第100話 学期の終わりと冬休みへ
# 第100話 学期の終わりと冬休みへ
## 期末試験終了
最後の試験が、終わった。
セラはペンを置いた。
教室に、ため息と歓声が入り混じった不思議な音が広がった。五科目、三週間にわたる試験が、今この瞬間に完全に終了した。
(……終わった)
(本当に、終わった)
(終わったな? 夢じゃないよな?)
思考が一時停止していた。全力を注いだものが終わった時の脳は、どの世界でも同じ反応をする——まず信じられなくて、それから少しずつ体から力が抜けていく。
「セラ!! 終わったね!!」
アリアが隣の席から飛びついてきた。
「ちょっ、まだ答案が——」
「もう提出した!」
「早い」
「最初から早く書けたから。セラは?」
「ちゃんと全部書いた。最後の論述、少し長くなったけど」
「長くなったの良い兆候だよ! 書けた証拠!」
教室があちこちで似たような喜びの爆発を起こしていた。エリックとサクラが握手を交わしている。リオが机に突っ伏して「終わった……生き返った……」と呟いている。どこを見ても、解放感と安堵と疲労が入り混じった顔だ。
(この顔、見たことがある。大きなものを乗り越えた後の人間はだいたい同じ顔をする。ほっとした顔というのは、世界が違っても共通だ。プロジェクト終了後の職場でも、資格試験の終わりでも、感じたことのある空気だ。懐かしいというか——同じ人間が反応してるんだから、当然か)
「セラ、魔法実技はどうだった?」
「ウィンドウォールが完璧に出せた。フレイムウィンドも制御が安定してた。感情制御の実技も、授業で練習したのが活きた」
「私もライトニングアローが決まった! 感情制御は緊張してたけど、集中したら安定した」
「良かった」
「魔法史は?」
「第六章の補強をしといたのが効いた。流れで覚えてたから、記述問題も書きやすかった」
エリックが近づいてきた。
「セラ、お疲れ。あの勉強会、ほんとに助かったよ。変換式の考え方、最後まで使えた」
「良かった。俺も整理になったし、お互い様だよ」
「謙虚だな……。でも本当に助かった。サクラも言ってたよ、セラの教え方わかりやすいって」
(感謝を素直に受け取れるようになってきた気がする。以前の俺は「大したことしてないよ」と言いながら、何か居心地の悪さがあった。今は少し違う)
「一緒に頑張ったんだから、一緒の成果だよ」
「そういうことにしておく。……ランクアップ試験、頑張ってね。絶対受かると思うけど」
「ありがとう」
リオが机から顔を上げた。
「セラ、ランクアップ試験って冬休み中?」
「そう。申し込んである」
「……私も受けたい。今日、終わったら登録しに行こうかな」
「ギルドの登録は早めにした方がいいよ。冬休み前に枠が埋まるかも」
「今日行く!」
(リオのこの即決力。動こうと思ったら動く。俺も少しずつ動けるようになってきた。環境の変化か、体の変化か——あるいはアリアやミサトの影響か)
それから昼まで、解放感の中でクラスメイトたちと話した。ゴウタが「セラのおかげで感情制御の実技ができた」と感謝を言いに来た。サクラが「魔法史の記述、セラの教えてくれた「流れで覚える」方法で書けた」と報告してきた。
(自分の説明が誰かの役に立って、それが試験本番で使われた。これは純粋に嬉しい。嬉しいというのは体の感覚で、頬が少し緩んでいるのがわかった)
学期が終わった。本当に、終わった。
## 王都に来てからの振り返り
昼。
試験が終わった解放感のまま、セラとアリアは中庭のベンチに座った。
穏やかな冬の日差し。噴水の水音。鳥の声。学期末の空気が漂う中庭に、生徒たちが思い思いに座っている。
「セラ、今学期、色々あったよね」
「そうだな」
(色々あった、で済まない量があった。王都に来た。冒険者ギルドに登録した。魔法学園に入学した。初めての授業、初めての試験、週末のクエスト、ミサトとのデート——振り返ると一学期でよくこれだけ詰め込んだな、と思う)
「セラ、最初は少し不安そうだったよ」
「そうだったか?」
「表に出てなかったけど、なんとなくわかった。新しいことが多かったから」
(アリアのこういう鋭さ、昔から変わらない。俺が隠してることを、さらっと言ってくる)
「まあ……不安はあった。昔の自分の感覚と、今の自分が違いすぎて、どこに立てばいいかわからなかった時期があった」
「でも今は?」
「今は、ここにいることが自然になってきてる」
「それが一番いいね」
アリアがにっこりとした。
セラは中庭の木を見ながら、この学期を頭の中で巻き戻した。
冒険者ギルドへの登録。魔力測定の異常な数値。Fランクのカード。最初のクエスト——その緊張と達成感。
学園の初日。魔法理論の授業。基礎から改めて学ぶ、不思議な充実感。
エリックやサクラとの交流。勉強会の主役になったこと。
古井戸のクエスト。コウモリのハプニング。銀貨十五枚。
そして——ミサトとのデート。あの午後の雑貨屋とカフェと帰り道。
「冒険者としてもだいぶ変わった気がする」
「全然違う! 最初のセラと今は別人みたい」
「別人は言い過ぎ」
「別人ぐらい変わったよ。最初、魔法の制御が感情に引っ張られてたじゃん。今は安定してる」
「学園での授業が効いてる。実戦と学習が繋がってる感覚がある」
「繋がってるよね。授業で学んで、クエストで使って、クエストで感じたことを授業に活かして」
「この世界の冒険者と学生を両立するのは、理にかなってるのかもしれない」
(「働きながら学ぶ」か「学びながら働く」か——どちらも意味がある。こっちの世界はそれが自然に組み合わさってる。学校と仕事が分断されていた前の世界より、ずっとスムーズに連携できる。学んだことがすぐ実戦で試せて、実戦でぶつかった壁が学習の動機になる。それが当たり前の環境というのは、恵まれてる)
「ミサトとも仲良くなれてよかった」
アリアがさりげなく言った。
「……まあ」
「「まあ」じゃないよ。セラ、ミサトのこと、好きなんでしょ?」
「それは——」
「えへへ」
「笑って誤魔化すな」
「だってセラが照れてるの、可愛いから」
(なぜか俺が照れてるという展開になっている。否定できない。するべき言葉が出てこない。それが答えだと思う)
「ミサトはいい人だよ。ちゃんと向き合ってくれる」
「うん。私もそう思う」
「アリアは……複雑じゃないか? ミサトのことを俺が気にしてることで」
「全然!」
即答。迷いゼロ。
「セラが大切にしてくれる人が増えたら、セラが幸せになれる。それが一番だよ」
(アリアは天然なのか計算なのかわからない。でもこういう言い方をされると——孤独でいいと決めていた理由が、一つずつ崩れていく)
「……ありがとう、アリア」
「どういたしまして」
## ミサトとの会話
午後。
生徒会室の前に来て、ドアをノックした。
「どうぞ」
入ると、ミサトが書類を整理していた。机の上に書類の束。試験が終わった直後というのに、こちらはまだ仕事中だ。
「……何しに来た」
「学期末の挨拶と、冬休みの話がしたくて」
「挨拶なんていらない。冬休みの話だけしろ」
「了解」
向かいの椅子に座る。生徒会室は静かだ。窓から冬の午後の日差しが入っている。
「ランクアップ試験、冬休み中に受けるんだったな」
「申し込んである。冬休みに入ってすぐ」
「……実技の練習相手、私がやる」
(また申し出た。ミサトが自分から「やる」と言う。先週の「また連絡する」に続く積極性だ。変化している。確実に。デートの前のミサトなら、こういう言い方はしなかったと思う。「練習になるなら付き合ってやる」とか、もっと斜に構えた言い方をしていたはずだ)
「本当にいいのか? ミサトも忙しいだろうに」
「騎士団の訓練は元旦過ぎてからだ。冬休みの前半は時間がある」
「じゃあ……お願いします。あなたと練習できるなら、実技の自信がつく」
「私はEランクだから、あんたの目標レベルより上を相手にすることになるぞ」
「それでいい。高い壁を設定した方が成長できる」
「……そうだな」
ミサトがわずかに表情を緩めた。
「試験の日程を確認してから、練習スケジュールを組む。それでいいか」
「助かります」
「それから——試験が終わったら、どこかに行かないか」
セラは顔を上げた。
「どこかって?」
「どこでもいい。あんたが決めろ」
(この台詞、前回も言ってたな。ミサトは「あんたが決めろ」と言う。「お任せします」じゃなくて、「任せるけど一緒に行く」という意思が含まれてる。ニュアンスが全然違う)
「受かったら、アリアも一緒に三人で——」
「アリアさんは別にいい。あんたと二人で」
ミサトが少し顎を引いて言った。
「……了解」
「フン」
(照れ隠しのフン。これはデジタル的に解読するとミサトの照れ隠しだ。この世界のツンデレの「フン」は破壊力が高い。なんか笑える)
「ミサト」
「何だ」
「来学期も、よろしく」
ミサトは少し黙った。それから、ほんのわずかに、口元が動いた。
「……よろしく」
生徒会室を出る前に、セラは一つ確認した。
「ミサト、来学期——どんなことになりそうか、騎士団で何か聞いてるか?」
「……何かが動いている、という空気はある。王都の上層部が何かを気にしてる。詳しくは私にも教えてもらえてないが——あと、東の商隊が最近まったく来ていない、という情報も入っている。王都の中でも話題になっている」
「……東の商隊が?」
「ただの話かもしれない。でも、騎士団内でも気にしている者が数人いた」
(東の大陸——何かがある。まだ名前も顔も知らない何かが、そこで動き始めている気がする)
「そうか」
「あんたには関係あると思う。古代エルフの血筋が関係してる、という話を聞いたことがある。真偽は不明だが」
(古代エルフの血筋——それは俺の魔力の異常な多さに繋がる話だ。なぜこの世界に転生したのか、その理由とも関係してるかもしれない。来学期以降、その話が動くということか)
「教えてくれてありがとう」
「礼はいらない。あんたに関係しそうだから言った。……気をつけろ」
「わかった」
「それだけだ。帰れ」
(「帰れ」と言いながら、ちゃんと情報を共有してくれた。これがミサトだ。言葉は短いが、行動は温かい。「帰れ」が「ありがとう」で、「フン」が「好き」だとしたら——ミサトの言語は翻訳作業が要るが、翻訳した結果は毎回こちらに向いている)
## アリアとの約束
夕方。
中庭に戻ると、アリアが一人でベンチに座っていた。夕日の中で、膝の上に手を組んで、空を見ていた。
「アリア」
振り返ったアリアの顔が、夕日に照らされてオレンジ色に染まっていた。
「セラ。ミサトのとこ行ってたの?」
「うん。来学期の話をしてた」
「そっか。良い顔してるね、セラ」
「そうか?」
「うん。なんか——すっきりした顔。それと、少しだけ真剣な顔も混じってる」
「ミサトから少し話を聞いた。来学期に向けて、動きがあるかもしれない」
「そうなんだ……。怖くない?」
「怖いかどうかより、備えるかどうかだな。ランクアップして、強くなって——来るものに対処できるようにする」
「セラらしい答え方」
「アリアは怖い?」
「怖いよ。でも——セラと一緒なら大丈夫だと思える。それだけ」
セラは隣に座った。二人の間に、静かな時間が流れた。夕風が吹く。噴水の音。鳥が巣に帰っていく声。
(この中庭、好きだな。学園に来てから、何度もここに来た。試験前も、クエストの前も、ぼーっとしたい時も。この場所が「ここにいていい」という安心感と結びついてる。王都に来たばかりの頃は、「どこでもない感じ」があった。帰る場所でも、安心できる場所でもない、ただいるだけの場所。今は違う。この中庭は、「ここが俺の場所だ」と思える場所になってきた)
「ねえ、セラ」
「うん」
「今学期、どんな学期だった?」
「色々あったけど——良い学期だったと思う」
「私もそう思う。色々あったけど、ぜんぶ良い経験だった」
「アリアと一緒に来た甲斐があったな」
「私もそう思う。セラと一緒だから、全部楽しかった」
(アリアが「セラと一緒だから」と言う。「一緒だから楽しい」と言ってくれる相手がいる。前の俺には少なかったもので、今の俺には普通にある)
「アリア、今学期ありがとう」
「え? セラからそれ言う?」
「言う。いつも支えてくれたし、一緒に来てくれたから」
「当たり前だよ……でも、言ってもらえると嬉しい」
アリアが少し顔を赤くして前を向いた。夕日に染まった横顔。頬に赤みが差している。照れを隠そうとして隠し切れていない、そういう顔だ。
「来学期も、一緒にいてくれるか」
「当たり前でしょ!」
即答だった。
「……アリアはいつも即答だな」
「だって本当のことだから。セラと一緒にいたい。それだけ」
それだけ。
その言葉の重さを、セラはしばらくかみしめた。
(「それだけ」という言葉が、時に全部を言い表す。「好きだから」でも「大切だから」でもなく、「それだけ」。重さをぜんぶ収めた、一番シンプルな言葉だ。こういう言葉を使える人間は、言葉に嘘がない。前の俺は逆だった。複雑な言葉で伝えようとして、大事なことを言えなかった。アリアはシンプルな言葉で大事なことを言う。俺も少し、そうなれてきたかもしれない)
「約束しよう。これからも、一緒に。どんなことが起きても」
「うん。約束。セラがどこに行っても、私がついていくから」
「ついてくるな、俺が連れていく」
「同じじゃん」
「全然違う」
「えへへ」
二人の笑いが、夕暮れの中庭に溶けていった。
噴水の音。鳥の声。夕風の涼しさ。
アリアの横顔が、夕日でオレンジに染まっている。
(この景色は、良い景色だ。こういう場所で、こういう人と、こういう時間を過ごせている。それだけで、今の俺には十分すぎる。前の俺に見せてやりたい。「転生したら、こういう場所で、こういう人と、一緒にいられるようになった」と。信じるかどうかはわからないけど——今の俺は、幸せだと思えてる。それは間違いない)
## 来学期への期待
夜。
寮の部屋。
アリアが「疲れたから早く寝る」と言って隣の部屋に消えていった。セラは一人、窓の外を見ていた。
月が出ていた。
王都の夜景。遠くに魔法灯具の光。鐘の音が遠くから聞こえてくる。
(この学期で、どれだけ変わったか。来た頃の自分と今の自分を比べると——かなり変わった気がする。魔法の制御が安定した。クエストの実績を積んだ。友人ができた。ミサトと仲良くなった)
セラは窓に寄りかかった。
エルフの森での幼少期、そして王都での半年——それらを経て、これから新しい日々が始まる。
(来学期で何が待っているかは、まだわからない。古代エルフの血。魔力の異常な多さ。なぜ転生したのか——その答えは、まだ見えていない。でも今は——それでいい)
目の前にやることがある。
ランクアップ試験。学業の継続。ミサトとの実技練習。アリアとの約束。
やることがある間は、迷子にならない。
(「何のために生きているのか」を深夜に考えていたのは、やることはあっても「やりたいこと」がなかったからだ。毎日こなしていた。消費していた。疲れていた。こっちは違う。全部、自分がやりたいことだ。「詰め込んでいる」のと「詰め込まれている」のでは、疲れ方が根本的に違う)
「さて」
セラは独りごとを言った。
「これから何が来ても——まあ、なんとかなるだろ」
根拠はない。でも確信があった。
アリアがいる。ミサトがいる。仲間がいる。そして自分自身が、いろんな記憶と経験を持った、ちょっと変わったエルフとして、ここに立っている。
(ちなみに「なろう系主人公みたいなことを考えてる俺」というセルフツッコミをしてる俺は、なろう系の設定に生きてるくせにツッコミを入れてる。矛盾してる。でも、そのツッコミがあるからこそ、飲み込まれずにいられる気がする。俺という存在の特異点は、それかもしれない)
月が少し動いた。
ベッドへ向かう。
明日からは冬休み。ランクアップ試験まで、まだ時間がある。ミサトとの練習も、アリアとの冒険計画も、これから決まっていく。
王都での半年は、ひとつの節目を迎えた。新しい日々が、始まる。
ベッドへ向かいながら、セラは今学期を最後にもう一度振り返った。
冒険者ギルドとの再会。ランクアップ試験への挑戦。古井戸のクエスト。ミサトとのデート。図書館の勉強会。
たくさんのことがあった。
たくさんの人がいた。
一人でこなしていた時間より、はるかに豊かな時間だった。
セラは静かに目を閉じた。今学期の全てが走馬灯のように流れた。良い学期だった。本当に、良い学期だった。
どんな物語になるか——それは今のセラにはわからない。でも、楽しみだと思えている。
それが、今の俺には十分だ。
ミサトが言っていた「古代エルフの血筋が関係している」という言葉を、もう一度頭の中で転がした。
(古代エルフ。俺の魔力の異常な多さ。この体に転生した理由。——全部が繋がってるとしたら、これからはその答えに近づく日々になるのかもしれない)
(でも、それは「怖い」より「知りたい」という感覚が強い。自分が何者か、なぜここにいるか。それを知った上で、どう生きるか決めたい。逃げずに、知りたい)
アリアとの約束。中庭で二人で決めた「これからも一緒に、どんなことが起きても」という言葉が、改めて頭に響いた。
ミサトとの「よろしく」も同じだ。あの一言に、来学期への覚悟が詰まっていた気がする。
横になった。月明かりが天井に落ちている。
(困難を楽しめるようになったのは、いつからだろう。コウモリが来た井戸の中でも、戦闘中も、試験前夜も——不安より「どうするか」を考えてる自分がいた。環境の変化か、エルフの体がそうさせたのか——あるいはアリアとミサトと仲間がそうさせたのか)
たぶん全部だ。
(あと、前の俺と決定的に違うのは——「失敗しても続けていける」という感覚があることだ。前の俺は一度失敗すると、それがずっと頭の中に居座った。今は違う。コウモリに逃げてコウモリを捕まえた。感情制御で暴走して、授業で学んで試験で出せた。失敗が次につながってる。それが、楽しめてる理由かもしれない)
セラは深く息を吸って、吐いた。
月明かりが天井に静かに落ちている。
「この半年、お疲れ様でした、俺」
自分に言った。
目を閉じた。
冬休みが始まる前の、最後の夜。穏やかな夜だった。




