第八話 冬の膳 燻し魚で狼煙を上げる盗賊団(2)
薪番も、扉の方を見ていた。
「魚か」
リュカが聞いた。
「ここでは燻してない」
「谷の奥で、誰かが燻してるのか」
「この谷にあるのは、炭窯ばかりだ」
薪番は火床から乾いた薪を一本取り、割った面を指で撫でた。
「乾いた薪も、昨日はもっとあった」
主人が鍋の蓋を戻した。
「薪の数は合っているんだろう」
「十二束ある。数だけは」
「なら、昨夜の湿気を吸ったんじゃないのか」
薪番は乾いた薪を火へ入れた。
炎が木の角を舐め、火床が明るくなった。
主人は客の椀を見て回った。
炭焼きたちは、煙の引いた客席で、もう息を止めずに汁をすすっていた。
「共同薪場には、みんなが出入りする」
主人は声を落とした。
「誰かが薪を濡らしたと言い出せば、最初に疑われるのは誰だ」
「誰とも言ってない」
「お前の乾かし方が悪いと言われるぞ」
薪番は火鋏を置いた。
音は小さかった。
「もう言われてる」
主人の手が、空いた椀の上で止まった。
客席の六人は顔を上げず、匙だけを動かしていた。
リュカは空の小皿を卓の端へ寄せた。
「共同薪場を見せろ」
薪番がリュカを見た。
「何をする」
「濡れ薪がどこから来たか、膳の前に見る」
「宿代の仕事は終わった」
「卵の分が残ってる」
主人が空いた小皿を持ち上げた。
「燻し卵半分で、森へ入るんですか」
「薪場までだ」
リュカは立ち上がった。
入口の外では、横木へ立て掛けた薪から水が落ち、雪に細い穴を作っていた。
「共同薪場で濡れたなら、屋根か棚にも跡がある」
薪番は火鋏を取り、壁の鉤へ掛けた。
「見てない。今から見る」
主人が二人の背へ声をかけた。
「暗くなりますよ」
「薪場までだ」
薪番は壁の鉤から離れ、リュカの隣へ立った。
外へ出ると、谷を覆う煙はさらに低くなっていた。
夕方の風が谷底へ降り、煙を道の上へ押している。
共同薪場は食堂の裏手にあった。
三方を板壁で囲み、屋根だけを深く張り出している。
炭焼きごとに棚が分かれているが、扉はない。
薪番は食堂側の棚へ行った。
残っている薪束は六つ。どの束も割った面を棚の奥へ向け、同じ太さの縄で括られていた。
「昨日は十二束あった」
薪番は棚の上段を見た。
「今朝、上から六束を食堂へ運んだ。一束は火床の脇でほどいた」
残る五束が、先ほど食堂の外へ出した薪だった。
薪番は棚の一番上から束を下ろし、割った面を明かりへ向けた。
親指を当てると、白い木目の間へ水が黒く染みていた。
「濡れてる」
二束目も濡れていた。
三束目も、割った面まで冷たく湿っていた。
四束目を下ろした時、薪番の腕がわずかに上がった。
同じ太さなのに軽い。
割った面は白いままだった。
指の節で叩くと、濡れ薪の鈍い音ではなく、短く硬い音が返った。
「これは乾いてる」
五束目と六束目も乾いていた。
「この六束を最後に確かめたのは、いつだ」
「昨日だ。十二束を積んだ時は、全部、割った面まで乾いてた」
六束を棚から下ろすと、濡れた束が三つ、乾いた束が三つに分かれた。
今朝、食堂へ運んだ六束は、火床の脇でほどいた一束も、外の横木へ出した五束も濡れていた。
薪場に残った三束を合わせれば、濡れ薪は九束になる。
全部で十二束。数は昨日と変わらない。
棚の下に残っていた三束だけが、昨日のまま乾いていた。
リュカは濡れた束の縄へ触れた。
「この結び方は、おまえたちのものか」
「うちじゃない」
薪番はすぐ答えた。
「何が違う」
「縄の輪が外へ出てる」
乾いた三束は、縄の輪を薪の内側へ入れてあった。
運ぶ時に枝へ引っかけないよう、薪番たちがいつもそう括っている。
濡れた三束の輪は外へ出ていた。
濡れた三束は、輪の出る場所も、結び目の向きも揃っていた。
「今朝ほどいた六束も、輪は外だった」
九束の濡れ薪は、どれも同じ手で括られていた。
リュカは棚板へ手を置いた。
乾いている。屋根から水が落ちた跡も、壁板を伝った染みもなかった。
薪場は冷えきっていた。
濡れた束は、割った面の水気まで薄く凍っていた。水が滴り始めたのは、六束を暖かい食堂へ運び込んでからだった。
「雨漏りで濡れたんじゃない」
薪番は、結び目の違う三束を見た。
「乾き薪を持ち出して、代わりに濡れ薪を積んだのか」
「昨日、おまえが確かめたあとにな」
共同薪場の外には、橇の跡がいくつもあった。
炭を運ぶ太い跡。枝を運ぶ細い跡。食堂の薪を運ぶ短い跡。
そのうち一組の往復跡だけが、共同薪場と谷の奥を結んでいた。
道の片側には二本の深い溝があり、脇の足跡は爪先を薪場へ向けている。
すぐ隣の二本は浅く、そちらの足跡は爪先を谷の奥へ向けていた。
谷の奥から薪場へ来た時の橇跡は深く、薪場から奥へ戻った時の跡は浅かった。
同じ九束なら、乾き薪より濡れ薪を積んだ橇の方が深く沈む。
リュカは谷の奥へ戻る浅い溝の縁へ触れた。
雪の下に、小さな木片が埋まっている。
割った薪の角だった。
木片の割れ口は乾いていた。
リュカは乾いた木片と、深さの違う二組の橇跡を見比べた。
「奥から来た時は濡れ薪を積み、戻る時は盗った乾き薪を積んでいた」
薪番は、谷の奥へ続く浅い溝を見た。
「九束も、丸ごと入れ替えたのか」
薪番の声が低くなった。
谷の奥から、また魚の脂の匂いが来た。
今度は一度では終わらず、炭煙の下を細く流れて、共同薪場の屋根へ触れた。
薪番は匂いの来た方を見た。
「膳ができましたよ」
主人が食堂の裏口から二人へ声をかけた。
「跡が、薪場で終わってない」
リュカが谷の奥へ続く橇跡を指すと、主人はその先を目で追った。
「行くんですか」
薪番は濡れた束を振り返った。
「九束、取り返す」
「では、戻ったら膳を温め直します」
リュカは上着の襟を立てた。
薪番と並び、谷の奥へ続く橇跡を歩き出した。
雪の上には、濡れた束の縄と同じ色の、短い縄屑が一つ残っていた。




