
「当然でしょ」
アリアが嬉しそうに笑った。セラも笑い返した。こういう当たり前のやり取りが、妙に心地いい。
「じゃあ、荷物を置いたら行こう」
「はい! 王都の冬も楽しみです」
## 冒険者ギルド
冒険者ギルドに着くと、ミサキさんがカウンターの向こうで笑顔を向けてきた。
「セラさん! お久しぶりです! アリアさんも!」
「お久しぶりですミサキさん。学園の合間に顔を出せなくて」
「いえいえ、忙しかったでしょう。……あの、学園新聞でセラさんの成績優秀賞を拝見しましたよ。すごかったですね」
「えっ、ギルドでも読むんですか学園新聞を」
「もちろんです。ギルド登録の冒険者が学園に通っていますから、動向はチェックしているんです」
(ギルドが学園の成績を追ってる。そういうことか。でも、ここでは純粋に応援してくれてる感じがするのがいい)
セラが複雑な表情をしていると、ミサキさんはにこっと微笑んで続けた。
「あと、女装コンテストの優勝も聞いてますよ」
「……それは聞かなかったことにしてください」
ギルドの中を見渡すと、他の冒険者たちがちらちらこちらを見ている。ひそひそ声が聞こえる。「あれがセラか」「学園で優勝した」「一年生で上級魔法使いらしい」。
(俺、有名になりすぎじゃないか。どちらかというと、目立ちたくない性分なんだが)
自己ツッコミをしている間に、ミサキさんがクエスト一覧を出してくれた。
「冬休み期間中は週末限定クエストが増えています。こちらをどうぞ」
リストを見る。森林狼討伐、古井戸調査、除雪作業、魔物の痕跡調査、食材集め。どれもそれなりに報酬がいい。
「まずは森林狼討伐をお願いします」
「はい、承りました」
手続きが進む中、ミサキさんが少し声を落として言った。
「あの、セラさん。もしよければ、私もクエストに同行してもいいですか? 週末は休みの日もあって、冒険者としての経験も積みたくて……」
セラは少し驚いた。受付嬢のミサキさんが、クエスト同行を申し出るとは。
(嬉しいな。同僚と仕事以外で出かけたことが少なかったから、こういう誘いはありがたい)
「もちろんです。ぜひ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ミサキさんの目が輝いた。アリアがそれを見て、ふわっと微笑む。
「今週末、ここに集合しましょう。朝早めに出た方がいいので、早起きをお願いします」
「はい! 絶対起きます!」
ギルドを出て、二人で王都の街を歩く。冬の王都はにぎやかだ。旅行者、学生、冒険者、いろんな人が行き交っている。冬の市の屋台がちらほら見えて、いい匂いが漂っていた。
「ミサキさんも同行するんですね」
「うん。彼女も経験を積みたいって」
「良かったですね。三人で行けますね」
アリアが当然のことのように言う。複数人に同時に大切にされているという状況——。
(……冒険者ギルドで有名になって、アリアに応援されて、ミサキさんにも誘ってもらえる。守護隊の修行に明け暮れてた頃には想像もしなかった)
「セラ、どうしたんですか? 急にぼーっとして」
「なんでもない。ちょっと、今の俺の状況について考えてた」
「今の状況……?」
アリアが首をかしげた。セラは首を振って前を向いた。
「ミサトとも、冬休みに会う約束をしてる。今度はどこに行こうかな」
「映画館はどうですか? 前回は魔法カフェと服屋だったって言ってたから」
「そうだな。映画館か。ミサトが好きそうだ」
「私も行きたいです」
「もちろん。三人で行こう」
アリアが「えへへ」と笑った。その笑顔が、冬の王都をほんの少し明るくした。
## ミサトとの約束
夕方の王都。オレンジ色の光が建物の影を長く伸ばしている。
カフェでアリアと「テンプテーション・ティー」を飲みながら、セラはミサトのことを改めて考えていた。生徒会室での最後の会話。「冬休みにも会いたい」という言葉。ミサトがそういうことを口にするのは珍しい。
「ミサトさんとも会う予定があるんですよね?」
アリアが紅茶のカップを両手で包みながら言った。
「うん、約束してる。……今度は映画館でも行こうかなって思って」
「映画館ですか。ミサトさん、喜びますね」
「ミサト、映画好きみたいだし。……アリアも行く?」
「もちろんです。三人で行きましょう」
迷いのない即答だった。セラはカップを口に運びながら、内心でつぶやいた。
(ミサトとの関係、どう定義すればいいんだろうな。友達より近いけど、恋人ではないし。でもアリアは「三人で幸せに」って言うし……この世界の感覚で捉えるべきなんだろうな)
「セラ、どういう関係とか、決めなくていいと思いますよ」
「……え?」
「今の顔、考えすぎの顔です。ミサトさんと一緒にいて楽しいなら、それでいいじゃないですか」
セラは少し目を丸くした。
「アリアって、なんでそういうこと分かるの」
「セラのことを、ずっと見てきましたから」
「……それはずるいな」
「えへへ。ずるいですよ」
アリアが笑った。セラも笑った。紅茶が甘かった。
「ミサトさんも、きっと今頃セラのことを考えてると思いますよ」
「……どうかな」
「考えてると思います。あの人は顔には出さないけど、ちゃんと気にしてる。それが分かるから」
「アリア、ミサトのことよく見てるな」
「だって、仲間ですから。これからも一緒にいる人のことは、ちゃんと見ておきたいです」
(仲間、か。その言葉、ここでの「仲間」は「一緒に戦う、一緒に生きる」という重みが含まれている。エルフ守護隊でそれを学んだ)
紅茶を飲み終えると、二人は宿屋に戻ることにした。夕暮れの街を並んで歩く。雪が少し積もった石畳が、オレンジ色の光を受けてきらきらしている。
## 冬休みの夜
宿屋に戻ると、店主が夕食を用意して待っていた。特製のシチューとパン。外が寒かった分、温かい料理が体に沁みた。湯気が立ち、シナモンの香りが少し混じっている。
「今日一日、どうだったかな」
セラは箸の代わりのスプーンを持ちながら、今日を振り返る。学園を出て、王都に着いて、ギルドに行って、街を探索して。内容の濃い一日だった。
(全部「やりたいこと」だった。だから疲れよりも充実感の方が大きい——。それだけのことだ)
「明日は何をするんですか?」
アリアが聞いた。シチューをおいしそうにほおばりながら。
「ギルドでクエストの準備をして、週末に森林狼討伐に行こうかな。ミサキさんも来るし」
「私も行きます」
「わかってた。アリアが「行きません」って言ったら驚く」
「そりゃそうです。当たり前でしょ?」
完全に想定内の返答だった。セラは苦笑しながらシチューをすくった。
「明後日はミサトと映画館に行こうと思う。アリアも一緒に来るか?」
「行きます! ミサトさんにも会いたいですし」
「じゃあ三人で行こう」
「楽しみです! 映画館って、この世界にもあるんですね」
「魔法で映像を映し出す形式らしいよ。前世のとは違うけど、映画というか、演劇に近い感じかな」
「そうなんですか。面白そう!」
夕食の後、部屋に戻る。窓の外に星が出ていた。冬の星空は、夏より澄んでいる気がする。
(夜空を見上げる余裕がある。それだけで、なんか報われる感じがする。理由は分からないけど)
「セラ、一緒に寝てもいいですか?」
アリアが言った。衣服のまま添い寝、という意味だとセラはもう理解している。
「いいよ」
二人でベッドに横になった。布団が温かい。
「セラ、冬休み楽しみですね」
「うん。クエストに行って、ミサトとも会って、街も探索して……やりたいことが多すぎる」
「一個ずつやればいいですよ。焦らなくても、冬休みはしばらくあります」
「……そうだな。ゆっくりやろう」
「私も、セラと一緒ならどこへでも行きたいです」
「……大げさだよ」
「大げさじゃないです。本当のことです」
しばらく沈黙が続いた。悪くない沈黙だった。窓の外の星が輝いている。
(誰かと並んで、穏やかな夜を過ごせる。孤独に修行していた夜が随分遠くなった)
「セラ、私のこと好きですか?」
「好きだよ。ずっと一緒にいたい」
「私もです。ずっと一緒にいます」
「……うん」
それだけで十分だった。冬休みの初日が、静かに終わっていった。アリアの体温が伝わってくる。布団の中が、小さな春みたいに暖かかった。




